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2007/06/27

「巡見~江戸を縦貫する」のスケジュール

「巡見~江戸を縦貫する」の今後のスケジュールをお知らせします。

スケジュール
・次回の巡見は8月7日(火)に実施する予定。
・6月末に予定していたヒルズ巡見は10月初旬へ延期。
・浅草山谷吉原の巡見は11月10日(土)に実施予定。

この巡見の趣旨や概要については、こちらこちらの記事を参照してください。
同行をお誘いする対象は、まず各大学で私の講義を受けてくださっている学生の皆さんですが、過去に私の講義を受けてくださっていた方々や、この記事をご覧になって興味を持たれた一般の方々の参加も可能です。その場合、このブログのプロフィールの頁にあるメールアドレス宛にご連絡ください。集合場所などの詳細を折り返しご連絡いたします。“一般の方々”は、恐れ入りますが、メールに住所と氏名を記入してください。

次回の巡見について
次回の巡見は、前回の「江戸城から日本橋」のつづきで、「日本橋から浅草」を歩きます。東京証券取引所と兜町周辺、神田繊維問屋街、両国界隈、浅草橋問屋街などをめぐる予定です。このコースには、東証や問屋街など、休日は閉まっている場所も多いため、開催日は大学が夏休みに入ってからの平日にしました。いわゆる猛暑巡見となりますが、がんばって歩きましょう。江戸城や吉原などの「人気スポット」をもつ他コースと比べて一見地味なせいか、例年、参加者が少なめになってしまうコースですが、個人的にはおすすめのコースです。例えば、問屋街=市場の町並みは、都市景観としても、見るべきものが多いと思います。こうした問屋・市場の存在を、前代の遺物みたいに考えるのは、いうまでもなく、それこそ、前代の遺物的な思考じゃないでしょうか。問屋街=市場の景観は、そうしたことを見る人に気づかせてくれるかもしれません。
集合などについての詳細は、来月の第二週あたりに各大学において発表します。たぶん、地下鉄茅場町駅のどこかに午後1時くらいに集合かなと。

11月10日の巡見について
例年、浅草酉の市の前日に、吉原界隈を歩いています。今年の酉の市は11月11日(日)と23日(金)だそうです。市の前日、まだ見物人がまばらなうちに、すでに飾りつけられた名物の熊手をみてあるきます。酉の市は、11日の午前零時に始まります。今年こそは、巡見終了後、山谷に宿をとって、開始直後の酉の市を見物しようかな。というわけで、吉原・山谷・浅草の巡見は、11月10日開催がすでに決定です。

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2007/06/20

今週末の第11回ワン・コイン古文書講座に出講します。

今週末に開かれるワン・コイン古文書講座で講師を担当します。
 日時:6月23日土曜の午後4時半から6時半まで
 会場:立正大学大崎キャンパス11号館
 会費:500円
 どなたでも受講できます。予約などは要りません。当日、会場にお越しください。
 会場へのアクセスなどはこちらの記事をご覧ください。

 演題は「江戸の名主の大活躍」としました。

 江戸町方の名主さんたちの業務などを簡単に説明した上で、天保改革から幕末にかけて大活躍し異例の立身出世を遂げた、熊井理左衛門というひとりの名主さんの、とても数奇な物語をお話します。

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おすすめ 桐野夏生『メタボラ』

 去年あたりの朝日新聞に連載されていた桐野夏生の小説『メタボラ』が単行本化されたので買って読んだ。新聞連載中、ほとんど欠かさず読んでいたので、再読ということになる。ここんとこ、時間がなくて、通勤電車の中で読み進めていったが、二日間で読了。約一年かけて連載を読んだ初読のときとはまた違った面白さがあった。
 
小説のテーマは、ひとことで言うと、「自殺」ってことかなぁ。ただし、この場合の「自殺」とは、生命を絶つという狭義の「自殺」だけでなく、安定した生活やら、大切な愛情やら人間関係やらを自分で壊すこと、つまり、自分の人生を壊していくさまざまな行為のことだ。そんな広義の「自殺」がテーマだと思える。

それにしても、桐野夏生という作家が人間を描くときの筆力は図抜けてすごい。そんな作家に連れられて、「下流社会」を「漂流」する若者の世界をじっくりとめぐり歩くことができる。
 そこでさまざまなかたちの「自殺」に追い込まれていく若者たちの切なさ。深夜のコンビニのバイト店員、工場で働く偽装請負のフリーター、ホスト、デリヘル嬢、バックパッカー。彼ら彼女らの切なさが丁寧にリアルに描かれる。

