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2005/01/10

「たけくらべ」論争について

  2011.4.10.たけくらべ論争についての最新記事はこちらをクリック


先日書いた記事、江戸を縦貫する2~たけくらべの道に関連して、今回は「たけくらべ」の最終場面における美登利の変貌の原因について少し思うところを書いてみたい。この変貌原因をめぐっては論争がある。

それまで、お転婆で愛らしく活発な少女だった美登利が、突然その元気を失う理由について、従来、学界で定説とされていたのは、美登利が初潮をむかえたから、という説明だった。それに対して、初潮程度であの美登利が変貌するわけはないだろう、変貌の理由は、美登利が初めて客をとって処女でなくなったからだ、という説が出された。変貌した美登利の描写の一部に、「たけくらべ」においてしばしばあらわれる源氏物語の見立てがやはり組み込まれていて、それは若紫が光源氏によって処女を奪われた直後の描写に照応しているという指摘も、美登利の処女喪失=初店説の有力な根拠となっている。

しかし、「たけくらべ」を読む限りにおいて、初店説に対して私は違和感を感じる。その一番の理由は、漠然としているのだが、美登利が初めて客をとったのだとすれば、そういう事実を読者が感じられるような叙述がもっとなされてもよいと思える。むろん、これだと、単なる個人的印象の域を出ない。でも、それが一番の理由である。

それ以外にも理由がある。変貌の日以降の毎日を、美登利は吉原の郭内ではなく、廓外の親元(母親の住み込みの職場でもある)で生活している。初店説を採るとすると、美登利は初めての客をとったその日から遊女としての生活を開始したはずである(一日限り遊女の真似事をさせられて、そのあと放っておかれている、というのは不自然な話だと思う)。遊女生活を始めた美登利は廓内へ移らなくてはいけない。それとも、当時、廓外からの通いの遊女って形態がありえたのだろうか?(たぶん無いのでは?) 「たけくらべ」を読むと、その頃、美登利が遊女屋である大黒屋に行くのは、そこで遊女をしている姉に「用ある折」だけだ。つまり美登利が遊女として働きはじめた痕跡がまったくみあたらない。というか、遊女としての生活がまだスタートしていないのはほぼ明らかではないだろうか。

しかし、初潮を迎えた美登利は、自分が遊女となる日のくるのを現実のものとして感じ始めたのだろう。あるいは、すでに指摘があるようだが、初潮があったことをきっかけに、この日、美登利の遊女デビューについて大黒屋との間で契約が成立し、その日程も具体的にかたまったのかもしれない。さらに想像をたくましくすれば、大黒屋の得意客のなかの裕福で遊び慣れたオジサンたち(「銀行の川様、兜町の米様もあり、議員の短小さま」たち?)の誰が美登利を“水揚げ”するのか決まっているのかもしれない。

初店説の論拠のひとつとして紹介した源氏の見立ての問題も、すでに客をとった後の美登利にではなく、遊女となって客と寝る自分の姿が、目の前にせまった現実として思い描けるようになってしまった美登利に対して用いられた、と解釈することは可能だろう。

にわかに迫った遊女デビューの日(そして、その日からは程遠くないであろう金銭づくの処女喪失の日)までの残された日数を数えながら、美登利は「何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このように年をば取る、もう七月十月、一年も以前へ帰りたいに」と嘆いているのだろう。
美登利がもしすでに客をとっているのなら、ここはこうした“駄々”ではなくて、もう少し開き直った、諦念めいた思いを吐くのではないだろうか。

それはそうと、歴史研究者としての自分にもどると、吉原の遊女に関する歴史研究はほとんど手つかずのように思える。主に遊客の視点に立った風俗研究は多い。また最近になって遊女屋を主な分析対象とした研究がいくつか出されるようになった。しかし、吉原の遊女を対象とした研究、遊女の視点に立った研究はあまりなされていないように感じられる。史料的な困難があるのは当然のことだろうが、遊女の存在形態などについての研究成果が蓄積されれば、歴史学の分野から「たけくらべ」論争に対しても何らかの有益な見解を示すことができるように思える。

(なおこの記事は、ピッピさんのブログ「お江戸日和。」を読ませていただいたことをきっかけに、「たけくらべ」のことをもっとちゃんと読み込まなきゃ、と感じて書いたものです。)

