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2008/06/30

近世の終焉としての現在 12

  「Ⅱ.小経営の時代の終わり」の章括(その後半)

 日本型雇用のサラリーマンとその家庭とのあり方が、農家や個人商店と似通っていることに注目して、これを擬似小経営的サラリーマン(あるいは、家業的サラリーマン)と呼んでみた。

 もちろん、日本型雇用については、すでにたくさんの研究が発表されている。その整理・理解もできていない状態だが、概観すると、これまでの研究は、サラリーマンである夫の労働形態や企業の雇用形態にのみに注目したものが多く、その妻である専業主婦の「労働」やサラリーマン家庭が形成する「コミュニティ」のあり方までを視野に入れた研究があまり無いように見える。
 で、それなら、とりあえず、擬似小経営的サラリーマンという見方はどうだろうか?という思いつきを書いてみたわけである。

 かつての日本社会の大部分が小経営(もっぱら農家)を基礎として形成された社会であったことの影響を受けて、本来は、小経営的ではないはずの労働者までもが、小経営的な様相を強く持つことになったのかもしれない。が、本当のところはまだわからない。

 ただ、少なくとも結果的には、日本型雇用のサラリーマンとその家庭が、小経営の農家や個人商店との間で、多くの共通点を持っていたことは確かだ。そして、その共通性にもとづいて、農家・個人商店・サラリーマン家庭などを横断して、一定の家族観・労働観・経済観・幸福観・倫理観などが共有されることになったのではないだろうか。

 ところが、今、農家や個人商店の衰退と時期を同じくして、擬似小経営的サラリーマンも退潮傾向にある。こうして、近世以来の小経営の時代は、小経営と擬似小経営とが生み出した「一億総中流社会」・「均質社会」の輝きを最後に、今、幕を下ろそうとしているのだろう。

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2008/06/25

近世の終焉としての現在 11

  「Ⅱ.小経営の時代の終わり」の章括(その前半)

 現在、私たちの目の前で、日本社会の根幹にかかわる、大規模な変化が起きている。それをひとことでまとめるなら、小経営の時代の終わり、ということになる。

 小経営としての農家、小経営としての個人商店が、その数を急激に減らし続けている。

 農業従事者とその家族からなる農業人口は、2006年には793万人余で、総人口比だとわずか6.2%に過ぎない。農業人口の著しい高齢化により、この先、減少率はさらに増大し、2025年には人口比2.7%にまで落ち込むと推計されている。

 個人商店の減少傾向を、とりあえず小売業だけについてみると、1982年には125万店舗あった個人商店は、その20年後の2002年には、なんと、72万店舗にまで減少している。53万店舗も減少するという凄まじさである。

 そして、このような農家と個人商店の激減によって、全国規模でみると、農村(農業共同体としての農村)と商店街(独立した商店経営者が形成する共同体としての商店街のことであり、大規模小売店の周りにチェーン経営の商店が並ぶ繁華街のことではない)の多くがその姿を消しつつある。

 「基本的社会集団」として、これまで地域社会の核をなしていた農村と商店街とが、今、消えようとしているのである。

 私が現在の社会変化を、小経営の時代の終わり、と呼ぶのは、以上のような状況理解に基づいている。

 と、まあ、ここまでのお話も、かなり大雑把な思いつきみたいなものだけど、さらに、雑駁な思いつきのお話を加えてみた。

 いわゆる日本型雇用のサラリーマンを、擬似小経営とみて、社会標準化されたそれと、本来の小経営である農家・個人商店とが一緒になって、小経営の時代の最後の輝きともいえる、一億総中流社会とか、均質的な日本社会とかいったイリュージョンを現出したのではないだろうか、というお話である。
 
 そして、農家・個人商店の激減と、この擬似小経営的サラリーマンの解体とによって、今、小経営の時代はいよいよ終焉を迎えつつあるのではないか、というお話である。(つづく)

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2008/06/23

近世の終焉としての現在 10

  Ⅱ.小経営の時代の終わり
  
  ⑤サラリーマンとその家庭の擬似コミュニティ的結合について

 いわゆる日本型雇用のサラリーマンとその家庭が、その基本的なあり様において、農家や個人商店などの小経営と共通する要素を多くもっていたことを前回の記事で述べた。
 今回は、こうした擬似小経営的サラリーマンとその家庭が形成した、擬似コミュニティ的な結合について書くことにする。

