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2005/03/12

巡見~江戸を縦貫する10 地図から消えた浅草新町

江戸の古地図

 古地図を片手に江戸の名残を訪ね歩く人が増えている。そうした需要に応えてのことなのかもしれないが、近世期に発行された江戸図の複製や、それを盛り込んだガイドブックなどが数多く出版されている。以前は、印刷技術もそれほど進んでいなかったせいか、そうした複製をみたあとで、鮮やかに彩色された実物の地図にお目にかかると、作成されてから100年以上たっているにもかかわらず、複製をはるかに上回る実物の美しさに見とれたりもしたものである。ところが最近は、実物と比べて遜色のない複製本も売られるようになった。さらには、色の修正などが施されているせいか、実物よりも美しい(というか、刷り上がった直後の実物はきっとこんな感じだったのだろうというくらい鮮やかな)複製本も売られている。
 これらの地図に描かれた通りの一本一本、町名のひとつひとつを目で追っていると、江戸の町々が生き生きと蘇ってくる思いがする。
 しかし、そうやって蘇生することのない町がある。それは浅草新町である。

浅草新町の消去

 現在、「えた村 俗ニ新町ト云」などといった浅草新町の位置を示す原図の記載は、複製にあたって消去されることが一般的である。“部落問題”への配慮からである。同様の理由で複製にあたって地図上から抹消された文字は他にもいくつかある。
 そして多くの場合、そうした消去作業を施したという説明が複製図にはっきりと書き添えられることはない。それらの複製図の見事さに見とれていると、もともと、浅草新町などという町は、そこに存在しなかったかのようにも思える。というか、実際、浅草新町に関する歴史的知識がなければ、これらの地図を手にした人にとって、浅草新町という町は存在しなかったことになる。

寝た子は起こすな

 “部落問題”の解消のためには、寝た子を起こすな、という主張がある。差別の歴史や部落の位置などを、あいまいにしたり、隠したりし続けていれば、いずれ子や孫の世代では差別のことを知らない人が大多数となる。そうすれば差別は無くせる、というやり方である。逆に、地図などで部落の位置が知れ渡ると、差別が再燃する恐れがあるというわけである。
 今日、東京の町なかにはかつて被差別部落は存在しなかった、という俗説を信じる人が決して少なくないことを考えると、この寝た子を起こすなというやり方が、かなりの効果をもたらしたことは確かだろう。就職や結婚などをめぐる差別が減少しているのも確かであろう。一方、最近目立つのは、いわゆる“便所の落書き”的な嫌がらせの頻発だろうか。

常識

 相手の心を傷つける目的で行われるこのような確信犯的嫌がらせ自体を根絶することは、そもそも困難である。この場合必要なのは、社会一般が、そうした嫌がらせを愚かな“落書き”だと判断できるような“常識”を共有することだろう。
 また、こうした“常識”は、しばしば感情的で短絡的なものになりやすい“同和利権”をめぐる議論を、冷静かつ客観的に受けとめるためにも必須だと思う。
そんな“常識”を形成するためには、被差別部落に関するボカシのない歴史研究と教育を進める必要があるように思えるのだが。どうだろう。
 さらに一般論をつけくわえるなら、我々の社会が過去陥った愚行の数々については、その具体的な様相を知っておく方がよい。自虐的と呼ばれようがなんだろうが、それは絶対必要である。
 差別の問題だって、我々の社会は、差別の対象をときに交替させつつ、似たような愚行を、今日も将来も確実に繰り返す。
 そんなときに「ああ、俺たち、また似たようなバカやってるなぁ。」といちはやく覚醒するための“常識”は、ぜひ皆で共有しておきたい。差別に苦しむ誰かのためにも。そして、時や場所が変われば差別の対象となりうる自分のためにも。

 古地図の問題に戻れば、少なくとも部落解放同盟の中央本部は、かつての隠蔽方針から転換しつつあるみたいだ。江戸の古地図に浅草新町が復活する日はくるのだろうか。

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コメント

ほんとうにそうですね。このブログの発言、貴重です。絵図の複製では被差別部落部分が空白になっていること、あまり知られていないのではないでしょうか? その空白部分は「ウソ」ということになる。複製なのに…。

関係ない話ですが、「野中広務 差別と権力」魚住昭(著)では野中広務の出自と政界の反応についてふれられています。立ち読みしかしてないのでちゃんと買って読まないと…と思っています。

投稿: 高尾 | 2005/03/13 23:17

 コメントありがとう。体調はいかが?くれぐれもご自愛を。

 ところで、私の故郷は広島県の福山という町です。かつてあの地域では、まだ子どもだった私の目にもそれとわかるような、あからさまなかたちの部落差別が身近にありました。そんな状況に応じてのことか、小学校などでは人権教育が熱心に行われていました。ただ、今思うと、そこでは差別の告発といった内容がほとんどで、なぜ差別が発生したのか、という歴史の教育はかなり手薄だったように思います。もちろん歴史の研究が進んでいなかったせいもあるんでしょう。

 いわゆる同和地区とそうでない地区の境界に建つ小学校の校門脇は、近世期、刑場でしたが、そのことは学校でもタブーでした。授業で教材として取り上げた先生は、その後、それが原因かどうか分かりませんが、突然左遷されました。

 野中広務はたしか自伝もありましたよね。ご紹介の本と併せて読んでみたいです。

 話は飛びますが、何度かイタリアの田舎町に行ったことがあります。そこでは自分が黄色人種として差別の対象であることを実感します。観光地化された場所だとそうした差別は感じませんが、そうでない町へ行くと時々。露骨に差別的態度をとるのは若い世代です。侮蔑的なセリフ投げてきたり、横向いて唾吐いたり。人間としても未熟なのでしょうが、大戦におけるユダヤ人虐殺の経験からの世代的遠近なども問題なのかなぁと思ったりすることがあります。年配の人は、時々、こっちが日本人だと分かると喜んで、お決まりの冗句ですが、今度はドイツ抜きでやろうぜ、などと言ったりします。
 差別される立場に自分をおいてみると、いろいろ考え方もかわりますね。むかしの映画トワイライトゾーンにそんな話がありましたっけ。
 学校教育などの場で、自分が差別される悲しみってのを、芝居仕立ての模擬体験などでもって、ひとりずつ、全員が味わってみるのもいいかと思います。わざと手足に重しをつけたり視力を落とすメガネかけたりして町を歩き、体の自由が効かなくなった人のつらさを知るという体験学習がありますよね。あれと同じ。

投稿: 小林信也 | 2005/03/15 10:52

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