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2005/02/19

シリーズ『週刊日本の伝説を旅する』を読む その2

世界文化社から『週刊日本の伝説を旅する』第2号が送られてきた。今回は、江戸と伊豆七島の伝説と旅。

とりあげられた伝説は「八百屋お七」・「太田道灌」・「伊豆七島の伝説」の三本。この三本については、創刊号の京都の伝説よりは面白く読めた。伊豆七島の伝説は、知らない話もあって勉強になった。

ただ、相変わらず、物故者の文章が載せられている。前回はそれが二本。今回は一本。ともあれ、昔、別の雑誌か本で発表された文章を、この雑誌は転載しているわけだろう。ご健在の執筆者の文章についても、既発表の文章の転載ではないか?と勘ぐってしまう。どうなんでしょう?

「鉄道で巡る伝説の地」のコーナーは、西武新宿線がとりあげられていたが、伝説と何の関係もない、しかもあまりに平凡な紀行文。

旅行案内の情報記事は、手抜きしすぎじゃないでしょうか?観光案内所や旅行会社がタダでくれるパンフレットと大差はない内容にがっかり。

井沢元彦の連載「伝説の住人」は、江戸・伊豆七島の号なのになんで出雲の神話なの?前号に引き続き、怨霊やら鎮魂の話としてまとめられている。「怨霊・鎮魂」という他人のアイデアを借りるのは、足利義満の話と同様に、みっともないやり方だとは思うが、まあそれでも構わない。ただ、借りたアイデアなら、もう少しそれをちゃんと使いこなすべきだと思う。借り物の話の枠の中にあまりに根拠薄弱な思いつきが並べられているだけ。

どうでもいいことだが、井沢元彦と井出孫六とが同じ雑誌に執筆者として並んでいるのは最近珍しいかも。

前の号の評にも書いたかもしれないが、冒頭の伝説紹介の部分に関しては、有名じゃなくても、若手でもっと面白い記事が書けるライターさんはいるんじゃないかな。手堅く無難な文章よりも、活きのいい文章が読みたいと思う。いやいや「一般読者」にはこの位が、なんてタカをくくってたら、そのうちそっぽ向かれるんじゃないかな。創刊特別価格350円なら許せるけど、この内容で560円は高いと思うよ。

次回の北海道の号には期待したい。北海道の伝説なんてほとんど知らないし。楽しみにしよう。

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2005/02/17

NHK「フリーター漂流」をみて 中編

 ※「前編」の記事はこちら
 ※追加記事2008.6.11.はこちら
 なお「後編」は未執筆です。

 この番組には、ある中年男性(35歳)のフリーターも登場する。請負会社から送り込まれた工場での仕事に耐えられず、実家に戻った彼に対して、その父親が説教をする。そのシーンも印象深かった。

中年フリーターの希望

 彼はもともと実家が経営する小さな運送会社で両親と共に働いていた。しかし、その運送会社の仕事は月間売上がわずか7万円というところまで激減した。風前のともしびのこの小経営から彼は離脱せざるをえず、請負会社の面接を受け、時給900円(たしかそのくらいだったと記憶している)で北関東にある携帯電話の部品工場へと送り込まれて働き始めるのである。

 工場での仕事は携帯内部の基盤かなんかを組み立てるごくごく単純な作業だが、一定時間内に決められた量をこなすのはそれなりに厳しそうだ。何日かたってやっと作業の要領をつかみ始め、彼の表情にもわずかな明るさが戻り出したある朝、突然何の予告もなく、仲間ともどもそれまでの作業を打ち切られる。チームは解体され彼ともう一人のフリーターは別の工場に回される。次に彼らが従事するのは、作業の都合上、真っ暗にされた小さな部屋で、数人の作業員が朝から晩まで手元の照明を頼りに部品の加工を行うというものである。使用するシンナーが漂っているその小部屋には、どう見てもうちの台所よりチャチな換気扇がとりつけられているだけだ。この工場でも、ある日、それまで山積されていた未加工の材料が激減した。どうやらまた急な生産調整がはじまったようだ。そのうち、彼はまたある朝突然、別の作業場へと回されていったのか。

 工場で技能を獲得し“一人前”の工員になりたいと願う彼の夢はこうして脆くも砕かれる。彼は仕事を辞め札幌の実家に戻った。その彼に運送会社を営む父親が説教するのである。

