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2008/05/28

近世の終焉としての現在 6

  Ⅱ.小経営の時代の終わり

 ②商店街の消滅

 私の家の近所に、○○通り商店街という場所がある。私が引っ越してきた17年くらい前には、まだ通りの入り口には、商店街の名前を掲げたアーチがかかっていた。年末には福引もやっていて、何千円かの商品券をあてた記憶もある。私が引っ越してくる以前は、にぎやかな夏祭りも開かれていたという。
 
 入り口のアーチが撤去されたのは、私が引っ越してきてから数年後のことだった。そして、荒物屋・ケーキ屋・薬局・本屋・寿司屋・豆腐屋などが次々に店をたたんでいった。今は、商店街というよりも、ありふれた住宅街の中に、商店がところどころかたまって点在している、という状態だ。
 一般の住宅街と異なるのは、装飾の施された街灯が通りに並んでいることぐらい。それが唯一、ここがかつては繁華な商店街であったことの痕跡といえるだろう。

 とりあえず、小売商店に注目して、商業統計調査などをパラパラめくり、数字をおおざっぱにあげておこう。1958年だと、全国の小売商店の店舗数(事業所数)は、約140万店舗。そのうちの、なんと90%余りを個人商店が占めていた。数にすると、およそ126万店舗となる。

 その24年後の1982年だと、店舗数は、約172万店舗に増えている。そのうち、個人商店が占める割合は約73%で、その比率は下がっているが、店舗数全体が増加していて、個人商店の数が減ったわけではない。およそ125万店舗が個人商店であって、ほとんど変化は無い。店舗数全体の増加は、法人商店の増加によるものである。

 それから20年後の2002年になると、状況は大きく変わっている。この間、店舗数は減少し、約130万店舗となった。そのうち、個人商店の占める割合はおよそ55%で、その数は約72万店舗。20年間に、なんと53万店舗も減少している。つまり、この20年間で、個人商店の数は、42.46%もの減少をみせたのである。
 まさにこれは激減といえる。

その後の個人商店の減少率は、2002年から2004年までの2年間で7.9%、2004年から2007年までの3年間で13.4%となっていて、依然としてかなり大幅な減少が続いている。

さらに、これらの個人商店のなかから、従業員の多い店舗(例えば、何人ものアルバイトを抱えて経営するコンビニなど)を除いた、家族のみ、あるいは、家族とごくわずかの雇用従業員だけでやっているようなタイプの店舗を対象にすると、その減少傾向は、もっと顕著になるだろう。

 つまり、夫婦・家族を中心にした小売商店というものは、急速にこの日本社会から姿を消しつつある。

 もろもろの統計をあたれば、残ったお店を支える人々の高齢化傾向や後継者の欠如といった状況を数字で明示できるだろう。おじいさんとおばあさんが、さほど儲かっているとも思えないお店をやりつつ、「息子は勤め人だから、この店も私たちの代でおしまいだ。」と言っているようなケースである。全国的な統計分析などは、またいつか。

 このように、先の記事に書いた農家の場合とほぼ同じ状況が、個人商店=商家においても見出せるのである。

 そして、こうした個人商店の激減と平行して現象しているのが、商店街の減少であろう。これも、ちょうど農業集落の減少と同様である。

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2008/05/23

近世の終焉としての現在 5

Ⅱ.小経営の時代の終わり

 ①農家と農村の消滅(その後半)

 以下、農村の現状について、内田多喜生「2005年農林業センサスにみる農業集落の現状と課題について」(『調査と情報』農林中金総合研究所2006.5.)に学びつつまとめてみる。

