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2006/12/28

ヒルズ巡見を終えて その5 景観からの疎外

景観からの疎外、街からの疎外
 景観からの疎外の問題。以前、日本橋再生に関する記事のなかでも書いたが、今回のヒルズ巡見を通じて、やはりこの問題が気になった。
 今回はとりあえず、各ヒルズの商業施設部分に限定して考えてみる。ここでいう景観とは、ミクロなレベルでの景観である。壁や通路、天井のデザインや素材、色、それから個々のお店の看板、ショーウィンドウやら内装、あるいは、商品・テーブルの配置やお店で働く人々の服装なんかを含めてもいい。訪れた人々の目に入ってくるそれら様々な要素から成立する景観というものを考える。
 それでは、ヒルズの景観はだれが作っているだろうか。たとえば、六本木ヒルズの場合、壁や通路などの基本デザインを決めたのは、外国の著名な設計事務所である。各ショップの内装・外装などを決めるのは誰なんだろう。まあ、店によって事情は違うだろうが、ふだんお店にはいない人が決定する場合が多いだろう。いずれにせよ、ヒルズの景観の大部分は、ヒルズから遠隔のところにいる人々が決めているんだろう(この辺の記述、ちゃんと調べもせずにいい加減に書いちゃってすみません。違ってたらご指摘を)。
 景観の最もミクロな部分、商品のディズプレイや店員の服装については、実際にお店で働く人々が決める部分もあるだろう。しかし、その一方で、そうした景観の最小単位まで、どっか遠くの“本部”によってコントロールされる場合も少なくない。
 ヒルズを歩くと、ここは景観から疎外された人々が集ってる空間なんだと思う。アートが売り物の六本木ヒルズの場合、さしずめ、そこは、客とアルバイトの場内整備係とがいる美術館のなかみたいなものだ。展示品自体はもちろん、その配置についても、照明の具合についても、そこにいる誰も手出しできない。

ヒルズを好きになる“いつか”
 僕がヒルズを好きになる“いつか”が来るとしたら、そうした景観の決定権を、そこにいる人々が手にするようになったときだ(もちろん、そのためには現在の労働形態そのものも変わる必要がある。そして、街=社会における人間の存在様式が考え直される必要がある。たとえば、今、六本木ヒルズの商業施設で働く人々に占めるパート労働者率はどのくらいだろうか)。
 表参道ヒルズを比較的高く評価したのも、そんな“いつか”が来たとき、人々がその空間で何かを表現したり、空間をアレンジしたりしやすい造りになっていると思ったからだ。ひとつひとつの店舗区画が小さめであることや、シンプルなデザインが、そうした“いつか”に好都合だと思ったからだ(先に表参道ヒルズの市場の魅力がどうしたこうしたと書いたが、今はまだなんとなくアンテナショップめいたお店も多くて、市場は市場でも、どこか見本市っぽい雰囲気は好きになれずにいる)。
 

六本木城
 一方、六本木ヒルズはどうだろう。多くの店舗区画が大きすぎることや、先にも書いた商業スペースの散在性なんかが、そうした“いつか”が来たときの障害になるように思える。
 安手の近未来SFみたいで恐縮だが、何十年かして、六本木ヒルズ全体が、かつての香港の九龍城砦みたいになった姿を夢想する。六本木ヒルズにとっての“いつか”は、そんな姿になったときかもしれないなぁと。

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