父親の説教

 どうして辞めたんだ、辛抱が足りないと。仕事がつらくても、誠実に働いてさえいれば、そんなおまえを「見そめてくれる」上司だとかがきっと現れる。その人がおまえを引っ張り上げてくれる。仕事とはそういうものだ、働くとはそういうものだ、といった説教を父親は息子に言い聞かせる。

 彼は父親に反論することもなく、つらそうな表情を浮かべてじっと耐える。おそらく、彼がたらい回しされた工場の責任者たちには、彼の名前すら憶える気もなければ、その機会もないだろう。請負会社の幹部社員が、自分たちの取扱う「弾」のひとつである彼を「見そめ」て、請負会社の正社員に引っ張り上げることもありえない。だが、そういった反論をぶつけることもなく、彼はじっと父親の説教を受ける。

 たぶんこの父親は、これまで、説教の言葉どおり、自分自身がつらい仕事もじっと耐えて誠実に働くことで、こうして小さいながらも運送会社を立ち上げられたのではないか。そういう父親を「見そめ」てくれたお客たちからは時には無理な注文も持ち込まれるが、それを文句も言わずこなす。そうすることで会社を守ってきたはずだ。ところが今では、そんな客も次々と去ってゆき、会社はつぶれようとしている(一ヶ月の売り上げが7万円だよ)。
 
 父親に対してフリーターの息子が反論しないのは、反論したところで理解してもらえるわけがないからという他に、今、絶望的な苦境にいる父親を支えているのは、一生懸命働いていれば必ずいつかは認めてもらえるはずだ、という信念のみだということを分かっているからではないか。それを否定することは、息子としてできなかったのではないだろうか。

私の説教

 私にとってこのシーンが印象深かったのは、この父親の説教とほぼ同じような文句を、かつて私が口にしたことがあるからだ。

 ある友人が、パートの勤務先での人間関係などに悩んだあげく、その仕事を辞めたいと言う。その友人に対する私の言葉は、おおよそ、この父親の説教と同じようなものだった。その友人の勤務先には、いちおう制度としては、パートから準社員へ、そして正社員へ、という昇進コースが設けられている。友人も働き始めはこのコースに期待をしていた。だが、最近の友人の話では、パートのなかには自分より何年も先輩で優秀な人もいるが、誰も昇進していないとのこと。そのうち辞めていくと。

 正月休みもなく、くたくたに疲れ終電で帰宅することも多いその友人は、私の「説教」をどういう思いで聞いたのだろうか。番組に登場した中年フリーターと同じく、この友人も私に反論することはなかった。「頑張っていればいつかは引っ張り上げてもらえる。」と信じる私のことを慮ってのことだったのだろうか。

再び漂流へ

 番組の続き。父親に諭された彼は、ふたたび同じ請負会社の面接を受ける。そこで提示されたのは東海地方の自動車関連工場の仕事だった。彼よりも相当年下の請負会社の男が言う。かなりきつい仕事ですよと。自分に続けられるだろうかと不安げに尋ねる彼に、請負会社の男は冷たく告げる。もうあなたの歳だと仕事を選んではいられないんですよ。

 この番組を見逃した方は、こちらの番組要約をぜひご覧ください。ネットで検索してみつけたんですが、かなり風変わりな(←ほめ言葉です)左翼「紙屋」さんのホームページにすばらしい要約がありました。

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2005/02/12

あの有名レストランとは少し違うキャベツとアンチョビーのスパゲッティ

キャベツとアンチョビーのスパゲッティを作った。
作り方は、以前に書いた菜の花のスパゲッティと同じ。
いちおう下にレシピを紹介しますが、詳しくは菜の花の方の記事を参照のこと。
菜の花のかわりに、野菜炒め用くらいの大きさに切ったキャベツをつかいます。
キャベツの分量は、うちの場合、麺(乾燥状態)100gに対して中ぐらいの大きさのキャベツ4分の1玉くらい。

レシピ

1ニンニクと唐辛子のオイルをつくる。弱火のフライパンにやや多めのオリーブオイル。そこにニンニクや唐辛子と一緒にアンチョビーも入れる。アンチョビーの適量は、アンチョビーの種類によって違うので、好みの量をみつけてください。今うちでは、オイル漬けではなくて、塩漬けのアンチョビーを使っていますが、オイル漬けと同じ分量を使ったらしょっぱすぎて失敗。カミさんからクレームついた。