 擬似コミュニティ的な結合は、a.サラリーマンの職場において、および、b.その居住地において、形成された。

 a.職場における擬似コミュニティ的結合
 アメリカなどのサラリーマンの雇用は、一般的には、個別の業務に応じて、その業務をこなす能力をすでに有している人を即戦力として雇うというかたちでおこなわれ、もし、その業務が会社にとって不必要になると、それを担当するサラリーマンは解雇されるのが普通だという。
 これに対して、日本型雇用のサラリーマンは、ある業務に特化したかたちで雇われるのではなく、多くの場合は新卒者が、まずなによりも会社の一員となるかたちで雇用され、その後、社内での教育によって、その具体的な業務能力を高めていく。仮に、あるひとつの業務が会社にとって不必要になったとしても、それに従事していたサラリーマンたちは、同じ会社の内部において別の部署へと配置転換されるなどして、会社員という地位は継続されることが普通だった。
 こうして会社(巨大企業の場合は社内各部署)が、サラリーマンにとって、自分たちの帰属する共同体のごとき存在となっていた。
 若者が共同生活をおこなう宿舎としての独身寮や既婚者のための社宅が設置され、社員旅行・社内運動会などの年中行事が催行されるなどなどの擬似共同体的要素を見出すことは容易である。また、労働組合も、会社別に作られることが多く、“会社共同体”への帰属度が強められていた。
 しかし、あくまで被雇用者のサラリーマンには、会社経営に対する発言権などが認められているわけではなく、農家や個人商店のような小経営が“ヨコ”に結合して形成する農村や商店街などのコミュニティ結合と、会社における擬似コミュニティ的結合とでは、本質的な違いがある。

 b.居住地における擬似コミュニティ的結合
 日本型雇用のサラリーマンの家庭は、その居住地においても、擬似コミュニティ的結合を形成する。これは、しばしば、子どもの生育環境の整備などを目的として形成される結合である。
 例えば、地域の防犯活動などをみても、もっぱら、子どもを犯罪から守ることを主眼に展開される。結合の実態は、学区のPTAだったり、子ども会だったりする。
 親たちの一定の割合は、農村の出身だったり、実家が農村にあってしばしばそこに滞在した経験を有したりしていて、そうした人々を中心に、農村の祭りを模した地域の祭礼が実施されることもある。ただし、祭礼本来の、コミュニティの繁栄や豊作を祈る宗教性などはそこには無く、単にノスタルジックないわば“コミュニティごっこ”の一環として祭礼が実施される。
 また、農村のような個別の小経営が直接依存するコミュニティ結合ではなく、あくまで子どもを介した結合であるため、大人たち本人が肩を腫れ上がらせて神輿を担ぐようなことはなく、子どもに山車を曳かせてみたり、模擬露店を並べ縁日気分を経験させてみたりすることが主たる内容となっている。
 しかし、子どもが成人したり独立して親元を離れたりした家庭や、子どものいない家庭は、こうした結合に加わらないことが多い。そして、しばしば、一定の地域内には同年代のサラリーマン家庭が集中しがちであることから、子どもを媒介とするこのような擬似コミュニティ的な結合は、子どもの成長段階における特定の時期から、急速に解体していくケースが多い。
 子どもを媒介とする結合以外で、最も強固な結合は、資産の保持のための結合であろう(農村や商店街のような、経営の保持のための結合ではない)。こうした結合は、分譲マンションの管理組合が代表的である。あるいは、分譲住宅地における、割り地やアパート開発などを規制する運動にも見出せる。しかし、こうした結合は、限定的な目的の結合であるため、人々の交流内容や交流期間も限定的である場合が多く、そうであるがゆえに、ときに非常に強固な結合にもなりえるが、擬似コミュニティ的結合と呼べるまでは発展しない場合がほとんどであろう。

 以上、擬似小経営的な日本型雇用のサラリーマンとその家庭が形成する、擬似コミュニティ的結合について、おおざっぱに書いてみた。
 
 こうしたサラリーマンが擬似小経営的であるがゆえの、小経営の農家や個人商店と混住した場合の相互融和のしやすさや、その一方でどうしても生じてしまう、コミュニティ活動における“温度差”などについても書いてみたいが、それは省略。

 ともあれ、農村や商店街などのコミュニティと多くの共通点を持つ、擬似コミュニティ的結合にサラリーマンとその家族が包摂されることによって、いわゆる均質的な日本社会が、表層的にはかなり広汎に成立していた(あるいは理念化されていた)ことが重要であろう。