2007.8.28.付記:最近、美登利の変貌は初検査を受けたことによるという説をご紹介いただき、それについて、検証してみました。結果、初検査説は成り立たない、という見解にいたりましたが。興味のある方は、こちらの記事を
2009.6.24.付記:さらにその続編記事を書きました。興味のある方はこちらの記事へも


2010年5月21日付記
たけくらべ論争に対する私見のまとめ

 このブログのアクセス解析というのをやってみると、相変わらず一番よく読まれている記事は、たけくらべ論争について書いた一連の記事である。
 ちなみに、その次に読まれているのは、明太子スパゲッティの作り方を紹介した記事である。試しにグーグルで「明太子スパゲッティ」と入力して検索すると、有名な料理レシピサイトや企業運営のサイトを抑えて、このブログ記事が堂々の第2位や第3位に出てくる。こんなへっぽこブログの記事がなんでそんな上位にランキングされるのか、理由はまったく不明だが、ともかく、そんなわけで、この記事もアクセス数が伸びているのだろう。
 当ブログのタイトル「江戸をよむ東京をあるく」も、いっそ、「たけくらべをよむスパゲッティをつくる」に変えた方が良いかもしれない。

 さて、先日、学生さんたちと三ノ輪から吉原界隈を歩く巡見の準備をしながら、たけくらべ論争のことを再び考えてみた。
 たけくらべ論争とは、物語の終盤になってそれまでの元気をすっかり失ってしまった主人公・美登利の変貌の理由をめぐる論争だ。初潮説・初店説が主で、他に検査場説なんていうのもある。論争のおおまかな構図については、こちらの元記事の冒頭を参照のこと。
 現在、たけくらべ論争は、いろんな人がいろんな主張を展開して、すっかりこんがらがってしまっているようにみえる。
 それに辟易して、自分が『たけくらべ』を読むときは、美登利が変貌した原因なんか考えないようにしている、とまで言い出す人もいる。だけど、『たけくらべ』を読むとき、どうして美登利ちゃんはこんなに変わってしまったんだろう?って疑問を頭から外して読むことは不自然だろう。
 そこで、自分なりにその答えを探して、最初はちょっとした素人の思いつきを書いただけだったこの記事も、その後、意外にもたくさんの人に読まれ、有益なコメントもいただいた。そうした反響にお答えするかたちで追加記事などを重ねているうちに、それら全体としてかなり長文になってしまった。
 このあたりで、なるべく簡略に、たけくらべ論争についての私見をまとめておく。

初店説(と検査場説)は不成立
 まず、単純な初店説が成立しないことだけは確かである。初店説というのは、吉原で娼妓デビューしたことが原因で美登利は変貌した、という説である(ただし、ここで私が否定しているのは、正式な娼妓デビューを想定した初店説である。佐多稲子が主張する秘密裡の違法な初店の可能性は否定できない)。
 初店説否定の理由は、美登利が14歳であることと、廓外に住み廓の内外を自由に行き来していること、の二つである。
 当時の法律では、16歳未満での娼妓就業は禁止されていた。また、娼妓は廓内の遊女屋に住むことが法律で義務づけられていて、美登利のように廓外に住むことは認められていなかった(なお、この廓内居住の義務は、法律ができる以前から、吉原の営業独占を守るための最重要の掟としてあった)。
 そんな法律なんか、私たち読者は知らないぞ、って思うかもしれないが、『たけくらべ』が書かれた当時の読者の多くはそれを知っていた可能性が高い。
 さらに、娼妓就業の年齢制限については、作者の一葉自身が、わざわざ正太に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」という流行節を歌わせることで、読者にその存在を明示している。
 また、当時の吉原の娼妓が廓内の遊女屋に囲われて暮らす境遇にあったことは、昔も今も常識であろう。ところが、美登利は変貌後もなお家族と共に廓外に住み続け、廓内の遊女屋へ引っ越したりはしていない。そして、そんな美登利が廓内の大黒屋へときどき出向くのは、そこで娼妓として働いている姉に「用ある折」だけだ、とこれまた一葉がはっきり書いている。
 したがって、正式な娼妓就業はもちろんのこと、16歳未満での見習い奉公開始というケースも併せて、いずれにせよ、売られた美登利が吉原で働き始めた、とするこれらの読み方は無理なのである。
 つまるところ、初店説の可能性は作者の一葉によって完全に否定されているといってもよい。
 初店説を主張する人のなかには、美登利は年齢を詐称して働き始めた、という苦し紛れ(?)の仮説を立てる人もいるらしいが、それは無意味である。たとえ、それで年齢制限の問題をクリアできたとしても、美登利の廓外居住という事実がある以上、初店説はやはり不成立だからである。
 したがって以下は蛇足になるが、年齢詐称の想定自体も困難であることを指摘しておこう。
 どこか遠い地方から吉原に来たばかりの身寄りのない娘ならいざ知らず、いまだに地元の小学校に在学中で、界隈ではいっぱしの有名人である美登利が、年齢を詐称し通して所轄の警察署から就業許可を得るのは無理である。そんなリアリティのひとかけらも無い設定を一葉がしたとは考えられない。
 
