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2005/01/02

大河ドラマ新選組と歴史考証

酒を飲みつつ、年末に録画したNHKのアンコール放送をみた。新選組の「友の死」の回。堺雅人演じる新選組総長の山南敬助が切腹する話。いつ見ても泣けるなぁ。鼻の奥だか喉の奥だかわかんないけど、ツーンと痛くて大変。鈴木砂羽の明里も名演だぁ。

それはともあれ、大河ドラマに対してはいつも歴史の「専門家」とやらから文句が寄せられる。こんどの義経に対しても、予告編が流れただけですぐにイチャモンが出始めている。

わけのわかんない「歴史家」やら「評論家」やらが、主にオジサン向けの雑誌なんかで、“近藤勇と桂小五郎が昔からの顔なじみであるわけない”だとかあげつらって、これは荒唐無稽なドラマですね、なんてケチつけているのは、まあ聞くに値しないだろう。編集側が欲しがってるとおりのコメントだして謝礼もらうのが彼らの商売なんだろうから。

歴史ドラマにおける歴史考証の役割ってのは、そのドラマにリアリティなどの効果を与えるため、脚本家や演出家などの要請を受けて過不足のない歴史的知識を提供することにつきると思う。決してそれ以上ではないだろう。

歴史に忠実なドラマなんてありえない。

セリフひとつとっても、当時の人々の言葉使いや発音をすべて再現することは不可能だし無意味である。セリフの背後にある人々の道徳観念やら人生観だって忠実な再現は不可能だ。建物の復元だって至難のワザ。

ただ、歴史を無視することで著しくドラマの効果が薄れる(とドラマの作り手が判断した)場合は別である。例えば、鳥羽伏見の戦いで新選組が大活躍して幕府軍は大勝利、近藤勇はどっかの大名にとりたてられる、なんて逸脱はドラマがシラけるだろうから、あまりよろしくないだろう。

そうした場合をのぞけば、歴史に忠実であれ、とドラマに要求するのはナンセンスである。

ところが、先ほど挙げた“売文家”的「歴史家」ではなくて、専門の研究者などがドラマのあら探しをすることがままある。しかもそうしたあら探しの成果が学術雑誌に載ったりもする。その多くが啓蒙臭い論調。

もし真剣にドラマ批判を展開する必要があるとすれば、そのドラマを支配するなんらかの思想なり価値観があって、それが社会に有害であると批判者が考えた場合のみであろう。その場合は、その思想・価値観がどのようなものであるのか明らかにし、かつ、それが広汎な視聴者に対して実際に大きな影響を及ぼしている(あるいは及ぼす可能性が高い)ことを立証すべきであろう。さらにはそれに対置する批判者自身の思想・価値観を明確にして、そのドラマの思想・価値観の問題点を指摘すべきであろう(もちろん、こうした“なされるべきドラマ批判”が研究者の手によっておこなわれた例だっていくつもある)。

さて、今年の大河は面白いかな?
それより、三谷幸喜さんが朝の連ドラを書いてくれないかな。毎朝楽しいだろうな。

(以上、最初にアップした記事に若干加筆しています。元が酔っぱらって書いてたもんで、論旨がとりにくい部分があるように思えたからです。ご寛恕ください。2005.1.8.記)

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コメント

そうですね。たしかに昔を正確に表現するなんていうのは無理です。価値観もちがうし発音さえもいまと違っていた。
もっといえば、江戸時代の前期と後期、両者は髪型や衣服がずいぶん違っていました。それに江戸の町の風景だって、両者これがほんとに同じ江戸なのかというほど、違っていた筈です。
それをいちいち表現していたら、視聴者が混乱しますね。そのうえ、かつら制作会社から、大道具さん、時代考証の先生まで、大変なことになります。
しかし、もしわざと時代考証を厳しくして、―時代考証として、国文学から風俗史まで、あらゆる分野の先生をたくさん呼んで―、ドラマをつくったとしたら、視聴者からどういう反応が返ってくるのか。わたしもみてみたい。それはそれで面白そうな……。