2麺をゆでるための鍋のお湯が沸騰したら、塩を入れ、次にキャベツの芯のあたりを入れる。火は強火。しばらく待って再沸騰したらキャベツの葉を入れる。で、また再沸騰したら麺を入れる。

3少量のゆで汁をフライパンに入れてよく混ぜる。オイルドレッシングみたいになじませる。フライパンの火は弱火。

4麺がゆであがったら、キャベツごとザルにあけてよくお湯を切ってフライパンへ。コショウをふる。できれば黒コショウよりは風味のやさしい白コショウ。味をみて必要なら塩も足す。

このレシピの特徴は、菜の花のスパゲッティのときと同じで、きゃべつの茹で時間が長いこと。うちが使うスパゲッティの茹で時間はだいたい5分くらいだから、きゃべつは5分半近く、ぐらぐら茹でていることになる。こうするとキャベツがクタクタになって麺との絡みがとてもよい。キャベツもたくさん食べられます。カサが減るから一人前で4分の1玉でもへいちゃら。火を通した方がキャベツの甘みも増すと思う。長く茹でるとビタミンCが、って心配の方は、すみませんが、サラダ添えたり、野菜ジュース飲んだりして補ってください。ごめんなさい。

このキャベツとアンチョビーのスパゲッティを日本で流行らせたシェフがいる広尾のお店にも一度食べに行ったことがあるけど、茹で時間はざっと2分くらいかなって食感のキャベツが麺の上にのっていた。このシェフの書いた料理雑誌にも、冬キャベツなどは甘みがあって美味しいから、あまり火を通さず、バリバリ状態に仕上げます、とあった。それからカリカリ状態に揚がったニンニクのみじん切りがのっていた。これも好評のトッピングらしいが、やっぱり好みじゃない。ハリのあるキャベツと、カリカリのニンニクと、スパゲッティとの食感はまとまりがない。バリエーションが豊かでそこが良いという人もきっといるんだろうけども、というか、現にたくさんいらっしゃるから人気メニューになったんだろうけどもね。

うちのキャベツ・スパゲッティは“牛丼”風

ところで、ステーキ丼と牛丼だったら、私は断然、牛丼が好き。ごはんと具とつゆとがまとまる感じが好き。ステーキだったら、どんぶりにせず、ご飯とステーキと最初から別々がいいや。キャベツの場合も、麺とキャベツをあまり絡ませないのなら、いっそキャベツは、グリルして塩少しかけて美味しいオリーブオイルでかるくマリネしたのを、付け合わせとして別皿でたくさん食べるのがいいな。

2005.2.13.追記:アンチョビーの代わりに、先の記事で書いたホタルイカ使うとすごく相性がいい。ぜひお試しを。

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2005/02/10

NHK「フリーター漂流」をみて 前編

 ※この記事のつづきはこちら
 ※2008.6.11.秋葉原通り魔事件によせての追加記事はこちら

先日、NHKのドキュメンタリー「フリーター漂流」をみた。感想を書く。
北海道出身のフリーター3人の話が中心。彼らは、全国展開する請負会社の手によって、北関東で携帯電話の部品を製造する工場へ送り込まれる。

請負会社?人材派遣会社じゃないの?と思うかも知れないけど、この請負会社ってのが凄い。人材派遣会社の場合、そこから派遣された「人材」は、諸々の法的(?)規制でもって、派遣先においてもある程度は「人材」としての扱いを受ける権利があるらしい。でも、請負会社ってのは違う。会社は、お客である工場などから、その工場内での一定量の作業を請け負う。でもって、自分のところで雇ったフリーターたちをチームに編成して工場へ出向き、請け負った仕事(もちろん熟練の不要な単純作業)を短期でこなす、という仕組み。したがって工場側は、そのフリーターたちの身分やら待遇やらに関して何の責任も負わないですむ。工場側とフリーターたちとの間は何の契約関係もないんだから。

で、フリーターたちは工場へ行って一日中黙々と単純作業を行う。ところが次の朝、また工場へ行くと、何の予告もなく、その場で突然チームが解体され、別々の工場へ行って新しい仕事につくよう言い渡される。工場側の説明によると、急に部品の受注が減ったため、昨日までの作業は不要になったからとのこと。フリーターたちは、せっかく仕事の要領も覚えたことだし、できることなら自分たちを同じ工場になるべく固定して欲しい、と請負会社に訴えるが、まったく無視される。請負会社はお客である工場側からの要求を最大限優先して受け入れることにしているからだ。そうしないと工場側からの請負仕事の発注が無くなるのだろう。このような場面で何の文句も言わないのが請負会社のウリだそうだ。市場の状況に即応するかたちで、こうした急な配置転換が無造作に繰り返されていく。

