「私の研究は面白いですか?」その9
前回のおさらい
江戸の町人社会を構成する多数の町のひとつひとつが、閉鎖的で完結したコミュニティを形成していて、人々はそんな小宇宙のなかで毎日暮らしていた、という町内完結社会論。この町内完結社会論がもつ欠陥については前回、説明しました。
簡単におさらいすると、江戸の町人の大半を占める其日稼ぎの人々の多くは、町内の裏店に寝起きしていて、仕事をするときは自分が住む町の外へと出かけていく、いわゆる出稼ぎの人々です。つまり、彼ら彼女らの生活の特徴は、自分たちの住む町内で完結しえない点にこそあります。 したがって、町内完結社会論はこうした人々の生活実態を総合的に反映したものとはいえません(その一方で、道路に面した区画=表店に、常設店舗や作業場を構える商人や職人などといった、相当の資産を有する階層についていえば、その生活は職住一致が基本ですから、町内完結社会論はある程度有効かもしれません)。
町内完結社会論の誤った応用について
このように町内完結社会論は、町の内部を把握する学説としては、大きな問題を抱えているわけですが、さらには、町の外部について考える場合においても、誤って応用されてしまう傾向があります。
町の外部に対する誤った応用のされ方とはどんなものか、簡単に説明しましょう。
町内完結社会論の立場からいうと、江戸の町人の多くは、それぞれが暮らしている町内において閉鎖的で完結した社会を形成していたわけですから、人々にとっての日常社会とは、各自が住んでいる町内社会を中心としたものになります。
一方、町の外部はどうなるか、というと、いきおい、人々にとっての非・日常社会という扱いを受けやすくなります。江戸の町々の住人がよく出入りする町の外部空間とは、具体的にいうと、広小路や明地、あるいは寺社境内などといった広場=オープンスペースが該当します。町内完結社会論を応用すれば、それら非・町内の空間においては、非・日常社会が展開していた、という説がたてやすくなります。
網野善彦さんの無縁論との合体
さて、実際にこうしたかたちで町内完結社会論が応用されるには、別の学説の大きな影響がありました。その学説が、網野善彦さんの無縁論です。
私有地である町屋敷を基礎単位に成立している町。その町内に定住する人々が形成する濃密なコミュニティ。そんな町内社会がまさに有縁の社会であるのに対して、町の外部空間である広場=オープンスペースには、網野さんの注目した無縁の原理が生きている、という流れで論理が展開します。
このような町内完結社会論と無縁論との応用から生まれた江戸研究には様々なものがありますが、私はそれをとりあえず一括して、盛り場論と呼んでいます。
次回は、そんな盛り場論の代表例を紹介し、批判的に検討することにします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
小林さんおはようございます。農村における入会地の議論はしばしば目にしますが・・・次回も楽しみにしております。
投稿: bun | 2005/05/14 06:37