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2006/11/24

朝日カルチャー公開講座へのお誘い

年が明けて、1月から3月にかけて3回、朝日カルチャーセンターの新宿教室で講座を持ちます。
タイトルは「古文書と絵図で読み解く-江戸の町探訪-」です。
 第1回~1月12日(金)
 第2回~2月9日(金)
 第3回~3月23日(金)
いずれも、13:30~15:00です。場所は、新宿住友ビルの朝日カルチャーセンター。
応募人数が一定数に達さないと中止になるとのこと。
どうか、皆さん、来てね。 お・ね・が・いっ!
大学生であれば、たしか800字くらいの感想文提出と引き替えに、9760円の受講料が、なんと無料!で受講できるモニター制度があったと思います。会場が寂しいとホントとっても悲しいので、試験中でご多忙?とは思うけど、私の各大学での受講生の皆様、よろしかったら、顔を出してやってください。大歓迎させていただきます。

受講のお申し込みやモニター制度の詳細は、こちらをご覧下さい。

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2006/11/22

江戸絵図復刻本の解説を書く

 ここのところ、ちょっと手こずっていた仕事=原稿が、月曜にやっと一段落。しばし解放感に浸ってます。本当は、他の仕事も山積みで、そんな余裕は無いはずだけど。

 執筆の途中、大体いつ頃に仕上がるか見当をつけて随時それを出版社に伝えてきましたが、結局、実際の仕上がりはそれからずいぶんと遅れました。文字通り、ナントカの出前状態。

 出版社の方は、諸事情があってそんなに待ってはいられなかったはずで、本当に申し訳ないかぎり。
で、原稿を読んでくださった編集の方から感想メールの中に次のひとこと。
「待った甲斐がありました。」
うーん、うれしい。
かけた迷惑を考えるととても言えたセリフじゃないため、このブログ上での独り言にて、
「そうおっしゃってくださると、書いた甲斐があります。」

 今回の原稿は、そんな長大なものではなく、400字詰めで20枚いかないくらい。それでも、結構、難儀してしまいました。
 おそらくは年内に刊行されるであろう、明暦期の江戸絵図の復刻に付した解説です。部数も限定で、あまり一般書店に並ぶ本ではないので、皆さんのお目にかかることは少ないかもしれませんが、もしどこかでご覧になられたら、解説文の方もチラッと見てやってください。

 解説文はともかくとしても、絵図本体はなかなかすごいです。謎につつまれた成立期江戸の実態に迫るには、誰もが絶対見なくてはならない絵図です。

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2006/11/20

上海ヒルズ

うかつにも知らなかったんだけど、森ビルは上海にも進出していたんだね。
で、上海に、今度、500メートルくらいある超高層ビルをおったてて、それを中心に街区を開発。
上海ヒルズって命名するんだって。ちょっと笑ってしまった。

森ビルはブランド路線にいっちゃうのね(^^)。
ついでにここらでかっこいいマスコットキャラクターでも作って売りだしても良いかな。
六本木ヒルズのオープニングのころの宣伝用ホンワカキャラクターではダメだと思うけどね。

「ヒルズ」の世界制覇?
「ヒルズ」は、絶対、世界標準の都市ユートピアにはなりえないと思うけど、上海あたりだと歓迎されるのかな。
ともあれ、来月のヒルズ巡見は、ちょっと頑張って下調べしようかな(学生さん、誰か手伝ってくれない?だめか)。
でもって、いつかはヒルズの歩き比べも、上海に行こうかな。

2006.11.25.付記
今朝の朝日新聞みたら、上海ヒルズって命名に、上海では反対する声が出まくってるみたい。まあ、当たり前か。「○○ケ丘」やら「△△台」のカタカナ版というか、どこぞの国の西海岸の高級住宅地の真似というか、いずれにせよ、あまりセンスのないネーミングだし、そもそも、外国企業の“商品名”を街の名前にされたんじゃかなわないもんね。早くも、森ビル世界制覇の夢は挫折か。
ただ、命名はともかく、重要なのは街づくりの中身の問題だけど。その点は、来月のヒルズ歩き比べでいろいろ見てきましょ。