 これで、一般的な初店説については明確に否定できたと考える。ついでにいえば、美登利の変貌の原因は、初店直前に受けた身体検査だという主張=検査場説(初検査説)も、直近の初店が不可能である以上、これまた不成立である。

一葉の“企み”?
 一方、佐多稲子が提唱する、秘密の初店説は成立可能である。ただし、こうした秘密の初店などというアクロバティックな読み方を、一般の読者が自力でおこなうのは難しいという気がする。したがって、もし一葉の真意が、佐多の指摘どおり、秘密の初店にあるのならば、当然一葉は、多くの読者の“誤読”を予想しながら作品を書き上げたことになるだろう。そんな一葉の“企み”を想定して『たけくらべ』を読んでみるのも、また面白いとは思う(こうした“誤読”を誘う一葉の“企み”については、この記事につけたコメントのうち、二番目の2005年1月12日付のコメントと、六番目の2005年3月21日付のコメントもご覧ください)。
 まあ、正直、初潮説で読むのが一番素直かな、という気がするのだが・・・。

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コメント

小林さんこんにちはっ。
トラックバックありがとうございました~♪

小林さんの文を読んで、私がなぜ最初「初潮説」に違和感を感じたのか思い出しました!
えっと、女性としての感覚的な視点なんですけど、初潮の性質を考えたら、美登利みたいに寝込んだりヒステリックになるのはちょっとおかしいかなあって思ったんです。大人の女性なら月経困難症とかいって2~3日前から憂鬱になったり痛みを感じて寝込んだりもあるんですけど、初潮からその状態になる人はまずいないと思うんです。もちろん個人差もあるんですが。

初潮そのものにショックを受けたのではなく、「初潮によって以前から親に諭されていた遊女デビューが現実のものとして目前に迫ったため、もしくは初潮をきっかけに初めて自分の運命を聞かされたため美登利があれだけ変貌した」というのも、私はちょっと考えにくいかな、と思ったんです。たしか美登利は姉を誇りに思っているような発言をしていたような気がして・・・(してなかったかも?でもプライドは高そうでしたよね?)
だったら口で聞かされたぐらいじゃあ春を売るということがどういうことなのか理解できないだろうから、あんなにショックを受けるのはおかしいかなって思ったんです。あと、自分の姉がどういう商売をしているのかぐらいうすうす気付いていたはずだから、今更運命に気付くも何もないかなあっても思いました。

でも一方で、初店説にも強引さを感じます。小林さんのおっしゃる通り、叙述があっさりしすぎている点で。たしか私が読んだ本(初店説)では、「たけくらべを書いた時点では一葉にまだ男性経験がなかった故、深みを出せなかったのだろう」と推測していましたが・・・それは一葉を見くびりすぎかなあとも思います。知らないからって深みを出せないような人じゃないですよねえ。それにむしろ体験がない人にとってのほうが処女か否かってのは重みを持っているでしょうから、あんなにさらっとは流せないでしょうねえ。当時の時代背景を考えても。