投稿: 高尾 | 2005/01/09 00:06

たしかに思いっきり時代考証を究めるってのも面白そうですね。ただ、考証やってる先生たちが議論はじめちゃうと10年たっても出来上がらないかも(^^)。
視聴者の反応は・・・かんばしくないだろうね、きっと。登場する男たちがちょっとしたことでオイオイと泣き出したりしてね。たぶん現代人がみるドラマとしての「リアリティ」には欠けるものになりそう。

投稿: 小林信也 | 2005/01/09 10:27

思いっきり時代考証を究める。おもしろい思いつきだと思いましたがやはり無理です。夜になると画面が真っ暗で何もみえません。

投稿: 高尾 | 2005/01/10 20:36

そうそう。昔、子供の頃、親戚の古い家にいった時のことを思い出しました。みんなが集まって明かりをつけている部屋の中でも、隅の方はずいぶん暗かった。農家の造りで、母屋の外にある便所に行くのが怖かったよ。

投稿: 小林信也 | 2005/01/10 23:02

はじめまして。ラン2と申します。
エントリーを読み、うんうんと、大きく頷いています。
テレビドラマはあくまでドラマとしておもしろければ成功なんじゃないかと思います。
その点で、新撰組は三谷幸喜さんの脚本で大成功だったと思っているひとりです。

投稿: ラン2 | 2005/01/16 15:35

ラン2さん、はじめまして。嬉しいコメントありがとうございます。歴史考証ってのが、歴史の専門家による検閲みたいになってはいけないと思います。黒船を佐久間・桂・坂本と一緒に近藤・土方が見るってシーンを認めた今回の考証の仕事には感心しました。昨夜、歴史研究者が集まって飲む機会があったんですが、その中のおひとりが今回の僕の記事を読んで面白かったとおっしゃってくださいました。ご本人の了解があれば、どういう方か明かしたいぐらいですが。ともあれ、賛同くださる方がいらっしゃって僕も嬉しいです。

投稿: 小林信也 | 2005/01/17 12:06

昨晩はどうもお疲れ様でした。今日の仕事はかなりつらかったですが、とても有意義な時間がすごせました。若輩ものの身としては、考証の仕事が同業諸先輩方にどう思われるのか、凄く不安だったんですが、安心したのと、やって良かったなぁと思えて、昨日は少しぐっと来ました。とはいえ、僕が院生になりたてのころに、当時の大河徳川慶喜に対して悪態ついていたりしたんですが。
デハ、山梨の山奥のかわいい後輩達のこと、よろしくお願いします。

投稿: さんの | 2005/01/17 21:51

三野さん、コメントありがとうございます。
というわけで、昨日の私のコメントに登場してきた「歴史研究者」のなかの「おひとり」とは、新選組の歴史考証をなさった三野さんでした。パチパチ。自分は今回の大河新選組のファンですが、それと同時に結構熱心な三谷ファン。三谷さんの初稿脚本を仕事柄読んでたんですよね?三野さんは。うらやましい。明日は山梨の大学に行きます。頑張って講義準備します。