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2006/11/19

ヒットチャートをながめて

なかなか仕事があがらない。こんなはずじゃなかったのに。
なにも文学作品書いているわけじゃないから、悩まずに、まずは、書くべきこと、書けることをただただ書けばそれでいいはずなんだけど。
編集の人には迷惑かけてるなぁ。
煮詰まった頭を切り換えるためには、ゆっくり豆を挽くところから始めてコーヒーを飲むことにしてる。
あとは、なにか音楽。

で、今、買いたいCDをリストアップ。
ここのところ、好きなアーティストの新曲が次々に。

まずは、もちろんミスチルの「しるし」。ひさびさのミスチル・ラブソング。
やっぱり桜井さんはラブソングがいいな。
それにしても、今回のプロモーションビデオのシンプルさには驚いた。
まあ、桜井さんの歌う姿をストレートに、っていうコンセプトには賛成。

それから、BENNIE K の「JOY TRIP」。
ちょっとヘンテコなカントリーウエスタン調だけど、さすがBENNIE Kで、なんともかっこいい。元気が出そう。

あとは、アジアン・カンフー・ジェネレーションの新曲(曲名わすれた)。
相変わらずのアジカン節だけど、ちょっと歌詞にウエイトがかかってるかな。

すぐ買いに行きたいけど、外は雨。カサはあるけど、おとなしく家で原稿を書き書きしましょ。
曲の感想は、仕事終わって、CD買ってから。

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2006/11/17

巡見~江戸を縦貫する 番外 ヒルズくらべ

 今年も、巡見「江戸を縦貫する」を実施中です。
現在、三ノ輪・吉原から浅草寺までの第1区を、春と今月と、2回歩きました。次は、本来、浅草から日本橋までの第2区ですが、ここで番外編をひとつ。
 昨年歩いて、思った以上に面白かった、ヒルズの歩き比べをやります。赤坂アークヒルズ・六本木ヒルズ・表参道ヒルズの3ヒルズをめぐります。

 日程は、12月9日土曜の午後を予定。今日の東京女子大での講義の終わりに、「12月2日の予定」と発表しましたが、諸般の事情で、1週間ずれて、12月9日の予定です(ごめんなさい)。

 六本木ヒルズにオフィスを構え、六本木ヒルズの住人になることが、成功の証しだった時期がありました(いちおう、今もそうかな)。いわば、現代都市のユートピアです。
 その六本木ヒルズのプロトタイプである赤坂アークヒルズも、かつては、そうした都市のユートピアとして、東京の観光名所だった時期があります。
 この二つのユートピアの現在を歩き比べてみましょう。

 いちおう、今年度、各大学で私の講義を聴いて下さっている学生さんたちをお誘いしての巡見ですが、一般の方も、ご興味がありましたら、小林まで、氏名・住所を明記したメールをください(アドレスはこのブログのプロフィールのページにあります)。
 詳しいご案内は、またあらためて。

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2006/11/13

私の好物、カキのスパゲッティに「のだめカンタービレ」

久しぶりにスパゲッティのレシピなど。このブログに載せるレシピは、オリジナルか、あるいは、ほんの少しでも自分で工夫を加えたものに限定してきましたが、今回は掟やぶり。

だって、この季節、僕の一番の好物スパゲッティだから。レシピは、有名な落合務シェフによるものです。カキが好きな人は絶対作ってね。ホント、美味しいから。

玉ねぎ四分の一個から二分の一個をみじん切りにして、フライパンに入れ、オリーブオイルを加えて弱火で加熱(落合シェフは玉ねぎじゃなくてエシャロット)。いわゆるソフリットです。同時にスパゲッティを茹でるお湯を沸かし始める。玉ねぎが透き通って、さらに軽く色づいてきた頃を見計らって、細めのスパゲッティを茹で始める。その茹で上がりまで残り4分くらいのタイミングで、玉ねぎの入ったフライパンの火を強め、むき身のカキを入れてフライパンをゆする。カキの色が白っぽくなったら、白ワインを入れてしばらく加熱し、次にバター。煮詰まり過ぎたら水を少し入れてのばす。塩と胡椒で味を調える。コショウはあらびき。黒胡椒でアクセントをつけるのが良いかも。最後に万能ネギの小口切りを入れてフライパンは弱火に。そこへ茹で上がった麺をよく湯を切って投入してあえる。

