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2005/04/01

巡見~江戸を縦貫する11 浅草寺・お寺のアパート

 巡見の一行は、浅草新町をあとにして浅草寺へと向かいます。

猿若町
 まず山谷堀跡を渡り、かつての猿若町を抜ける。猿若町は、天保改革のとき、それまで江戸町方中心部にあった芝居が強制移転させられた先です。明治になると再び芝居は転出していきます。この天保の強制移転と同時に猿若町という地名も生まれました。
 まったくの余談ですが、以前、年代が不明な何枚かの江戸図がいつ作られたのか推定していくという作業をしたことがあります。その際、いくつか設定した指標のひとつが、猿若町の有無でした。猿若町が載ってない地図は(地図屋さんの掲載し忘れじゃなければ)天保改革以前の地図、載っている地図は(この場合確実に)天保改革以降の地図ということになります。他にも、あちこちの埋立地や橋の完成年代なども年代推定の手がかりになります。


浅草寺へ
 そんな話はともかく、かつての芝居町の痕跡すら全然みえない猿若町を過ぎ、しばらく歩くと、浅草寺の裏手にたどりつきます。

 浅草寺の観光案内は巷にあふれています。この巡見では、そんな観光案内には出てこない、ちょっと変わった所で立ち止まってみることにしましょう。

 まずは、お寺のアパート。

お寺のアパート
 浅草寺裏手の一番東端の方、つまり、馬道通りと言問通りとの交差点に立ち、そこから西へ、浅草寺の裏口の方へ行く途中、歩道の左側につづく塀に開けられた木戸口のようなところから中へ入ってみましょう(浅草寺の表側、雷門方面からくると、ここはちょうど浅草神社の裏手にあたります)。

 ちょっと不思議な和洋折衷のデザインの3階建て(だったっけ?)の集合住宅が何棟か並んでいます。それらの建物に挟まれた細い路地を歩きながら、個々のお宅の玄関と勝手口に掛けられた表札をみると、それには「○○院」とか「△△院」とか書いてあります。勝手口の方の札には、丁寧にも「○○院勝手口」とある。そう、ここはお寺のアパートです。ただし、かなりの豪華アパート。脇には高級車も停まっています。(つづく)

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