昨日までに覚えた仕事は新しい工場では何の役にも立たない。あちこちの工場・作業場をたらいまわしされるフリーターたちが仕事を通じて個人の能力を高めることなどは望むべくもない。かわりに忍耐力と健康とをすり減らした彼ら彼女らの少なからぬ部分は、数ヶ月間の短期雇用期間をまっとうすることなく脱落する。その穴は全国からかき集められてきたフリーターによってすぐに埋められていく。

請負会社の人は、自分たちの会社は「社会のために貢献している。」と胸を張っていた。現在の工場はコストダウンのため市場の動向に機敏に対応する必要がある。だから、突然たくさんの人員が必要になったり、逆に不必要になったりすると。そうした工場のために請負会社は頑張っているんだそうだ。前線で「弾」が必要になっているところへすぐさま「弾」を送り込んでいくのが自分たちの務めだと。この「弾」って言葉は月並みな言葉だが生々しかった。請負会社の顧客である工場が勝利をおさめるための弾薬の補給。請負会社にとってフリーターたちはまったくの消耗品なのだろう。こうやって請負会社は「社会」に貢献しているという。

フリーターたちの給与は時給。体調を崩して仕事を休んだりすると、そのまま収入は消える。賃貸アパートを借り上げた「社宅」住まいの彼らの手取りは、給与から家賃や光熱費を差し引いた額である。アテにしていた残業が工場の都合でなくなり、その上、体調を崩して何日か仕事を休んだフリーターの、その月の手取りがわずか数万円となってしまい呆然としている姿が印象に残った。

こうした請負会社のやり方に対して、「この業態にも立法・行政の規制が必要なように感じました。」という佐藤晶さんの意見に深く共感する。

朝から晩まで、文字通り機械のように携帯電話の部品取り付けを繰り返す。さらに夜間までの残業を希望し、やっと十数万円の月収を手にする。

今の若い人はきつい仕事嫌うからフリーターが増えるんだ、なんて誰が言うのか。
こういった「弾」を使い捨てることで利益をあげていくのを誰が経営手腕と呼ぶのか。
全国各地の製造現場を漂流するフリーターは現在100万人にのぼるという。

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2005/02/09

小経営の可能性2

今、私たちが「農村」という言葉を聞いてイメージするのは、どのような光景だろうか?

おじいさんとおばあさんが草取りをしていて、休日には近くの工場で働いている長男が耕耘機を押すといった姿か。

あるいは、「××農園」の社員が数人の外国人労働者を乗せたミニバンを運転する。彼らは、社屋から少し離れた、今日手入れが予定されているCブロック(と社内で名付けられた)水田へと向かう。社屋から出たところでそのミニバンは、「低農薬有機栽培の健康手づくり米を食卓へ ××農園」と車体に書かれた同社下請運送会社のトラックとすれ違う。そういったシーンか。

現在、日本では株式会社による農地の所有は一般に認められていない(ワイン・メーカーにブドウ畑の所有を認めようというナントカ特区の話はその後どうなったのだろう?)。法律を変えて株式会社の農地所有を認めよう、とかいった主張を、もし自民党の農水相が口にしたら即刻クビが飛ぶだろう。といっても、それはひとむかしもふたむかしも前の話。今はもう平気である。たぶん、あと10年もしないうちに、株式会社の農地所有は認められるのではないか。そして上に描いたシーンは現実のものになるだろう。

いちおう、2005年2月10日現在の農水相の、就任直後の記者会見記事にリンクしておきますね。ただし、この記事の大臣発言は、株式会社などの参入を認めてもよいと発言したことを記者に突っ込まれて、それに対する弁明といったもの。流し読みすると慎重派って感じですが、実際には、色々配慮しなきゃいけないこともあるが、なんだかんだいっても参入はやむなし、といった基本スタンスが読み取れます。

少子化傾向なんかよりずうっと先走る形で、農家の後継ぎは激減している。そしていずれ、この少子化がとどめをさすだろう。しかし、食糧自給率の維持・アップは国策である。その場合、「農業経営の多様化」や「農業労働市場の開放」は避けられないのではないか。

