鞆の浦の問題
先日、鞆の浦の架橋・埋立問題について少し触れた記事を書いたら、ネット検索でそれを読みに来られる人がけっこうたくさんいらっしゃる。というわけで、今回は少し補足の記事を。
思い出のなかの鞆
鞆港の風景は美しい。近世以来の港湾施設もたくさん残っている。船が通ると静かな波のうねりが雁木をタプタプとたたき、繋留された小型漁船の間には、小さな雑魚の群れが時々サッと身を翻しながら泳いでいるのがみえる。
生まれて初めて酔っ払った経験は、たぶん小学生低学年頃に、鞆の名産、保命酒粕を食べ過ぎた時だった。結婚当初、金も無く、新婚旅行は日帰りの路線バス旅行で鞆へ行った。僕にとって、鞆はなにかと懐かしい町である。
そんな鞆の港に橋を架ける計画が進んでいる。計画では埋立地も造成する予定である。それらによって、鞆港の景観は大きく改変される。新婚旅行のとき、港の先の小さな砂浜で写真を撮ったりした記憶があるが、きっとその辺りが埋め立てられるのだろう。
住民の工事賛成
計画に反対する人々は、この架橋・埋立工事は「暴挙」だという。歴史的景観の価値など省みられることがなかったひと昔前ならいざしらず、今はそうした景観を守ることの大切さが広く認知され始めている。そんな中、鞆港の歴史的景観を破壊する工事なんて、まったく時代錯誤の「暴挙」なのだと。
一方、鞆の成人住民の9割を超える人々が、かつて、架橋・埋立に賛成の署名をした。こうした住民の支持を受けて、広島県や福山市は工事を進めようとしている。それに対して反対派の人々は、この賛成署名は鞆の町内有力者たちが地域社会のしがらみを利用して集めたものであり、問題があると主張する。それもまあある程度は事実だろう。
反対派の心情・動機は、冒頭に紹介したような鞆の思い出を持つ者として、また、歴史研究者として、それなりに理解できる。
反対のやり方
ただ、反対のやり方がまずいって気がしてならない。反対派の主張内容がもし上記の通りだとすると、彼らは賛成派の住民に対して、「あなたがたは無知で時代遅れで自立した意見など持てない非民主的な人たちです」って言い放っているようなものだ。これじゃあ、喧嘩にしかならないだろう。歴史的景観を後生大事に守ることを唱えながら、片方で、鞆の歴史的地域社会をズタズタに破壊していることになる。目に見えない分、後者の傷の方が深刻な状況へ進みやすいようにも思う。
県や市の主張を崩して工事をストップしようとするなら、賛成派の住民の大勢を説得して味方に引き入れ、鞆の住民の少なくとも過半数以上でもって工事反対を訴えるべきだ。県や市は、これまで、この工事計画は住民の多数の支持を受けているから実施するんだと主張してきたわけだから、これが一番有効かつ唯一の反撃方法ではないだろうか。
反対派が自分たちの思いをぶつけていくべきは、県や市に対してではなく、まずは、賛成派の住民に対してである。そうやって、鞆の住民の過半数の反対署名とかを獲得できれば、この工事を中止に追い込むことができるだろう。
(付記:このことについては、hatsudaさんからコメント拝受。私としては、やはり、反対運動が住民多数の支持を得ていない状態のままだと、たぶん運動は成功しないだろうし、もし仮に工事を中止できたとしても、鞆の将来に深刻な問題を残すのではないかと思います。)
なぜ工事に賛成するのか
反対運動を行うためには、まず、工事に賛成している住民の心情をちゃんと理解する必要がある。理解の前提は、まず鞆の町のとめどもない衰退・過疎化状況を知ることだろう。賛成派住民たちのうちの少なからぬ人々は、おそらく、橋がかかったからといって、鞆の町の抱える問題が解決するわけではないことぐらい、よく分かっているだろう。それでも、どうして人々は工事に賛成しているのだろうか。もし有効な反対運動を展開したいのなら、そこのところを、十分なシンパシーをもって理解していかなくてはならないだろう。おそらくそれは、県や市のかかげる建前としての工事目的(渋滞緩和やら観光開発やら)なんかとは相当違うところにあると思う。
それが理解できないまま、やみくもに、歴史的景観の保護は絶対だ、とか主張するのは、間違っていると思う。
観光化の問題
一方、工事反対派が描く、観光地・鞆の将来像に対しては違和感が強い。港の景観を守りながら、それを“売り”にして観光業を盛り立てていくべきだとかいった将来像である。世界遺産にしようとかいった運動もあるんだとか。
うーむ、観光で鞆の地域経済が潤うっていう目論見のずさんさが気になる。以前の記事にも書いたが、そのためには鞆に来る観光客が、短時間通過型ではなくて、宿泊滞在型になる必要があるだろうが、それは可能なのか?