しかし、源氏物語の見立てが組み込まれているなんて知りませんでした!一葉は源氏物語を愛読していたんでしょうか。

なるほどなるほど、「一日限り遊女の真似事をさせられて、そのあと放っておかれている」とは不自然なんですね。ふむふむ。

ああー、たしかに水揚げを「誰が」するかまでが初潮の日に契約として決定したんだとしたら・・・それは大きな衝撃かもしれません。今まで美登利をこどもとしてかわいがってくれていた顔見知りの男性かもしれないわけですものね。

いろいろ揺れましたが、私の中では今んとこ初潮説に軍配が上がりつつあります。小林さんが述べられていた遊女の生活様式が大きな決め手かなあ。そんなとこで一葉がポカミスするわけがないような気がして・・・。

投稿: ピッピ | 2005/01/12 01:51

読み応えあるコメントありがとうございます。

通説=初潮説に対して初店説をぶつけて論争のきっかけを作ったのは、ご存じだと思いますが、作家の佐多稲子氏です。「変貌」後も美登利が遊女生活を始めていないことは佐多氏も念頭においているようです。で、その問題についての佐多氏の見解をみると、美登利の初店は“秘密の取引”によるものだった、とのこと。佐多氏曰く「女の身を商いにする店の奥では、どんなことも行われ得ると私は聞いたことがある。」と。こうして、一般的な遊女の初店とは異なる「密かに高価な「初店」が美登利の身に行われた、と読取るのである。」と佐多氏は述べています。

こうなると遊女デビューの形式について一般的な理解しかもっていない私のような読者の多くは“誤読”におちいることになるわけです。ただ、私みたいに大した知識も無い読者に限らず、『たけくらべ』発表当時に出された有名な批評「三人冗語」の森鴎外・幸田露伴・斉藤緑雨たちの場合も、美登利の変貌が初店によるものだとは誰一人気づかなかった様子で、変わっちゃった美登利には「赤飯のふるまひ」もあったんだろうね、と言うコメントが残されています。特に露伴・緑雨は“遊び”の達人みたいな人らしく、おそらくは、遊女デビューに関する彼らの一般常識からしても、美登利が異例の初店をすませたっていう佐多氏のような解釈はなかなか浮かばなかったのでしょう。

そうなると、もし佐多氏の読みが一葉の意図に一致しているなら、一葉はそうした誤読を予想しながら、読者の少なからぬ部分を誤読に誘い込むべく曖昧な書き方をした可能性が高いと思います。また、鴎外・露伴・緑雨たちのような世間一般の誤読に事実接することになった一葉が、特に訂正コメントのようなもの発表したり周囲に漏らしたりしていないことを考えると、“馬鹿な男たちはなぁーんにもわかっちゃないわね。”と笑う一葉を思い浮かべることもできます。実際、「三人冗語」を含め世間の高評に対して一葉が冷淡だったことが伝えられています。

佐多説に立ってみて、そういう一葉の姿を想像するのも楽しく思えます。個人的には、初潮説に立ったり、秘密の初店説に立ったりしながら、『たけくらべ』を何度も読み返すことが面白くなりつつあります。

ピッピさんのコメントを読んでみて、遊女になること、客と寝ることを美登利がどんなふうに思い、またその思いがどう揺れ動いていくのかを追いながら、また今夜あたり『たけくらべ』を読んでみようと思います。それからまた竜泉寺界隈や吉原をあらためて歩いてみたくなりました。

投稿: 小林信也 | 2005/01/12 10:22

 TBありがとうございました。
 歴史研究をされておられ、拝見したところ非常に高い見識をもっておられるように感じました。
 「たけくらべ」は、僧侶と遊女という組み合わせが興味深いところです。遊郭については、長谷川時雨が『旧聞日本橋』で鹿鳴館時代の吉原を描写していたことを思い出します。

投稿: rion | 2005/03/17 23:33

rionさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
はじめにTBをいただきながら、こちらからもただTBをお返ししたのみにて失礼しておりました。

樋口一葉は本当に面白いですね。学生さんを誘っての町あるきの準備を機に「たけくらべ」を読み返し、はまってしまいました。「にごりえ」も、よく書けているなぁと感心してしまいます。瀬戸内さんのような意見も無理はないですね。ちょっと乱暴すぎる気もしないではないですけど。「性的体験」ってやつには、実態として、もう少し幅もあるんじゃないかなと(笑)

