« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005/11/25

お江戸日本橋と都市景観その4

経済優先から景観優先へ?
 日本橋の上空をふさぐ首都高の高架を撤去すべきだと主張する人は、おおむね、この事業は、これまでの経済優先の町づくりから、景観という文化的価値を優先した町づくりへの転換を象徴する、画期的な事業だという。だから、巨額の費用も惜しくないと。

日本橋通りのスカイライン
 そういう景観重視の人は、日本橋の北詰に立って、神田方向に目を向けるといい。左斜め上空を、新築の超巨大な高層ビルがふさいでいる。次に、橋の南詰に移動して、銀座方面を見るといい。やはり左斜め前方に、ガラスで覆われた壁面がやたらピカピカして目に障る高層ビルが立ちはだかっている。
 かつては、建築物の高さが31メートルに制限され、統一的なスカイラインをつくっていた日本橋通りにあって、南の方のピカピカビルは高さ約120メートル。北の方の巨大タワービルは、なんと、高さ約200メートル。めちゃくちゃでしょ?

容積率緩和と都心再開発
 このような法外な高層ビルの出現を許したのは、例の容積率緩和政策である。この政策の主たる目的は、都心部再開発の促進による経済の活性化。
 経済優先の町づくりから、景観重視の町づくりへ転換することを主張する人は、もちろん、経済優先主義の権化であるこれら高層ビルを見逃すはずはなく、首都高の高架撤去と同時に、これらビルの撤去をも主張してるに違いない、と思ったが、そうした主張は全然聞こえてこない。
 あれれ、変だなぁ。見落としているのかな。
 二つの高層ビルを建てた大手不動産会社が、その一方で、景観再生を掲げて日本橋の上の高架撤去運動を熱心に後押ししているという自己矛盾については、まあ、商売人のご都合主義だと思えば、かろうじて愛嬌も感じられる。
 私が理解できないのは、かつて、容積率緩和政策の問題点を舌鋒鋭く指摘していた都市計画や建築の専門家たちが、この日本橋再生事業に対しては、表立った批判をこれまで展開していない点である。むしろ、一部はこの事業に協力しているようにも見える。まあ、これも愛嬌かな。

やっぱり醜い?
 ちなみに、私は、景観優先主義者ではない。街並みのスカイラインなんて、がたがたで構わないし、交通の安全さえおびやかさなければ、電柱がたくさん立っていても平っちゃらである。
 そして、われわれの生活を支えてくれる公共的建造物が日本橋の上を覆っている光景をみて、それが許せないほど醜い景観だとも思わない。
 一泊何万円もする超高級ホテルやら、外資系の巨大金融機関のおしゃれなオフィスやらがみんなの空をふさぐ景色よりは、いくぶん“美しい”気もするんだけどな。(もう少しつづく)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/11/21

お江戸日本橋と都市景観その3

親水公園の複写
 日本橋の景観再生プランなるものをいくつか眺めてみると、多くの場合、日本橋川筋に河川敷の遊歩道を設けている。ところが、歴史上、日本橋川筋に河川敷の遊歩道などが存在したことは一度も無い(はずだ)。
 つまり、これらの再生プランは、歴史的な景観を復元するものではなく、日本橋周辺に新規の親水公園を造成しようとしているわけだ。
 しかも、それらプランに添えられたマンション広告風の「完成予想図」をみると、今、日本中で増殖している、地域の歴史やら特性やらを無視した、水と緑の親水公園なるもののコピーが、そこにはしばしば描かれている。
 あるいは、ソウルの清渓川や大阪の道頓堀川のコピーというべきか。
 どこに行ってもそっくり同じコンビニの店構えみたいだね。

都市再開発事業の複写
 さらには、その公園整備にともなって川沿いのビル再開発がなされたとして、そこに生まれるのが、六本木ヒルズやら汐留みたいな空間だとしたら、それはもうまるで悪い冗談だろう。
 粗悪な大名庭園やら停車場の模造品が言い訳みたいに添えられて、あとは似たり寄ったりの商業ビジネス空間が広がるそれら都市再開発区域の、日本橋は何番煎じになるのだろうか。

