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2008/10/22

外国人の幕末日本見聞記の“あれれ?”~アンベールの捏造

 前回の記事で、上野・浅草界隈の巡見のことを書いた。この巡見のポイントのひとつが上野山下で、そこでは、『江戸名所図会』の「山下」図を片手にあちこち歩いてみた。

 今回は、そんな上野山下と『江戸名所図会』にまつわる、ちょっとしたお話を書いてみよう。

『江戸名所図会』の上野山下
 
 近世期の上野山下の状況をなるべく精密に復元することが、大学院修士時代の研究課題だった。その際、『江戸名所図会』の「山下」図の緻密な描写は、もっとも頼るべき史料であった。その当時、大学からの帰り道、上野駅を利用していた。というわけで、ほとんど毎日かつての上野山下の跡を歩きながら、頭の中で、現代の上野駅前の風景に「山下」図の情景(こちらこちらを参照)を重ねてあれこれ想像をめぐらしたものである。

『アンベール幕末日本図絵』

 そんなある日、上野山下のことを詳細に記した、ある文献に出会って衝撃を受けた。それは、『アンベール幕末日本図絵』(高橋邦太郎訳、雄松堂、1969-1970年)である。現在、この本は、講談社学術文庫で『続・絵で見る幕末日本』として文庫版化されている。
 スイスと日本との修好通商条約締結のために、文久2(1863)年から翌年にかけての十数か月間、日本に滞在したスイス人で、スイスの時計業組合の組合長でもある、エメェ・アンベールが記した日本滞在記『日本図絵』が原本である。

アンベールの上野山下

 一部引用してみよう。「山下の大きな広場に近づくにしたがって、群衆の数はふえてゆく。歩道には、竹と葦簾でつくった仮小屋が所狭しと並んでいる。その他、あちらこちらに散らばって、特殊な商人が店を出すが、彼らは群衆にぐるりと取り巻かれて、人垣の中で商売をしている。(中略)山下の広場にだけで、二十から三十も見世物小屋がある。そこには、軽業師、曲芸師、手品師をはじめ、伝説の語り手、庶民の笑劇、あるいは歴史に因んだ仮装行列の役者がいる。この他にも、一、二の曲馬団の興行がある。(中略)めぼしい小屋はかなり遠くからもそれと分かるように、高い櫓でそれと知れる。櫓といったところで、実際には油紙で覆いをかけた、竹の籠のようなものにすぎない。ここで上演される演目は大劇場のそれと比べると、文学的な価値はずっと劣っている。しかしながら、私はこんなことを考えている。もし、その脚本の中からよいものを選び、丹念に翻訳してみれば、日本の国民の真髄を理解するのに貴重な資料を、われわれに提供してくれるだろうと。」

悔しい!

 これを初めて読んだときには、本当にショックを受けた。それは、悔しさに似た思いだった。ここに記述されているのは、まさに、あの『江戸名所図会』の「山下」図そのものの情景である。自分が、「山下」図をもとに、江戸町奉行文書などのなかにわずかに残る断片的な史料を分析して、なんとか復元しようとしていた上野山下の状況が、ものの見事に、というか、あっけなく記録されてしまっている。それを読んでまず抱いた感情は、新たな史料を見つけた喜びではなく、まさに、悔しさであった。「そりゃ、まあ、実際に見た者には敵わないよな。」と。

あれれ、変だなぁ

 ところが、数日後、あることにふと気づいた。上野山下で葭簀張が出ていたのは、広場の中の火除明地とされた区域だが、そこに葭簀張を設えての営業は、天保改革の際、傍らでの床店営業と一緒に禁止された。そうして床店・葭簀張は撤去された。その後、当該地域の区画変更などを経て、安政年間に床店の営業は復活するが、かつてのような葭簀張を数多く設置しての大々的な興行などは復活していないはずである。つまり、アンベールが滞在していた頃の上野山下には、例えば、アンベールが言及しているような、「高い櫓」やら曲馬興行などは存在しないはずである。ちょっと変だな。
 そんな疑問を抱いて、もう一度、アンベールの記述を読むと、その内容が、『江戸名所図会』の「山下」図に酷似していることに気づいた。初読のおりには、あまりに見事に『江戸名所図会』の世界と同様の情景が記述されていて、それゆえ、その細密で正確な情景描写は本物であると信じ込んだわけだが、あらためて読むと、アンベールの記述は、『江戸名所図会』と似すぎていた。
 『江戸名所図会』の刊行は天保5年と7年である。つまり、天保改革によって山下の床店・葭簀張が撤去されるより前である。だから、当然、その挿絵のなかには、広場における床店・葭簀張の営業の様子が描かれているのである。

アンベールの捏造

 なるほど。要するにアンベールは、自分の眼で見た上野山下の状況を記録したのではなく、おそらくは、帰国後、『江戸名所図会』を傍らに置き、いかにも自分が実際の上野山下を訪ねたように見せかけて、本当は、『江戸名所図会』に頼って、想像による上野山下の風景描写を書き上げたのであろう。

 例えば、私が実際に行ったイタリアの町の滞在記を書く場合、「この町のドゥオモは何世紀に誰それの設計によって建てられたもので云々」といった記述を正確にするため、旅行ガイドブックなどを参照しながら書くことがある。アンベールが『江戸名所図会』を日本土産として持ち帰っていたことは、彼の本の挿絵のいくつかが、『江戸名所図会』の挿絵を下敷きにして描かれたものであることからも明らかである。アンベールは、そうして持ち帰った『江戸名所図会』などを参照しながら、江戸滞在記をまとめたのであろう。そのとき彼は、自分が見てもいない場所、上野山下の訪問記までをも、あの見事な『江戸名所図会』を眺めながら、ついつい捏造してしまったのだろう。

気をつけなきゃね

 文庫版の裏表紙には、「該博な知識、卓越した識見、犀利な慧眼。(中略) 江戸の町とその生活を見たありのままに描写する。」という“宣伝文句”が載せられている。当時の欧米人の日本旅行記に対しては、ついつい、それなりの客観的な観察結果としての正確さを期待してしまう傾向が、現在、一般的に存在するように思う。ところが、どっこい。もし、それらを史料として利用するなら、当たり前のことだが、やはり、十分な史料批判が欠かせないように思うのである。

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