 しかし、擬似小経営的サラリーマンが減少する日本社会において、こうした擬似コミュニティ的結合は、消滅していく農村や商店街と共に、急速な退潮傾向にあるのではないか、という見通しを最後に示しておく。

 この問題については、また後であらためて考えてみたいが、要は、こうした結合は、少子化・非婚化が進み、流動的な非正規雇用の労働者や移民労働者が今後さらに増加することで、社会におけるそのウエイトや存在価値を著しく減じていくのではないだろうか。

 小経営の時代の終わりと共に、擬似小経営の時代も終わろうとしているのだろう。

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巡見「江戸を縦貫する」のご案内

 今週末の28日(土)午後に、巡見をおこないます。雨天決行です。みなさん、照る照る坊主を作ってください。

 コースは、吉原の遊女たちが葬られた三ノ輪の浄閑寺を出発して、吉原遊郭跡(現在はソープランド街)を訪ね、それから、日雇い労働者のドヤ街である山谷へ進み、浅草新町を通り、浅草寺まで。

 初回の江戸城から日本橋までの区間に続いて、本来なら今回は、日本橋から神田、浅草橋、浅草寺までの第二区間の順番なのですが、証券取引所や問屋街をめぐるこの区間は平日に行かないとつまらないので、それを夏休み(たぶん8月8日の金曜あたり)にまわします。で、今回は、第三区間である浅草・山谷・吉原界隈を先に歩きます。

 集合は、地下鉄東京メトロの日比谷線の三ノ輪駅に、28日(土)の14:00です。

 詳細は、各大学での講義の際に連絡いたします。このブログをお読みの一般の方や、昨年以前の受講生の方の参加も歓迎しますので、その場合は、私あてにメールを頂ければ、返信にて詳細をご連絡いたします。メールアドレスはこのブログのプロフィールのページをご参照ください。なお、一般の方で初参加の場合は、メールに住所・氏名をお書き添えください。

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2008/06/16

近世の終焉としての現在 9

  Ⅱ.小経営の時代の終わり
 
  ④擬似小経営的サラリーマン(前回からつづく)

 わざわざ説明するまでもないことだが、雇われの身のサラリーマンは生産手段を所持していないわけだから、例えば土地を所持している農家が小経営であるのとはまったく異なって、本来、サラリーマンの家庭を小経営と呼ぶことはできない。

 しかし、日本のサラリーマン家庭は、農家のような小経営に非常に似ていた。あるいは、次のように言うこともできる。小経営と類似のサラリーマン家庭が標準的であることがかつての日本社会の特徴であった、と。
 
 なお、ここでいう「かつて」がいつ頃から始まるのかは、また後で考えたい。「かつて」の終わりが、まさに今、現在であることは確実だ。

 さて、かつての日本のサラリーマン家庭の特徴は、a.夫婦の協働によって“経営”が成立していた、b.その“経営”が長期的・連続的であった、という点にある。

 a.夫であるサラリーマンの長時間残業・休日出勤(あるいは休日の接待ゴルフ)・単身赴任などを可能にしていたのは、専業主婦たる妻の存在であった。夫が終業後の“つきあい”と呼ばれる飲み会に出ることも、会社という擬似コミュニティの良き一員であるためにはしばしば必要であったが、それを可能にしていたのも専業主婦であった。この専業主婦の妻(あるいは内職や短時間のパート労働だけに従事することが許された妻)が、掃除・洗濯・炊事といった家事や育児・教育、あるいは年老いた親(たいていは夫側の親)の介護や自治会・子ども会・PTAなどの地域活動を引き受けることで、その夫は日本のサラリーマンを全うできていたのである。このような専業主婦の諸活動は、いわゆる賃労働ではないが、家庭の持続に必要な労働である。こうして、かけむかいの夫婦が互いの労働に依存し合うことで成立していたのが、かつての日本の典型的なサラリーマン家庭であった。

 b.いわゆる終身雇用が広く実現し、解雇・転職による“経営”の中断が無く、いったん就職した会社における定年退職に至るまでの長期的な勤務が一般的とされていた。さらには、子どもが男子の場合、その将来においては、父親と同じ会社の同じポストを継承するわけではないものの、父親と同等かそれ以上の学歴を身につけて父親と同等かそれ以上の年収のサラリーマンになることが理想とされた。これにより、父親の“跡継ぎ”として、その家庭の資産あるいは生活のレベルを継承することが重要視された。子どもが女子の場合、一般に男子よりも将来選択の自由度が高いものの、しかるべき年収のサラリーマン男性と結婚し、母親と同じ良妻賢母の道を歩むことが理想とされる場合が多かった。

