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2007/06/06

続・たけくらべ論争~検査場説の再検証

 以前、いわゆる「たけくらべ論争」についての記事を書きました。いまだにアクセス数の多い記事です。先日、そちらの記事にコメントがありました。
 「たけくらべ論争」とは、樋口一葉の小説『たけくらべ』のヒロインである少女、美登利が、物語の終局、酉の市の日を境に、それまでの活発さを失って、まるで別人のようにおとなしくなってしまったことの原因をめぐる論争です。美登利は吉原で娼妓となる宿命の少女ですが、論争は、主に、美登利変貌の原因を初潮とする説と、初店(=初めての売春)とする説との間で繰り広げられてきました。そもそもは、通説である初潮説をとる著名な文学者の前田愛に対して、これまた有名な作家である佐多稲子が初店説をぶつけたことで論争が始まりました。
 私がこの論争に興味をもったきっかけやら、初潮説・初店説についての私見はこちらの記事をご覧ください。
 で、今回、いただいたコメントとは、実は初潮説・初店説の双方を否定する説=初検査説というものがある、というご教示でした。そのコメントで紹介された文献を今日やっと読むことができましたので、お礼かたがた、感想を書いてみます。
 とはいえ、私の結論としては、初検査説はちょっと難点が大きすぎるということになってしまいましたが・・・。

 以下が、その感想です。


初検査説(検査場説)とは

 上杉省和「美登利の変貌」(『文学』56、1988.7.)と、近藤典彦「「たけくらべ」検査場説の検証」(『国文学解釈と鑑賞』70-9、2005.9.)を読みました。まず上杉論文が美登利の変貌原因=初検査説を提唱し、近藤論文が再主張するという内容でした。近藤論文は題目で「検証」をうたっていますが、実際のところ、客観的検証作業をしたものではなく、初検査説の再主張といった体裁でした。
 
 初検査説のおおまかな内容は次のとおり。当時、吉原遊郭の娼妓、あるいは新規に娼妓となる者には、遊郭に隣接した検査場での性病その他の検査が義務づけられていた。娼妓デビュー直前の美登利は検査場で初検査を受けたが、そのショックで、それまでの活発さを喪失した。以上が初検査説です。

 この初検査説の主張の根拠は、おおよそ次のとおり。①初潮説・初店説ともに問題がある。したがって、初潮・初店以外の変貌原因が存在する。②変貌した美登利が目撃された場所は検査場の近くである(検査場の方向からやってきた美登利に友達が会ったところ、その様子が変だった)。③美登利に思いを寄せているその友達正太が、美登利に会う少し前、彼女を探しに出るときに口ずさんだ流行ぶしは、ある一部分がとばされている。その部分とは、ちょうど、検査を受ける娼妓のつらさを歌った部分である。これは、一葉が美登利の身上に起きていることを暗示するために仕掛けたものである。以上が、初検査説の主な論拠です。

初検査説の難点

 この初検査説はなかなか面白い説だとは思いますが、やはり難点があると思います。まず、初潮説・初店説を否定する際の論拠がやや薄弱です。たとえば、近藤氏を含む初潮説否定論者がしばしば「なによりの証拠」として注目するのは、当日夕方の美登利の母親の「風呂場に加減見る」行為です。当時、初潮だったら風呂には入らないはずだと。
 しかし、この「風呂」の準備が美登利ひとりのためだと断定する根拠は見当たりません。美登利一家が留守居をしている大黒屋(遊女屋)の寮(別宅)の「風呂」に入る、美登利以外の人物の候補として、美登利の母親・父親・大黒屋の主人・療養中の大黒屋の娼妓などなどが、可能性の大小は別にして、比較的容易に想定できると思います。したがって、風呂の件は、初潮説否定の決定的証拠とはなりえません。他の証拠も、これと同じように、解釈の仕方次第で無効となりうるように思います。
 一方、初店説を否定する論拠として、初店(美登利の初売春)がおこなわれる時間が無いという点を上杉氏は指摘しています。変貌した美登利は「昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひ」で恥ずかしがっているわけだから、初店は変貌の当日におこなわれたことになる。だが、美登利の朝からの行動を追うとそのような時間的余裕は無いと。
 しかし、佐多稲子氏が主張するとおり、初店が昨夜遅くのことであれば、問題はなくなるのではないでしょうか。「昨日の美登利」とは、昨日の日中までの美登利だと解釈しても、そんなに問題はないと思います。