こうして、安い労働力の供給を保証された資本が農村に進出したとき、冒頭に描いた姿の小経営農家は生き残ることができるのだろうか。日本一のブランド米を産出する地域の水田一枚に何億円もの値がつけられて取引される状況などもついつい私は思い浮かべてしまう。

そして、村の寄り合い、村祭り。これらはどんどん死語となっていくのだろうか。後継ぎを失い、大型店に客を奪われて次々に店が閉じていく近所の商店街の姿がダブる。農村にも次々とセレモニーホールは建つのだろうか。

今から25年前、1980年に出された木村礎さんの名著『近世の村』(教育社新書)の結び。「共同体としての村の生命は、現代においても日本社会の基礎構造として、形こそ変われ持続されている。」

よろしかったら、村落史研究者の方、ご意見・ご感想をお寄せください。

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2005/02/08

教えて!阿部和重『シンセミア』なぜ鶲なの?

少し前に、阿部和重の小説『シンセミア』の読書ノートを書いた時から頭を離れない疑問。
気になって仕方ない。誰か答えを教えてくださいな。

この作品の最大の山場は洪水の場面で、その最後はパン屋の若夫婦が山に登るシーン。
この洪水の場面は、ノアの箱舟の話にいろいろ似せて書かれている。

なかなか深刻な状態に陥っている若夫婦は、この山の頂で将来への展望をつかみかけるが、結局、うまくはいかない。
このシーンで妻が最後にその姿を見失ってしまう鳥が、鶲ヒタキである。ヒタキのなかでもキビタキという美しい鳥。
この鳥の姿を見失うってことが何かを象徴しているように思うんだけど。
この作品においては重要な場面である。
作者のヒタキへのこだわりは、後から出てくる別の場面で、妻がわざわざ友人から鳥類図鑑を送ってもらってヒタキを調べていることにも示されてる。ただなんとなくヒタキってわけじゃないように思える。

なぜヒタキなのか?これが私の疑問である。「箱舟」で「鳥」とくれば、オリーブをくわえたハトなんだろうけど、そうではない。
もしかしたらヒタキの学名のナルシスに関係するのか?自己愛とか自己肯定とかにかかわる?

『シンセミア』読者の方。あなたの“読み”を教えてくださいな。

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2005/02/06

小経営の可能性1

近所の商店街における死

最近、近所にあった2軒の本屋が両方廃業した。2軒とも個人経営の小さな本屋で、時々文庫本や雑誌を買いに行ったりしてた。廃業後は自転車で少し行ったところにあるシネコンにできた紀伊国屋書店にもっぱら出かけるようになった。たぶん、この紀伊国屋の出店が、ここら辺の小さな本屋にとどめをさしたのかもしれない。


僕の葬式

かわって近所に新しくできて目立っているのはセレモニーホールである。もともと家具屋だったところがセレモニーホールになった。ちなみにその隣にあった銀行の支店も撤退してかわりに石材屋さんが建った。セレモニーホールと石材屋さん。タイアップしてるのかな。もしかして自分がこのままこの町で暮らし、そして死んだら、ここでお世話になるのかな。うちの家族を助けて僕の葬式を滞りなく進行してくれる隣近所なんてありはしないから。


山口啓二先生

さて、もう10年以上も前だと思う。山口ゼミというものに一度参加させてもらえた。この山口とは山口啓二さんのことである。いうまでもなく最大級の近世史研究者。山口ゼミとは、山口さんのお弟子さんたちが開いた自主(?)ゼミ。
そのときの山口さんのお話で今でも頭に焼き付いているのは、次のような内容である。「近世とは農・工の小経営が満面開花した時代である。それ以降、この小経営こそが日本社会の基礎であり続けた。そして、いま現在、小経営の解体が時代を大きく変えようとしている。」というお話。

それ以来、近世が小経営の時代であるなら、僕の専門領域である近世都市において小経営とはどのようなものであって、それが近現代においてどのように展開し、そして現在、どういった状況にあるのか、という問題が自分の最大の研究関心のひとつとなった。

