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2005/04/18

「私の研究は面白いですか?」その6

其日稼ぎ・裏店・出稼ぎ
 
前回、江戸の町人の半分くらいは其日稼ぎ(そのひかせぎ)の人々で、それが町人の最多数であったとお話しました。したがって、江戸の町人社会について考える場合、其日稼ぎの人々について検討することが最重要課題のひとつだともいえます。もちろん、其日稼ぎの人々について検討すれば町人社会がすべてわかる、というものではありませんが、其日稼ぎの人々を視野から欠いた研究は、江戸の町人社会の研究として、かなり大きな欠落をかかえてしまうことだけは間違いありません。
 そんな其日稼ぎの人々の多くは、当時、裏店(うらだな)と呼ばれる場所を居所としていました。今回はその裏店についてお話します。

裏店ってどんなところ?

 先の記事で、其日稼ぎの典型としてその暮らしぶりを分析した床店商人の文蔵も、幡随院門前という名前の町(ちょう)の裏店に住んでいると考えられます。
 では、その裏店とは、どんなところだったのでしょうか。まずは江戸の町人地の基本的構成を簡単に紹介します。そのなかで裏店はどのような位置にあったのか確認しましょう。

江戸の町人地は、町(ちょう)の集合体
 
 江戸時代の後期になると、江戸の町人地は、だいたい1500~1600の町(チョウ)で構成されていました。「花のお江戸は八百八町」と歌うTV時代劇の主題歌も昔ありましたが、「八百八」は修辞表現で、町の実数はその約2倍です。
 これら1500~1600個もある町が、江戸の町人社会の基本単位です。ひとつひとつの町が個別のコミュニティ的性格をもっていました。

その町(ちょう)は、町屋敷の集合体

 さらにズームアップして個々の町の内部をみます。すると、ひとつの町はだいたい10~30個ぐらいの土地区画から成っていることがわかります。その区画を町屋敷(まちやしき)と呼びます。江戸の町人地で土地を所有する場合、この町屋敷を単位にして土地を所有することになります。
 江戸の中心部では、有力な商人が、町の境を超え、あちこちの町でたくさんの町屋敷を所有していました。例えば、三井越後屋などは100個近くの町屋敷を所有しています。したがって、個々の町屋敷をみると、地主自身が住んでいない場所が多くあります。地主は管理人を雇ってそんな町屋敷の世話をさせます。そうした管理人のことを、家守(やもり)といいます。家主・大家とよぶこともあります。
 地主は、自分が住んでいない町屋敷については、他人にその土地を貸したり、家屋を建てて貸したりして、賃貸収入を得ていました。

町屋敷は、表店(おもてだな)と裏店(うらだな)からできている

 そんな町屋敷の内部は「表」と「裏」に分けることができます。「表」とは道路に面した部分で、店舗を建てて商売をするのに適しています。「裏」とは道路から細い路地を入った裏手の部分で、商売には向きません。
 町屋敷の「表」部分の土地や家屋を地主から借りるのは、主に商人や親方クラスの職人たちです。商人はそこに常設店舗を構えます。職人の場合は作業場(あるいは作業場兼店舗)などとしてそこを使用します。同時にこうした商人・職人の居住スペースとしても使用されます。職住一致の空間といえます。この「表」の建物を、表店(おもてだな)と呼びます。
 それに対して、町屋敷の「裏」は主に居住の場です。いわゆる裏長屋が建てられたりします。そこにはさまざまな職業の人が住んでいました。現代の都市における、低家賃の賃貸アパートなんかを思い浮かべてください。おおまかにはそれと似た空間です。ちょっとした内職ぐらいはそこでできますが、基本的には寝起きの場所です。主な仕事はそこから他所へ出かけていってやることになります。この「裏」の建物を、裏店(うらだな)と呼びます。

出稼ぎに生きる裏店の人々

 幡随院門前に住む文蔵も、上野山下の床店へ、つまり、自分の住む町の外へと出かけて商売をしています。こうした仕事のしかたを、当時の言葉で、出稼ぎといいます。江戸の裏店に暮らす人々の多くは、こうした出稼ぎで生きる人々です。

予告
 次回は、裏店の人々の社会的な位置について、もう少し考えてみましょう。次回をふくめて、あと3、4回でこの「私の研究は面白いですか?」シリーズも完結したいとは思っています。ちょうど10回で終われるとキリがいいですね。

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コメント

そうなんですよね。宵越しの・・・っていいますものね。でもすっかり貯蓄率が高い国民となってしまっていますが、どこからどのような転換があって、そうした経済行動の変化が表層文化にどのような影響を与えたのか、興味深く思います。

♪男だったら一つにかける
  かけてもつれた謎を解く

そんな快刀乱麻ぶりを
今後のシリーズ展開に期待しています。

投稿: bun | 2005/04/18 13:57

こんにちは、bunさん。またまた素早いコメント、ありがとうございます。

宵越しの・・・ってのは、まあ、多分につよがりというか、やせ我慢というか。貯蓄したくてもできないのが、江戸の其日稼ぎの人々だったと思います。

こうした広汎で分厚い「都市下層社会」が、近現代において変容し、貯蓄好きの?「中流社会」が成立していく歴史過程については、中川清さんという社会学者の研究が秀逸だと思います。勁草書房から『日本の都市下層』『日本都市の生活変動』という本が出ています。

近現代の都市で築き上げられてきた「中流社会」が脆くも崩壊し、二極化した社会へと移行しつつある今、もう一度、中川さんの本などを読みつつ、20世紀の都市社会史を整理してみる必要があるように感じます。

投稿: 小林信也 | 2005/04/18 18:06

ご教示ありがとうございました。おっしゃるとおりだと思います。下層候補筆頭としてではありますが(笑)前向きに楽しく生きる術を先輩方から勉強させていただきたいと思いました。

投稿: bun | 2005/04/19 12:44

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