 それはさておき、そもそも、初検査説が抱える最大の難点は、上杉氏・近藤氏の主張に反して、美登利が物語の最後まで正式な娼妓デビューをしないことです。

 明治22年の貸座敷引手茶屋娼妓取締規則では、16歳未満の者が娼妓になることは禁止されています。また、娼妓は「貸座敷内」つまり遊廓の遊女屋内以外の場所に住むことを禁止されています。遊郭内居住の義務は、こうした規則ができる以前、江戸時代から、遊廓の営業独占を維持する手段として重要視された、吉原内部の決まりごとでもありました。
 美登利の年齢は、作品中に明記されているとおり、14歳です。小学校の最終学年としてまだ学校に通っている美登利(2007/6/10付記:「最終学年」は間違いで、美登利は最上級生信如のひとつ下の学年でした)を正式に娼妓デビューさせることは、ふつう無理です。

 また、変貌の日以降、少なくとも物語のラストまで、一貫して美登利は遊廓吉原の外で暮らしています。これも、美登利がまだ娼妓となっていないことを示しています。検査期間に注目すると、娼妓は1週間に1回の検査が義務です。つまり、美登利が初検査を受けたのなら、それから1週間以内に廓内に移り娼妓デビューしないと、検査を受けた意味がなくなるのではないでしょうか。ふつうに考えると、検査後、1週間をまたず、早々にデビューするのが自然なように思えます。ここで変貌の日から物語のラストの水仙の朝まで、どのくらいの日数がたっているのかを確定するのは難しそうですが、さびしがっている友達からの遊びの誘いに対して、美登利が「今に今に」という「空約束」を「はてしなく」繰り返しつつ、その変貌ぶりが町の人々の噂にまでのぼり、例の水仙の朝のラストにいたる、といった展開からは、この間、決して少なくない日数が経過しているかのような印象を個人的には受けます。もし、変貌の日に、娼妓デビューのための検査を受けたとすると、その後、物語のラストにいたってもなお続く美登利の廓外居住は不可解です。

 まだ14歳であるにもかかわらず、美登利が娼妓デビューのための直前検査を受けたと主張する上杉氏や近藤氏は、その論拠として、『吉原大全』(上杉氏)、『北里見聞録』・『広辞苑』(近藤氏)の記述を引用しています。これらの文献では、娼妓デビューを「新造出し」「突出し」などと表現しています。そして、そうしたデビューが、13、14歳、あるいは14、15歳でおこなわれたとこれらの文献には書かれている。したがって、14歳の美登利が娼妓デビューすることになったと考えてもよいだろうというのです。

 しかし、わざわざ指摘するまでもなく、『吉原大全』は明和年間、『北里見聞録』は文化年間の文献です。残る『広辞苑』の記述がはたして論拠になりうるのかどうか疑問ですが、おそらくは、『吉原大全』や『北里見聞録』などの江戸時代の文献にもとづく記述でしょう。つまり、上杉氏や近藤氏が依拠するこれらの記述は、明治中期の吉原遊郭と娼妓についてはあまり有効ではありません。

 結局、上杉氏や近藤氏が主張する、14歳の美登利の娼妓デビューは、もしそれが実現したとするなら、佐多稲子氏が言うような、秘密の(違法な)初店であると考える必要があるでしょう(しかし、上杉・近藤両氏とも、自分の主張する美登利の娼妓デビューが、そうした特殊なケースだという自覚はないようです)。