 そんな「負け組」の話なんかには興味なし、という人はどうでもいいけど、そうじゃない人はぜひご一読を。厚い本だけど、あっという間に終わっちゃいます。

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2007/06/06

続・たけくらべ論争~検査場説の再検証

 以前、いわゆる「たけくらべ論争」についての記事を書きました。いまだにアクセス数の多い記事です。先日、そちらの記事にコメントがありました。
 「たけくらべ論争」とは、樋口一葉の小説『たけくらべ』のヒロインである少女、美登利が、物語の終局、酉の市の日を境に、それまでの活発さを失って、まるで別人のようにおとなしくなってしまったことの原因をめぐる論争です。美登利は吉原で娼妓となる宿命の少女ですが、論争は、主に、美登利変貌の原因を初潮とする説と、初店(=初めての売春)とする説との間で繰り広げられてきました。そもそもは、通説である初潮説をとる著名な文学者の前田愛に対して、これまた有名な作家である佐多稲子が初店説をぶつけたことで論争が始まりました。
 私がこの論争に興味をもったきっかけやら、初潮説・初店説についての私見はこちらの記事をご覧ください。
 で、今回、いただいたコメントとは、実は初潮説・初店説の双方を否定する説=初検査説というものがある、というご教示でした。そのコメントで紹介された文献を今日やっと読むことができましたので、お礼かたがた、感想を書いてみます。
 とはいえ、私の結論としては、初検査説はちょっと難点が大きすぎるということになってしまいましたが・・・。

 以下が、その感想です。


初検査説(検査場説)とは

 上杉省和「美登利の変貌」(『文学』56、1988.7.)と、近藤典彦「「たけくらべ」検査場説の検証」(『国文学解釈と鑑賞』70-9、2005.9.)を読みました。まず上杉論文が美登利の変貌原因=初検査説を提唱し、近藤論文が再主張するという内容でした。近藤論文は題目で「検証」をうたっていますが、実際のところ、客観的検証作業をしたものではなく、初検査説の再主張といった体裁でした。
 
 初検査説のおおまかな内容は次のとおり。当時、吉原遊郭の娼妓、あるいは新規に娼妓となる者には、遊郭に隣接した検査場での性病その他の検査が義務づけられていた。娼妓デビュー直前の美登利は検査場で初検査を受けたが、そのショックで、それまでの活発さを喪失した。以上が初検査説です。

 この初検査説の主張の根拠は、おおよそ次のとおり。①初潮説・初店説ともに問題がある。したがって、初潮・初店以外の変貌原因が存在する。②変貌した美登利が目撃された場所は検査場の近くである(検査場の方向からやってきた美登利に友達が会ったところ、その様子が変だった)。③美登利に思いを寄せているその友達正太が、美登利に会う少し前、彼女を探しに出るときに口ずさんだ流行ぶしは、ある一部分がとばされている。その部分とは、ちょうど、検査を受ける娼妓のつらさを歌った部分である。これは、一葉が美登利の身上に起きていることを暗示するために仕掛けたものである。以上が、初検査説の主な論拠です。

初検査説の難点

 この初検査説はなかなか面白い説だとは思いますが、やはり難点があると思います。まず、初潮説・初店説を否定する際の論拠がやや薄弱です。たとえば、近藤氏を含む初潮説否定論者がしばしば「なによりの証拠」として注目するのは、当日夕方の美登利の母親の「風呂場に加減見る」行為です。当時、初潮だったら風呂には入らないはずだと。
 しかし、この「風呂」の準備が美登利ひとりのためだと断定する根拠は見当たりません。美登利一家が留守居をしている大黒屋(遊女屋)の寮(別宅)の「風呂」に入る、美登利以外の人物の候補として、美登利の母親・父親・大黒屋の主人・療養中の大黒屋の娼妓などなどが、可能性の大小は別にして、比較的容易に想定できると思います。したがって、風呂の件は、初潮説否定の決定的証拠とはなりえません。他の証拠も、これと同じように、解釈の仕方次第で無効となりうるように思います。
 一方、初店説を否定する論拠として、初店(美登利の初売春)がおこなわれる時間が無いという点を上杉氏は指摘しています。変貌した美登利は「昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひ」で恥ずかしがっているわけだから、初店は変貌の当日におこなわれたことになる。だが、美登利の朝からの行動を追うとそのような時間的余裕は無いと。
 しかし、佐多稲子氏が主張するとおり、初店が昨夜遅くのことであれば、問題はなくなるのではないでしょうか。「昨日の美登利」とは、昨日の日中までの美登利だと解釈しても、そんなに問題はないと思います。