滞在時間が数時間以内で通過していくタイプの観光客相手に十分儲けられるのは、せいぜい土産物店か軽い飲食店か、はたまた駐車場くらいだろう。まあ、鞆の町なかの条件の良い場所に土地や家屋を確保しているごく一部の人にとってはそれで良いのかもしれないが。そうじゃない人にとって、あまりに恩恵は薄い。
歴史的景観を“売り”にした観光地化に鞆の将来を託そうと主張する人々が決まってお手本に持ち出すのが、イタリアの古い町々である。そんな人たちは、例えば、ヴェネツィアの超深刻な過疎化問題なんかを知っているのだろうか(ちなみに温暖化による水位上昇がこの町の過疎化の原因だというのは誤解だろう。問題の原因はもっと本質的なところにある)。あるいは、トスカーナのサンジミニャーノやピエンツァみたいな歴史テーマパーク化して空洞化する小さな町々の姿を。
鞆がそんな歴史テーマパークを目指すなら、それはそれで重大な覚悟が要ることだ。それは、架橋・埋立工事と同じくらい、従来の鞆の町を変えてしまうことだから。(付記:その後、架橋反対を熱心に主張されている法政大の陣内先生と偶然お会いして少しだけお話をうかがう機会に恵まれました。それについてはこちらの記事をご覧下さい。)
2009.3.27.付記 先々週、鞆の浦へ行きました。架橋・埋立問題とは無関係の仕事があったからですが、実際に鞆の町を歩いてあらためて思ったことを書きましたので、よろしければ、こちらの記事へ。
それから、ネット検索してて、この問題について私としては共感できる部分が多いブログ記事にやっと出会えたので、勝手に紹介します。付けられたコメントも説得的な内容です。 『あそコロ♪優パパ日記』から「続・鞆の浦架橋問題」
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コメント
hatsudaです。お久しぶりです!
都市工時代のお隣の研究室が鞆の浦に関わっていた関係で、一度訪れたことがあるので、コメントさせていただきます。
わずかなヒアリングの経験ですが、埋立反対派の人も観光でやっていけるとは必ずしも思っていないと思います。
おっしゃるように賛成派に働きかけられれば一番なのでしょうが、ただ現場レベルでの対立はかなり感情的なものもあり、難しいように聞きました。
少なくともこうした対立状況の中で埋立を強行するのは、将来にわたってコミュニティを分断してしまうし、数百年にわたって形成されてきた景観をごくごく最近の議論だけで更新してしまうのはどうかなぁというのが僕の実感です。消極的な反対論ですが……
尚、お隣の研究室のwebsiteは下記の通りです。(もうご存知かもしれませんが!)