小経営とは、単婚小家族を中心とした家業的経営とでも言い換えられるのかな。間違ってたら誰か訂正してくださいませ。


近世史研究者の義務

小経営を基礎とする社会構造が日本社会の特徴である。そして、それは近世に成立し、今まさに滅びようとしている社会構造である。もしそうならば、多少とも近世史をかじった者は皆、古文書や歴史研究論文を読む目をちょっとあげて周囲を見回し、我らが「近世」社会の現代における末路をしっかりと見届ける必要があるのではないか。それとも小経営が再生していく道はありえるのか。それを探ってみる必要もあるだろう。

うまく話が続けられるかわからないけど、少しこのテーマで記事を連載してみることにしたい。えらく間隔のあいた連載になるかもしれないけど。

同業者からのご批判をお待ちしております。

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2005/02/04

シリーズ『週刊日本の伝説を旅する』を読む その1

世界文化社からの刊行が始まった『週刊日本の伝説を旅する』の創刊号が自宅に送られてきた。「ブログ上で書評しませんか?」というお話を世界文化社の編集の方から頂いたからだ。もっと正確に言うと、私のブログのお師匠さんのところへ最初にお話があり、それに私も相乗りさせて頂いたわけである。

「伝説」と「旅」。どちらも私の大好物である。このシリーズでもって、きれいな写真や絵を眺めながら、伝説めぐりの旅が擬似体験できれば楽しいだろうなってことで、しばらく書評してみます。

創刊号は京都の伝説がテーマで、小野小町・酒呑童子・小督局が取り上げられています。中高年女性の旅行が盛んな昨今、少し女性の読者を意識したラインナップなのでしょうか。
冒頭の安西篤子による小町と深草少将のエピソードは、しっとりと味わい深く読めました。それ以下の酒呑童子と小督局に関する文章は、各伝説のあまり要領のよくないあらすじ紹介が文章の大部分を占めていて、正直面白くない。有名作家の既発表の文章を転載したものなのだと思うんだけど、やっぱりそれじゃものたりないなあ。
どうせなら、旅している気分にしてくれたり、旅にいざなってくれたりする文章をメインに読みたいな。このシリーズのタイトルは「伝説を旅する」なんだから。有名作家の文章じゃなくてもいいから、伝説にもとづいて現地取材をした生の文章をたくさん読みたい。

 さて、次号は私の本拠地「江戸」がテーマ。送られてくるのが楽しみ楽しみ。

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2005/02/03

春を食べよう!ホタルイカのスパゲッティ

料理の写真はこちらの記事へ

菜の花スパゲッティに引き続き、早春を食べるスパゲッティの第二弾。
ホタルイカのスパゲッティ。いちおうオリジナルですが、まあ誰かがもう作ってるでしょう。
(2005.2.13.追記:ネットで検索したら同じレシピがたくさん。たしかに誰が作っても同じ手順になるでしょう。他の人がやってないのは、下処理でホタルイカの胴体に切れ目を入れること。イカのワタの味が好きな人は絶対やった方がいいと思う。あと、キャベツスパゲッティとの合体も試さなきゃ損。詳しくはこの記事の末尾に。)
旬はまだ先ですが、そろそろホタルイカがデパートやスーパーに並びはじめました。
これを使ったスパゲッティ。簡単でとってもうまいですよ。

1 茹でて売られているホタルイカの胴体に、小さな包丁でもってタテに浅く切れ目を入れる。こうすると中のワタが出てきて麺に程良くからみ美味しい。さて、もし大事なお客さんに出すのなら、結構面倒ですが、目玉を取り除きましょう。また、胴体に切れ目を入れるついでにいわゆるイカのフネ(細長い軟骨みたいなの)も取り除けば、口当たりがよく丁寧な仕上がりに。あ、そうそう、ホタルイカの量は適当に。一人分で何十杯もつかうと麺が負けちゃう。お好みの量を試行錯誤でつかむといいです。

2 ホタルイカの下処理をしている途中、麺を茹でるための鍋に水を入れて火にかける。それから、たたいてつぶしたニンニクと唐辛子とオリーブオイルをフライパンに入れて弱火。

3 ホタルイカの下処理が終わる頃には、鍋のお湯が沸騰しているからこれに適量の塩を入れて麺を投入。

4 軽く色づいたニンニクと唐辛子をフライパンから出す。麺が茹であがる2分くらい前にホタルイカをフライパンに入れる。麺のゆで汁も少しフライパンへ投入。イカにいれた切れ目からワタがでてくるように箸とかスプーンとかでつつくとよい。濃厚な味にしたければ、ここでしっかりとワタが出るようにする。この加減はお好みで。

