2009/10/26

091024吉原・浅草巡見のご報告

 先の記事でのご案内どおり、先週末、巡見をおこないました。途中から雨が降り始めちゃいましたが、皆さん、しっかり歩きとおしてくださいました。それにしても、今回は参加者の年齢の幅が広かったですね。下は2歳(“お父さん”ご苦労様)から、上は・・・おいくつでしたっけ?

浄閑寺

 まずは“投げ込み寺”の浄閑寺の墓地から。ここを見学すると、やっぱりしんみりとした気分になりますね。吉原のことを研究していろいろ論じる者は、それぞれの主張の内容やら方向性やらはともかく、頭のどこかにこの風景を貼り付けておくほうが良いかも。
 浄閑寺を出て吉原へ。三ノ輪駅の交差点あたりで吉原の送迎車を何台か見かけました。昔はクラウンが多かった。それからちょっと前の流行はアルファード。今年はやたらプリウスが目立ちました。“環境に優しいソープランド”かな。まあ、この時期お買い得だったから一気に増えたんでしょうけど。それにしても、吉原はTOYOTAがお好きみたい。

酉の市

 途中、来月に酉の市が開かれる鷲神社・長国寺の境内に寄りました。すでに熊手を売るお店の骨組みが組まれていました。来月の二の酉、行きたかったなぁ。
 酉の市の開催が鷲神社と長国寺とに分かれているのは、もちろん明治の神仏分離令があったからでしょうが、分離の当初はなにかと大変だったのかなぁ。ついいろいろ想像してしまいますが。現在は、ちょっと外から見るかぎり、仲良く(?)それぞれやっているみたいです。酉の市に関するホームページも、鷲神社のものと長国寺のものとが別々にありますが・・・ホームページの出来については、長国寺に軍配。史料も頑張って収集してあって、なかなかの力作です。私の職場(のひとつ)である東京都公文書館の収蔵史料も掲載してあります。こちらやこちらへ。おすすめです。
 ここでちょっと宣伝。来月の一の酉の直前に、酉の市と吉原界隈の巡見をやります。ただし、有料。朝日カルチャーの新宿校の授業として。興味のある方は、同校のホームページへ。実は巡見に先立つ事前授業の日まではもう間もないんですが・・・当日まで受付可だったと思います。

吉原ソープ街の特権

 吉原のレポートは・・・省略。いろいろ新たな感想も持ったけど・・・。要するにここ(というか、吉原に限らず、いわゆる全国各地のソープ街)にあるのは、基本的に、働く人も客も、日本人(および日本人と区別のつかないくらい日本に同化した人)限定で形成された、そういう意味において特権的な、相対的に安定した準公認の売春システム(間違ってたらご指摘を)。そして、そこから排除された外国人の不安定な売春システムが存在し、従来、そちらの方は、例えばテレビと警察のタイアップ“ドキュメンタリー”番組なんかを通じて、“一般家庭”の“お茶の間”においてもっぱら可視化・社会問題化さてきたというのが、日本の職業的売春をとりまく基本的状況でしょう。ただ、日本における移民社会の発達によって、こうしたダブルスタンダード的な構造の矛盾が、近い将来、露呈されるような気がするけども。さて、どうだろうか。

山谷のあしたはどっちだ

 次に行ったのが山谷。たしかに相変わらず路上に人があふれてはいたけど・・・そうした人々の年齢層からみても、この町は労働者の町という性質をいっそう薄めつつあるように思える。そうした状況を見越すかのように、分譲マンションの建設も進んでいる。
 他方、社会のあちこちに散在するネット喫茶や安アパートの一室で携帯のスポット派遣情報を眺める人々が、ふたたびこうした町を発達させることがあるだろうか。ここでもまた、移民社会の動向がひとつ重要な問題だという気もする。