http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/project/p00/tomo/tomo.html
投稿: hatsuda | 2008/02/28 13:17
お久しぶり。「東京人」の玉稿を拝読。いろいろ嬉しかったです(というか申し訳ないというか)。
鞆の浦の問題は、おっしゃるとおりですね。結局、賛成派住民に働きかけができないところまでこじれさせたことが失敗だったと思います。こじれた原因は、賛成派・反対派の双方にあるのでしょうが、今、反対派がやっているようなマスコミや“タレント”文化人を招いてのイベントやら、全国相手の署名運動やらは、問題をさらに悪化させるように思えて仕方なく、今回の記事を書きました。
もし外部の人が反対運動に加わるなら、なぜ鞆の住民の少なからぬ人(たぶんまだ賛成派の方が多数じゃないでしょうか)が工事を歓迎しているのか、その真の理由を理解する努力が必要だと思います。その上で解決策を検討すべきだと。
投稿: 小林 | 2008/02/28 16:42
ある方からのご紹介で、拝読させていただきました
鋭い着眼点と表現力に感動すらおぼえました
その2つの派閥の相互理解をまず第一に願っております。
双方の利益を尊重し合い、双方で納得した結論が出てくれないものか?と期待しております。
また、寄らせてください
投稿: 深藤 | 2008/03/24 14:19
はじめまして、深藤さま。鞆検定のサイトを拝見しました。鞆にお住まいの方なのでしょうか。賛成派・反対派の間の相互対話を生み出そうというご努力に対して敬服します。単純に賛成だったり、あるいは反対だったりする立場よりも、場合によっては、厳しい状況に追い込まれかねない立場ではないかと心配もします。が、現在の鞆に不可欠な運動だと信じます。
投稿: 小林信也 | 2008/03/24 15:01
はじめまして。福山市に住む者です。実際に鞆に住んでいる人は賛成多数みたいです。あの道路の狭さに加えて高齢化も進み、カートを押しながら歩く高齢者が多いのも事実です。ポニョ効果でさらに観光客は増えるのは良いと思うのですが(買い物などでお金を落とすかは別で)ランクルのような大型車でズカズカ入ってきて、狭さのためにどちらかが止まって待つルールも無視して身動きが取れなくなる光景をよく目にすると思います。高齢者も多く大変危険です。地元の僕らでさえ通る気を無くす道路です。安全のためにも観光のためにも架橋建設は賛成ですね。
反対しているのは実際に住んでいる住民ではなく、観光に来た人や映画関係者、評論家などではないでしょうか?
投稿: 匿名 | 2008/12/14 23:26
「匿名」さん、コメントありがとうございます。お書きいただいた鞆の道路問題は、たしかにその通りなんだろうと思います。
私も、反対派の主張に対しては、少なからぬ疑問を感じています。それを記事に書いたつもりです。
ただし、外部の人々だけでなく、昔から鞆に住んで鞆を愛している人の中にも反対派はいらっしゃるようです。また、賛成派の人の中にも、港が埋め立てられ橋が架けられ昔からの景観が失われることを悲しむ人もいるようです。「景観だってそのまま守れるのなら守りたい。だけど、現状は・・・」というのが、賛成派であっても、多くの人々が抱く思いではないでしょうか。
そうだとすれば、反対派と賛成派との間で話し合いを進め、解決策をさぐる接点がたしかにあったことになります。
反対の理由の方は、かなりシンプルです。わかりやすい。ところが、賛成の理由の方は、相当複雑だと思います。市役所の公式見解などを読んだだけの表面的な理解だと間違ってしまいます(多くのマスコミはこのレベルで無責任な批判を展開するから、話がこじれてしまう)。逆に、訳知り顔で、利権がらみの裏話を持ち出してきてもだめだと思います。賛成の理由の方を十分なシンパシーをもってしっかり理解する努力が必要だったのでは。
鞆を愛し鞆の将来を思う、という反対派・賛成派双方の共通の立脚点を大事にしながら、ちゃんと実りのある話し合いが持たれてきていたならば、もっと状況は変わっていたようにも思います。
投稿: 小林 | 2008/12/15 11:08
○何が問われているのか
賛成派と反対派の話し合いによる利害の調整が必要とのこと。
ということは、いま問われているのは
賛成派と反対派の対立でしょうか?
○問われているのは、埋立架橋
町を通過する県道が狭いので、代替道路が必要。それは、その通りです。一度でも鞆に足を運べばわかります。
その代替道路は、埋立架橋しかないのか?