ハコモノ行政?土建行政?
 別に私は、日本橋周辺に、かつては存在しなかった親水公園の典型風景が創出されたり、没個性の再開発事業が行われたりすること自体に、強く反対するつもりはない。
 ただ、それなら、これらプランは、単に、新しい景観づくりとか環境整備事業とか名乗ればいい。歴史や伝統の復元だとか再生だとか名乗るのは、少々恥ずかしくはないのだろうか。
 また、数千億円(そのうちの半分くらいは都民の税金?あとは首都高の料金収入?まさか、国のお金は使わないよね?)ものお金を使って、首都高の高架撤去という、再開発前の整地作業をしてくれてやることは、あまりに無駄だし、不当だとも思うのである。
 そして、首都高の高架撤去は、そのまま、地下か別の場所かでの首都高建設事業である。関連業界としては、よだれの出るような事業なんだろう。かたちを変えたハコモノ行政だという、五十嵐太郎の指摘は正しいように思える。いやいや、ウケが悪くなった「経済効率」の代わりに、「歴史」とか「伝統」とかを謳い文句に掲げた土建行政なのかもしれない。(つづく)

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/11/19

大宮ベネチア復活

 記事末尾の2008年2月・7月の付記もお読みください。
 最新情報:小川シェフが古巣ベネチアに戻られて新シェフに。2008.7.30.
 大宮のリストランテ・ベネチアに関する新しい記事2008.8.6.はこちら
 2009.3.付記ベネチアの元シェフの飯岡由多可さんは、現在、中野富士見町のRabyにてシェフをつとめていらっしゃいます。

 まっとうなイタリア料理がまっとうな値段で食べられた希有なお店、笹塚サルサズッカ小川シェフが退店し、イタリアへ行ってしまうという話を聞いてガッカリしていたところ、うれしい知らせ。(2008.2.27.付記 小川シェフは現在、西新宿の住友ビル51階にあるリストランテ・ウーノのシェフとしてご活躍中。一度行きました。抜群の夜景も楽しめるお店です。ホールの澤木さんは、小川シェフとイタリア・マルケのお店で一緒に働いたこともあるという、熱心でチャーミングな女性です。)(2008.7.30.小川シェフが大宮ベネチアに戻られました!)
 事情があって一時閉店していた大宮の名店ベネチアが、今月初に移転復活。シェフはもちろん、飯岡由多可シェフ。本当にうれしいです。
 ちなみに、ベネチアはサルサズッカの小川兄弟が修業されたお店です。ベネチアの料理とサルサズッカの料理とはタイプの違いもありますが、サルサズッカの料理にみられる、ベーシックな力強さや、ていねいな仕事ぶりは、あきらかに、ベネチアの料理を受け継いだものです。
 復活したベネチアには、一度、ごあいさつがてら、ランチに行きましたが、その後、ディナーは予約一杯で入れず、まだ行ってません。待ちかねていた常連客が、大喜びで押し掛けているのでしょう。まあ、いずれそのうち。 その折には、このブログで報告しましょう。
 大宮ベネチアのファンでこちらのブログにお出でくださる方もいらっしゃるようですから、新しいアドレスを書いておきます。大宮駅からは歩いて15分くらいでしょうか。氷川神社の参道の方、大宮図書館のすぐ南、清水園という結婚式場の通りをはさんだ向かいです。
 
リストランテ・ベネチア 330-0841さいたま市大宮区東町2-228-1鈴木ビル1F
 月曜定休、席数が少ないので事前に予約がおすすめ。電話は以前と同じ 048-643-2000

2008.2.2.付記:
 2007年末、ベネチアの経営者が変わりました。当面は元オーナーも飯岡シェフも引き続きお店に出るということでしたが、結局、シェフは交代し、元オーナーも店を去られるようです。
 新生ベネチアはどうなっていくのでしょうか。先日、一度ランチを食べました。パスタコースを食べてる途中で気が変わってアラカルトでお願いしたセコンド、鴨のもも肉の煮込みは素晴らしく美味しかったです。受け継がれるべきベネチアのコンセプトがその料理には活きていたように思いました。ホール担当の方もとても優秀です。もう何度が食事してみて、あらためてレポートしましょう。