中国東北料理

 打ち上げは上野。上野駅前の丸井の裏手の方で地下に降りる居酒屋。中国東北地方の料理を出すお店。卓上の炭火であぶり焼いて食べる串焼きの肉が看板。美味しかった!店のなかにはハングル文字があちこちに。料理も、普通僕たちが、韓国・朝鮮の料理だと認識しているものが混じっている。巡見参加者のお一人が、中国の朝鮮族に関係するお店かも、という説を出してくれましたが・・・そうかもしれない。上野に限らず、例えば池袋あたりでも、中国東北料理のお店が増えているみたい。増加の背景が知りたいな。
 それはそうと、このお店の名前を忘れてしまった。誰か、一緒に行った人でこのブログ記事を読んでる人、憶えてたら教えてくださいな。

2009.10.30.付記1
 昨日、財布の中をみたら、この上野の居酒屋さんのサービス券が(笑)・・・しかも3000円分!で、お店の名前は「千里香」でした。この名前をみたら、串焼肉のスパイスの刺激的な香りが脳裏によみがえりました。料理のカテゴリーは「延辺料理」。中国東北地方の朝鮮族自治州が延辺州。Sさんの推察、ドンピシャでした。このお店、かなり美味しかったと思います。例えば、チャプチェ(春雨の炒め物)。韓国料理屋さんの定番メニューですが、ここのお店のはとても味が濃厚。といっても調味料が濃いのではなく、きっと春雨に吸わせたスープの味が深いからだったと思う。
 せっかくサービス券もたんまりとあることだし・・・ぜひ近いうちにまた行きましょう、みなさま。
付記2
 そうそう、巡見当日の第二次打ち上げのご報告を書き落としていました。上野の千里香を出た後は、大江戸線に乗って、当巡見打ち上げの定番スポット、新宿歌舞伎町界隈へ。今回は、参加者のひとりで、私にとっての新宿ゴールデン街の大先達、Nさんのご案内にて、充実した夜の巡見。さすがNさん、ちゃんと花園神社にも連れて行ってくれました。ここでも浅草と同様、酉の市の準備が進んでいました。花園神社の酉の市も行きたいなぁ。露店の食べ物のレベルが高いんですよ、すごく。飲み会は、ゴールデン街の端にある、関西料理の居酒屋。美味しいぞぉ。サービス券は無いけれど・・・ここもまた行きましょう、みなさま。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/10/19

巡見「江戸を縦貫する」の今週末ご案内と日程変更のお詫び

 巡見「江戸を縦貫する」を今週末、24日の土曜午後に実施します。

 コースは、吉原遊郭から山谷、浅草新町を通って浅草寺界隈まで、です。

 三ノ輪にある通称投げ込み寺の浄閑寺の墓地をスタートして、吉原遊郭に行きます。かつての遊郭の外郭部分を歩いてみてその広さを確かめたあと、遊郭跡の内部を歩いて近世吉原の痕跡や現況を訪ねてみましょう。次に山谷へ行きます。オールドタイプの「近代都市下層社会」(僕としては下層社会という呼び方は大嫌いですが・・・)を目に焼き付けておきましょう。現代のニュータイプの「都市下層社会」(下流社会という呼び方も嫌い)について何かを考えようとする人にとっては必須のことかと。そのあとは、浅草新町を縦貫して浅草寺界隈をめぐります。

 もともとこのコースは、酉の市の時期に合わせて来月23日の実施のつもりでしたが、私の仕事の都合でその23日は中止となりました。申し訳ありません。代わりに、今週末に実施します。来月の参加を予定しておられた方もいらっしゃると聞きます。ご迷惑をおかけしたこと、お詫びいたします。

 集合:2009年10月24日(土)13:30 
    地下鉄日比谷線の三ノ輪駅

 所要時間:だいたい3時間半くらい。巡見終了後は、有志で“夜の町あるき”へ。上野か新大久保あたりか。

 基本的には、各大学での私の担当授業の受講生・元受講生に声をかけての企画ですが、このブログをお読みになって興味を持たれた一般の方も遠慮なくいらっしゃってください。
 集合場所の詳細は各大学での授業の際に連絡します。元受講生や一般の方は私あてのメールにてお問い合わせください。今回が初参加の一般の方はそのメールに住所・氏名をお書き添えください。あて先のアドレスはこのブログのプロフィール頁に。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/09

