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2007/04/18

第1回「巡見~江戸を縦貫する」の日程

先の記事でご案内のとおり、今年も「巡見~江戸を縦貫する」を始めます。
第1回は、江戸城本丸から日本橋までの区間です。

日時:5月26日(土) 14:00~
集合:未定(たぶんJR東京駅に14:00)
コース:東京駅→丸の内オフィス街→江戸城本丸(東御苑)→竹橋・地下鉄東西線で日本橋へ移動→江戸橋広小路→大伝馬町→本町通り→日本銀行→三井→日本橋

集合場所などの詳細は各大学の講義の際にお知らせします。講義に出ていない方は、このブログのプロフィールの頁にある宛先まで、氏名を明記したメールを送ってください。折り返し小林からご案内の返信を差し上げます。

次回以降の予定
できれば6月下旬の土曜に番外編としてのヒルズ歩き比べをやりたいです。
本編の第2回は、各大学が夏休みに入ってすぐの平日に、日本橋から浅草蔵前までを歩くつもりです。兜町や神田の問屋街、浅草橋周辺の問屋街の活況を見て歩きましょう。

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2007/04/11

今年も「巡見~江戸を縦貫する」を始めます

 毎年、各大学の授業の受講生さんたちやかつて受講生だった人たちをお誘いして、東京の町あるきをやっています。もうこの企画も始めてから10年くらいかな。

 例年は、吉原遊郭の裏手にある“投げ込み寺”の浄閑寺からスタートして、吉原→山谷→浅草新町→浅草寺→蔵前→浅草橋→神田問屋街→日本橋→丸の内まで進み、最後は江戸城本丸がゴールです。このコース設定は、江戸という巨大都市に一本の串を刺してみて、その端から端まで歩いてみるためのものです。番外編として上記コース以外に六本木ヒルズや新宿歌舞伎町・新大久保などにも行きました。
 この巡見全体のねらいについては、こちらの過去記事を参照してください。

 今年はちょっと趣向を変えて、スタート地点とゴール地点を逆にしてみようかなと思っています。第1回目(5月中)で江戸城本丸から丸の内・日本橋まで。第2回目(夏休みに入ってすぐくらいの平日)で日本橋から浅草まで。10月上旬くらいにはいちど番外編かな。それで、第3回目(11月の酉の市にあわせて)は浅草・山谷・吉原。それからまた番外編を2月あたりに。
 今年の番外編では渋谷界隈に行こうかなぁ。あるいは、下谷の佐竹ヶ原(かつての新開町)や秋葉原にしようかなぁ。都心再開発地域の歩き比べってのも面白いかなぁ。

 で、第1回目は、来月の19日(土)午後か、26日(土)午後を予定しています。まだどっちか決めていませんが、どっちがいいでしょうか。(2007.4.18.付記 26日(土)に決定しました。)
 もしも「行ってみたいけど、できればこっちの日程の方が好都合。」っていう人がいたら、教室で直接か、あるいはメールにて私におっしゃってください。判断材料とさせていただきます。もしくは、番外編ではここに行ってみたいという希望があればそれも遠慮なくどうぞ。

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2007/04/10

初授業やら、すりだねやら

桜もかなり散って、新学期の始まり。今日から授業開始。

今年の前期の授業は、五つの大学で合わせて週8コマ。それ以外にも、東京都公文書館で朝から夕方までの勤務がだいたい週2日。ちょっと働き過ぎのような気もするが、まあ諸般の事情から仕方ない。

さて、今日は山梨の都留文科大学の初授業。遠方にて、朝が早い。

文大の学生さんたちに会うのもすごく楽しみだが、もうひとつの楽しみは食事。かの地には、吉田うどんという、隠れた(?)名物があって、それを食べるのが楽しみ。だいたい通勤途中のJR大月駅の食堂で食べる。あるいは大学の近所のうどん屋さん。

吉田うどんの特徴は麺の固さ。日本で一番固いうどんだという説もあるが、確かにそうかもしれない。ちょっと太めのその麺を濃めのかけ汁で食べる。具は、茹でてざく切りしたキャベツやニンジンなどの野菜に油揚げといったところ。素朴なこと、この上ない。

で、さらなる特徴は、この地方独特の辛い調味料を好みでふりかけるという食べ方。唐辛子やら山椒やらをすり鉢ですって作るらしいが、これがまた美味しい。元々、各家庭で作っていたらしく、今でもあまり市販されていない。吉田うどんの方は、ブームを狙って以前からお土産として売られていたが、一部のうどん専門店のお持ち帰りをのぞくと、この調味料は付いていない場合が多かった。

そこで、大月駅のキオスクで何度かリクエストしてみたところ、それが功を奏したのかどうかは定かではないが、昨年くらいから、この調味料の販売が始まり、うちではなかなか重宝している。豚汁などに振りかけても美味しい。この調味料の名称は「すりだね」というが、その語感に支障でもあるのだろうか、商品名は別の名前になっている。売れ行きが不調でまた販売中止になると困るから、大月駅に寄られた方は、ぜひ買ってみて一度お試しを。

さて、朝ご飯食べて、都留に出発!

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2007/04/04

「新年度の授業の抱負」、あるいは、「歴史研究は本当に細分化したのか?」

そろそろ新学年の授業が始まる。新しい学生さんたちと顔を合わせるのは本当に楽しみなんだけど、初回の授業をどんな話から始めるか、毎年悩む。
でもって、だいたい僕が話すのは、なぜ歴史を学ぶほうがよいか、という話。あるいは、歴史研究なんかやってて何が面白いのか、という話。

話題は変わるが、歴史学界の現状について、「研究の深化によって、研究内容が細分化してしまい、全体像が論じられなくなった。」と憂う声がよく聞かれる。
こういう意見に対しては、まあ、それもそうかな、と一時は思ったりもしたが、最近は、それは違うんじゃないかな、と考えるようになった。
いわゆる古典とされるような、普遍的価値が広く認められている研究論文を読み返してみても、多くの場合、その内容自体は、とてもローカルで細かな事象を分析したものである。その点、最近の研究と大差は無い気がする。

神は細部に宿る、という。だから、とことん細部にこだわって、そこに神を見出さなくてはならない。普遍的価値とは、きっと、そんな神がもつ偉さのことだろうなと思う。
その神を自分ではまだ見出せていないうちに、おまえがいるのは蛸壺だ、という野次に動揺して外海に泳ぎだしてみても、今度は波間に漂い、その時の潮や風に流されるクラゲになるだけだろう。

さらに話題は変わるが、最近の大学生の学力は低下した、と嘆く声をしばしば耳にする。しかし、私の場合、学生時代の自分が劣等生だったせいもあって、最近の学生の学力が低下したと思うことはほとんどない。
“古い人たち”が自分のモノサシを後生大事に持っていて、それを今の学生さんたちに押し当ててみては、あっちが足らない、こっちが短い、と言っているだけのような気もする。

というわけで、私は学生さんたちのことをかなり信頼している。そんな学生さんたちを確かな評者として、自分が歴史の細部=蛸壺の底で出会った(つもりでいる)神のことを話してみる。
そうやって話してみて、学生さんたちにその神の偉さが伝わらなければ、その神は賞味期限切れの古い神なんだと思うようにしよう。あるいは、私の細部へのこだわりが中途半端で、その神の普遍性をまだ自分のものにできていないんだと反省しよう。
ちゃんとラテン語を学んでない奴らに神のことを話しても無駄だ、とか愚痴っててはだめなんだじゃないかと思うんだ。

だから、私の場合、歴史研究を続け、神を探し続けていくためには、授業という試金石が欠かせないと思ってる。

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