行政(県、市)は、埋立架橋しかないと言って、ほかの意見に耳を貸さない。
○金子国交相も「国民的合意」の必要性を指摘
自らの選挙区内に高山、白川郷などを抱え歴史都市、伝統的集落のあり方について努力してこられた政治家なので、鞆のあり方も他人事ではなかった。
○福山市長は、国民的合意の指摘さえ理解できない
反対派とは話し合わない。埋立架橋を推進するために市役所内に新しく課を設け事業を推進する方針を明らかにした。
鞆の将来について関心のある人々の理解は得られるわけはないし、町内における賛成派と反対派の話し合いも成り立つわけはない。
○問われているのは何か
以上のように見てくると
賛成派と反対派が対立していることが問題であるよりも
行政が何が何でも進めようとしている埋立架橋の正当性なり
行政自体の手法でしょう
したがって、そのことが今訴訟でも問われていると思います。
「私たちが、訴訟を起こしたのは、
「対立」でも「争い」でもありません。
人間の叡智と道理と正気をもって
解決にあたりたいと、
願ったからに他ならないのです。」
原告の意見陳述より
投稿: 一国民 | 2009/02/22 16:36
「一国民」さま、ていねいなコメントありがとうございます。
私の記事の文章のピントが甘いせいで、ちょっと論点がずれちゃいましたね。
私が言いたかったのは、鞆に暮らしている工事賛成派の人々が、どうして賛成しているのか、その理由を、十分なシンパシーをもって理解した上で、この問題を考えるべきではないか、ということです。
「一国民」さまのことではありませんが、マスコミやネットで、工事に反対する立場の人の主張をパラパラみると、賛成派住民はみな無知で時代遅れで欲張りだから賛成しているのだと言わんばかりの論調が多くて閉口しています。
互いが信じる、相異なる「正当性」を、そのまま正面から衝突させてどっちが相手を圧倒するか争う、といった事態をさけることこそが、まさに「人間の叡智と道理と正気」でしょうから。
投稿: 小林 | 2009/02/24 00:46
「一国民」さまからいただいたコメントに対して私が書いた先のコメントを自分で読み返しましたが、相変わらず、意味不明のピンボケですね(笑)。
「一国民」さまの指摘によると、小林は賛成派と反対派の対話不成立を問題にしているが、今、問題とすべきなのは(今「問われているのは」)それではない。行政の手法の正誤であるとのこと。
たしかに、現在、裁判などで問題となっているのは、その点でしょう。実際に工事がスタートするかしないかも、今となっては、そこにかかっている。
それはそのとおりなんですが、だけど、仮に行政の手法が誤っていると判定されたとしても、問題はまったく解決しませんよね。
今後埋立架橋計画を推進すべきか、やめるべきか。この問題は依然として残るわけですから。
その場合、「国民的合意」とやらがもつ意義の軽重はこの際おいといて、やはり、地元鞆の浦の住民の中での賛成派と反対派との意見調整こそが一番重要だと思います。そうした調整の結果出された住民多数の意見であれば、福山市もこれを重視せざるをえないと思うのですが。また、「国民」としてもそれをある程度尊重せざるをえないと思うのですが。
投稿: 小林 | 2009/02/24 12:10
どのような判決がでるのでしょうか?
それ次第では、国交相も認可しないし、広島県知事は埋め立て免許を下せず、事業に取り掛かれない事態も予測できないわけではありません。
仮定に仮定を積み重ねても仕方ないのですが、埋立架橋はできないが、代替案も考慮せず、鞆をほっぽらかしにしてしまう。
そうしたことさえ起こりかねません。
>賛成派と反対派の意見調整こそが一番重要
できれば、それに越したことはありませんが、できないのはなぜか?
それこそが重要だと申し上げているのです。それを抜きに地域のことは地域に任せろと言ってもみても、問題は解決しないと思いますが…
鞆の埋立架橋は、地域の問題で国民的合意とは何か理解できないと言っているのは
誰なのか、問題はそこにあるのではないでしょうか。
投稿: 一国民 | 2009/02/24 18:44
なるほど・・・
「>賛成派と反対派の意見調整こそが一番重要
できれば、それに越したことはありませんが、できないのはなぜか?
それこそが重要だと申し上げているのです。」
そうですよね。「賛成派と反対派の意見調整こそが重要」。一国民さまと私との間でも、この点では見解の一致があったようでうれしいです。
で、それが「できないのはなぜか?」
一国民さまの先のコメントによれば、
「○福山市長は、国民的合意の指摘さえ理解できない 反対派とは話し合わない。(だから)町内における賛成派と反対派の話し合いも成り立つわけはない。」
つまり、だめな市長のせいで、賛成派と反対派との話し合いが成り立たない、とのこと。
この辺の事情が、遠隔の地にいる私にはいまいち理解できません。市長が立派な人に交代すれば、あるいは今の市長が改心すれば、話し合いはすぐにでも成り立つということでしょうか?
