近世の終焉としての現在 12
「Ⅱ.小経営の時代の終わり」の章括(その後半)
日本型雇用のサラリーマンとその家庭とのあり方が、農家や個人商店と似通っていることに注目して、これを擬似小経営的サラリーマン(あるいは、家業的サラリーマン)と呼んでみた。
もちろん、日本型雇用については、すでにたくさんの研究が発表されている。その整理・理解もできていない状態だが、概観すると、これまでの研究は、サラリーマンである夫の労働形態や企業の雇用形態にのみに注目したものが多く、その妻である専業主婦の「労働」やサラリーマン家庭が形成する「コミュニティ」のあり方までを視野に入れた研究があまり無いように見える。
で、それなら、とりあえず、擬似小経営的サラリーマンという見方はどうだろうか?という思いつきを書いてみたわけである。
かつての日本社会の大部分が小経営(もっぱら農家)を基礎として形成された社会であったことの影響を受けて、本来は、小経営的ではないはずの労働者までもが、小経営的な様相を強く持つことになったのかもしれない。が、本当のところはまだわからない。
ただ、少なくとも結果的には、日本型雇用のサラリーマンとその家庭が、小経営の農家や個人商店との間で、多くの共通点を持っていたことは確かだ。そして、その共通性にもとづいて、農家・個人商店・サラリーマン家庭などを横断して、一定の家族観・労働観・経済観・幸福観・倫理観などが共有されることになったのではないだろうか。
ところが、今、農家や個人商店の衰退と時期を同じくして、擬似小経営的サラリーマンも退潮傾向にある。こうして、近世以来の小経営の時代は、小経営と擬似小経営とが生み出した「一億総中流社会」・「均質社会」の輝きを最後に、今、幕を下ろそうとしているのだろう。
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