 まず統計調査における農業集落の定義とその数について。
 1955年の臨時農業基本調査において、農業集落とは、農業生産・農業経営上のあらゆる面での共同に加えて、冠婚葬祭やその他生活面で密接に結びついた農家集団のことだとされていた。その後、1970年の農林業センサスにおいては、上述の農家集団の生産・生活が展開する空間領域の確認に労力がさかれ、属地的に農業集落の範囲が定められた。
 そして、1955年調査の段階では、全国で約15万6千集落が存在したが、1970年の調査段階では、約14万集落となった。その後30年以上、統計上は、この約14万集落前後という数字がおおむねキープされるが、2005年のセンサスにおいて、農業生産にかかる共同作業が実態として存在すること、という条件が加わることによって、カウントされる集落数は一気に減少し、約11万1千集落となった。
 1970年以降、統計上の農業集落の数は、それが属地的に数え上げられていたため、ほとんど減少しなかったものの、実際には、2005年までの間に、約3万集落において、農業共同体としての実態が失われていったわけである。

 今後、前回の記事に書いた農業人口の急速な減少は、農業集落数の減少の動きを早めるはずだ。平野部においては、農業集落から非農業集落への転換が進むだろう。中山間地域においては、いわゆる限界集落が急増し、やがて集落自体が消滅するケースが増えるだろう。
 内田多喜生は次のように述べている。「日本の地域農業を支えてきた農業集落は、現在構造的な変化が生じつつある。条件不利地域においては、高齢化・過疎化により農業集落の機能の維持が難しくなりつつあり、また都市部では混住化により、農業共同組織としての性格が弱まってきている。筆者のここ数年の聞き取り調査でも、関東地方の都市近郊農協で集落構成員のほとんどを非農家が占めるようになり農家組合が解散したケースがあったし、その一方中国地方の山間部では、農家の減少で農業集落そのものが消滅したケースもあった。そして、昭和一ケタ世代が全て75歳以上の後期高齢者層へ移行する今後5年程度でこの傾向はさらに進み、農業集落の持つ多面的な機能が急速に低下していく恐れがある」。

 また、1970年センサスの調査結果のひとつを内田が紹介している。それは、北海道を除く都府県に存在する約14万集落のうちの95%が、明治以前に成立した集落であるというものだ。つまり、近世から現代まで命脈を保っていた農村(農業集落)が、今ここにきて、急速に姿を消しつつあるわけだ。

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2008/05/19

近世の終焉としての現在 4

Ⅱ.小経営の時代の終わり

 ①農家と農村の消滅(その前半)

 今の日本社会において、もっとも急速に消えているものはなにか。それは、街角の公衆電話だろうって思うかもしれないが、それと同じくらいの勢いで数を減らしているのは、農家と農村であろう。

 近世期の農家人口が総人口に占める割合は、一般に、80%を超えるといわれる。その後、戦前まではおおむね農家人口3000万人で、総人口比だと40~50%が保たれる。人口比は長期減少傾向だが、ただし、この間、総人口自体が増加しており、農家人口の絶対数についていえば、それほど極端な減少はなかったといえる。農業の就業人口でみても、明治前期から1960年代までは、1300~1400万人の水準が維持されてきた。

 その後の高度成長期で就業人口は激減し、1990年には、上記水準の3分の1の400万人弱となる。農家人口も減少して1700万人強となり、総人口に占める割合は15%を切った。

 近年、それらの減少傾向は加速している。2006年では、就業人口が320万人あまりとなった。戦前の水準の4分の1をさらに下回っている。農家人口は、1000万人を大きく割り込んで、793万人あまりとなっている。総人口に占める割合は、わずか6.2%となった。

 また、就業人口の60%ちかくは65歳以上の高齢者が占めており、後継者不足の問題とあいまって、今後の農業人口の減少にはさらに拍車がかかる見通しだ。2025年には、農家人口が総人口に占める割合は、2.7%にまで落ち込むという将来推計も出されている。

 今回の記事の見出しの「消滅」は大げさすぎるかもしれないが、それでも、私たちの社会において、農家というものは、相当、希少な存在になりつつある。 (次回は、農村の「消滅」について)