いやいや、そうではなく、一国民さまがおっしゃりたいのは、賛成派の側に一方的に立っている今の市長の性急で強引な手法のもとでは、話し合いの場を設ける努力も否定されるし、そうした努力をする時間的な余裕も無い、ということですよね。
話し合いが成り立たないのはなぜか?それについては、一国民さまのおっしゃるとおりかもしれないし、もっと別の理由だってあるのかもしれない。残念ながら、この問題をさらに深く考えるための材料を私は持っていません。
ただ、諸条件が整って、もし賛成派と反対派との意見調整をおこなう場ができるとしたら、そのときは、私が記事で書いたように、工事賛成派の主張を十分なシンパシーをもって理解する努力が不可欠だと思うのです。
「おまえらはアカだ!」「いや、おまえらは、歴史的景観の価値などこれっぽっちも理解できない時代遅れだ!」
これじゃ、喧嘩にしかならないですよね。
月並みですが、まずは相互理解が話し合いの前提でしょう。
そうした前提のもと、幼稚な喧嘩じゃなくて、実りのある話し合いが必要だと思います。その話し合いの成り行きを尊重しながら、国民的合意とやらも図られるべきだと思うのですが。
投稿: 小林 | 2009/02/25 12:20
>諸条件が整って、もし賛成派と反対派との意見調整をおこなう場ができるとしたら
今のままではできないと申し上げているのですが、手をこまぬいているままで、それができるとお思いであれば、それはそれでよしとしましょう。
>「おまえらはアカだ!」「いや、おまえらは、歴史的景観の価値などこれっぽっちも理解できない時代遅れだ!」
これが推進派と反対派の主張の要約ですか?
「おまえらはアカだ!」との言説が、歴史的にどのような役割を果たしてきたかお分かりではないのですか?
推進派の主張には、そうした言説もみられますが、推進派の主張がそうなのであれば、私はそうした主張とは対極の立場に立ちたいと思います。
投稿: 一国民 | 2009/02/25 21:50
相変わらず、私の文章が拙いせいで、一国民さまには誤解を与えてしまっているようで、本当に申し訳ないです。
『>「おまえらはアカだ!」「いや、おまえらは、歴史的景観の価値などこれっぽっちも理解できない時代遅れだ!」
これが推進派と反対派の主張の要約ですか?』
いいえ、これは推進派と反対派の主張の要約ではありません。
お手数ながら、もう一度、拙文を読み返していただけるとさいわいです。
さらなる誤解を恐れず、乱暴な言い方をお許しいただけるなら、これらは、推進派側のいろんな主張の中のもっとも質の悪い部分と、反対派側の主張の中のもっとも質の悪い部分であると私が考えているものを抜き出して対置したものです(その点では、少なくともアカ云々に関して、一国民さまと私は間違いなく同じ意見だと思うのですが)。
で、もし推進派と反対派の間でこんなレベルの低い非難のぶつけ合いをしたら当然「喧嘩にしかならない」。だから、それはよしましょうよ、という私見を書いたつもりです。
投稿: 小林 | 2009/02/26 19:06
誤解をしている訳ではないのですが、わざと挑発的な言説を弄してきたことは、お詫びしたいと思います。
これからは、鞆に即してこれまで述べてこられたことに疑問をていしてみたいと思います。
>「鞆の明るい将来は歴史的景観を活かした観光地化にある。」といった類の無責任な外野の発言にもかなり違和感を感じる。バブル期のリゾート開発業者じゃあるまいにね。観光地として鞆の地域経済が潤うには、鞆が短時間通過型でなくて宿泊滞在型の観光地になる必要があるが、そんなことは本当に可能なのか?かなり難しいと思う。たとえば、鞆が日本各地にある三セク系がらがらテーマパークみたいな町になるのは、福山市民にとって最悪の事態だろう。
この見解は、今もお変わりありませんか?