 まあ、確かに、美登利のデビューがそんな秘密のデビューになってしまう可能性は否定できません。その点、佐多氏の初店説はなお有効でしょう。
 しかし、初検査説にとってそれは致命的な難点となります。秘密裡のデビューであるならば、美登利がわざわざ検査場へ行って正規の検査を受けてつらい思いをする必要はないからです。

 ここまで、初検査説に対する反証を挙げてみました。まとめると、①美登利は法的に娼妓デビューが可能な年齢に達していない。②美登利は廓外にずっと居住しているから正式な娼妓デビューにはいたっていないことが明らかである。③仮に正式なデビューではなく秘密裡の違法なデビューだとしたら、そもそも検査を受ける必要はない。  以上、①から③により、美登利が検査を受けたとは考えられません。

初検査説の可能性

 それでは、初検査説が成り立つ可能性についても検討してみましょう。上記の反証で依拠しているのは、明治22年の娼妓取締規則です。仮に物語の年代設定が明治27年ぐらいだとしたら、それまでに規則が変更され、14歳の娼妓デビューが公認されている可能性もあります(ちょっとだけ私も規則変更に関わるような史料を探しましたが、見つかりませんでした)。逆に、物語の年代設定が明治22年以前であれば、なんとかなるかもしれません。ただし、今度は検査場の建設が明治22年であることがネックですね。
 あるいは、『たけくらべ』はしょせん樋口一葉の創作の世界だから、14歳の正式デビューだって、初検査だって、何でもありえる、という読み方をしてみる。もしくは、一葉の吉原に対する知識が正確さを欠いていると考える。
 うーむ、それはちょっと難しいかも。娼妓の就業可能年齢や廓内居住義務について一葉が知らなかったとは思えません。創作だから・・・というのなら、まあ、何でもありといえばありですが。

2009.6.24.付記:最近、この記事のような主張に対しては、美登利の年齢が詐称される可能性や、上にも書いたように、一葉の知識に問題がある可能性にもとづく反論があることを知りました。検討の結果、やはりそうした可能性は低いだろうと考えています。興味のある方は、こちらの記事を。
 なんでも、森鴎外だって年齢を詐称していたのだから、美登利が年齢をごまかしてもおかしくはないんだとか。江戸時代に石見国で出生した森鴎外と、明治中期、義務教育制度が確立した後の地元の小学校に在籍する美登利とを同列に考えるなんて、そんなのアリなの?

 

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コメント

樋口一葉の『たけくらべ』についての文章を興味深く読ませていただきました。

さっそく質問というか、気になったことがありましたのでお聞きします。
「佐多稲子氏が主張するとおり、初店が昨夜遅くのことであれば」
とありますが、佐多稲子は「『たけくらべ』解釈へのひとつの疑問」のどのあたりでそれを言っているのでしょうか?
今、私の手元に1985年5月の「群像」のコピーがありますが、その195ページ上段に「彼女の上にもいよいよ姉と同じ現実が刎橋を渡った日に襲ったのである」とはっきり書いてありますし、また196ページにも「闊達であった美登利はすっかり、刎橋を渡って行った日から変わってしまった」とあります。
「初店が昨夜遅くのこと」という風に佐多さんは言っていないような気がするのです。私の読み違えであれば申し訳ないのですが、もしよろしければお返事をいただきたいです。

投稿: 嗜好性 | 2007/10/14 22:57

コメント、ありがとうございます。ご指摘の件、調べてみます。
実は「佐多氏の主張」云々は、かなり曖昧な記憶にもとづいて書いてしまった部分です。まずは、ごめんなさい。ご提示いただいた「群像」の文献ではなく、その後の論争の中で、佐多さんが自説を修正・補強しながら、そういった「主張」をされていたように記憶していたもので、ついつい確認もせずに書いてしまいました。記憶違いかもしれません。
ともあれ、ちょっと調べなおしてみますね。