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2008/05/15

近世の終焉としての現在 3

  Ⅰ.日本史の転換点をめぐって

 ②近世・近代連続史観~尾藤説と朝尾説の一致

 もちろん、近世・近代(近現代)連続論は、僕が考えついたものではない。有名な研究者二人の主張の受け売りである。その二人とは、朝尾直弘さんと尾藤正英さんである。
 朝尾さんと尾藤さんについては、日本史研究者相手ならあらためて紹介する必要はないだろう。現在の近世史研究の二大権威といってよいかもしれない。朝尾さんは元・京都大学教授。尾藤さんは元・東京大学教授。尾藤さんは近世思想史が専門。朝尾さんは何が専門とは言いがたく、近世史全般で優れた業績があるが、国家史・社会史とでも呼ぶべき分野が中心かもしれない。乱暴にいえば、朝尾さんと尾藤さんは、同じ近世史研究者であっても、ちょっとタイプの異なる研究者ということになる。しかし、この二人の主張で一致しているのが、僕の学んだ近世・近代連続論である。

 まず、朝尾さんの主張。「応仁の乱以降は日本史のモダーン=エイジなのである」。そして、この「モダーン=エイジ」とは、「いまの生活様式、行動のスタイル、ものの考え方や問題解決の仕方と、おなじ型を共有する時代」だという。これは、朝尾さんの名著『大系日本の歴史 8 天下一統』(小学館1988)の冒頭で述べられたものだ。日本通史を分担執筆するかたちでまとめられたこの論著の対象年代は、織田信長の入京(1568年)から豊臣秀吉の死去(1598年)までである。朝尾さんは、この時代の歴史変動を「近世の開幕」と呼び、「この(通史の)シリーズのなかでも「開国と維新」とならぶ短い期間の歴史である。たしかに、それは明治維新に匹敵するか、それをはるかに上回る大きな変革期であった」としている。
 つまり、応仁の乱以降の移行期を経ての17世紀の初めにおける近世社会の成立は、われわれの社会と「おなじ型」の社会の本格的な確立を意味し、それは、明治維新を「はるかに上回る大きな変革」だったというのである。こうして、近世と近代は連続しているという見方が提示されている。

 次に、尾藤さんの主張。「そうしますと、明治維新ではっきりと前と後に区切られるように見えながら、実際には近世と近代も連続しているのではないかという考え方が生まれてきます。少なくとも私はそう考えています。(中略)つまり古代、中世は連続していて、中世と近世の間、南北朝から戦国の時期、そこにこそはっきりした区画線があって、そのあとまた近世、近代は連続している」。これは、尾藤さんの名著、『江戸時代とはなにか』(岩波書店1992)の序説での主張である。

 尾藤さんの議論は、このあと、近世社会の成立要因としての兵農分離に注目し、兵農分離が順調に進行したことの理由説明として、あの有名な役論が展開されていくのである。

 朝尾さんの方は、若干微妙な言い回しがされていて、明治維新が大きな変革であることを決して否定してはいない。しかし、「近世の開幕」は「明治維新をはるかに上回る大きな変革」だったという部分こそが本音であろう。それゆえ、近世も近代も同じくわれわれの「モダーン=エイジ」に含まれるのである。この朝尾さんの近世・近代連続論は、発表当時、ある種のショックを研究者に与えたことを記憶している。朝尾さんは、しばしばマルクスの歴史理論を有効に応用しながら、近世史の水準を引き上げてきた研究者である。マルクス主義的な歴史理論からすれば、やはり、資本主義化の前と後、つまり、前近代(近世)と近代の間にこそ歴史の大きな転換点がある、と考えるのが一般的だったからである。それに対して、朝尾さんが近世・近代連続論を展開したことに驚く人もいたのである。

 ともあれ、こうして示された近世・近代連続論こそが、今まさに有効な史観であると僕は考えている。それは、17世紀初めに本格的に成立した後、およそ400年のあいだ持続してきた、われわれの社会が、今、目の前でその終末を迎えようとしているからである。すなわち、現在の日本社会にみられる諸々の変化は、「近世の開幕」以来の大変革に他ならないからである。

 