 夫婦の協働によって成立し、長期的・連続的であったサラリーマン家庭の“経営”は、一種の家業であるといってよいだろう。そして、それは農家や個人商店の経営と類似している。
 このように、日本型雇用のもとで一般的な、農家や個人商店との共通点を多く持つサラリーマンを、私は、擬似小経営的サラリーマン、あるいは、家業的サラリーマンと呼んでいる。

 もちろん、このような擬似小経営的なサラリーマンとその家庭のあり様が、日本だけのものだとは思わない。欧米のサラリーマン家庭の一部にも専業主婦はいる。しかし、そのようなサラリーマンとその家庭のあり方が標準化し、理想化されていたことが、つい最近までの日本の特徴であっただろうし、それゆえ、日本型雇用という概念が有効だったわけである。
 
 次回は、小経営の農家が農村を形成していたように、あるいは、小経営の商店が商店街を形成していたように、擬似小経営的なサラリーマンとその家庭が形成していた、擬似的なコミュニティについて書いてみたい。

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2008/06/11

フリーター漂流

 もう3年以上も前のことになるが、このブログでNHKの「フリーター漂流」というドキュメンタリー番組の感想を書いた。前編、それから中編まで書いて、後編を書こうと思いつつ、書けずにいる。
 この件は、自分のなかでもずっと宿題でありつづけている。今もそうである。最近書いている「近世の終焉としての現在」という連載記事も、実は、その宿題の一環に位置するものだと、自分では思っている。
 
 今朝アクセス解析をやってみたら、ここ数日、その昔書いた番組感想の記事を読みに来られる人が大変多い。これは、例の秋葉原の無差別殺人事件のせいだろう。
 
 番組では、北海道の運送会社で働いた後、フリーターとなり、あちこち漂流したあげくに、愛知の自動車工場での請負労働へと送り込まれていく男性が登場した。彼は一人前の工員としての人生を始めたいと願いながら、漂流の過程で、その夢を打ち砕かれていく。
 これは、青森の運送会社を辞めて静岡の自動車工場での派遣労働に従事していた今回の事件の犯人とどうしてもだぶってしまう。
 おまけに、犯人を雇っていた派遣会社こそ、あの番組のフリーターを雇っていた請負会社である。番組でこの請負会社の社長が、自分の会社が雇ったフリーターのことを、必要に応じて「前線」へ送り込む「弾」と呼んでいたのも印象に残る。刻々と変化する戦況に応じて、弾薬の不足する「前線」へすぐさま「弾」を送り込むことで、自分の会社は社会に貢献していると胸を張っていた。(今は、偽装請負が問題となって、「請負」会社から「派遣」会社へと変化しているが、実態はほとんど変わっていないようだ。)
 
 今回の事件を通じて、はからずも、あらためてこうした漂流するフリーターの姿に接することになった。なんでも、犯人の働いていた自動車工場では、200人のフリーターのうち、150人をいきなり解雇する計画だったとか。相変わらずやね。自動車工場の幹部社員が、記者会見で、この解雇について、うっかり、「切る」って口を滑らせてしまい、あわてて「契約解除」と言い直すシーンも、先の番組の「弾」発言を思い出させてくれた。

 今回の事件の犯人について、こうした境遇を考慮して少しは免責してやるべきだとは、まったく思わない。しかし、テレビ報道をみていて、もうひとつ、印象に残ったシーンがあった。
 彼がもともと切れやすい性格だったということを裏付ける証言として、かつてアルバイト(正社員という報道もある)していた青森の運送会社の同僚が語っていた。時々、仕事上のトラブルで興奮した彼の頭をコンと小突いて、まあ落ち着けとたしなめていたという。彼もそれにおとなしく従っていたという。この同僚は彼のことを不器用な男だと評していた。

 どうして彼がこの運送会社を辞めたのかはわからないが、もしそのままこの会社で働き続けていたらどうなっていたのだろうか。何度も頭を小突かれているうちに、やがて彼は自分の感情をコントロールする術を身につけた一人前の大人になっただろうか。あるいは、小突かれつづけるうちについに暴発してしまっただろうか。
 一方、自動車工場では、彼の頭を小突いて落ち着かせることのできるような職場での人間関係は成立しえたのだろうか。