新型インフルにかかる

試験の採点

 先月後半は、月初めの渡欧のつけがまわり、とてもきつかった。一番の大仕事は、各大学の前期試験の採点。採点する答案の数は、ざっと1000枚。それにしても、答案が1000枚ってことは、前期、僕は一週間当たり1000人もの人たち(これに試験をやらないゼミ生を加えると若干増えるけど、そこからサボりの数を引けば実際は800人くらいか)を相手に毎週毎週しゃべり続けてたわけやね。多いなぁ。
 で、試験だけど、思うところがあって、毎回、答案は論述形式。だいたい学生の皆さんには全問合計で1000字前後の答案を書いていただく。それを読んで採点して、成績入力して、確認してっていう作業。
 解答の文中で使用するキーワードをこちらでいくつか指定する形式の設問(どっかの大学の入試問題形式のパクリ)だから、答案の内容もある程度定型的で、その分採点はスムーズだけど、それでも、まあ、短くても1人当たり7~8分はかかる。というわけで、採点作業の時間の合計は、単純計算で、ざっと7000~8000分。だいたい120時間くらいかな。
 フリーターの僕の場合、大学が夏休みでも日中はたいていアルバイト仕事があるから、採点は夜から開始して朝まで。毎日6時間やっても20日はかかる計算。実際、月末は、徹夜か、あるいは寝ても1~2時間の日が続いた。正直、この間は罰当たりな呪詛の文句が心中を去来。なんせ、大学によっては、パートタイムの教員へは、授業のある月しか給与をくれず、夏休みは無給、ってシステムをいまだにとっている。まあ、授業時間に対する給与のなかに休み期間の採点作業やら授業準備への手当ても最初から組み込まれているんだからって言われればそれまでだけど・・・でもおかしなことに、そういった夏休み無給の大学にかぎって、夏休みの月でも給与をくれる大学より・・・とまあ、こんなところで愚痴ってて来年の仕事を減らされてもつまんないから、そろそろやめとこ。

インフル
 
 で、まあなんとか採点作業を終えて、さあこれから僕の短い夏休み(といっても夜なべ仕事からは解放されるってだけの話だが・・・)って思って気を緩めたとたん、見事に感染・発症。発熱があって病院に行くと、綿棒を細長くしたようなやつを鼻に突っ込まれての簡易検査で、A型インフルエンザであることが判明。現在は、A型であればすなわち新型インフルっていう扱いらしい。

 それから6日間は、自宅2階の空き部屋の隅に布団を敷いてもらい、そこで隔離生活。3度の食事はカミさんが運んでくれて、それを子供たちのままごとセットのテーブルに載せて食べる毎日。まずは、発症前後に出歩いたときの「濃厚接触者」(それにしても「濃厚接触」って用語を聞くとなんとなくエッチな想像が膨らんでしまう)の方々を片っ端から思い出しては電話して、お詫びと体調注意のお願い。

 それがすんで、築42年の借家のちょっといわくありげな2階の和室に独り寝ていると、症状が出て寝込んでる間は、なんとなく、横溝正史物の隠し部屋の男の気分。少し元気になってから座って食後のお茶を飲み窓を開けて庭の植木を眺めている間は、なんとなく切腹を待つ各大名家お預けの赤穂浪人の気分。
 
 布団に寝転ぶと、こんどは天井板の木目を地図や怪獣になぞらえたり。こんなん、子供のとき以来や。
 と、まあ、浮世離れした6日間を過ごしてから現実世界へと復帰。

 まずは、隔離中に東野圭吾を読み返していた余韻で柴咲コウの「影」やKOH+の「最愛」を聴き、最後はもちろんYUIの「Again」聴いてエンジン再始動。

 でも、問題がひとつ。インフルの間、ゲホゲホ咳き込んでいたら、軽い喘息みたいな状態に。熱が下がっても、咳がとれない。昔、十数年前にも一度やったことがある。医者で再度調べてもらい、インフルの完治は確認。というわけで、これからお会いする皆様、僕が咳き込んでいても、そんなに怖がらないで遊んでやってくださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/12

