教育の資格
今、論文を書いている。3本くらい同時進行だ。論文を書くのは好きだから、こうやって執筆仕事があるのは、嬉しい限りである。ただ、我ながら、困ったクセがある。締切をにらんで余裕ある執筆進行というものができない。編集の方々、ごめんなさい。そんなわけで、1本は校正、もう1本は註や図表作成、もう1本は本文を書き進める、といった作業を平行して行うハメにおちいっている。間違っても器用とはいえない私にとっては、なかなか難儀である。そうそう、明日の講義2コマの準備もしなくては。
そんな状況をさらにややこしくしているのは、さっき学校から帰った娘である。「宿題をしろよ。」というと、「土・日があるから大丈夫。」と言い返してくる。もちろん、私の娘だから、結局、日曜の深夜になって、やっと、べそを書きながら、漢字ドリルをやったりするのが、いつものパターン。こっちは、それが分かっているから、少し厳しく「今のうちにやっておかないとダメだ。」と言うと、今、不承不承、宿題をやり始めた。
そうやって娘を叱りながら、「他人のことは言えねぇよな、まったく。」と、自己嫌悪しながら、執筆作業続行。どうせ、宿題が終わったら、筆箱やらノートを出しっぱなしにしてしまう娘に対して、また、「ちゃんと片づけないと、学校行く直前に、あれが無い、これが無いって騒ぐことになるよ。」と説教するんだろうな。そんな私の机の上、さらにはイスの周りの床は、史料やら参考文献でグチャグチャ。註で参考文献のデータを載せようとしても、行方不明の本を探すのに一苦労だ。
こんな私に、娘に説教する資格はあるのか?
昔、学生時代、オーケストラにいた。金管楽器をやっていたが、その方面の才能は著しく欠如していた。それでも学生オケの常として、上級生になると下級生を指導しなくてはならない。もちろん、自分よりちゃんと楽器が吹ける下級生ばかりだ。それでも自分に指導する資格はあるのか?
そのオーケストラのある先輩が言った。「それでも胸張って指導すればいいんだぞ。」と。「じゃないと、下手な先輩をもった後輩は上達できないってことになるから」。
自分が思うように楽器が吹けないとしても、「こんなふうに吹けたらいいのにな。」という理想像はある。それをもとにして、下級生を指導すればよい。自分ができないからといって萎縮せず、その下級生ができそうなことならどんどん要求していけばよいと。いや、むしろ、そうやって指導するのが義務だと言われた。
まぁ、そんなことを思い出しつつ、宿題が終わった娘には、やっぱり、ちゃんと片づけをさせよう。その後で、そんな娘を見習うことで、私もちょっと悪習を変えなきゃね。
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