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2008/06/09

近世の終焉としての現在 8

  Ⅱ.小経営の時代の終わり
  
  ④擬似小経営的サラリーマン

 現在の日本社会において急速に消滅しつつあるものとして、これまで、農家と農村、個人商店と商店街を取り上げてきた。

 今回は、もうひとつ、激減している(と思われる)ものを挙げてみよう。それは専業主婦のいるサラリーマン家庭である。

 1980年、雇用労働者である男性(非正規雇用を含む)と結婚している34歳以下の女性のうち、64.2%が専業主婦であった。それが、2001年には、55.2%にまで低下している。
 これをみると、激減とはいえないんじゃないの、と思うかもしれない。しかし、この割合は、結婚している女性に占める専業主婦率である。そもそも、近年、結婚しない女性が増加している。25歳から29歳までの女性の未婚率は、1980年が24%なのに対して2001年では54%と大幅に上昇。30歳から34歳までだと、9.1%から26.6%へと、これも急上昇している。ちなみに、2005年には、25歳から29歳までだと59%、30歳から34歳までだと32%で、現在、さらに急な上昇が続いている。
 ところで、サラリーマンとは、普通、正社員の男性のことをいう。この記事で注目しているのも、正規雇用の男性労働者=サラリーマンがいる家庭についてである。この正社員男性の数も減少傾向にある。大卒直後に正社員として就職する率は、1992年で88.6%だったものが、2002年には66.7%へと低下。高卒の場合の低下はさらに著しく、1992年で64.8%だったものが、2002年には40.4%となっている。景気動向にかかわらず、産業構造の変化によって、この低下傾向は将来的にも続くという見方が有力だ。
 
 以上のバラバラの統計を組み合わせて正確な結論を得るのは、たちまちは難しいが、おおざっぱにみれば、正社員の夫と専業主婦の妻とが作る家庭の数や比率は、現在、かなり急速に低下しているといっても構わないのではないか(ちょっと雑な話だけど・・・もっと適当な統計がみつかれば書き換えます)。

 さらに条件を絞ると、この記事で特に注目しているのは、こうして減少しつつある正社員のなかでも、いわゆる日本型雇用のサラリーマンについてである。終身雇用・年功序列の日本型雇用システムの下で働くサラリーマンのことだ。最近、話題となっている、いずれ辞めることを前提に酷使されまくりの、使い捨て“名ばかり正社員”のことではない。
 このような日本型雇用のサラリーマンの減少傾向を示す適当な数字も、すぐには見つからなくて恐縮だが、まあ、たぶん、これも減少しているといって間違いはないだろう。

 つまり、現在の日本社会において急速に減りつつあるものとして、私が取り上げたいのは、日本型雇用のサラリーマンの夫と専業主婦の妻が作っている家庭なのである。

 私は、このように、専業主婦を妻として自分が主たる家計支持者となっている日本型雇用のサラリーマンのことを、擬似小経営的サラリーマン、あるいは、家業的サラリーマンなどと呼びたいと思っている。そのように呼ぶことの理由は次回。(つづく)

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2008/06/05

今月、巡見にいくつもりです

 巡見「江戸を縦貫する」の今年度の2回目ですが、吉原・山谷・浅草に行こうと思っています。日程は今月28日の土曜午後。近日中に詳細をお知らせします。
 この巡見の概要や趣旨はこちらの記事をみてください

 もちろん、11月の酉の市のときにも、吉原界隈へは行きます。今年は11月29日の土曜が三の酉なので、その日に実施予定。吉原から酉の市、そして上野山下・下谷の「新開町」佐竹ヶ原・神田柳原土手跡をめぐってみようかなと思います。昨年までとは違う、新しいコースです。

 他には、おそらく8月にはいってすぐくらいに、日本橋から兜町、神田の問屋街、浅草橋の問屋街(できれば稲荷町の仏具店街、合羽橋の道具街まで)を歩く予定。

 そして、ヒルズ巡見、あるいは都市再開発地域巡見を、10月か、来年の2月あたりに予定しています。

 参加を予定していらっしゃるみなさん、よろしくお願いします。

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2008/06/04

最近のお気に入り

 ここんところ、ちょっと映画はご無沙汰してたが、つい先日、やっと念願の「少林少女」を観にいけた。このブログでもときどき告白しているが、私、柴咲コウのファンです。本来、自分の好みのタイプは、丸顔のなごみ系だと思っていたけど、自分の体型が、昔と違って丸みを帯びてくるにつれて、好みも変わったのか。ここ2~3年の間でファンになりました。

