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2007/05/16

書評:ドロイス・ハイデン『場所の力』 その1

 本書は2部からなっている。その第1部においては、都市景観の意味を理解する(理解しなおす)ための方法論が展開されている。第2部では、ロスアンジェルスにおける都市景観の保存・デザインの実践が紹介されている。
 第1部のタイトルは「パブリック・ヒストリーとしての都市景観」で、第2部は「ロスアンジェルス-ダウンタウンの都市景観に見る公共の過去」である。

第1部「パブリック・ヒストリーとしての都市景観」より
第1章「主張が交錯する場所」

 ハイデンの方法論が示される第1部には三つの章があるが、そのうちの第1章「主張が交錯する場所」の導入部では、ニューヨークの歴史的建造物の保存をめぐるある論争が取り上げられている。
 その論争は、1975年に、都市社会学者のハーバート・J・ギャンズと、建築評論家のアダ・ルイーズ・ハクスタブルとの間でおこなわれた。

 ギャンズは、ニューヨーク・ランドマーク保存委員会による保存対象の指定を批判して次のように述べた。「陽のあたっている著名な建築の一部を保存しているに過ぎず、一般の建物の存在をないがしろにしている」。
 保存委員会を支持するハクスタブルはこれに反論して、「偉大な記念碑的建築に対して、それが富裕層のものであることを理由に汚名を着せたり、それらをエリート主義の文化的な道楽とみなすことは誤りであり、歴史のわい曲であり、(中略)これらの建物はかけがえのない文明の重要な一部である」と述べた。

 また、保存委員会が指定した建物の保存活動への税金の支出について、ギャンズは、「保存という行為は公共の財源に依存する限り、公共的な行為であって、それはすべての人々の過去に呼応するものでなければならない」と述べて、「著名な建築の一部」に偏った保存活用への支出は問題であるとした。それに対してハクスタブルは、「美学的に見て質の高い建築の修復や再利用はきわめて難しい作業であり、大きなコストを必要と」するため「可能な限りの支援のすべてを受けて当然である」と弁護した。

 さて、著者のドロイス・ハイデンの主張については、邦訳本の出版社によって、「本書は、「美観」「文化財」といった従来の枠組を超える「生活景」の価値をパブリック・ヒストリーという概念から説いた意欲的な試み」であると紹介されている(直前号の記事参照)。この出版社による紹介を読んだだけだと、ハイデンは、ハクスタブルとは敵対し、ギャンズとは意見を同じくしているようにもとれる。「著名な建築の一部」だけでなく「一般の建物」の保存を主張するギャンズのいう「一般の建物」とは、多くの倉庫、店舗、下宿屋などといった「都市のバナキュラーな建物群」のことであり、これはハイデンの「生活景」と重なるようにも思える。

 しかし、日本の出版社が、ハイデンの主張の新しさをこのようなかたちで説明するしかなかったのは、おそらく、いまだ、日本の都市景観をめぐる議論の多くが、30年前のギャンズ・ハクスタブル論争の次元か、あるいはそれ以前の段階にあるためだろう。
 実際に本書を読むと、ハイデンはギャンズに対しても「保存に関しては全くの門外漢」だとしてその不十分さを指摘し、「結局のところ、2人とも、彼(ギャンズ)の都市保存の考えと彼女(ハクスタブル)の建築保存の考えを同時に実現し得る機会を探し出す努力を払わなかった」と述べている。

 したがって、ハイデンの主張の新しさについて理解するためには、その主張が、ギャンズ・ハクスタブル論争の次元をどのように超えているのか、とりわけ、ギャンズの主張をいかに乗り越えているのかという問題関心をもちながらこの第1章を読むことが、私を含め、日本の読者の多くには求められるように思える。

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