2008.2.27.付記: 
 その後、ランチのみですが、2回ほど行きました。計3回、毎回、いちおうアラカルトのセコンド、ドルチェまで食べましたが、本当は、肝心のディナーに行かないであれこれ評価しちゃいけないですよね。その点は勘弁してください。

 結論から言って、「ひじょーにお薦め!」 初回はシェフ交代・再オープンの直後だったせいか、若干の??もありましたが、その後すぐに、問題は解消されたように思います。そうしたことからも、お店のやる気が伝わります。

 門平シェフの料理は、完全に私の好みです。ベネチアに来られる直前、アブルッツォで研修されたそうです。私自身、アブルッツォ州へは、州都のアクィラへ一度行っただけですが、そこで食べた料理はなかなか印象的でした。一言で言うと、濃さ・力強さのある充実した料理でした。といっても、北イタリアのようなしばしばバターやクリームを使った料理の濃さではなくて、熟成した肉やチーズ・味の濃い野菜などにもとづく強さ・濃さが特徴ではないかと感じました。門平シェフの料理には、食べ手が持て余すようなくどさはありませんが、そうしたアブルッツォ料理のパワーがしっかりと息づいているようにも思います。
 そこら辺の小洒落たイタリア料理店で出てくるような、からまない具がナントカ産のナニナニという肩書きでもってもっともらしく載せられたアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ系パスタ、雑炊みたいなあっさりリゾット、サラダの上にちょこちょこっと肉を添えたようなセコンド。そんなひ弱なイタリア料理に飽き足らない人はぜひベネチアに行ってみてください。かつてのベネチア・ファンもきっと満足できる料理だと思います。
 
 ホールの伊藤店長のサービスも好感が持てます。うちの小学生の子どもたちも居心地よく馴染めたみたいです。キッチリしたサービスとフレンドリーさとが両方あって、そんなところもイタリアっぽい気がします。日曜日、午前中の礼拝も終わり、家族そろって(あるいは一族そろって)外食を楽しんでいるイタリアのレストラン風景が特に好きだと店長さんに話したら、「私もそうなんです。」と共感してもらえました。子連れの外食派にはとってもありがたい。ホールひとりで、混みあったときには大変そうですが、その辺の事情はお客が察してあげても良いかな。(なお、伊藤さんは今月いっぱいで一度お店からあがられるそうです。復帰のセンもあるみたいです。我が家一同、お帰りをお待ちしております。)
 
 それから、特筆すべきはワイン。3000円台・4000円台でしっかりと美味しいワインがあります。個人的に、コース料理の代金を上回る値段のワインをメインに置いてるようなリストランテには不満を持っていましたが、これなら文句なしです。そして、もし7000円8000円だせば、マニアでもきっと大満足っていう良質のワインがそろってます。こうしたワインの充実ぶりは、ディアボラやアズーリといった、ワイン売り上げの多い店の系列に加わったことで実現したものだとか。かつてのベネチアの個性的なリストと比べると八方美人的なリストかもしれませんが、その分、誰でも満足できるバランスのとれたラインナップだと思います。

2008.7.30. 付記
 小川さんがベネチアの新シェフに。大宮ベネチア出身で、笹塚の伝説的名店サルサズッカのシェフをされて、その後、渡伊、それから新宿のリストランテ・ウノのシェフになられていた小川さんが、古巣のベネチアに戻られました。復帰のご連絡をいただいたものの、まだベネチアには行ってません(といっても連絡は昨夜いただきました。今日明日にでも行きたいな)。
 小川さんは、かつてのベネチアの伝統をしっかり受け継いでいる人だと思っています。その上で、小川さんの料理には、独特のセンスが輝きます。新宿のリストランテ・ウノの頃は、なにかと制約が大きいなかで健闘されているなぁと思いつつ、サルサズッカの頃からの小川ファンのなかにはちょっと残念に感じる人もいらっしゃるのではないかと正直危惧していました。まあ、そのくらい、サルサズッカはすごいお店だったもん(それについてはこちらの記事を)。で、たぶん、今回ベネチアに戻られて、その制約がかなり減ったことは確実でしょう。
 なるべく早めにベネチアへ行って、またレポートします。きっと、得意料理のポタッキオ(マルケ州あたりの郷土料理で、鳥類やウサギなどの煮込み)がベネチアでも食べられるんだろうな。すっごい楽しみ。

