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2008/07/16

近世の終焉としての現在 15

  Ⅲ.近世の終焉としての現在

  ②賞味期限切れの地域コミュニティ

 前回・前々回の記事では、小経営と擬似小経営の衰退(すなわち、農家や個人商店などの小経営、および擬似小経営としての日本型雇用のサラリーマン家庭の衰退)によって要らなくなるものとして、結婚や子供を取り上げた。

 小経営の時代においては、小経営の維持に適合的なかたちで、結婚や子づくりを強制する社会的動機が形成されていた。しかし、現在、その小経営の時代が終わることで、結婚や子づくりの動機は消えつつある。非婚化・少子化はそのために起きている現象ではないか、という思いつきを示してみた(まあ、思いつきには過ぎないんだけど、たぶん当たっているだろう)。

 さて、結婚や子供と同様、小経営の時代が終わることで無用となったものが、従来型の地域コミュニティである。

 今、我々の社会からは、農村や商店街といった地域コミュニティが、急速に消えつつある。その具体的状況については、前章でだいたいのところを確認した。

 農家や個人商店といった小経営が無くなれば、そうした経営を持続させるために形成されていた集団、つまり、農村や商店街といったコミュニティが無くなるのは当然のことである。

 他方、擬似小経営的なサラリーマン家庭が形成していた擬似的コミュニティも、今、崩壊しつつある。

 この擬似的コミュニティは、以前にも書いたとおり、子供を育てるための環境整備を第一の目的として作られる場合が多かった。目的が子育てのための環境整備であるため、場所によっては、同じ環境整備を必要とする農家や個人商店などともリンクするかたちで、この擬似的コミュニティは形成されていた。PTAや子ども会、地域の少年スポーツ団体などがその実体をなしていた。担い手は主として母親たちであった。

 しかし、こうした擬似的コミュニティの多くは短命であった。それが農家や個人商店などとリンクして形成されていた場合、農家・個人商店の消失と共に弱体化し消えつつある。
 他方、擬似的サラリーマン家庭を中心に形成されていたコミュニティの方は、多くの場合、同世代のサラリーマン家庭が集住したため、子供の独立もほぼ同時期であった。そのため、低家賃・好立地の一部の公務員住宅や大企業の社宅などで世代交代が順調な場所をのぞくと、子育ての環境整備という目的を一挙に失って、ある時期からコミュニティ機能が急速に衰えていく。学校が廃校となり隣接する商店街も消えていった各地のなんとか団地やなんとか台ニュータウンがそれである。
 一方、擬似小経営的サラリーマン家庭が日本型雇用の崩壊によって減少するなか、こうした擬似的コミュニティの新たな形成は抑制されている。共働きの夫婦やアパート暮らしのフリーターには、こうしたコミュニティを作り支える余力は無い。

 このようにして、現在の日本社会から、従来型の地域コミュニティは消えつつある。

 昨今、地域コミュニティの再生を訴える声をよく耳にする。そこでモデルとされるのは、依然として、かつての農村や商店街といった地域コミュニティである。しかし、たいていの場合、こうした再生運動はうまくいかない。それはそうである。もともとこれらのコミュニティは、小経営の存立のために必要不可欠な集団として形成されたものであって、イベントサークルみたいな仲良しクラブではない。皆が生きていくためには、否応なく帰属しなくてはならない集団であった。
 用水の管理やアーケードの維持管理などなど、多種多様な、それなりにヘヴィな共同作業が核にあり、その延長上に、共同での祭礼や葬祭などのイベントもあった。
 現在、コミュニティの再生をうたって行われるお祭りなどのイベントは、ただのコミュニティごっこである。もちろん、こうしたコミュニティごっこだって、やらないよりはやった方が良いだろう。しかし、用済みとなった地域コミュニティが、これで再生するとは到底思えない。

 ノスタルジックなコミュニティ再生運動は、このようにほとんど無効だと思うが、さらにいうと、無効であるにとどまらず、有害となる可能性が大きい。
 地域コミュニティ再生運動の有害性については、以前記事を書いた。こちらをクリックして読んでみてくださいな。

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