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2008/05/14

近世の終焉としての現在 2

  Ⅰ.日本史の転換点をめぐって

 ①われわれの社会のルーツはどこか

 現在の日本社会のルーツはどこにあるのだろうか。
 もちろん、祖先をさかのぼっていけばキリがないわけだが、そうではなくて、直接のルーツについて考えようということである。例えば、現代ヨーロッパ人のルーツをとことんさかのぼると、それは生命の起源とかにまでいっちゃうかもしれないけど、直接のルーツとして、クロマニヨン人が考えられるという具合である。

 では、現代日本社会のルーツはどこか。われわれと似たような生活習慣をもち、似たような経済や政治のシステムをもつ人々が構成した社会は、どこまでさかのぼれるのだろうか。これについても、いろんな答えがあり得るだろうけど、もっとも一般的なのは、明治初期から中期あたりにルーツがある、という答えではないだろうか。
 この頃、人々は洋服を着用し始め、靴を履き、資本主義が成立し、立憲国家が誕生した。どうやら、われわれの社会の直接のルーツは、この辺りにあるのではないか。

 こういった考え方は、おそらく世間一般において広く受け容れられている。また、大学の先生たちの間でもかなり許容されていると思う。しばしば、大学の日本通史のカリキュラムや教員構成が、前近代と近代(近現代)とに区分されることからも、それは確かめられるだろう。

 つまり、明治の前半、19世紀の後半くらいに、日本史上の大きな変革期があって、現代社会のルーツはその変革を経て形成された、という考え方はひとつの常識となっている。

 しかし、これとは異なる考え方が存在する。いわゆる近世・近代連続論である。応仁の乱から(あるいは南北朝の内乱から)信長・秀吉・家康の天下統一の前後までの時期が、明治維新期などを上回る、日本史上の一大変革期であって、そのあとの近世と近代(近現代)との間には大きな断絶はなく、むしろ両者は連続している、という考え方である。
 こうした考え方にたつと、上記の変革期の後、だいたい17世紀前半に成立した近世社会こそが、われわれの現代社会のルーツだということになる。

 僕としては、まあ、近世・近代断絶論も、近世・近代連続論も、どちらも有効な考え方だと思う。要するに、ものの見方なんだから、見る人の立ち位置や見る目的によって、いろんな見方があって構わないわけだ。
 では、今の大学生の皆さんの立ち位置からすると、どっちの見方が有効なのだろうか。もちろん、人によっていろんな立ち位置があるだろうから、どっちの見方が絶対だ、とか決めつけられないけど、けっこうたくさんの人にとって、近世・近代連続論が有効なんではなかろうか、と思ってる。
 
 その理由は以下のとおり。前回の記事に書いたように、20世紀末から21世紀初め、すなわち現在は、日本史上、他に類をみないくらい大きな転換期である。そんな大変動に立ち会っている皆さんが、その変動を感知するアンテナを立てるためには、近世・近代連続論こそが有効であるからだ。(つづく)

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2008/05/13

近世の終焉としての現在 1

 近年、大学での授業で、たびたびする話がある。その話をしばらくこのブログでも綴ってみたい。

 なぜ、今、学生さんたちは近世史を勉強した方がよいのか、といった話である。

 20世紀末から21世紀初めにかけて、つまり、現在は、きっと、日本史上におけるもっとも大きな転換点だと思う。ただ、ふだん生活していると、そうした転換には気づきにくい。誰しも、今日は昨日とだいたい同じだし、今日と同じ明日が来ると思って生きている。現在、私たちの身の回りで起きている社会の大変化を認識するには、そのためのアンテナを立てる必要がある。で、そんなアンテナを立てるためには、近世史を勉強する必要がある。その理由を説明しようと思う。

 以下の話の構成は、だいたい次のとおり。

Ⅰ.日本史の転換点をめぐって
  われわれの社会のルーツはどこか
  近世・近代連続史観~尾藤説と朝尾説の一致
Ⅱ.小経営の時代の終わり
  農村の消滅
  商店街の消滅
  疑似小経営的サラリーマンの家庭の解体
Ⅲ.近世の終焉としての現在
  家業の解体と少子化・非婚化
  無用となった地域コミュニティー
  名君政治の終わりと迷走

 エピローグ、「新しい日本」

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