 今日も作ろうかな。レシピ書いてたらムショーに食べたくなった。カキのスパゲッティ食べて、ちょっと濃い口の白ワイン飲んで、楽しみにしている月曜ドラマ「のだめカンタービレ」観て、風呂にでも入れれば極楽なんだけどな。
 だけど、仕事が、仕事が、仕事が。。。。。。orz

 それはともあれ、のだめカンタービレの主演、上野樹里の演技はすごい。本当にすごい。のだめそのまま。ナナ=中島美嘉を超えるかな。竹中直人の怪演も。ドラマ観始めてから後、原作のコミック読み返していると、それまでフツーに読んでいたシュトレーゼマン(ドラマでは竹中直人が演じる超大物ドイツ人マエストロ)のセリフが、全部、頭の中で竹中直人の口調に変換されちゃう。強烈だぁ。

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2006/11/08

セレモニーホールと日本社会 その2

前回の記事で書いたように、セレモニーホールの増加には数年来、関心をもっており、講義でも取り上げていたが、今年になって、福田充・八木澤壮一「葬儀業としての会葬葬儀の普及と変化について」(共立女子大学家政学部紀要52、2006.1.)という論文によって、それが思った以上の急増ぶりであることを知った。

同論文に載せられた全国調査の記録によれば、自宅で葬儀を行ったケースが1983年では葬儀全体の54.7%で、1986年には58.1%、1989年には56.7%、1992年には52.8%、1995年には45.2%、1999年には38.9%、2003年には19.4%となっているのに対して、「葬儀専門の式場」での葬儀は、同じ年次で、5.2%、5%、10.5%、17.8%、17.4%、30.2%、56.1%となっている。自宅や「式場」以外の場所として多いのは寺社や教会で、これはやや減少気味となっていて2003年では16.4%、他には集会所・公民館などがわずかにある。

以上の数字が示すのは、まず「葬儀専門の式場」=セレモニーホールの激増である。2003年になって、日本人の葬儀の過半数がセレモニーホールで行われるようになっている。逆に、かつては葬儀の過半数が自宅で行われていたのが、2003年には自宅での葬儀は19.4%へと急減しているのである。

同論文は、「現在では、葬儀の担い手が地域コミュニティから専門の事業者(葬儀社および冠婚葬祭互助会、農協・生協などの団体)に移行しており、その提供する商品やサービスは多様化の一途を辿っている。なかでも、葬儀を専門の用途とする斎場(葬祭会館・セレモニーホール)の建設が増加しており、葬儀を行う場所が急速に葬祭会館に移行している」とまとめている。

それでは、こうしてセレモニーホールが急増しているとき、自宅での葬儀と同様、世の中から急速に姿を消しつつあるものは何であろうか?

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2006/11/06

江戸切絵図と江戸名所図会のあいだを読む

 昨日は、日野市郷土資料館の特別展「絵図から見える江戸と日野」の関連講座で講演。
 ここの資料館には良質の絵図コレクションが寄贈されていて、その一部が展示されている。
 ていねいな力作の展示を、講演前にざっと見せていただいた。その充実ぶりに驚く。
 たとえば、幕末期の村絵図作成の際に作られたたくさんの制作作業図。
 当時の測量作業の緻密さにも感心するが、そうした作業図や作業記録をもとにして、当時の手順にしたがい館員の方々が村絵図を再現。現存するオリジナルの村絵図と、結果的に寸分たがわぬ図を復元されている。すごい!
 この村絵図作図作業の体験講座も予定されているみたい。村落研究者は必見ですね。