そうであるとすれば、さまざまな誤解に満ちていると思えますが…
それについて述べると長くなるので稿を改めて述べたいと思います。
そのことをお許しいただきたいと思います。
投稿: 一国民 | 2009/02/27 01:22
鞆の歴史的景観を活かした観光は、宿泊を前提にしなくても充分味わうことができると思います。
それは、町中を歩きまわっても一日あれば、それなりに事足りるからです。それほどコンパクトなまちである特性をもっているからです。
それに加えて、空き家を再生した創作土産物屋、飲食店などでまちは活性化しています。
そうした鞆を求めてやってくる観光客が増えています。そうした観光客はバスを利用して訪れています。
したがって、観光バスでやってくる団体客による観光を前提にしなければ観光を振興できないという行政と推進派の見解は理解できません。
埋立架橋は、短時間通貨型の観光を促進するだけでしょう。
それは、観光公害を増やすだけではないでしょうか。
もっとも宿泊滞在して鞆をまちや歴史的景観、歴史遺産、自然、風土を味わいたいという人が増えればそれに越したことはありあません。そのためには、すでに十分な宿泊施設が整っています。というか、歴史的景観を損なうほどの高層ホテルもひとつだけではありません。
>日本各地にある三セク系がらがらテーマパークみたいな町になる
これは、どういう状況を想定されているのでしょうか。お教えいただければ幸いです。
投稿: 一国民 | 2009/02/27 01:52
早速のコメント、ありがとうございます。
「>日本各地にある三セク系がらがらテーマパークみたいな町になる
これは、どういう状況を想定されているのでしょうか。」
これは、ときどきニュースになるどこかの町々のように、鞆の観光地化が失敗して町が衰退する状況です。ただし、私個人的には、きっとそうなると考えているわけではありません。だけど、もしそうなったら最悪だろうということです。あるいは、そうした最悪の可能性も視野に入れて、観光関連以外の瀕死の地域産業の延命策などをセットにした将来設計をすべきだろうという話です。
念のため付け加えますが、だから鞆の反対派住民は間違っている、とか言ってるわけではありませんよ。引用いただいた部分にも書いた通り、ネットなどでしばしば目にする「無責任な外野の発言」に対する疑問を述べたまでです。
投稿: 小林 | 2009/02/27 10:50
あ、それから、もう1点。
「鞆の歴史的景観を活かした観光は、宿泊を前提にしなくても充分味わうことができると思います。それは、町中を歩きまわっても一日あれば、それなりに事足りるからです。それほどコンパクトなまちである特性をもっているからです。」
的確なご認識だと思います。私の懸念もそこにあります。記事本文から一部再掲の煩をお許しください。
「滞在時間が数時間以内で通過していくタイプの観光客相手に十分儲けられるのは、せいぜい土産物店か軽い飲食店か、はたまた駐車場くらいだろう。」
こうした問題を考慮しながら、地域経済全体に良い効果が波及するような観光地化のあり方を探る必要がありますよね。
まあ、それ以前に、観光地化のやり方に関して住民の十分な合意形成が必要ですよね。仮に世界遺産にでもなって、急激な観光地化が進むとしたら、それは、埋立架橋と同じくらい、従来の鞆の町を大きく変える可能性が大きいですから。
投稿: 小林 | 2009/02/27 12:38
「ときどきニュースになるどこかの町々のように、鞆の観光地化が失敗して町が衰退する状況です」
夕張のようなケースでしょうか?
歴史遺産を活かすというより、過剰投資してテーマパークを造り上げて破産というとらえ方でいいのでしょうか
鞆に必要なのは下水道、港湾の水質浄化、伝建地区の保全など生活関連投資と歴史遺産の保護と活用を通じた観光、活性化だと思います。
埋立架橋が完成しなければ下水道の整備はできないなど、懸案事項を解決するには埋立架橋しかないと行政は宣伝してきました。
しかし、下水道は福山側から整備していっているので鞆は後回しになるというのが実態であることも訴訟の過程で明らかになってきました。
防災避難地が、現在は急傾斜地にある学校の校庭であり危険。その代りに埋立て地を避難地にとのことですが、海に面した埋め立て地に台風や地震などの場合、避難できるのですか?
景観に配慮して低く抑えた橋だそうですが、高潮と台風が重なったときに通行できるのでしょうか?