 それはさておき、そもそも、初検査説が抱える最大の難点は、上杉氏・近藤氏の主張に反して、美登利が物語の最後まで正式な娼妓デビューをしないことです。

 明治22年の貸座敷引手茶屋娼妓取締規則では、16歳未満の者が娼妓になることは禁止されています。また、娼妓は「貸座敷内」つまり遊廓の遊女屋内以外の場所に住むことを禁止されています。遊郭内居住の義務は、こうした規則ができる以前、江戸時代から、遊廓の営業独占を維持する手段として重要視された、吉原内部の決まりごとでもありました。
 美登利の年齢は、作品中に明記されているとおり、14歳です。小学校の最終学年としてまだ学校に通っている美登利(2007/6/10付記:「最終学年」は間違いで、美登利は最上級生信如のひとつ下の学年でした)を正式に娼妓デビューさせることは、ふつう無理です。

 また、変貌の日以降、少なくとも物語のラストまで、一貫して美登利は遊廓吉原の外で暮らしています。これも、美登利がまだ娼妓となっていないことを示しています。検査期間に注目すると、娼妓は1週間に1回の検査が義務です。つまり、美登利が初検査を受けたのなら、それから1週間以内に廓内に移り娼妓デビューしないと、検査を受けた意味がなくなるのではないでしょうか。ふつうに考えると、検査後、1週間をまたず、早々にデビューするのが自然なように思えます。ここで変貌の日から物語のラストの水仙の朝まで、どのくらいの日数がたっているのかを確定するのは難しそうですが、さびしがっている友達からの遊びの誘いに対して、美登利が「今に今に」という「空約束」を「はてしなく」繰り返しつつ、その変貌ぶりが町の人々の噂にまでのぼり、例の水仙の朝のラストにいたる、といった展開からは、この間、決して少なくない日数が経過しているかのような印象を個人的には受けます。もし、変貌の日に、娼妓デビューのための検査を受けたとすると、その後、物語のラストにいたってもなお続く美登利の廓外居住は不可解です。

 まだ14歳であるにもかかわらず、美登利が娼妓デビューのための直前検査を受けたと主張する上杉氏や近藤氏は、その論拠として、『吉原大全』(上杉氏)、『北里見聞録』・『広辞苑』(近藤氏)の記述を引用しています。これらの文献では、娼妓デビューを「新造出し」「突出し」などと表現しています。そして、そうしたデビューが、13、14歳、あるいは14、15歳でおこなわれたとこれらの文献には書かれている。したがって、14歳の美登利が娼妓デビューすることになったと考えてもよいだろうというのです。

 しかし、わざわざ指摘するまでもなく、『吉原大全』は明和年間、『北里見聞録』は文化年間の文献です。残る『広辞苑』の記述がはたして論拠になりうるのかどうか疑問ですが、おそらくは、『吉原大全』や『北里見聞録』などの江戸時代の文献にもとづく記述でしょう。つまり、上杉氏や近藤氏が依拠するこれらの記述は、明治中期の吉原遊郭と娼妓についてはあまり有効ではありません。

 結局、上杉氏や近藤氏が主張する、14歳の美登利の娼妓デビューは、もしそれが実現したとするなら、佐多稲子氏が言うような、秘密の(違法な)初店であると考える必要があるでしょう(しかし、上杉・近藤両氏とも、自分の主張する美登利の娼妓デビューが、そうした特殊なケースだという自覚はないようです)。

 まあ、確かに、美登利のデビューがそんな秘密のデビューになってしまう可能性は否定できません。その点、佐多氏の初店説はなお有効でしょう。
 しかし、初検査説にとってそれは致命的な難点となります。秘密裡のデビューであるならば、美登利がわざわざ検査場へ行って正規の検査を受けてつらい思いをする必要はないからです。