投稿: 小林信也 | 2005/01/17 22:27

三野さん、きのうはお疲れ様でした。それはそうと、プリントまだお送りしていませんね。失礼しております。

投稿: 高尾 | 2005/01/17 22:48

ずいぶん古い記事をひっくり返して申し訳ありません。
この記事中、
「もし真剣にドラマ批判を展開する必要があるとすれば、そのドラマを支配するなんらかの思想なり価値観があって、それが社会に有害であると批判者が考えた場合のみであろう。」
とありました。
実は私、3話「母は家出する」の回で、近藤家の場所を「甲良町」と述べた件についてクレームを付け、修正を申し入れました。
思想、価値観ではなく、あってはならない設定、たとえば甲良町という町名は明治2年より用いられたものです(もっと深く追求すればこの市谷甲良町自体が江戸期は武家地で、住むことがありえないエリア。この地に金銭的にゆとりのない近藤家が住むこともありえない)。江戸時代を設定しているときには存在しない町名を用いた理由は時代考証家の強い要望によるものと、NHKの担当者から確認を取りました。
この件については放映以前より、地元住民(なかには江戸期より住む住人もいる)から誤った情報が流れているので注意して欲しいと、NHKに前より要望を出していたのです。
それを無視して、作家、脚本家の意向ではなく、時代考証家の自己都合によって放送はなされました。
結果、公文書主体による抗議の結果、2月以降、町名の変更が認められ、現在にいたっております。
私も歴史に忠実なドラマはありえないと思いますが、だからといって野放しもいけないと思います。来年も同じ時代考証家によって続編(単発)が放映されます。またクレームを入れずに済むようにと祈念しております。

投稿: あさくらゆう | 2005/10/09 15:03

 はじめまして、あさくらさま。丁寧なコメントありがとうございます。
 この後、検討すべきは、江戸時代において、甲良町という地名が、俗称などとして使われていた可能性の有無だと思います。甲良町という俗称が江戸時代にまったく存在しなかったことを証明すればよいのでしょうが、それは結構難しいような気もします(一般に、「なかったこと」を証明するのは、「あったこと」の証明と比べても、かなり困難だと思います)。歴史にお詳しいあさくらさまに、あらためて説明する必要もないかもしれませんが、俗称といっても、様々なレベルがあって、時に幕府の公的な文書に登場するような俗称もあれば、その地域の人のみが当時使用していた俗称もありますよね。したがって、素人考えかもしれませんが、おっしゃるような、明治2年の時点での甲良町という行政区画名の成立のみをもって、それ以前の甲良町という地名の存在を否定するのは、少し飛躍があるように感じます。むろん、これだけの根拠でもって、逆に、江戸時代に甲良町という地名が存在した、などと積極的に主張する気はありませんが。
 もう一点、いただいたコメントで興味深かったのは、「江戸期の武家地」には「金銭的にゆとりのない近藤家が住むこともありえない」というご意見です。実を言うと私は、江戸の武家地についてはほとんど何も知らないのですが、近年の武家地研究の論文などを読んで、江戸の武家地には、武士身分に属する者、あるいは、それ以外の身分に属する者で、かなり困窮している者、場合によっては其日稼ぎの者なども広汎に居住していた、というイメージを抱いておりました。あらためて、ちゃんと武家地のことを学ぶ必要があるのかもしれないと思いました。
 今回は、コメントありがとうございます。

投稿: 小林 | 2005/10/12 00:40

ご返信ありがとうございます。
ちなみに俗称の件ですが、次の調査結果があります。
○江戸期より住む住人の現在のご子孫たちの聴取によっても「甲良町という名称はない。江戸期の甲良の名称は町人地の名称なので、一緒くたにされたくない。また、明治期以降、甲良町住人は武家地のプライドを持っていたため、柳町住人と一緒にされることを忌避した」
○甲良町の前身は「市谷甲良屋敷」(市谷町方書上)または「牛込甲良屋敷」(武鑑、慶応2年見廻役人名簿)などが見られる。この地は現在の市谷柳町25番地のみに与えられた地名で、拝領者である幕府大棟梁甲良家から採られた町名であり、その他の地が当時、甲良町という町名であること事体がありえない。
○当時拝領していた人物の住所表示を見ると、「市谷御先手組大縄地」である。
○市谷甲良屋敷は明治2年、この市谷御先手組大縄地、および北山伏町の一部を統合し、「市谷甲良町」となり、明治11年、大区小区制より郡村制に移行した際、当時の市谷甲良屋敷の敷地が市谷柳町に編入され、現在にいたる。
参照史料は東京都公文書館、および東大史料編纂所の史料、および法務局保管の公文書によります。
難しいと思うことも、地道な調査により解明できるという信念のもとに動いております。
 これだけの調査に加え、彼の主張したい場所に江戸末期居住していた人物の特定もすでにできております。
 また、甲良町説を明確にする史料もないこと、かつ学術的でない理由によって町名を決める行為を是正した一例として付記します。
 たぶん、昨年は東京都公文書館には数十度訪れましたので、お顔を拝見した機会もあったかもしれません。一部、過激と採れる内容もあったかもしれませんが、どうかご了承ください。
 これからの活躍、お祈りいたしております。