投稿: 小林 | 2007/10/15 13:38

お待たせしました。佐多氏は、やはり、「初店」は「昨夜」のことだと主張しています。ただし、『群像』論文の表現は、あまりに誤解を招きやすいですね。同論文で佐多氏の批判を受けた前田愛氏も、「初店」は変貌当日のことだと佐多氏が主張しているというふうに誤解してしまい、反批判の論文では、変貌当日に「初店」が行われるような時間的余裕が無いことを丹念に論証しています。それに対して佐多氏は、あっさり、自分はそもそも「初店」が変貌当日のことだなどと主張してはいない、と切り返します。最初から自分は「昨夜」の出来事だと解釈している旨を述べています(『学鐙』1985.8.)。
とはいえ、やはりちょっと紛らわしすぎる表現ですね。

投稿: 小林 | 2007/10/16 20:45

わざわざありがとうございます。

なるほど……、『群像』ではなくて、『学鐙』(1985.8)の方だったのですね。
僕もその後すこし調べたのですが、もしかしたら『学鐙』の方に「昨夜」という記述があるのかもしれないと思っていたのです(僕は『学鐙』の存在を知らず、読んでいないのです)。

となると前田愛もそうですが、他のたくさんの論者も誤解したのではなかったでしょうか?
佐多稲子の最初の論文を普通に読むとどう考えても当日のことを言っているように見えます。少なくとも昨夜なんてわかるはずはないでしょう。これはやはり佐多稲子の書き方が良くなかったのですね。

そう考えると、細かい時間まで検証した前田愛の努力はなんだったんだろうかとも思ってしまいますが(役には立つんですけど、誤解から生まれた作業だと思うと気の毒ですね)。

どうもありがとうございました。もやもやしたものがすっきりした気分です。それでは。

投稿: 嗜好性 | 2007/10/19 00:27

確かに紛らわしい表現だと思います。まあ、学者さんではないのだから仕方ないのかもしれません。昨夜の“初店”を経て、今日、美登利は極彩色に着飾った人形のような姿へと変身した、というのが、佐多さんの言いたかったことだったのでしょう。
余談ながら、初店説の論拠として、「美登利がその日に身に着けた美しい着物の仕立てには日数が必要である。いつやってくるのか前もってわからない初潮であれば、このような着物がしっかり準備されているのはおかしい。したがって事前に計画されていた初店こそが変貌の原因である。彼女が着た着物は、初店後の祭礼の日のために前々から準備されていたのである。」といった指摘があります。
これを決定的証拠とする人もいますが、はたしてどうでしょうか。
当時であれば、お姉さん、あるいは他の女性のお下がりを着た可能性もかなり大きいと思います。だったら、別に初潮でも問題ないわけです。
そんなこんなで、なかなか初店とも初潮とも判定しにくいですね。
最近の私の関心は、むしろ、こうしたあいまいな、なぞめいた部分は、一葉が意図して作り出したものなのか、それとも、偶然そうなってしまったのか、という点にあります。もし、そうした点について論じた研究などがありましたら、ご教示くださいませ。

投稿: 小林 | 2007/10/22 12:02

こんにちは、遅ばせながら、たけくらべとこちらの記事を拝見させて頂きました。
とても面白く、勉強になりました。
私は女ですが、ただ漠然と、美登利は初店だったのだろうと考えておりました。
しかしそれ以外にも可能性はあり、深い考察についてもとても興味深く読めました。

1つ、こちらの記事にある検査否定理由について疑問があります。
秘密裡(違法)に初店が行われたのなら検査を受ける必要はない、とのことですか、
お客さんの方から検査を受けてほしいという依頼があったということはないのでしょうか?
もしくは廓内で、得意客へのサービスとして例外的に行ったというような。

ここまでくると考察ではなく妄想の域になってしまいますが…
当時の文化風俗に詳しくないため、不躾で申し訳ございません。

投稿: えみ | 2014/05/02 22:09

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