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2008/02/01

福山・鞆の浦

 福山への帰省
 
 先日、事情があって、実家のある広島県福山市に帰省した。もうかれこれ7、8年くらい帰省してなかったから、今回久しぶりに福山の街を歩いてみて、なかなか感慨深かった。といっても、滞在時間が5時間程度のとんぼ返りだったから、あまりあちこちを訪ねることもできなかったのだが。まあ、久しぶりに帰るからこそ気づく街の変化もあるとは思った。

 なによりも印象深かったのは、中心市街地の衰退ぶりだった。商店街は壊滅的だ。再開発計画もあるようだが、それがかえって致命傷にならなきゃよいが。
 
 一方、郊外に立地する出身高校の周囲には、ロードサイド店舗が激増していた。高校生の頃はまだ田んぼもあったのに。その頃、幹線道路沿いにポツポツと増えつつあったそうした店舗が、今は裏道の方にも広がっている。かつては点々と散在していたそれらの店舗が、次第に連続的な街区を形作りつつある。ロードサイド店舗群における市場性の芽?

 鞆の浦の問題
 
 今、なにかと「業界」内で話題になっている鞆の浦には行く時間もなかった。鞆の浦は福山市内にある。せっかく自分の故郷の問題なんだから、少しまじめに考えてみてもよいかなとも思うのだが、なかなかなぁ。
 
 おそらく、福山の人たちの少なからぬ部分は、歴史的景観の保全なんかよりも、道路橋や埋立地の早期建設を歓迎している。実際、建設推進派は鞆の浦の住民の9割以上の署名を集めている。この署名については、狭い地域社会内のしがらみを利用して集められたものだと批判する声が「業界」内にもあるみたいだが、思うに、その「業界」団体などが協力して集めた反対署名の方にも何かと問題があるんじゃなかろうか。それが、鞆へ行ったことがないとか、鞆が広島県のどのあたりにあるのか知らないとかいった人にまで、「業界」内のツテで頼んで集めた署名だとしたら、どっちもどっちという気がする。

  「鞆の明るい将来は歴史的景観を活かした観光地化にある。」といった類の無責任な外野の発言にもかなり違和感を感じる。バブル期のリゾート開発業者じゃあるまいにね。観光地として鞆の地域経済が潤うには、鞆が短時間通過型でなくて宿泊滞在型の観光地になる必要があるが、そんなことは本当に可能なのか?かなり難しいと思う。たとえば、鞆が日本各地にある三セク系がらがらテーマパークみたいな町になるのは、福山市民にとって最悪の事態だろう。

 うーん、やっぱりたまには帰省してみないといけないな。

付記:
 えっ、鞆の浦の問題って何?って人も多いでしょうから、簡単に説明を。 福山市の南端、海岸部にある鞆という町の真ん中を県道がはしっているのですが、これがめちゃくちゃ狭くて車もすれ違えない。そのため、海の方に橋を架けたり埋め立て地を造ったりしてバイパス道路を通そうという計画が立てられた。しかし、海上に橋をかけると、稀少な歴史的景観である鞆の港湾風景が損なわれてしまう。そのため、計画推進派と計画反対派とが対立した状態が発生。この問題について、ネットで検索しても、反対派側の情報がほとんどで、問題の具体的な構図がなかなかつかみにくいのですが、とりあえず、こちらの記事や、こちらの記事などを参照のこと。

付記2:補足記事をかきましたのでそちらもご覧下さい。「鞆の浦の問題」

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