オランダ・イタリア旅行記~予告

 8月2日から11日まで、オランダとイタリアへ旅行しました。

 オランダでは、ユトレヒトで国際経済史協会が3年に1度開催する大会へ参加し、イタリアでは、ローマで学術調査をおこないました。

 仕事の内容と成果はそれぞれの“筋々”でご報告することにして、このブログでは旅の間の雑感やら何やらを簡単に書いてみることにします。

 とりあえず、“目次”(予定)は以下のとおり。
 
 1.成田からアムステルダムまでの機内にて
 2.アムスにて~怒らないオランダ人
 3.アムスにて~飾り窓と教会
 4.アムスにて~すりに遭う
 5.都市と清掃業
 6.ローマにて~コルソの上と下、テヴェレの右と左
 7.ローマにて~市場をさがして
 8.ローマにて~めだつ警察
 9.ローマにて~陣内先生の本を片手に

 (つづく)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009/06/24

続々・たけくらべ論争~娼妓取締規則をめぐって

 たまにこのブログのアクセス解析っていうのをやる。相変わらず一番読まれているのは、もう4年も前の記事だが、たけくらべ論争についての記事である。今でもほぼ毎日、いくつかのアクセスがある。もちろん、これは僕のブログに人気があるからではなく、名作『たけくらべ』の人気のせいである。

 そのアクセスの先月分が飛躍的に増えていた。一日数百のアクセスが数日間続いた。どうして増えたんだろうって思って調べると、どうやら、この記事を、ある有名な文学者の方がブログでとりあげたり、ご自身の私塾の授業資料に使用したりしたかららしい。というわけで、今度のはその文学者の方の人気のせいである。

 それはともかく、塾での授業で僕の記事がどのようにとりあげられたのか関心がある。が、まあ、それは知りようもない。ただ、塾の生徒の方で授業ノートをネット上に公開されている人や授業感想をブログに書いている人などがいらっしゃるので、それらを興味深く読ませていただいた。また、それらの記事からのリンクで、山本欣司「売られる娘の物語:「たけくらべ」試論」(『弘前大学教育学部紀要』87、2002)も読んでみた。
 ここで本来は、ちゃんとした討論のかたちをとるべきかもしれないが、当方で勝手に集めた間接的で部分的な情報だけをもとに、ご当人がご意見を公表されていない段階(あるいは公表されていても私が知らないだけ?)で、件の文学者の方のお名前を出して反論するのは良くないかなと。というわけで、以下、自問自答みたいなかたちで考察をすすめてみよう。とはいえ、これはこれで相手の方に失礼なんだろうけど。どうかご勘弁のほどを。関連ブログへのリンクなども当面は控える。もし、状況が整えば、リンクなりトラックバックなりしようかなと。

 さて・・・

 たけくらべ論争の概要についてはこちらこちらの過去記事を。
 要は、物語の終盤、急に元気を無くした主人公の少女美登利について、彼女が元気を無くした原因をめぐる論争である。初潮をむかえたからだという初潮説のほか、吉原の遊女屋で初めて客を取ったからだという初店説、あるいは、娼妓に対して義務付けられていた身体検査を遊郭隣接の検査場で初めて受けたからだという検査場説(初検査説)などがある。

 以前の記事においては、これらの諸説のうち、初店説と検査場説は成り立たない、と主張した(ただし、私が否定するのは一般的な遊女デビュー形式での初店説。佐多稲子が主張するような違法な“秘密の初店”説は成立の可能性がある)。

 私がこれら2説は成り立たないとする論拠は当時の娼妓取締規則にある。そこでは、16歳未満で娼妓になることは禁止され、娼妓の遊郭外居住も禁止されている。まだ14歳で、かつ、遊郭外に暮らし続ける美登利が、正式に娼妓デビューしたり、デビューのための身体検査を受けたりすることはありえない。

 こうした主張に対しては、当時の吉原において、年齢をごまかして16歳未満の者を娼妓にすることは可能だろう、という反論や、作者の一葉が娼妓取締規則を知らなかったこともありえるだろう、という反論も成り立つようだ。