投稿: 小林信也 | 2005/03/18 10:40

「たけくらべ」論争について、興味深く読ませて頂きました。
 「ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事」と嘆く美登利がすでに客を取らされたという説は、個人的に疑問に感じています。「憂く恥かしく、つつましき事」が美登利の身に降り、これを境に大嶋田を結った「京人形」となることとなります。私は、美登利は女性性の目覚めに突然輝きを失ったというよりは、その転換点にさしかかった瞬間の描写であると思うのです。なおも、成熟を拒絶することを許さない現実に、作者の惻隠の情を読み取ることが出来る。
 翻って、初店説の支持者は、変化後の美登利を「極彩色の京人形」と形容するには初潮では甚だ役不足である、と論じますが、それは小林様の言われる廓外の親元、遊郭での生活の描写が見られないことへの反論には弱い印象です。ただし、作者が具体的に言明していないため、あくまで印象に留まります。
 遊女となることを自覚せざるを得なかった現象、しかもこの現象は反復するものであることを、一葉は匂わせています。「此処しばらくの怪しみの現象に我れを我れとも思はれず…」から推論される現象は、1つしかないのではありますまいか。これを体験後の記述と考えるには、あまりに直截的で短兵急ではないかと思うのです。

投稿: rion | 2005/03/20 16:34

丁寧なコメントありがとうございます。

rionさんが整理してくださったとおり、初店説の最大の弱点は、変貌後の美登利が遊女生活に入っていないことにあると私は考えています。物語のいちばん最後の場面にいたるまで、美登利は一貫して廓外で暮らしていますから。

したがって、もし変貌の原因が初店であると主張するならば、それは必然的に、通常の形式の遊女デビュー=初店ではなく、どっかのロリコンおやじが金にあかせて、一回かぎりの、あるいはごく僅少回の秘密の「初店」を、美登利に対しておこなった、という解釈になると思います。

初店説を主張する論者は、ただの「初店」ではなくて、こうした「フライング的初店」・「秘密の初店」を、かなりアクロバティックに主張しているのだ、ということを自覚し、その弱点をうめなくてはなりません。しかし、今のところ、この問題をクリアする説得的な議論にはお目にかかっていません。そもそも、自分の主張はそうした特別な初店を前提にせざるをえないんだ、という認識を欠いたまま、初店説を掲げる論者も少なからずいるようです。

その点、検討すべき素材をできるだけたくさん集めた上で客観的な判断をくだすことを信条とする学者さんたちの多くが、論争に際して、初潮説を堅持したのは無理もないと思います。

ただ、個人的には、先のコメントにも書いたとおり、一葉が「初店」を密かに念頭におきながらも、読者の多くをわざと誤読に誘い込もうとして「初潮」らしく書いたという見方(いちおう私のオリジナルですが、誰かもうとっくに考えついているかな?)も、論拠は薄弱ですが、刺激的で面白いかなと。

明治のなかば、小説発表当時だと、吉原における遊女デビューの形式に関する常識は、読者のかなりの部分が共有していたと思います。そういう常識をもっていると、ほとんどの読者は、作品に描かれているのが、まさか「秘密の初店」だなんて想像もできず、普通は初潮だろうって解釈してしまう。事実、森鴎外や、後に一葉との仲が噂になる斉藤緑雨といった当時一流の批評家たちもそう解釈したわけです。読者のそんな読み方を、一葉が事前に予想できなかったはずはないですよね。だとすると、わざと誤読させるように一葉は書いたと判断するしかない。

一葉は、吉原の近くで暮らしながら、「女の身を商いにする店の奥では、どんなことも行われ得ると私は聞いたことがある。」という佐多稲子氏と同じような見聞をもったのかもしれません。あるいは、本郷福山町の酌婦から聞いた思い出話として。一葉はその見聞=秘密の初店の実話を念頭に、それに「秘密」のベールをかけたまま作品に繰り込んだのではないかと。
したたかで頭のいい一葉ですから、そんなトリックを仕掛けてても不思議はないと思います。山師の久佐賀を手玉にとって、まんまと金を巻き上げているくらいですからね。

