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2005/11/19

お江戸日本橋と都市景観その2

 日本橋周辺の首都高の高架を撤去して、歴史と伝統の都市景観を再生しようという運動に対して、疑問を投げかける数少ない論者が建築家の五十嵐太郎だ。
 首都高の高架がある都市景観を、無条件にみにくい景観としてしまってよいのか?場所によっては(あるいは今から何百年後には)首都高の高架(あるいはその廃墟)が生む景観美もあるのではないか?これが五十嵐の疑問だ。大筋で私も同感。
 で、五十嵐は、こうした疑問をもとに、高架撤去事業について、これはかたちをかえたハコモノ行政であり、それにあえて超巨額の費用を投じる必要性がない、と主張する。また、誇るべき「歴史と伝統」の再生を訴える人々の声の中に、ナショナリズムとの共鳴をききとっている。(つづく)
  参照文献:五十嵐太郎「日本橋と首都高」 
  (吉見俊哉・若林幹夫編著『東京スタディーズ』紀伊国屋書店、2005年)

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コメント

都留文科大学の「都市論」の授業でお世話になっております、イシザキと申します。

自分自身、将来行政の仕事(市役所)を目指す身であるので、このような都市景観と開発について考えることがあります。
自分は双方の中和点、つまりちょうどいい点(結果がどうであれ)であればいい、と考えています。
この場合、住民や観光客にアンケートなどを用いて意見をとってみるなど、中和点を見つける手段はいくつか存在すると思います(実際、理想論でしょうが…)。

ところで、明日の「巡見」についてなのですが、参加させていただくつもりでいるので、どうかよろしくお願いいたします。楽しみにしております。

それでは、失礼します。

投稿: イシザキ | 2005/11/19 16:58

 イシザキさん、早速のコメントありがとうございます。
 都市論の講義では、今読んでる北田暁大さんの本が終わったら、いわゆる、まちづくり、あるいは、都市景観などに関する文献を読もうか、とも考えているところです。
 おっしゃるとおり、まちづくりや、景観整備については、「住民」の参加が重要であるとされています。問題は、「住民」とはいったい誰か?という点にあると私は思っています。
 ともあれ、明日の巡見はよろしくお願いします。時間があれば、色々お話ししたいです。

投稿: 小林 | 2005/11/19 17:34

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