投稿: 一国民 | 2009/02/27 15:14
「観光関連以外の瀕死の地域産業の延命策などをセットにした将来設計をすべき」
鞆鉄鋼団地 構造不況要因を抱えています。製品、原材料の運搬や従業員の通勤の便を図るために埋立架橋との意見もありますが、埋立架橋で問題が解決するのでしょうか。
「仮に世界遺産にでもなって、急激な観光地化が進むとしたら、それは、埋立架橋と同じくらい、従来の鞆の町を大きく変える可能性が大きいですから」
世界遺産の可能性はあると思いますが、そのためには観光公害をおこさないよう事前に保存管理計画が必要です。
それこそ、交通対策を含めたまちづくり計画を前提につくるべきでしょう。
福山市長は、世界遺産の前提になる国指定文化財が少ないので、鞆は世界遺産の対象にならないと市議会で答弁しています。
本末転倒です。
雁木、常夜燈など歴史的港湾施設は国指定文化財の価値があると思います。また港湾、伝建地区を含めて重要文化的景観の価値もあると思います。
そうした指定、選定に向けての努力をする気さえないのが問題です。
そうした歴史遺産の保護と歴史まちづくり法による地域の保全を組み合わせてまちづくりをするべきだと思います。
投稿: 一国民 | 2009/02/27 15:51
福山市議会が開会しました。
「平成21年第2回定例市議会市長総体説明」を読むと、市長の鞆に対する考えは、埋立架橋推進一本やりですね。
推進派と反対派の話し合いなど、望みうべきもありませんね。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/life/detail.php?hdnSKBN=A &hdnKey=4649
来年始まるNHKの大河ドラマ坂本竜馬を利用して,「『福山らしさ』創出事業~龍馬と鞆の浦の魅力を追い求めて~」に取り組むそうです。
具体的な事業は、プレ企画として,ホームページを開設して龍馬と鞆についての情報発信を行うとともに,龍馬ゆかりの地である高知市や長崎市との都市間連携によるイベントを実施すること。高知競馬とタイアップして竜馬の冠をかぶせた交流レースを実施すことと市営渡船を更新し,新たに(仮称)平成いろは丸を建造することだそうです。
鞆には坂本龍馬資料館も御舟宿いろはなど
本物の坂本竜馬ゆかりの施設もあるんですけどね…
交通対策にも取り組まずに、坂本竜馬キャンペーンだけに取り組んでもらっても困るんですけどね
投稿: 一国民 | 2009/02/27 20:47
早速の、そして詳細なコメント、ありがとうございます。
『「仮に世界遺産にでもなって、急激な観光地化が進むとしたら、それは、埋立架橋と同じくらい、従来の鞆の町を大きく変える可能性が大きいですから」
世界遺産の可能性はあると思いますが、そのためには観光公害をおこさないよう事前に保存管理計画が必要です。
それこそ、交通対策を含めたまちづくり計画を前提につくるべきでしょう。』
そうですね。観光公害の問題は重要ですね。世界遺産登録を目指すことの是非については、埋立・架橋問題の反省を活かして、そんな失敗は繰り返さないように、鞆の住民の中でよくよく話し合っておくべきだと思います。
仮に観光地化が成功したとして、私が懸念しているのは、鞆の町が、記事本文で書いたように、歴史テーマパーク化してしまうのではないか、ということです。
古い建物を利用した売店や飲食店が並び、日中は観光客が通りを行き交ってはいるが、従来の住民生活はどんどん町から消え去っていく。そうした危惧です。
もちろん、実際に、今現在、深刻な過疎化で空き家が増加しているわけですから、観光地化という選択肢が間違っているわけではないと思いますが。
繰り返しになりますが、「観光関連以外の瀕死の地域産業の延命策などをセットにした将来設計をすべき」だと思います。
投稿: 小林 | 2009/02/28 16:41
こんにちは。私は9月に教育実習を控えております学生です。
その際に中学校社会科 公民的分野で地方自治の授業をする際にこの鞆の浦の景観保全訴訟を題材にした授業はできないかと試行錯誤しております。
そこでこの件に関する質問にいくつか答えていただけないかと思い、コメントさせていただきました。
まず、埋立工事賛成派が9割を占めていたという情報の入手源はどちらでしょうか。聞き取り調査によるものかなんらかの文献であるものか教えていただきたいです。それにも関わらず反対派の意見が地方裁で通ったという解釈を私はしましたが、それに間違いはないでしょうか。
ブログにコメントするのは不慣れでして、もしマナー等に問題があるようなことをしてしまっておりましたら申し訳ないです。お忙しいとは思いますが返答いただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
投稿: 教育実習性 | 2018/08/07 10:48