してみると、遊女のデビュー形式に関する一般常識という、トリックの基本部品が機能しにくくなってしまった現代、しばしば女性自身の実感をもとにして、“初潮の仮装”というトリックがはぎ取られ、当時は秘められていた一葉の真意である「初店」へと容易に到達する“読み”が広まりつつあるのかもしれません。

まあ、そんな難度の高いアクロバットはやめておくことにして、初潮説に立って読むのが、自分にとって無理がない感じです。

投稿: 小林信也 | 2005/03/21 13:02

たいへん読み応えのある本文とコメントで、おもしろうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2006/01/20 21:47

面白く読んでいただけて、うれしいです。かわうそ亭さんのブログの方にもお邪魔させてくださいませ。

投稿: 小林信也 | 2006/01/21 01:42

実は何故か去年の暮れあたりから一葉が気になり読み返していたところです。とても興味深く拝見しました。

投稿: ししまる | 2006/01/22 23:45

ししまるさん、コメントありがとうございました。
一葉は面白いですね。『にごりえ』も大好きです。

投稿: 小林 | 2006/01/25 12:14

初めまして。
最近「たけくらべ」論争について、もう1つの説を読みました。
上杉省和の書いた「美登利の変貌-『たけくらべ』の世界-」という論文です。(文学 1988.7)

この中で氏は初潮でもなく初店でもなく、「初検査」を説明しています。
初潮も初店もどちらもテクストの中には根拠を見出せていないのですが、「初検査」はテクストの中に根拠を見出しています。
佐多説前田説どちらもピンと来ませんが、上杉説で納得できました。
ご一読あれ。

投稿: ゆうじ | 2007/05/24 22:47

追伸
上述の論文の追検証の論文、近藤典彦「特別寄稿 「たけくらべ」検査場説の検証」(国文学解釈と鑑賞 2005.9)も併せて読むと理解が進みます。

投稿: ゆうじ | 2007/05/24 23:17

初めまして、ゆうじさま。
レスが遅れて申し訳ありません。
さっそくどこかでご紹介の文献を入手して読んでみようと思います。情報ありがとうございます。

投稿: 小林信也 | 2007/05/30 11:19

追伸
まだ、上杉論文・近藤論文ともに読んでいませんが、素朴な疑問として、検査を受けるには、美登利の年齢が低すぎる気がします。たしか、当時の規定では、16歳未満の娼妓就業はダメだったと思います。検査についても規定があって、初検査の場合は、所轄警察署の娼妓就業許可とセットだったと思います。佐多説=秘密の(違法な)初店説に立つならば、低すぎる年齢も何も気にする必要はありませんが、14歳(でしたっけ?)という設定の美登利が、検査場で正式な検査を受けるのは無理じゃないかとも思います。もちろん、その辺りの難点についても、上杉論文や近藤論文において克服されているのでしょうが。ともあれ、両論文を早く読んでみたいものです。

投稿: 小林信也 | 2007/05/30 14:50

上杉論文・近藤論文を読みました。読んでの感想は、新たに記事として書きましたので、よかったらそちらをご笑覧ください。
http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2007/06/post_03bc.html
ご教示、ありがとうございました。

投稿: 小林信也 | 2007/06/06 22:51

http://jikenkisya.blog.ocn.ne.jp/keiatjiken/2009/04/post_c0a8.html
こんにちは、突然古いお話にコメントさせていただきます、こんな記事を書いているものです、ガラの悪い文章で申し訳ございません。
私は最初に読んだ時から美登利の変貌は信如を失ったせいだと思い込んでおりましたのですが(ウカツ者なので「初潮」らしき記述に気がついたのもずっと後のことでした)、誰もそうは言ってないのでしょうか?全くフシギであります

投稿: KEI | 2009/04/17 11:18

 keiさま、コメントありがとうございます。
 そうですねぇ。「信如を失った」ことによる「変貌」という解釈にはこれまであまり接したことはありません。

 ちなみに、過去形でお書きになられている「信如を失った」こととは、具体的にはどのような出来事を指していらっしゃるのでしょうか?