 そうした展示にひきかえ、私の講演は、時間配分もまずく、申し訳ないかぎりでした。
 論文でも使用した史料にでてくる、とある町の位置もあやふやで、受講者の方からのご指摘を受けました。
 さらには、それが正当なご指摘にもかかわらず、その場ではあいまいな回答をしてしまい、反射的にミスを取り繕おうとしたことも大反省。
 私にもいつの間にやら悪い意味での“先生根性”が染み付いたようで、自己嫌悪。

 それはさておき、日野市郷土資料館のこの講座、このあとは
村井益男先生や陣内秀信先生のご講演もあるとのこと。おすすめです。

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2006/11/01

書評:五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市-現代景観論』

 以前、このブログでも紹介したが、日本橋再生事業のいかがわしさを先駆的に指摘したのは、建築家の五十嵐太郎だ。
 その五十嵐の新著は、書名自体が「美しい景観100景・悪い景観100景」の選定に対する批判的パロディとなっていることはいうまでもない。選定にあたっている「美しい景観を創る会」では、当初、「悪い景観」という表現を「醜い景観」とする予定だったらしい。
 
 都市景観の場合、「美しい景観」として選ばれるための要件をすべて満たそうとすると、それは北朝鮮の平壌みたいな都市景観に近づいていくのではないか、という五十嵐の指摘はなかなか強烈である。
 日本橋再生事業に対する批判についても共感する。このブログでの私の主張も引用されていて、ちょっと嬉しかったりもする(この本が売られている間は、細々とでも更新して、このブログも続けなきゃね)。

 そんな五十嵐の好著に対して私が抱いた不満はふたつ。

 ひとつめは、この本で展開される五十嵐の主張は、ほとんど共感できることばかり、我が意を得たりって話ばかりで、私にとっては、ちょっと刺激不足だったこと。

 まあ、それはほとんど冗談だが、ふたつめはまじめな感想。私が残念だったのは、「美しい景観を創る会」的な思想や手法に対置されるべき、五十嵐の思想・手法が明示されていないことである。「美しい景観を創る会」的思想や手法がもつ幼稚さや危険性の指摘は容易である。もちろん、そうした幼稚な単純さが、単純であるがゆえに、大きな政治力をもちやすい点は要注意であり、それに対抗するためにも、平壌の例などを持ち出しての単純で平明な批判は必要である。

 問題はその先だろう。五十嵐が考える、あるべき都市像なり、あるべき都市整備の手法なりが示されるべきである。このブログでも、さんざん日本橋再生事業のでたらめさを指摘したあとで、対置すべき私の主張を組み立てようと試みた。途中でストップしているが、「お江戸日本橋の魅力とは?」と題する連載記事のなかでの取り組みである。そうした試みをなんとか続けるにあたっても、知恵の足らない私は、ここらでふたたび五十嵐からの刺激が欲しかった。

 五十嵐に限らず、優秀で良識を持ち合わせた建築や景観、都市計画の専門家たちのほとんどに共通して言えることだが、景観整備やまちづくりに、「市民」やら「住民」やらの声を取り入れたり、あるいは、そうした「人々」を事業の主役にすえることで、諸々の問題がクリアできると考えているふしがある。「人々」が選択する景観整備やまちづくりこそが、なされるべき事業であると。そこで議論が止まってしまう。

 そのような「市民」やら「住民」の集合のことを、私は「地域社会」と言い換え、先の連載記事でもちょっとだけ論じかけたことがあるが、こうした「地域社会」への無邪気な依存は危険である。
 だって、場合により「地域社会」なんてもう存在していないかもしれないんだから。ここを見誤ると致命的である。ありもしない軍勢を頼りに戦ったりしてると、結局、馬鹿にしてた相手にも簡単に打ち負かされちゃうんじゃないかな。

 五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市-現代景観論』(中央公論新社、2006)

 2006.11.5.付記 今日、もういちど五十嵐さんの本を読み返してみた。結果、下線を施した部分で述べた批判は、少なくとも今回の五十嵐さんの本に対してはあまり当たっていないことに気づきました。この部分を抹消しようかとも思ったけど、まあ、どうせなら間違いの形跡も残しておこうと考えました。

 

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