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2005/05/20

巡見~江戸を縦貫する14 消えた公園風景

 現在、建っている浅草寺の本堂(観音堂)は、昭和33年落成の鉄筋コンクリート造りです。江戸時代初期に建てられた前の本堂は、残念ながら戦災で焼失してしまいました。炎に包まれ焼け落ちる本堂をみて、浅草寺の関係者はどれほど辛い思いをしたことでしょう。


消えた公園風景
 
 ところで、現在の本堂が誕生する裏で、消え去っていった浅草の風景がありました。浅草の古い写真などをみると・・・たとえば、有名な浅草十二階(凌雲閣)の写真には、しばしば建物の手前に大きな池が写っています。明治期に造成された大池・瓢箪池です。

 昭和26年10月、公園地の全面的な解除を勝ち取った浅草寺が、元公園地内で最初にてがけた大きな事業が、この大池・瓢箪池の売却でした。この事業の背景については、浅草寺が本堂落成の年、昭和33年に刊行した『昭和本堂再建誌』に、次のように記されています。
 「(公園地)解除返還のあかつきには純粋に境内地として必要な部分を除いて、すでに東京都が貸付けていた土地および境内地として重要でない部分を処分して、一大娯楽地に提供し、その代償によって本堂再建の自己資金に充てようという案で、通称六区のひょうたん池、実は四区大池も埋立てる予定であり、これは当時の住職大森亮順大僧上の英断によるものであった」。
 つまり、池なんぞ、浅草寺にとって必要ないから、それを売っ払い、そうして得た金で立派な本堂を建てよう、というのが大池・瓢箪池売却事業のねらいのようです。こうして池のある区画は東宝その他が買収し、池は埋立てられ、跡地には映画館や娯楽施設が建てられます。これら施設にもその後、変遷があり、今の場外馬券売り場WINDSの場所が、かつての大池の北半分にあたります。
浅草寺はこうして手にした資金でもって本堂再建を推進。昭和27年4月には上棟式がおこなわれ、33年10月の完成にいたります。


「大池無残」

 ところで、この大池・瓢箪池の売却に対して、浅草を愛する人の中には複雑な思いを抱いた人も少なからずいたようです。昭和41年発行の『台東区史 社会文化編』も、「大池無残記」という見出しを付し、浅草寺に対する批判的なニュアンスを色濃くにじませた記述で、この売却事業を紹介しています。

 私、個人的には、まあ、浅草寺の気持ちも理解できるかな、って感じです。宗教者ってのは、たいてい、大きな建物が好きみたいだしね。お参りに行く人だって、建物がでっかい方が、なんとなく、ありがたみを感じるし。
 自分の土地を勝手に公園地にされて、さらには池まで掘られちゃった浅草寺の人々にしてみれば、その池に対する愛着など持ちようもなかったんでしょう。

 さて、浅草公園が廃止され、自由に処分できるかたちの巨大な資産を浅草寺が我がものとしたのは、上に書いたとおり、昭和26年のことです。ただし、その前年の昭和25年には、公園廃止方針はほぼ固まっていたようです。
 そんな時期、浅草寺はもうひとつ、大きな動きをみせます。25年8月、浅草寺はそれまで所属していた天台宗を離脱して、独自の宗派、聖観音宗を設立しました。なぜ、このタイミングで浅草寺が天台宗を離脱したのか。それがよくわかりません。浅草寺側のコメントでは「宗制上の複雑な事情」とか「全く止むなき種々の因縁」によるんだそうですが・・・。
 いったい、どんな「複雑な事情」があったんだろうか?本当は、すごく単純な話だったりしないのかな。当時の新聞や雑誌の記事をさがせば、色んな「裏話」もみつかるのかもしれません。まあ、いつか機会があったら調べてみよう。

 次回は「浅草寺の闘い・近世編」です。

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