教えて!阿部和重『シンセミア』なぜ鶲なの?
少し前に、阿部和重の小説『シンセミア』の読書ノートを書いた時から頭を離れない疑問。
気になって仕方ない。誰か答えを教えてくださいな。
この作品の最大の山場は洪水の場面で、その最後はパン屋の若夫婦が山に登るシーン。
この洪水の場面は、ノアの箱舟の話にいろいろ似せて書かれている。
なかなか深刻な状態に陥っている若夫婦は、この山の頂で将来への展望をつかみかけるが、結局、うまくはいかない。
このシーンで妻が最後にその姿を見失ってしまう鳥が、鶲ヒタキである。ヒタキのなかでもキビタキという美しい鳥。
この鳥の姿を見失うってことが何かを象徴しているように思うんだけど。
この作品においては重要な場面である。
作者のヒタキへのこだわりは、後から出てくる別の場面で、妻がわざわざ友人から鳥類図鑑を送ってもらってヒタキを調べていることにも示されてる。ただなんとなくヒタキってわけじゃないように思える。
なぜヒタキなのか?これが私の疑問である。「箱舟」で「鳥」とくれば、オリーブをくわえたハトなんだろうけど、そうではない。
もしかしたらヒタキの学名のナルシスに関係するのか?自己愛とか自己肯定とかにかかわる?
『シンセミア』読者の方。あなたの“読み”を教えてくださいな。
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