 たしかに一般論として年齢詐称もありえるだろう。たとえば、どこか遠い地方から売られてきた少女ならそれは容易かもしれない。しかし、吉原界隈のちょっとした有名人で、かつ、いまだ地元の小学校に在学中の美登利の場合、年齢の詐称は困難だろう。遊女屋の経営者にとって、これほどあからさまな違法行為はリスクが大きすぎる(仮にライバル業者やら逆恨みした客やらが警察に告発したら、かなり厄介だろう)。
 (20097.22.付記) 私の記事を紹介してくださった文学者の方のブログを読んだら、森鴎外の年齢詐称を引き合いに出して、それと同様に、美登利だって年齢を詐称してもおかしくなない、と考える学者の説が挙げられていた。うーむ、文久年間に石見の津和野で生まれた鴎外が、上京した翌年の明治6年に年齢をごまかして医学校に入ったという話と、明治19年の小学校令による義務教育の確立後で現に地元の小学校に在学している美登利の話とを同列に扱うのは、かなり粗雑な考えだと思う。(付記おわり)

 先に挙げた山本欣司氏の論文では、16歳になって娼妓デビューする前の見習い奉公開始もひとつの可能性として示唆されているが、見習い奉公なら遊女屋に移り住む必要がある。作品中に明記されているとおり、美登利は廓外に暮らし、遊女屋に行くのは、そこで働く姉に「用ある折」だけなので、見習い奉公も始まっていないと考えられる(山本氏がこれとは別に指摘する、美登利と遊女屋との間でなんらかの契約が成立した可能性については、検討の価値があると思う)。

 そもそも、美登利が正式に娼妓として就業していないことは、上記の年齢問題を別にしても、こうした彼女の遊郭外居住からも、明らかである。

 もうひとつ。一葉が娼妓取締規則を知らずに、16歳未満で遊郭外居住の美登利を娼妓にしてしまったのではないか、という反論。その可能性については、私も前の記事でふれた。でも、やはりそれは無理センだと思う。
 まず、16歳未満の娼妓就業禁止の方について。おそらくこれは、現在のなんとか条例の18歳未満云々程度には、世間の常識(?)だったと思う。一葉が正太に歌わせている流行節に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」とあるとおりだ。
 そして、娼妓の遊郭外居住の禁止の方は、江戸時代から続く、遊郭の営業独占を守るための最重要かつ最も有名な“おきて”である。『たけくらべ』執筆の前年、吉原のすぐ近くで約1年間居を構え、折にふれて吉原のことを観察していた一葉が、それを知らなかったことなどありえないだろう。

 というわけで、やっぱり、初店説(秘密の初店説はのぞく)と検査場説(初検査説)は成り立たないと考えられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/17

江戸柳原の古着市場

 ブログ読者の皆様一般に対しては申し訳ありませんが、ちょっとした業務上の都合で、場違いながら、以下、江戸の柳原というところにあった古着市場に関するメモを掲載します。興味のある人はご笑覧を。

柳原土手通りの古着市場

 神田川の南岸に沿って築かれた総延長1.5km弱の土手に沿った通りに、土手を背にして床店が並んでいた。軒数は不明。明治初年に同所での床店営業の許可が検討されるが、その許可軒数は約550軒。そこから判断して、500軒程度というのがひとつの目安か。
 成立年代は不明。床店場所全体は八つの区画に分かれていて、それぞれの区画ごとに幕府からの営業認可が与えられていた。それらの認可はおおむね18世紀前半に順次出されたが、それ以前から無認可の営業が存在した可能性も大きい。
 この床店場所において、古着市場が開かれていた。古着市場の成立年代も不明だが、諸文献における同所の古着商売への言及は、1730年代以降に現れてくる。床店場所が幕府から認可された18世紀前半頃に、柳原土手通りの古着市場も形成されたのではないだろうか。古着を扱う床店の軒数も不明だが、100~200軒程度だったのではないか。

柳原土手通りの古着市場についての要点

 この古着市場については、これまで史料もみつからず、実証作業を欠いたまま、同所は詐欺的な商売が横行する怪しげな場所であったという見解が出されていた。しかし、近年、貴重な史料を発見できた。明治7年1月付で、古着商の住吉屋幸左衛門という人物が東京府知事宛に提出した書類のなかに、近世段階の柳原土手通りの古着市場について説明した記述が見つかった。その記述内容から導き出せる要点は次のとおり。