投稿: あさくらゆう | 2005/10/12 08:12

 あさくらさま、ていねいなご解説をいただきありがとうございました。私、三谷幸喜さんの描くドラマ新撰組は大好きなんですが、実際の新撰組についてはほとんど興味が無く、試衛館の位置をめぐっての議論が過去にあったなどということも、まったく知りませんでした。
 今回、あさくらさまからコメントをいただいたおかげで、遅まきながらネットなどで「俄か学習」をして、やっと問題の概略をつかむ事ができました。
 ネットに引用された「史料」や解説などを読んだだけの印象ですが、試衛館の位置に関するあさくらさまのご主張には、かなり説得力があると思いました。
 ただ、まあ、私みたいな浅薄な者からみると、それだけきっちりとしたご研究を進めていらっしゃるのであれば、そもそも「嘘八百」のドラマなどは最初から相手になさらず、放置しておかれればよろしいのでは、という気もします。
 私だったら、逆に、「ドラマではあんなことを言ってたけど、本当はこうなんだよ。」っていうかたちの話のネタができて、講義やら講演やらの際に好都合だ、なんてつい喜んでしまいそうです。
 ただ、誤った試衛館の位置をドラマで喧伝することによって不当かつ甚大な損害を被る人がいたりする場合は、私が元記事で書いた表現を使えば、「社会に有害」な事例にあたり、それを批判することが妥当だと思います(まあ、この「不当かつ甚大な損害」の認定が難しいですけれどね。小説のモデルとなった人やその家族が被る名誉毀損などをめぐっての争いに似ていますね)。
 なお、あさくらさまからいただいたコメントのなかに、「これだけの調査に加え、彼の主張したい場所に江戸末期居住していた人物の特定もすでにできております。」という箇所がありました。
 ネットでいろいろ勉強した結果、ここであさくらさまが、特にご説明もなく、「彼」と呼んでおられる人が誰のことなのか、私には憶測も可能なのですが、当ブログの読者のなかには皆目見当がつかない人も多いと思います。
 また、別のコメントでは、おそらく「彼」とは別人で、問題となっているドラマの時代考証に関係された方のお名前も出てきています。あらぬ誤解が生じないように、このことだけ付け加えさせてください。

投稿: 小林 | 2005/10/14 15:56

小林さま>彼とは時代考証を行った歴史家の方です。問題発生当時、歴史読本2004年3月号(2004年1月24日発売、放映日は1月26日)で発表された記事を歴史家さんがのべた論として参考にいたしました。(と、いっても掲載写真のキャプションが市谷甲良町となっていたにもかかわらず、写真に写っていたのは市谷加賀町でしたが)。で、彼らの主催する「新選組友の会」として、試衛館は「現在の市谷甲良町1番地」となっておりますが、その場所には東京府士族、医師である吉野元順が住んでおり、江戸期より「回春塾」を開いていたとする公文書(M6東京府開学調書)が存在します。今回はその放映翌日に私がその関係者があつまる町で講演しており、その際、地元住民からのクレームにより、私が問題提起するきっかけとなりました。
 小林さまの申し上げましたとおり、試衛館を「大坂」といったり、「薩摩」というとおかしくなるとおり、たまたま町人地(正確には武家拝領地を町人に地貸しした地)と武家地の境界という問題があり、後世伝えるものとして、誤った史実が蔓延するべきことを防ぐことがなければなりません。ただ、最終的な結論として、新宿区教育委員会設置による「歴史標柱」に『市谷柳町25番地のこのあたり』という碑を建立できたのは不幸中の幸いだったと思います。
 まぁ、ひとつの事例として参考になればと思い、記しました。どうか言葉の足りない点、ご容赦願います。

