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2008/07/02

近世の終焉としての現在 13 

  Ⅲ.近世の終焉としての現在

  ①少子化・非婚化(その前半)

 前章では、2000年前後の日本社会において、つまり、ちょうど私たちの目の前において、近世以来の小経営の時代が幕を下ろそうとしている状況を確認した。
 これは、日本社会の大転換を意味することだと思うが、そう言われてもピンとこない人がいるかもしれない。そこで、小経営の時代の終わりに起きている社会現象をいくつか挙げてみることにする。

 まずは、小経営つまり家業的経営が無くなると、それにともなって何が無くなるのか、という問題から。

 小経営が無くなることで、その必要性を失い、世の中から減っていくのは、結婚と子供だろう。それから伝統的な地域コミュニティなどである。

 今回は、減っていく結婚・子供について。

 小経営が順調な場合、例えばそれが農家であれば、田んぼや畑を相続する跡継ぎが必ず求められた。そのためには、必ず結婚しなくてはならなかったし、また、夫婦は必ず子供を作らなくてはならなかった。
 これらがうまくいけば、丹誠込めて耕した田んぼが他の家の者に奪われてしまう心配などはしなくてすんだ。また、老後は、跡継ぎが面倒をみてくれた(したがって、小経営が順調な段階では、大規模な老人介護制度などは必要なかった)。事情があって夫婦に子供が出来ない場合、養子を貰ってきて、これを子供とした。

 擬似小経営のサラリーマンの場合、農家や個人商店などと比べると、何が何でも結婚して跡継ぎを作らなきゃ、というプレッシャーは本来無いはずである。しかし、そんなサラリーマンやその妻たちも、その多くは、先代・先々代が農家であり、小経営的な家族観や人生観を継承していたのではないだろうか。
 子供を作り、それが男子であれば、教育にお金をかけて、自分と同じかそれ以上の学歴を与え、自分と同じがそれ以上の年収の会社へ就職させる。老後は跡継ぎ息子とその妻に面倒をみてもらい、家産を相続させる。子供が女子であれば、母親と同じサラリーマンの妻としての安定した生活を送らせる。これが、擬似的小経営のサラリーマンとその家庭の、人生の目的であり、幸福のかたちであった。

 しかし、小経営および擬似小経営が消えていく現在、例えば、フリーター同士が結婚した場合など、子供は不必要である。受け継がせるべき経営も家産も無い。したがって子供は不必要なのである。むしろ、自分たちが使える時間やお金を奪ってしまう子供は、いない方がよりマシな生活ができる。というか、フリーター夫婦の場合は、子供を育てるための時間もお金も不足している。

 正社員同士が結婚した場合でも、そのまま共働きを続けるケースが増えている。それは、女性の職業意識が変化したということもあるが、より切実なのは、夫ひとりの収入に頼っての生活設計はリスクが高く、それを回避するため、いわゆるダブル・インカムを続けた方が安心であるという理由だ。住宅ローンを抱えたまま夫がリストラされてしまい、それから専業主婦だった妻があわてて仕事を探しても、十分な収入が得られるような仕事にはつけない。
 こうした夫婦共働きの状態では、子供を育てることには様々な困難が発生するし、また、かつての擬似小経営的サラリーマン家庭をしばっていた小経営的な家族観や人生観・幸福観はその影響力を弱めている。
 そこでしばしば、特に必要でもない子供なんだから、作らなくてもいいだろう、という選択がなされることになる。(つづく)

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