①江戸の主要な古着市場として、富沢町の市場と柳原土手通りの市場とが両立していたが、富沢町市場の取扱商品が高級化するにつれて、古着市場としての「人気」が柳原土手通りへと移ってきた。
②市場の場所は「床店最寄」である。おそらくは、床店前の路上において、古着の市場取引(糶売買)が行われていた。そうした取引に対しては、床店は商品の保管場所としての機能を果たしていたと考えられる。
③市場での売り手は、床店の古着商人たちである。買い手は、「府下市中見世」、すなわち江戸市中の小売の古着屋と、「諸国」から古着を仕入れにやってきた「旅人」である。また、売り手である床店の古着商人が市場で古着を買うという「互ニ売買」という取引もおこなわれていた。
④市場では、どんな古着でも「値次第」で「悉売捌」けるので、「薄元手」の零細な商人たちが「尚以糶合出市」し「日々営業」していた。

 柳原土手通りの古着市場を、小売市場とする誤った見解もあるが、③で明らかなように、この市場の主な機能は、小売店や旅商人を相手にした、いわゆる卸売であった(それと平行して、個々の床店における素人相手の小売も行われていたことはほぼ間違いない)。
 このように、売り手・買い手ともにプロフェッショナルな商人である以上、これまで喧伝されたような詐欺的な商売の横行といった状況はありえない(そんな商売が一部にはあったとしても)。
 こうした柳原土手通りの古着市場は、少なくとも幕末段階では、由緒ある富沢町市場と肩を並べさらにはそれを凌駕する卸売市場として発達を遂げていた(明治前半にはこの柳原土手通りの市場をもとに岩本町古着市場がつくられ、ここが東京の古着流通における最大の拠点となる)。
 市場での売り手として商品を豊かに供給しときには買い手ともなる古着商人たちが、恒常的に多数集合すること、これが市場を発達させた基本条件であろう。零細な経営規模の商人たちが、個々単独では決して作りえない巨大な集客力や活発な市場取引は、彼らが多数の共同によって柳原土手通りに生み出し育んだものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/15

最近のお気に入り~YUIの「again」

 今よく聴いている音楽は、もちろん(?)、YUIの歌う「again」。個人的には、なぜか西原理恵子と並んで最近お気に入りのYUIです。それについてはこちらの記事を。

 昨秋からの活動休止期間を経ての新曲。早口で畳みかける歌詞が乗せられた疾走感満開のギターロック。いさぎよくシンプルかつ骨太の曲構成。そうしたシンプルさは初めて聴いたときちょっと物足りないくらいだったけど、繰り返し聴いてると、やっぱり満足の聴き応え。うーむ、歳とるとどんどん鈍感になっちゃうねぇ。

 オリコンの週間ランキング1位で、今年度女性アーティストのCD初動売り上げも、あゆを抜いて1位。さすがー。

 さて、この曲、CD以外で楽しめるのは、2種類のPVと、これをオープニングテーマにしているアニメ。

 まずPV。初回限定版CDに付いているDVDに収録された普通のPVと、それ以外にもう一種類。普通のPVと同じスタジオで録られた、なんと、通しで一発録りのライブヴァージョン。実際には、このライブ映像を編集して普通のPVも作られているから、両者の画像はかなり重なっているけども。
 それにしても、緊張感があってとても良いPV。こっちのPVも、ときどき、音楽専門系のTVチャンネルで流れるし、たしかどっかで公式配信されてたはず。おすすめです。どちらのPVも、PVディレクターの、YUIと曲とに対する「敬意」が感じられる。まあ、いろんなPVがあってよいとは思うけど・・・やっぱりこういうPVが良いね。

 アニメの方は、日曜夕方に放映中の『鋼の錬金術師』のオープニング。この番組の過去のテーマ曲だと、ポルノの「メリッサ」や、アジカンの「リライト」も好きだったなぁ。だけど、やっぱ、「again」、いいですね。アニメキャラクターがこの曲を口ずさむシーンがところどころ挿入されていて、それがなかなかかっこよい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/05/25