投稿: あさくらゆう | 2005/10/14 19:56

 あさくらさま、早速のコメントありがとうございます。「彼とは時代考証を行った歴史家の方です。問題発生当時、歴史読本2004年3月号(2004年1月24日発売、放映日は1月26日)で発表された記事を歴史家さんがのべた論として参考にいたしました。」と、ここまでお書きなら、もう実名を出されても構わないのでは?(笑)
 それはそうとして、私の言葉が足らなかったせいか、あさくらさまに少し誤解されてしまった点があるようです。訂正させてください。
 あさくらさまによりますと、「小林さまの申し上げましたとおり、試衛館を「大坂」といったり、「薩摩」というとおかしくなるとおり、たまたま町人地(正確には武家拝領地を町人に地貸しした地)と武家地の境界という問題があり、後世伝えるものとして、誤った史実が蔓延するべきことを防ぐことがなければなりません。」とのことですが、私が元の記事で申し上げたかったことは違います。
 もし、ドラマの制作者たちが、試衛館の位置を「大坂」や「薩摩」に設定したければ、それも構わないと考えています(もちろんその設定により、「甚大な被害」を被る人がいないことが前提です)。
 そのような途方もないフィクションではドラマが面白くなくなってしまう、と制作者たちが判断すれば、そうした設定は避けられるだろうし、逆に、それでドラマが面白くなると判断したのなら、そういっためちゃくちゃな設定でも全然構わないと思っています。
 例えば、ドラマの中なら、元禄期の江戸城に天守閣があっても問題はない。立派な白亜の連立式天守閣がそこに聳えている方が、見栄えが良い、とか、将軍の偉大さを端的に表現できるとか、脚本家や演出家が判断するなら、特に問題はないと思います。
 “正しい”史実を視聴者に伝えたり、誤った史実の蔓延を防止したり、といった責務を、ドラマに要求すべきではない、というのが私の基本的な主張です(やはり、「甚大な被害」が発生しないということが条件ですが)。
 もちろん、もしも件の「歴史家さん」=「彼」が、なにかよからぬ思惑をもって、全国放送のドラマの影響力を悪用した、というのであれば、それはそれとして、その行為こそを批判すべきでしょう。ただし、それは、そもそもドラマはどうあるべきか、といった、このブログで取り上げた問題とは別の問題かな。

投稿: 小林 | 2005/10/14 23:49

小林さま>誤解を生みそうだったので、お騒がせして申し訳ありませんでした。
 物語の構成を行うのは原作者、脚本家、そして役者、演出家であり、時代考証家ではないと考えていたので、前述の方たちの発案なら納得が出来ます。
 しかし今回のきっかけは時代考証家だったので、それが問題だったのです。物語を面白くする効果として使われたのではなく、証明史料もない、推測の地点。また地元からのクレームを無視しての本編放映だったわけです。
 面白かったのは「甲良町から柳町に差し替える」とNHKが連絡してきたのは私にではなく、地元町会の方にでした。歴史家さんの意地があったのでしょう。私がクレームを入れる前までは完璧に逃げ口上だったそうです。私がクレームを入れて1時間後、担当会社より連絡をいただき、事情を確認し、証拠書類を送付したことにより、「甲良町の文言は入れない」との連絡をいただいたその翌日の出来事だったそうです。
2月16日の大河ドラマのタイトルが「天地ひっくりかえる!」で、ドラマ終了後の「大河新選組紀行」にキャプションで流された「市谷柳町」の文字を見て、鼓舞した町会各位の話を聞いてつくづくよかったと実感いたしました。
「甚大な被害」という観点は個人によってまちまちですが、どうか一例としてご参考程度に述べさせていただきました。
 新町の件を拝見して研究のご苦労を察しております。私も昨年、各所で個人史料として壬申戸籍を1万通ほど拝見しております。どうかこれからのご活躍ご期待申しております。 

投稿: あさくらゆう | 2005/10/15 07:54

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