 ベネチアからご案内お知らせなどについては、こちらのブログ「Azzuri新聞」に行って、「姉妹店ベネチアより」のカテゴリー記事をご覧ください。
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

お江戸日本橋と都市景観その2

 日本橋周辺の首都高の高架を撤去して、歴史と伝統の都市景観を再生しようという運動に対して、疑問を投げかける数少ない論者が建築家の五十嵐太郎だ。
 首都高の高架がある都市景観を、無条件にみにくい景観としてしまってよいのか?場所によっては(あるいは今から何百年後には)首都高の高架(あるいはその廃墟)が生む景観美もあるのではないか?これが五十嵐の疑問だ。大筋で私も同感。
 で、五十嵐は、こうした疑問をもとに、高架撤去事業について、これはかたちをかえたハコモノ行政であり、それにあえて超巨額の費用を投じる必要性がない、と主張する。また、誇るべき「歴史と伝統」の再生を訴える人々の声の中に、ナショナリズムとの共鳴をききとっている。(つづく)
  参照文献:五十嵐太郎「日本橋と首都高」 
  (吉見俊哉・若林幹夫編著『東京スタディーズ』紀伊国屋書店、2005年)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/11/11

お江戸日本橋と都市景観

日本橋の景観を取り戻せ!?

 今、東京都心は、あっちもこっちも都市再開発事業の花盛りみたいだ。
 たとえば、東京駅の西では、三菱地所が、自分の庭である丸の内のリニューアルにいそしんでいる。一方、駅の東、日本橋を中心とする地域では、三井不動産がとても元気。日本橋三越の隣にある三井本館のそのまた隣には、高層の三井タワーが出現した。
 この日本橋地区において、地域再活性化の目玉になる可能性ががぜん高まってきたのが、日本橋周辺の景観再生である。

みにくい景観?

 現在の日本橋は、橋の上を覆うように、首都高速の高架が走っている。この風景(ここここをご覧下さい)は、しばしば、現代日本の、みにくい都市景観の代表例として扱われてきた。歴史と伝統のお江戸日本橋を、経済効率優先の象徴ともいえる首都高が押しつぶさんとしている、という図式だと説明されると、なるほど、誰にでも分かりやすい。
 そこで検討されているのが、日本橋川筋区域の首都高の高架を撤去しようという計画である。高架を撤去された首都高はどうなるか、というと、地下に潜らせるとか、あるいは、川沿いに連築したビルの内部を貫通させるとかいった代替策が出されているらしい。

無駄なんじゃなかろうか?

 なんで今更そんな大工事が必要なのか、私にはまるで理解できない。高架を取り去ったからといって、「歴史と伝統」の日本橋の景観が復活するわけでもなかろうに。
 疑う人は、日本橋三越前あたりに立ってみて、目の前に掌をかざし、首都高の高架部分だけを視界から隠してみればいい(実際、この前、私はやってみた)。そこにあるのは別に珍しくもない、川岸いっぱいまでビルが建てこみ、道には車があふれているといった、どこにでもある日本の都市の風景だ。
 あるいは、日本橋の上まで行って頭上を見上げる。そこで一瞬目を閉じて、そこに高架が無い状態を想像してみるといい(これも実際やってみた)。両岸のビルの間に、狭い空が見えるだけのことだ。仮に、その空に見とれることができたからといって、あまり長い間、頭上ばかりを見つづけない方がいい。うっかりよろよろと歩道をはみ出して、橋の上をビュンビュンと通過する自動車にはねられてしまっては馬鹿らしいから。

 そんな「景観再生」とやらに何千億以上の金を浪費するのは、やっぱり止した方がいいよ。

 半分皮肉で提案するけど、どうせ金を使うなら、今の日本橋を壊して、江戸時代みたいな木でできた日本橋を復元してみたら?首都高の高架からは照明をあてて夜間はライトアップしたら、さぞかしきれいだろう。どこぞの博物館のレプリカよりは見ごたえがあると思う。もちろん、車は進入禁止。で、この橋周辺を、江戸時代っぽく、テーマパーク風の整備をする。日光なんとか村よりはかなりいいセンいくんじゃないかな。観光の目玉としては、そこそこ使えるんじゃなかろうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »