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2005/04/27

「私の研究は面白いですか?」その8

出稼ぎをする人々
 ここまで、江戸の町人の最多数を占める其日稼ぎの人々について、その居住形態や生計などをみてきました。
ところで、前々回、其日稼ぎの人々の多くは、出稼ぎという働き方をしていた、とお話しました(なお、「出稼ぎ」というのは当時の史料用語です)。
 其日稼ぎの人々のほとんどは、裏店(裏長屋)に住んでいます。裏店というところは、低家賃の賃貸アパートみたいなものです。簡単な内職仕事ぐらいはできるものの、そこは主に寝起きのための空間です。
 其日稼ぎの人々のうち、商売を営む人々は当然、自分の住む裏店から出て、行商、あるいは、床店などの露店商いをやっています。日雇いの人足たちは、それぞれの“現場”へと出かけて働きます。
 職人のうち、大工や左官はそれと同じです。細工物などをする職人はどうでしょうか。これについては、従来、さしたる分析作業もなく、なんとなく「居職」であるとして、つまり、自分の部屋で仕事をしている職人として扱われることがありましたが、その扱いに対して、私は疑問を持っています。詳しい説明は省きますが、従来「居職」とされてきた職人のなかには、親方職人が構える作業場へと出かけていって、そこで仕事をする裏店住まいの職人、つまり出稼ぎの職人が少なからず含まれると思っています。
 仮に、「居職」の可能性について最大限留意するにしても、それを除いた大多数の其日稼ぎの人々は、自分の寝起きする裏店から外へ出かけていって仕事をする、出稼ぎの人々です。
 表店に常設店舗を構える商人や、同じく表店に作業場兼売り場をもつ親方職人たちにおいては、職と住の場所が一致しています。そんな職住一致の表店の人々とは対蹠的に、其日稼ぎの人々の多くは、職住不一致の生活を送っていたのです。

町内完結社会とは
 江戸、および明治初期東京の町人社会の特徴をめぐって、小木新造さんという人が、町内完結社会論を主張しています。小木さんは、江戸東京学を提唱した中心的人物でもあります。
 小木さんは、「小商人、職人、雑業層」といった「庶民」の暮らしに注目しながら、そうした人々の生活はそれぞれの町内で完結する傾向が強かったとして、町内完結社会なる概念を作りました。
 小木さんいわく「町内完結社会とは、・・・ 小商人層、諸職人層、雑業層を主体とする一町内単位の生活圏をいう。その行動範囲も狭く、その生活意識も旧来の“しきたり”“きまり”に拘束され、たえず“世間様”がその生活行動を律する社会で、きわめて封鎖的である。」、「町内完結社会とは、極めて土着的な性格であった。伝統に生き、しきたりに拘束され、いきのつまる要素がないとはいえない。・・・ しかし、そこには逆に現代が喪失してしまった血のかよいあった地縁的人間関係が息づいていたことも見逃してはなるまい。」(小木新造『東亰庶民生活史研究』日本放送出版協会1979、終章および結語より)。

町内完結社会論に対する批判
 しかし、この町内完結社会という概念は大きな欠陥をかかえています。その欠陥とは何か。今回のシリーズ記事をここまで読んでこられた方は、もうお分かりだと思います。小木さんが注目する庶民=「小商人、諸職人、雑業層」といった人々は、このシリーズ記事で取り上げてきた其日稼ぎの人々に他なりません。そして、多くの場合、出稼ぎをする彼らの仕事の場は、町の外にあります。つまり、彼らの生活の特徴は、町内でそれが完結しえない点にあるのです。
 彼らの生活のうち、居住=寝食の要素を最重要視するなら、小木さんのいわれる町内完結社会論も成立します。しかし、社会の仕組みについて考える場合、人々の仕事とそれがおこなわれる場、そこで取り結ばれる社会関係といった要素を捨象してしまうことは不可能だと思います。居住にかかわるあれやこれやよりも、仕事にかかわるあれやこれやの方こそを基本に据え直して、社会の仕組みを考えるべきではないでしょうか。

 つまり、江戸の町人の最多数である其日稼ぎの人々に注目すると、彼ら彼女らが、江戸という都市社会のなかで生き抜くために、自分の住む町の外部世界においてどのような出稼ぎの場を獲得していたのか、という問題が、重要な論点となるのです。

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コメント

おはようございます。

拝読していて途中、え?もしや町内完結社会などという見方で書かれるのか?と思い抵抗を覚えました(笑)。よかった。ドキドキしました(笑)。今の東京や海外の都市も含めて都市は絶対に常に必ず周囲の田舎に支えられています。逆に田舎に支えられていないかのごとく夢を見させる仕組みが「都市」であると思います。研究者がそんな研究者でない人と同じ夢を見たところで普通に言われているありきたりのもの以上のものが提示できるとは確かに到底思えないです。

投稿: bun | 2005/04/29 08:17

 江戸の町人地には、近世後期、だいたい1600個くらいの「町」があるんですが、そんな「町」のひとつひとつが、それぞれの「町」内でもって、閉鎖的な完結したコミュニティを作っていた、という主張が町内完結社会論です。そんな都市内部の小宇宙が、「江戸っ子気質を養成しはぐく」みながら、「同質的地域社会」を形成していた、というわけです。
 現在、右を向けば、髪の毛を茶色にしたフリーター同士で結婚した若者夫婦が子供を虐待し、左をみれば、非・欧米系の外国人が凶悪犯罪をおこしている。そんな日本社会には健全な地域社会の再生こそが必要だ、と考えている人々の多くは、町内完結社会論が描き出す「江戸」にユートピアを見いだすのでしょう。

投稿: 小林信也 | 2005/04/29 23:38

なるほど。失礼ながら
気の小さいことですね。

自分に見えないモノ・コトを存在しないと
決めつけてしまう。
仮説とかフィクションとか理論構築の
足場としてとりあえず組み立てるのなら
まだしも、本気で「事実」や「真実」を
描ききられてしまうので困ったものですね。

小林さんの文章は
そうした不遜と無縁なので安心して読めます。


投稿: bun | 2005/05/01 17:06

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