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2006/10/25

セレモニーホールと日本社会 その1

 今、世の中で増えているものは何か?

 〆切を過ぎた私の仕事も増える一方だが、外を歩いていて最近、特に目立つものは、「○○セレモニーホール」とか、「△△やすらぎ会館」という名称の建物だ。

 駅から歩いて数分という交通至便の場所に、暖かく柔らかい色調の建物が建っている。ホテル名が書かれた派手なネオンもなければ、洗濯物がぶらさがるベランダもない中層のその建物を、いったい何かと眺めてみると、「○○セレモニーホール」・「△△やすらぎ会館」という看板。
 一方、最寄り駅の出口あたりでは、「××家」と書かれた白黒の案内板を持った喪服の若者が立っていて、そうした“セレモニーホール”への誘導をやっている。

 以前は、こうした“セレモニーホール”が近所に建ちそうになると、「地域」住民の反対運動が起きて、「○○斎場建設反対!」とか書かれたのぼり旗やポスターをよく目にしたが、最近では、そうした反対運動もあまり目立たなくなったようである。“セレモニーホール”の存在が人々に受け容れられはじめたということだろう。
 「死」のタブーも乗り越え、それはなぜ社会のあちこちで受け容れられはじめたのか。思うに、多くの人々が、実際に“セレモニーホール”を利用した経験を持つようになり、その「商品」としての良さや必要性を納得するようになったからではないだろうか。

 ここ2~3年、私が大学で日本近世史関連の講義を担当するとき、そのイントロとして、この“セレモニーホール”の増加現象を紹介することが多い。このブログでも、以前、ちょっと言及したことがある(ような気がする)。

 “セレモニーホール”の増加や受容は、確かに、その「商品」としての良さが認められたことによるものだろうが、そのような認知が広まる背景には、日本の社会構造の著しい変化があるように思う。
(つづく)

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