お江戸日本橋と都市景観その4
経済優先から景観優先へ?
日本橋の上空をふさぐ首都高の高架を撤去すべきだと主張する人は、おおむね、この事業は、これまでの経済優先の町づくりから、景観という文化的価値を優先した町づくりへの転換を象徴する、画期的な事業だという。だから、巨額の費用も惜しくないと。
日本橋通りのスカイライン
そういう景観重視の人は、日本橋の北詰に立って、神田方向に目を向けるといい。左斜め上空を、新築の超巨大な高層ビルがふさいでいる。次に、橋の南詰に移動して、銀座方面を見るといい。やはり左斜め前方に、ガラスで覆われた壁面がやたらピカピカして目に障る高層ビルが立ちはだかっている。
かつては、建築物の高さが31メートルに制限され、統一的なスカイラインをつくっていた日本橋通りにあって、南の方のピカピカビルは高さ約120メートル。北の方の巨大タワービルは、なんと、高さ約200メートル。めちゃくちゃでしょ?
容積率緩和と都心再開発
このような法外な高層ビルの出現を許したのは、例の容積率緩和政策である。この政策の主たる目的は、都心部再開発の促進による経済の活性化。
経済優先の町づくりから、景観重視の町づくりへ転換することを主張する人は、もちろん、経済優先主義の権化であるこれら高層ビルを見逃すはずはなく、首都高の高架撤去と同時に、これらビルの撤去をも主張してるに違いない、と思ったが、そうした主張は全然聞こえてこない。
あれれ、変だなぁ。見落としているのかな。
二つの高層ビルを建てた大手不動産会社が、その一方で、景観再生を掲げて日本橋の上の高架撤去運動を熱心に後押ししているという自己矛盾については、まあ、商売人のご都合主義だと思えば、かろうじて愛嬌も感じられる。
私が理解できないのは、かつて、容積率緩和政策の問題点を舌鋒鋭く指摘していた都市計画や建築の専門家たちが、この日本橋再生事業に対しては、表立った批判をこれまで展開していない点である。むしろ、一部はこの事業に協力しているようにも見える。まあ、これも愛嬌かな。
やっぱり醜い?
ちなみに、私は、景観優先主義者ではない。街並みのスカイラインなんて、がたがたで構わないし、交通の安全さえおびやかさなければ、電柱がたくさん立っていても平っちゃらである。
そして、われわれの生活を支えてくれる公共的建造物が日本橋の上を覆っている光景をみて、それが許せないほど醜い景観だとも思わない。
一泊何万円もする超高級ホテルやら、外資系の巨大金融機関のおしゃれなオフィスやらがみんなの空をふさぐ景色よりは、いくぶん“美しい”気もするんだけどな。(もう少しつづく)
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コメント
so@パパになりました、です。エントリー拝見。
「それが許せないほど醜い景観だとも思わない」というところは、感想が異なりますが(^_^;)、「都市再生」の欺瞞と、それを適切に批判できない学会(の共犯関係?)に対するご批判には同感します。
「経済最優先」の価値観を静かに告発し続ける「屈辱の記念碑」(by安丸良夫)として、日本橋の現況を「保存」することには、それなりに意味があるのかも知れませんね。
投稿: so | 2005/12/07 14:12
えっ、パパ!? おめでとうございます。詳しいお話はまた聞かせて下さい。連絡します。
今回、日本橋の景観や再開発について、少しこだわってみたのは、これが、東京の現状や都心で今はやりの「まちづくり」について考えるための良い素材だと思えてきたからです。というわけで、たしかに、安丸さんのおっしゃるとおり、「告発」の「記念碑」としての役割はあるんだなぁとあらためて感心。さすが天下の日本橋!
問題なのは、「経済最優先の価値観」に対置すべき、都市の価値観とはいったい何なのかということでしょう。そこが一番重要だと思います。その価値観を体現する具体的な日本橋像を人々がまったく見出せていないうちならば、今もけなげに経済的役割を果たしている高架は許容してもいいだろう、というのが私の思いです。
そこの議論があまりにあやふやな現状で、口先だけ、「経済優先」にかえての「文化価値」を唱えて高架を撤去しても、それは、バブル期にあちこちの自治体が行った音楽ホールや美術館づくりと何も変わらない。五十嵐太郎さんのおっしゃる、かたちをかえた「ハコモノ行政」だという指摘のとおりだと思っています。
まあ、日本橋川に流して捨てるほどお金があり余って困っているなら、高架撤去でもなんでもやってしまえばいいとは思いますが。
高架が日本橋にのしかかる、という構図はあまりに分かりやすい。その分かりやすさこそが、もしかしたら、本当に重要な問題の所在を分かりにくくしているのではないか、とも思います。
投稿: 小林 | 2005/12/08 10:49