2011.4.10.たけくらべ論争についての最新記事はこちらをクリック
先日書いた記事、江戸を縦貫する2~たけくらべの道に関連して、今回は「たけくらべ」の最終場面における美登利の変貌の原因について少し思うところを書いてみたい。この変貌原因をめぐっては論争がある。
それまで、お転婆で愛らしく活発な少女だった美登利が、突然その元気を失う理由について、従来、学界で定説とされていたのは、美登利が初潮をむかえたから、という説明だった。それに対して、初潮程度であの美登利が変貌するわけはないだろう、変貌の理由は、美登利が初めて客をとって処女でなくなったからだ、という説が出された。変貌した美登利の描写の一部に、「たけくらべ」においてしばしばあらわれる源氏物語の見立てがやはり組み込まれていて、それは若紫が光源氏によって処女を奪われた直後の描写に照応しているという指摘も、美登利の処女喪失=初店説の有力な根拠となっている。
しかし、「たけくらべ」を読む限りにおいて、初店説に対して私は違和感を感じる。その一番の理由は、漠然としているのだが、美登利が初めて客をとったのだとすれば、そういう事実を読者が感じられるような叙述がもっとなされてもよいと思える。むろん、これだと、単なる個人的印象の域を出ない。でも、それが一番の理由である。
それ以外にも理由がある。変貌の日以降の毎日を、美登利は吉原の郭内ではなく、廓外の親元(母親の住み込みの職場でもある)で生活している。初店説を採るとすると、美登利は初めての客をとったその日から遊女としての生活を開始したはずである(一日限り遊女の真似事をさせられて、そのあと放っておかれている、というのは不自然な話だと思う)。遊女生活を始めた美登利は廓内へ移らなくてはいけない。それとも、当時、廓外からの通いの遊女って形態がありえたのだろうか?(たぶん無いのでは?) 「たけくらべ」を読むと、その頃、美登利が遊女屋である大黒屋に行くのは、そこで遊女をしている姉に「用ある折」だけだ。つまり美登利が遊女として働きはじめた痕跡がまったくみあたらない。というか、遊女としての生活がまだスタートしていないのはほぼ明らかではないだろうか。
しかし、初潮を迎えた美登利は、自分が遊女となる日のくるのを現実のものとして感じ始めたのだろう。あるいは、すでに指摘があるようだが、初潮があったことをきっかけに、この日、美登利の遊女デビューについて大黒屋との間で契約が成立し、その日程も具体的にかたまったのかもしれない。さらに想像をたくましくすれば、大黒屋の得意客のなかの裕福で遊び慣れたオジサンたち(「銀行の川様、兜町の米様もあり、議員の短小さま」たち?)の誰が美登利を“水揚げ”するのか決まっているのかもしれない。
初店説の論拠のひとつとして紹介した源氏の見立ての問題も、すでに客をとった後の美登利にではなく、遊女となって客と寝る自分の姿が、目の前にせまった現実として思い描けるようになってしまった美登利に対して用いられた、と解釈することは可能だろう。
にわかに迫った遊女デビューの日(そして、その日からは程遠くないであろう金銭づくの処女喪失の日)までの残された日数を数えながら、美登利は「何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このように年をば取る、もう七月十月、一年も以前へ帰りたいに」と嘆いているのだろう。
美登利がもしすでに客をとっているのなら、ここはこうした“駄々”ではなくて、もう少し開き直った、諦念めいた思いを吐くのではないだろうか。
それはそうと、歴史研究者としての自分にもどると、吉原の遊女に関する歴史研究はほとんど手つかずのように思える。主に遊客の視点に立った風俗研究は多い。また最近になって遊女屋を主な分析対象とした研究がいくつか出されるようになった。しかし、吉原の遊女を対象とした研究、遊女の視点に立った研究はあまりなされていないように感じられる。史料的な困難があるのは当然のことだろうが、遊女の存在形態などについての研究成果が蓄積されれば、歴史学の分野から「たけくらべ」論争に対しても何らかの有益な見解を示すことができるように思える。
(なおこの記事は、ピッピさんのブログ「お江戸日和。」を読ませていただいたことをきっかけに、「たけくらべ」のことをもっとちゃんと読み込まなきゃ、と感じて書いたものです。)
2007.8.28.付記:最近、美登利の変貌は初検査を受けたことによるという説をご紹介いただき、それについて、検証してみました。結果、初検査説は成り立たない、という見解にいたりましたが。興味のある方は、こちらの記事を。
2009.6.24.付記:さらにその続編記事を書きました。興味のある方はこちらの記事へも。
2010年5月21日付記
たけくらべ論争に対する私見のまとめ
このブログのアクセス解析というのをやってみると、相変わらず一番よく読まれている記事は、たけくらべ論争について書いた一連の記事である。
ちなみに、その次に読まれているのは、明太子スパゲッティの作り方を紹介した記事である。試しにグーグルで「明太子スパゲッティ」と入力して検索すると、有名な料理レシピサイトや企業運営のサイトを抑えて、このブログ記事が堂々の第2位や第3位に出てくる。こんなへっぽこブログの記事がなんでそんな上位にランキングされるのか、理由はまったく不明だが、ともかく、そんなわけで、この記事もアクセス数が伸びているのだろう。
当ブログのタイトル「江戸をよむ東京をあるく」も、いっそ、「たけくらべをよむスパゲッティをつくる」に変えた方が良いかもしれない。
さて、先日、学生さんたちと三ノ輪から吉原界隈を歩く巡見の準備をしながら、たけくらべ論争のことを再び考えてみた。
たけくらべ論争とは、物語の終盤になってそれまでの元気をすっかり失ってしまった主人公・美登利の変貌の理由をめぐる論争だ。初潮説・初店説が主で、他に検査場説なんていうのもある。論争のおおまかな構図については、こちらの元記事の冒頭を参照のこと。
現在、たけくらべ論争は、いろんな人がいろんな主張を展開して、すっかりこんがらがってしまっているようにみえる。
それに辟易して、自分が『たけくらべ』を読むときは、美登利が変貌した原因なんか考えないようにしている、とまで言い出す人もいる。だけど、『たけくらべ』を読むとき、どうして美登利ちゃんはこんなに変わってしまったんだろう?って疑問を頭から外して読むことは不自然だろう。
そこで、自分なりにその答えを探して、最初はちょっとした素人の思いつきを書いただけだったこの記事も、その後、意外にもたくさんの人に読まれ、有益なコメントもいただいた。そうした反響にお答えするかたちで追加記事などを重ねているうちに、それら全体としてかなり長文になってしまった。
このあたりで、なるべく簡略に、たけくらべ論争についての私見をまとめておく。
初店説(と検査場説)は不成立
まず、単純な初店説が成立しないことだけは確かである。初店説というのは、吉原で娼妓デビューしたことが原因で美登利は変貌した、という説である(ただし、ここで私が否定しているのは、正式な娼妓デビューを想定した初店説である。佐多稲子が主張する秘密裡の違法な初店の可能性は否定できない)。
初店説否定の理由は、美登利が14歳であることと、廓外に住み廓の内外を自由に行き来していること、の二つである。
当時の法律では、16歳未満での娼妓就業は禁止されていた。また、娼妓は廓内の遊女屋に住むことが法律で義務づけられていて、美登利のように廓外に住むことは認められていなかった(なお、この廓内居住の義務は、法律ができる以前から、吉原の営業独占を守るための最重要の掟としてあった)。
そんな法律なんか、私たち読者は知らないぞ、って思うかもしれないが、『たけくらべ』が書かれた当時の読者の多くはそれを知っていた可能性が高い。
さらに、娼妓就業の年齢制限については、作者の一葉自身が、わざわざ正太に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」という流行節を歌わせることで、読者にその存在を明示している。
また、当時の吉原の娼妓が廓内の遊女屋に囲われて暮らす境遇にあったことは、昔も今も常識であろう。ところが、美登利は変貌後もなお家族と共に廓外に住み続け、廓内の遊女屋へ引っ越したりはしていない。そして、そんな美登利が廓内の大黒屋へときどき出向くのは、そこで娼妓として働いている姉に「用ある折」だけだ、とこれまた一葉がはっきり書いている。
したがって、正式な娼妓就業はもちろんのこと、16歳未満での見習い奉公開始というケースも併せて、いずれにせよ、売られた美登利が吉原で働き始めた、とするこれらの読み方は無理なのである。
つまるところ、初店説の可能性は作者の一葉によって完全に否定されているといってもよい。
初店説を主張する人のなかには、美登利は年齢を詐称して働き始めた、という苦し紛れ(?)の仮説を立てる人もいるらしいが、それは無意味である。たとえ、それで年齢制限の問題をクリアできたとしても、美登利の廓外居住という事実がある以上、初店説はやはり不成立だからである。
したがって以下は蛇足になるが、年齢詐称の想定自体も困難であることを指摘しておこう。
どこか遠い地方から吉原に来たばかりの身寄りのない娘ならいざ知らず、いまだに地元の小学校に在学中で、界隈ではいっぱしの有名人である美登利が、年齢を詐称し通して所轄の警察署から就業許可を得るのは無理である。そんなリアリティのひとかけらも無い設定を一葉がしたとは考えられない。
これで、一般的な初店説については明確に否定できたと考える。ついでにいえば、美登利の変貌の原因は、初店直前に受けた身体検査だという主張=検査場説(初検査説)も、直近の初店が不可能である以上、これまた不成立である。
一葉の“企み”?
一方、佐多稲子が提唱する、秘密の初店説は成立可能である。ただし、こうした秘密の初店などというアクロバティックな読み方を、一般の読者が自力でおこなうのは難しいという気がする。したがって、もし一葉の真意が、佐多の指摘どおり、秘密の初店にあるのならば、当然一葉は、多くの読者の“誤読”を予想しながら作品を書き上げたことになるだろう。そんな一葉の“企み”を想定して『たけくらべ』を読んでみるのも、また面白いとは思う(こうした“誤読”を誘う一葉の“企み”については、この記事につけたコメントのうち、二番目の2005年1月12日付のコメントと、六番目の2005年3月21日付のコメントもご覧ください)。
まあ、正直、初潮説で読むのが一番素直かな、という気がするのだが・・・。
最近のコメント