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2005/04/13

「私の研究は面白いですか?」その5

床店商人の生活

 床店商人である文蔵の暮らしぶりについて、もう一度整理してみましょう。
 基本となる稼業は、上野山下に出した床店での商売です(床店撤去後は同所の路上販売)。ただし、それだけでは生活が成り立たず、様々な賃仕事も並行してこなしています。
 そうやって、その日、その日に得た収入でもって、なんとか暮らしています。

江戸の町人の代表は其日稼ぎ

 このような渡世のスタイルを、当時は、其日稼ぎ(あるいは其日暮らし)と呼びました。其日稼ぎの彼ら彼女らがたずさわる仕事の種類は多様ですが、その所得形態や生活レベルの共通性でもって、おおきくひとまとめに把握しうる人々です。

 江戸時代後期、江戸の町人の人口は、だいたい50万人から60万人の間です。そのなかに含まれる其日稼ぎの人々の正確な数は不明ですが、飢饉や災害のときに実施される救済事業などの見積もりでは、江戸の町人の半数が其日稼ぎの人々であるとされています。

 残りの半分の人々は、表通りに店を構える商人、親方と呼ばれるような上層の職人、ごく一部の大商人、それからそうした商人の店で雇われて働く奉公人などです。
 其日稼ぎの人々を除いた、江戸町人の残り半分にあたるこれらの人々は、その所得形態や生活レベルの差にもとづいて、さらにいくつかの異なるグループに分かれるはずです。
 そうしてみると、渡世のスタイルに注目して江戸の町人を分類するとき、まずは「其日稼ぎの人々」という範疇が最多数であることは間違いなさそうです。

江戸町人社会における文蔵たちの位置

 つまり、文蔵とその家族は、当時の江戸町人社会において最も広汎にみられるタイプの人たちだったわけです。この家庭の場合、早くに父親を亡くすという特殊事情はありますが、貧窮・貧苦に彩られたその生活は、江戸の民衆生活の典型であり、特に珍しいものではないのです。

 次回は、文蔵たち江戸の都市民衆の多くが生活していた、裏店(裏長屋)の空間についてお話します。

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コメント

まだまだ江戸の人たちが
普通にしていた知恵が眠っていそうですね。
長屋ってとんと見なくなりました。
核家族化が要因として大きいんですかねぇ・・・
「文化住宅」にとって替わったんですかね・・・

中部地方に住む私が一番最近見た
長屋らしい長屋は
岐阜県関市のウナギ屋さんでした。
結構おいしいと評判です。

投稿: bun | 2005/04/15 07:42

こんにちは、bunさん。
たしかに、裏長屋みたいな建物が、大都市においていつ頃から減少していったのか、気になりますね。
裏長屋にかわるものは、低家賃の賃貸アパートかもしれません。

投稿: 小林信也 | 2005/04/15 15:55

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