 そういえば、最近のお気に入りの女性シンガーは、YUI 。この人は結構丸顔系かもしれないけど、凛々しさが柴咲コウと通じる気がする。たまに学生さんたちとカラオケに行くと、頼んでYUI を歌ってもらう、というセクハラ・アカハラまがいの振る舞いをしてますが、この前は、ついに自分でKOH+を入れてしまうという暴挙に及んでしまった。もう、どうしようもないオッサンやね。学生さんたち、愛想尽かさないでね。
 
 で、映画「少林少女」、良かったです、はい。ネット上で脚本・演出についてのさんざんな評判を読んでから観たせいか、映画の出来の悪さはすでに織り込み済み。そうしたら、結構、抵抗なく映画に入っていけた(まあ、それにしてもひどかったけど)。
 基本的に、主役は、柴咲コウひとり。舞妓はぁぁんや、どろろと違って、余計な相方(笑)はいません(特に前者の相方は許しがたい!後者は、まあ、仕方ないか)。彼女のファンなら、映画の最初から最後までどっぷりと楽しめます。

 先日、浦和のイタリア料理店で友人と飲んだ。その友人も柴咲コウのファン。さらには、そのお店のカメリエーレ(ホールサービス)さんもファン。三人でちょっと盛り上がってしまいました。友人いわく、「彼女の“まったく自分の思い通りにならない感”がいいんですよ。」というのはなかなかの至言かも。

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近世の終焉としての現在 7

  Ⅱ.小経営の時代の終わり

  ③小経営の時代

 ここまでの記事で、現在、農家と農村、そして個人商店と商店街の多くが、私たちの社会から消滅しようとしている状況を確認してきた。

 農家と農村、個人商店と商店街、これらは、従来、私たちの社会の主要な構成要素であった。そのような時代のことを、とりあえず、小経営の時代とでも呼んでみよう。

 この小経営の時代の終わりが、現在、2000年前後なのである。そして、その時代の始まりは、おおざっぱに1600年前後、つまり、近世社会の成立期である。

 朝尾直弘氏は、1988年に発表した「惣村から町へ」という有名な論文の冒頭で、「近世社会においては、村と町との二つが被支配階級の構成する基本的社会集団」であると述べ、「村といえば農村を、町といえば都市を想起する現代のわれわれの常識的な観念は、近世に成立したものである」としている。村については、特に説明は不要だろう。町について、朝尾氏は、「商業」を「結合の核」とする、「道路に面して向かい合った両側の家並みの住民が形成したもの」、と定義する。つまり、今でいう、個人商店を主体とする商店街のことだ。

 農家と農村、個人商店と商店街を「基本的社会集団」とする時代、すなわち、小経営の時代が、1600年前後に始まり、そして、それから400年たった2000年前後、今まさに幕を閉じようとしているのだ。

 「近世の終焉としての現在 5」で紹介したとおり、1970年当時の調査で、農業集落(北海道をのぞく)の95%は、近世から連続する存在である。その間、例えば、いくら地主制が発達しようが、小経営の農民と農村は持続していく。土地の所有権利形態の変遷とは別に、小経営の農民と彼らが形成する農業集落の存在は、寄生地主の経営にとって不可欠の前提条件だったからだ。

 一方、商店街については、現代の商店街のすべてが近世から直接連続した存在であるとはいえないだろうが、都市内部においてその立地を移動させたり、あるいは、個々の商店の集合離散を繰り返したりしながら、近世以来、その命脈は保たれてきたといえるだろう。それが今まさに、日本社会の大部分において、断たれようとしているわけだ。

 このように書くと、「小林は、小経営の時代、小経営の時代と繰り返すが、自分の家はサラリーマン家庭だし、友達の家も同じ。農家でも個人商店でもないよ。そんなのは別に珍しくもない。だったら、つい最近までが小経営の時代だって考えるのは間違ってませんか。」と思う学生(読者)もいるのではないだろうか。

 なるほど確かに、サラリーマンは小経営者ではない。しかし、私が思うに、日本のサラリーマンの特徴とは(正確にいうと、つい最近までその特徴だったのは)、彼ら(彼女らではない)の多くが、小経営者とよく似ている(似ていた)という点だ。そんな日本のサラリーマンのことを、私は、擬似小経営的サラリーマンと呼んでいる。あるいは、家業的サラリーマンと。

 そんな擬似小経営的家業的サラリーマンの存在にもよって、日本社会はこれまで、小経営の時代と呼びうる状態を保ってきたと考えている。これについて詳しくは、また次回。

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