 ここまで、初検査説に対する反証を挙げてみました。まとめると、①美登利は法的に娼妓デビューが可能な年齢に達していない。②美登利は廓外にずっと居住しているから正式な娼妓デビューにはいたっていないことが明らかである。③仮に正式なデビューではなく秘密裡の違法なデビューだとしたら、そもそも検査を受ける必要はない。  以上、①から③により、美登利が検査を受けたとは考えられません。

初検査説の可能性

 それでは、初検査説が成り立つ可能性についても検討してみましょう。上記の反証で依拠しているのは、明治22年の娼妓取締規則です。仮に物語の年代設定が明治27年ぐらいだとしたら、それまでに規則が変更され、14歳の娼妓デビューが公認されている可能性もあります(ちょっとだけ私も規則変更に関わるような史料を探しましたが、見つかりませんでした)。逆に、物語の年代設定が明治22年以前であれば、なんとかなるかもしれません。ただし、今度は検査場の建設が明治22年であることがネックですね。
 あるいは、『たけくらべ』はしょせん樋口一葉の創作の世界だから、14歳の正式デビューだって、初検査だって、何でもありえる、という読み方をしてみる。もしくは、一葉の吉原に対する知識が正確さを欠いていると考える。
 うーむ、それはちょっと難しいかも。娼妓の就業可能年齢や廓内居住義務について一葉が知らなかったとは思えません。創作だから・・・というのなら、まあ、何でもありといえばありですが。

2009.6.24.付記:最近、この記事のような主張に対しては、美登利の年齢が詐称される可能性や、上にも書いたように、一葉の知識に問題がある可能性にもとづく反論があることを知りました。検討の結果、やはりそうした可能性は低いだろうと考えています。興味のある方は、こちらの記事を。
 なんでも、森鴎外だって年齢を詐称していたのだから、美登利が年齢をごまかしてもおかしくはないんだとか。江戸時代に石見国で出生した森鴎外と、明治中期、義務教育制度が確立した後の地元の小学校に在籍する美登利とを同列に考えるなんて、そんなのアリなの?

 

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2007/06/02

トマトたぬきスパゲッティ

久しぶりにスパゲッティの新レシピを。

トマトは好物で、トマトソースのパスタも好き。で、いわゆるトマトソースをあらかじめ作っておいて、それを使うのも良いんですが、生のトマトを炒めて、それがくずれてとろみが出たのをからめたスパゲッティも美味しいものです。

ただ、生のトマトを炒めた場合、味としては、もう少し何かが欲しい。まあ、チーズかけるのも良いんですが、他になにか方法はないのかなと昔から考えていました。トマトと一緒にベーコンとかアサリとか炒めても良いんですが、それだと味の主役はベーコンやアサリになってしまうしなぁと。

そこで、つい先日思いついたのが、揚げ玉。言うまでもなく、たぬきそばからのパクリですけども。

1.フライパンにニンニクのみじん切りとオリーブオイルを入れて弱火で加熱。
2.スパゲッティをゆでる鍋に水を入れて火にかける。
3.鍋に塩適量を入れて細めのスパゲッティをゆで始める。
4.プチトマトを一人前で10~15個、たて四つに切ってフライパンへ。炒める。
5.フライパンのトマトを塩とコショウで味付け。鍋のゆで汁適量もフライパンへ。
6.パセリのみじん切りをフライパンヘ。
7.スパゲッティがゆであがったら、フライパンへ。
8.このとき揚げ玉もふたつまみくらいフライパンヘ。全体をあえて出来上がり。

結構、これは美味しいですよ。ポイントは、揚げ玉をかなり少な目にすること。たぬきそばのつもりで沢山入れると、それがみな油や汁を吸って大きくなり、皿全体を揚げ玉が支配してしまいます。一人前だと、指先でひとつまみかふたつまみで十分だと思います。揚げ玉のサクサク感が欲しい人は、フライパンの中ではなく、スパゲッティを皿に盛ってからふりかけても良いと思います。ただ、個人的には、揚げ玉が適度にふやけて麺にからむくらいが好きなので、上記のとおり、ゆであがりの麺と同時にフライパンヘ入れるようにしています。

それから、使うトマトは、いわゆるプチトマト。水分の割合が少なく味が濃くて適していると思います。

これも子供たちに好評でした。お手軽で美味しいですよ。ぜひお試しを。

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