5月30日実施予定、巡見「江戸を縦貫する」のご案内

 今週末の30日土曜午後に、巡見「江戸を縦貫する」を実施する予定です。

 前回は、江戸城とその周辺のコースで、半蔵門→井伊家上屋敷→桜田門→二重橋前→大手門→本丸まで歩いたところで、豪雨にめげて巡見を中断しました。

 今回はその続きです。東京駅→丸の内ビジネス街→常盤橋→日銀・三井タワー→本町通り・大伝馬町→江戸橋広小路→魚河岸→日本橋、といった界隈を歩きながら、江戸町人地の「中心」であった日本橋地区の様子や、その後の変容、現在の町並みなどについて解説したいと思います。

 基本的には、各大学での私の担当授業の受講生・元受講生に声をかけての企画ですが、このブログをお読みになって興味を持たれた一般の方も遠慮なくいらっしゃってください。

 集合場所の詳細は各大学での授業の際に連絡します。元受講生や一般の方は私あてのメールにてお問い合わせください。今回が初参加の一般の方はそのメールに住所・氏名をお書き添えください。あて先のアドレスはこのブログのプロフィール頁で。

 集合:5月30日(土)14:00 JR東京駅
 所要時間:だいたい3時間。
 雨天決行

 なお、第3回は兜町・東京証券取引所や神田の繊維問屋街あたりを歩きます。各大学がおおむね夏休みに入った7月最終週あるいは8月第1週の平日午後に実施予定です。
 その後のスケジュールはまだ流動的ですが、11月23日(月・祝日)の午後に、吉原・山谷・浅草を歩きます。24日午前零時に始まる浅草酉の市の準備の様子も見学しましょう(希望者はそのまま夜の酉の市まで浅草滞在かな?)。(追記:あらら、そういえば24日は平日で、朝1限から授業だっけ。というわけで、私はおとなしく終電で帰るつもり。最近、オールのあとは2日くらいダメージが残る。歳には勝てないや。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/03

サモエド・スマイル

 うちにはオス・メス2頭の犬がいる。もとは保健所で処分されそうになった犬たちで、3年ほど前、犬猫救護のボランティア団体を介してうちにやって来た。

 そんな素性のワンコたちなので、てっきり雑種だと信じていた。飼ってみると、純血種のワンコも良いが、雑種犬というのは、一匹一匹が他にないその犬固有の顔・かたちをしていて、それはそれで良いなぁと思っていた。

 オスの方は、ともかく人懐っこくて、口を開けると口角がすこしあがって、ちょうど笑っているようにみえる。で、最近まで、これがこいつの個性的な表情なんだとばかり思っていた。

 ところが、ときどき、このオスを見た人が、「サモエドですか?」と尋ねてくることが重なり、気になってネットで検索してみた。「サモエドっていったい何なんだ?」と。すると・・・あらら、うちの奴と同じ顔のオンパレード。てっきり、この世にひとつだけの顔だと思ってたのになぁ。ちょっと残念な気もする。まあ、よく似た仲間がたくさんいるのもそれはそれで良いか。

 サモエド犬は、ロシア・シベリアが原産で、もともと狩猟やそり曳きに使役されていたらしい。またサモエド犬のうちの純白なのを小型化したのが、かつて大人気だったスピッツだそうだ。
 うちでも、サモエドって犬の種類を知らない頃は、うちの奴は、秋田犬とスピッツの混血に違いない、と冗談で話していた。

 で、このサモエド犬ってのは、子犬がけっこうな値段で取引されているらしい。そんな高い犬がどうして捨てられたんだろう?ちょっと調べると、日本では、サモエドは白い毛が喜ばれるらしい。うちの奴はけっこう薄茶色がかっている。それから、うちの奴の鼻はピンク色だが、鼻は黒の方が好まれるらしい。そんなこんなで売れ残って捨てられちゃったのかなぁ?まあ、本当のことはわからないけども。

