フリーター漂流
もう3年以上も前のことになるが、このブログでNHKの「フリーター漂流」というドキュメンタリー番組の感想を書いた。前編、それから中編まで書いて、後編を書こうと思いつつ、書けずにいる。
この件は、自分のなかでもずっと宿題でありつづけている。今もそうである。最近書いている「近世の終焉としての現在」という連載記事も、実は、その宿題の一環に位置するものだと、自分では思っている。
今朝アクセス解析をやってみたら、ここ数日、その昔書いた番組感想の記事を読みに来られる人が大変多い。これは、例の秋葉原の無差別殺人事件のせいだろう。
番組では、北海道の運送会社で働いた後、フリーターとなり、あちこち漂流したあげくに、愛知の自動車工場での請負労働へと送り込まれていく男性が登場した。彼は一人前の工員としての人生を始めたいと願いながら、漂流の過程で、その夢を打ち砕かれていく。
これは、青森の運送会社を辞めて静岡の自動車工場での派遣労働に従事していた今回の事件の犯人とどうしてもだぶってしまう。
おまけに、犯人を雇っていた派遣会社こそ、あの番組のフリーターを雇っていた請負会社である。番組でこの請負会社の社長が、自分の会社が雇ったフリーターのことを、必要に応じて「前線」へ送り込む「弾」と呼んでいたのも印象に残る。刻々と変化する戦況に応じて、弾薬の不足する「前線」へすぐさま「弾」を送り込むことで、自分の会社は社会に貢献していると胸を張っていた。(今は、偽装請負が問題となって、「請負」会社から「派遣」会社へと変化しているが、実態はほとんど変わっていないようだ。)
今回の事件を通じて、はからずも、あらためてこうした漂流するフリーターの姿に接することになった。なんでも、犯人の働いていた自動車工場では、200人のフリーターのうち、150人をいきなり解雇する計画だったとか。相変わらずやね。自動車工場の幹部社員が、記者会見で、この解雇について、うっかり、「切る」って口を滑らせてしまい、あわてて「契約解除」と言い直すシーンも、先の番組の「弾」発言を思い出させてくれた。
今回の事件の犯人について、こうした境遇を考慮して少しは免責してやるべきだとは、まったく思わない。しかし、テレビ報道をみていて、もうひとつ、印象に残ったシーンがあった。
彼がもともと切れやすい性格だったということを裏付ける証言として、かつてアルバイト(正社員という報道もある)していた青森の運送会社の同僚が語っていた。時々、仕事上のトラブルで興奮した彼の頭をコンと小突いて、まあ落ち着けとたしなめていたという。彼もそれにおとなしく従っていたという。この同僚は彼のことを不器用な男だと評していた。
どうして彼がこの運送会社を辞めたのかはわからないが、もしそのままこの会社で働き続けていたらどうなっていたのだろうか。何度も頭を小突かれているうちに、やがて彼は自分の感情をコントロールする術を身につけた一人前の大人になっただろうか。あるいは、小突かれつづけるうちについに暴発してしまっただろうか。
一方、自動車工場では、彼の頭を小突いて落ち着かせることのできるような職場での人間関係は成立しえたのだろうか。
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