5 麺が茹であがったら、湯を切った麺をフライパンにいれてよく具とからめる。塩加減をみて足りなければ塩をたしてください。これで出来上がり。


絶対おすすめのスパゲティです。少し味を足したい人は、4の段階で、数個のプチトマトを、タテ半分とかに切って投入。酸味が加わって美味しいですよ。
あと、面倒な時はホタルイカの下処理はしなくていいです。買ってきたトレイからそのままフライパンへ移す。箸やスプーンで少し乱暴につつけば胴体が適当に割れてワタが出ます。

2005.2.13.追記:さらにおすすめは、キャベツのスパゲッティとホタルイカスパゲッティの合体。
イカとキャベツとの相性の良さはあらためて書くまでもないですよね。
作り方は、別記事で書いたキャベツとアンチョビーのスパゲッティを参照して、それを上記のレシピと組み合わせてください。ただしそこからアンチョビーを省きます。隠し味として少し使うのはいいかもしれないけどね。あと、麺やキャベツにイカの味がよく絡むように、下処理でイカの胴体に切れ目を入れるって作業は必ずやった方がいいです。

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2005/02/02

巡見~江戸を縦貫する8 隠蔽された山谷

西澤晃彦さん

ドヤ街山谷(さんや)について書かれた本はそれこそ山のようにあるが、私のおすすめは社会学者の西澤晃彦さんの『隠蔽された外部-都市下層のエスノグラフィー』(彩流社1995)である。
都市内の部分社会に注目し、「ズボンの尻を汚す」ことで、つまり対象に密着した実地調査をおこなうことで、部分社会ごとの実態を緻密に描き出していくシカゴ学派。現代都市社会が画一的・均質的なものであるという妄想・知的怠慢・想像力欠如を排し、シカゴ学派の仕事の価値を再び評価し実践する西澤さんの都市社会学には強い共感をおぼえる(そのうちファンレターを書こうと思っています)。
一方、現代社会について考える上で、吉原やら山谷やらの特殊社会に注目して何の意味があるの?なんて寝ぼけたことをおっしゃる“普通”やら“一般”やらを自認する方々に対しては、どうしようもないくらい対話の困難さを感じる。


山谷の戦後史

この西澤さんの本の第1章「都市下層の隠蔽―上野公園から寄せ場・山谷へ」からドヤ街山谷の形成史の要点を以下にまとめる。
山谷は戦前から木賃宿が集まる地域であった。戦後、昭和20年代はじめの上野「浮浪者」の狩り込みがおこなわれる。その際、東京都は、山谷および深川のかつての木賃宿経営者に、浮浪者収容用のテント・ベッドの貸し出しを実施する。それを契機に山谷は簡易宿泊所の集中する地域となり、様々な人を飲み込む街となった。この時点では、多様な都市下層の結節点としての寄せ場・山谷が成立する。しかし、その後、①山谷の人々の生活空間の限定-隔離の強化(山谷周辺地域における「立ちんぼ」寄せ場=青空労働市場の排除、山谷への限定)、②再分離・再隔離として売春婦(とそのヒモ)の山谷からの追放、③世帯宿泊者の分散移転(子どもたちを“救う”ため、家族で山谷に暮らす者たちを各地の都営住宅特別枠などへ分散収容する)。以上①~③によって、多様な都市下層の結節点・山谷はその姿を変え、男性の単身日雇い労働者の街へと純化させられたのである。こうして外部化され、治療され、無効化された山谷は、都市社会において隠蔽された存在となる。


再び吉原を振り返ると

そういえば、西澤さんは言及していないが、土手通りを挟んで山谷とは線対称の位置にある吉原も、現代において「純化」・「隠蔽」された地域社会だといえるだろう。この地にかつてあったエンターテイメントやグルメといった多様な要素は取り去られ、売春の街として純化していった。今日ソープランドの客と女性“コンパニオン”との間では、たいがい、事前・事後のちょっとした世間話などをのぞくと、基本的には性の売買がおこなわれるのみであろう。こうして吉原は、山谷と同様に(そして、何かと注目される新宿歌舞伎町と対蹠的に)、都市社会において隠蔽された存在となっていったのではないか。といったことを今ここで書きつつも、我ながら眉にツバしている。やっぱ、吉原の現代史研究は必要だ。

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