 といった人間の思惑とはまったく関係なく、食いしん坊のうちの奴は、散歩の際も、散歩仲間の皆さんに愛嬌をふりまいてはおやつをもらい、楽しい毎日を過ごしているらしい。ただし、うちに帰ると、同居のメスに、完全に尻に敷かれてしまい、へいこらしてるけど。まあ、それもそれで彼は納得しているらしいがPhoto_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/27

巡見「江戸を縦貫する」の報告と次回の日程

 おととい25日に巡見をやりましたが、強い雨のため、江戸城本丸まで歩いたところで中断。コース後半に予定していた丸の内・日本橋はまた次回。
 というわけで、次回は例年より少し早めの日程で、来月、5月30日土曜の午後を予定しています。今回行けなかった丸の内と日本橋界隈を歩きましょう。最近話題になった中央郵便局も見に行きましょうか。それから、丸の内のビジネス街を少し見て回って、日本銀行・三井タワー・本町通り・江戸橋広小路・日本橋魚河岸・日本橋くらいかな。

 以下、25日の巡見の模様を簡単に。

 去る25日は、豪雨の中、巡見を決行しました。途中から合流した方も含めて、だいたい20人弱で歩きました。実際ひどい雨で、数人のこじんまりとした巡見になりそうだなぁと思ってましたから、予想外にたくさんの人が来てくださってうれしかったです。皆さん、足元はびしょ濡れだったと思います。お疲れ様でした。

 集合は地下鉄半蔵門駅。階段をのぼって地上へ出ると、強い雨脚と寒い風。まずは、半蔵門へ。門の内側の吹上地区のことやら、もともと江戸城の正面は、現・大手門側ではなく、こちらの甲州街道方向だったとする、江戸博の斉藤慎一氏の説などを紹介する。
 それから、堀にそった坂道を桜田方向へ下りながら、国立劇場・最高裁判所などを横目で見て、彦根藩井伊家の上屋敷跡へ。現在、屋敷跡には憲政記念館などが建っているが、戦前はここに参謀本部があった。すぐ脇に三宅坂という坂があるが、戦前「三宅坂」といえば参謀本部を指し、戦後しばらくたつと、今度はここに本部を構えた社会党のことを指したそうだ。また、最高裁のことも「三宅坂」と称するらしい。

 井伊家上屋敷跡を過ぎると警視庁。井伊直弼が水戸藩浪士に暗殺された現場はこのあたりだろうか、などと確かめながら桜田門へ。桜田門の次は、二重橋前。中国人の団体旅行者が多く、皆、めいめいのカメラで記念撮影をしている。めがね橋の外には丸の内警察署の警察官。橋の内側には皇宮警察の警察官。見比べてみたりする。ここから坂下門外を経て、大名小路を通り、大手門へ。

 大手門から入ると、各自一枚ずつの入園証。退園をしようとしていた修学旅行とおぼしき男子中学生一行のひとりがもらった入園証を無くしたらしく難儀している。休憩所で一休み。雨が強い。絵葉書や工芸品などの皇室グッズが販売されている。しばらく休んでいると、ロシア人とおぼしき団体旅行客で一杯に。

 休憩所を出て下乗門跡へ。登城した大名はここで駕籠から出て自分の足で歩き始めたわけだろうが、なんとなく、このあたりの石垣は、特に気合を入れて立派に積まれているように見える。殿様たちは、きっと、頭の中で自分の城の石垣と比べてみたに違いない。

 本丸御殿跡に着き、芝生の上を歩きながら、大広間や白書院、黒書院などの位置を確かめていく。老中の出勤ルートなども。それから中奥を通り、大奥へ。将軍の寝室と正室の寝室との近さに、あらためて感慨。

 天守台にのぼる。ますます雨強し。というわけで、ここで巡見は切り上げ。地下鉄の竹橋駅へ。最後に竹橋事件のことを少し話して解散。

 その後は、常連の方々や懐かしの方と共に新宿へ移動し、3軒ほどはしご。アイリッシュパブ→新潟地酒の居酒屋(美味しかった!)→ヴェネツィア風居酒屋。今年度は、池袋北口のチャイナタウンへも行きたいなぁと構想を練る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«巡見「江戸を縦貫する」のご案内・続報