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2005/02/09

小経営の可能性2

今、私たちが「農村」という言葉を聞いてイメージするのは、どのような光景だろうか?

おじいさんとおばあさんが草取りをしていて、休日には近くの工場で働いている長男が耕耘機を押すといった姿か。

あるいは、「××農園」の社員が数人の外国人労働者を乗せたミニバンを運転する。彼らは、社屋から少し離れた、今日手入れが予定されているCブロック(と社内で名付けられた)水田へと向かう。社屋から出たところでそのミニバンは、「低農薬有機栽培の健康手づくり米を食卓へ ××農園」と車体に書かれた同社下請運送会社のトラックとすれ違う。そういったシーンか。

現在、日本では株式会社による農地の所有は一般に認められていない(ワイン・メーカーにブドウ畑の所有を認めようというナントカ特区の話はその後どうなったのだろう?)。法律を変えて株式会社の農地所有を認めよう、とかいった主張を、もし自民党の農水相が口にしたら即刻クビが飛ぶだろう。といっても、それはひとむかしもふたむかしも前の話。今はもう平気である。たぶん、あと10年もしないうちに、株式会社の農地所有は認められるのではないか。そして上に描いたシーンは現実のものになるだろう。

いちおう、2005年2月10日現在の農水相の、就任直後の記者会見記事にリンクしておきますね。ただし、この記事の大臣発言は、株式会社などの参入を認めてもよいと発言したことを記者に突っ込まれて、それに対する弁明といったもの。流し読みすると慎重派って感じですが、実際には、色々配慮しなきゃいけないこともあるが、なんだかんだいっても参入はやむなし、といった基本スタンスが読み取れます。

少子化傾向なんかよりずうっと先走る形で、農家の後継ぎは激減している。そしていずれ、この少子化がとどめをさすだろう。しかし、食糧自給率の維持・アップは国策である。その場合、「農業経営の多様化」や「農業労働市場の開放」は避けられないのではないか。

こうして、安い労働力の供給を保証された資本が農村に進出したとき、冒頭に描いた姿の小経営農家は生き残ることができるのだろうか。日本一のブランド米を産出する地域の水田一枚に何億円もの値がつけられて取引される状況などもついつい私は思い浮かべてしまう。

そして、村の寄り合い、村祭り。これらはどんどん死語となっていくのだろうか。後継ぎを失い、大型店に客を奪われて次々に店が閉じていく近所の商店街の姿がダブる。農村にも次々とセレモニーホールは建つのだろうか。

今から25年前、1980年に出された木村礎さんの名著『近世の村』(教育社新書)の結び。「共同体としての村の生命は、現代においても日本社会の基礎構造として、形こそ変われ持続されている。」

よろしかったら、村落史研究者の方、ご意見・ご感想をお寄せください。

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コメント

こんな感じで。問題があったらあとでなおします。
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投稿: 高尾 | 2005/02/11 23:58

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