 それはともかく、もちろん、「初店」だとしても、「初潮(=遊女としての将来を実感)」だとしても、いずれも、美登利に対して、信如とは離れ離れの別世界に生きることを覚悟させる出来事になるわけですから、大きな構図としては、「信如を失う」ことも美登利の悲しみを強める要素だというふうに言えるとは思います。

 突然に元気を無くした美登利の心情を理解する手掛かりのひとつが、記事本文にも引用した、「何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このように年をば取る、もう七月十月、一年も以前へ帰りたいに」という彼女自身のセリフですよね。

 ここで彼女が嫌がっているのは「大人に成ること」で、反対に彼女が求めているのは「いつまでも人形と紙雛を相手にママゴトをし続けること」です。
 彼女が心底嫌がっている「大人に成ること」とは、具体的に何のことなのか。それが論争の対象になっているわけです。これについて、keiさまのご見解を教えていただけるとさいわいです。

投稿: 小林 | 2009/04/17 20:01

小林様
迅速なレスをいただき恐縮です。ちょっと長くなったので自分のページに書きました、ガラが悪い上に全くシロウトの作文で申し訳ございませんが、お読みいただければ幸いです、草々

投稿: KEI | 2009/04/18 10:17

http://jikenkisya.blog.ocn.ne.jp/keiatjiken/2009/04/post_0879.html
たびたび失礼します、自分の記事へのトラックバックというのをやってみたんですが、うまく送信できないらしくて・・・・当記事のURL貼っておきますのでよろしく

投稿: KEI | 2009/04/18 10:44

記事を読むまでは初店説派でしたが、記事を読んで初潮説に傾きました。
美登利は長吉とのいいあいを見るに、初潮までは遊女というのがどういう仕事かわかってなかっかたが、初潮をきっかけに大黒屋の人に遊女の仕事の内容を教えられたという妥当なのかなと思いました。

投稿: デービット | 2013/05/31 23:03

まず店に出す前に処女を売りますよね(水揚げ)私はそれがあったんじゃないかと思います。そして水揚げは一回きりとはいうけど、それは遊女屋のこと。何回か処女を売ることも珍しくなかったと読んだことがあります。
やっぱり1番のお得意様に秘密裏に水揚げさせたんじゃないか?と。店に出す前の大々的な水揚げはもう一回すればいいんですからね。母親の意味ありげな笑顔、わざわざ風呂を用意していたこと、など考えるとそれが1番しっくりくる。
お客の方も16前の遊女の処女を秘密裏に買ったことを宣伝して回ることもほぼないでしょうし。そんなことしたら恥かくだけだし、大々的な水揚げを他に頼んでも、もっと若いうちに本当の処女をいただいたのは俺だと喜ぶだけかと。
着飾って街を歩くことが恥ずかしい、親友とも口をききたくないと思うには初潮では弱いと思うのです。処女喪失した前提にはもちろん初潮があると思いますが。

投稿: みほ | 2014/05/22 17:30

そして、はっきりとこれからの仕事を自覚して大人になるのはなんて嫌なんだと。毎日こんな馬鹿げた気味の悪いことをするのかと思ったのではないか、、。
廓言葉を恥ずかしげもなく街でも使う少女が初潮をここまで恥ずかしがり隠し通そうとするのだろうか、、。
廓の仕事を身を持って体験したと考えるのが自然では?と思います。正太郎の顔が見れない。親友だからこそ苦しい(しかも美登利は正太郎が自分に片思いしていることを知っていた)これは金銭と引き換えに体を売ったからだと思えます。他の友達とも遊ばなくなったというのも、自分と友達との大きな違いを身を持って知ってしまったからでは?

投稿: みほ | 2014/05/22 17:42

たけくらべ論争、面白く読ませていただきました。
私は佐田先生と同じく水揚げ派です。
大人になりたくないと駄々をこねる美登利の描写が紫の上と似ているそうですが、紫の上も光源氏と新枕を交わしたのが14歳だったのです。しかも半ば強引にでした。
これは樋口一葉が年齢を合わせたのかなと思います。
美登利が大人になる年齢は、真如と同じ15歳でもよかったと思うのです。これでも普通より1年も早い訳ですから。あえて14歳にすることで、紫の上の気持ちも美登利に代弁させたのかな、と思いました。

投稿: sasara | 2014/06/27 07:08

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