Ⅲ.近世の終焉としての現在
③名君政治の終わりと迷走(その3)
前回の記事で書いたとおり、農家や、家族を中心に営まれる商工業者といった、小経営の保護・育成=「牧民」が、小経営の時代における基本的な政治課題であった。戦後の保守政治ももちろんそれを継承していた。そして、これらの小経営が保守政治を支える基盤を形成していた。
それでは労働者の問題はどうだったのか。労働者は、高度成長期以降、社会におけるウエイトを増大させたが、その標準形はいわゆる日本型雇用のサラリーマンであった。私はそれを、擬似小経営的サラリーマンと呼んでいる。
ここで少しおさらいを。日本型雇用のサラリーマンたる夫の労働は、家事全般を担当する専業主婦との組み合わせで成立していた。つまり、サラリーマン個人の生業ではなく、夫婦を中心とする家業として営まれていた。その存在形態は農家や個人商店などの小経営に類似したものであった。それゆえ、これを擬似小経営的サラリーマンと呼びたい。
念のため付け加えておくと、日本のサラリーマンが擬似小経営的な形態をとることになった理由はまだわからない。従来の日本社会の基本的構成要素が小経営であったことに規定されて労働者までもが小経営的になった可能性もあるが、検証はできていない。ただ、明らかなのは、ともかく結果としては、日本型雇用のサラリーマンの家庭が、農家や個人商店などとよく似た形態をとったということである。これにより、小経営と擬似小経営的サラリーマンとが横断的につながり、一億総中流社会というイリュージョンを現出し、小経営の時代の終幕を飾った。
さて、こうした擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形であった高度成長期において、彼らの保護や待遇改善を目的として機能した組織が労働組合である(したがって、擬似小経営的サラリーマンではない労働者、つまり、非正規雇用の労働者は、一般に組合から排除されてきたが、それが現在と比べて量的にも少なく、またその大部分が家計補助的な労働であったため、この排除はさほど問題とならなかった)。
国政においては、これらの労働組合の支持を基盤とした社会党が最大野党として勢力を確保していた。また、左っぽいのが嫌いな組合に対しては、民社党という政党が用意されていた。
政府・与党は、これらの野党と時に対立しつつもその要求に配慮しながら、政治を遂行していた。また、財界においては、日経連という組織が、組合側と向き合って労使の妥協点を見出し、それに合わせて経営者側をまとめていく役割を果たしていた。そして、この労使の妥協を調整し成立させることが労働行政の重要な役割であった。
このようにして、労働組合という組織を媒介にして、政治が擬似小経営的サラリーマンを把握する回路が形成されていたのである。この回路を通じて、主に、雇用の安定と経済状況に応じた賃上げとが労働者にもたらされ、いちおうの幸福感を与えていた。
以上、前回と今回の記事でみてきたように、かつて、政治は、守り育てるべき対象として小経営を把握していたし、擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形となった時期においては、共にこれをも把握する体制をとっていた。
“小経営の時代”において、政治が国民の多数の幸福を実現するためには、とりあえず小経営や擬似小経営的サラリーマンの幸福を実現すれば良かった。そして、それを実現するための政治体制がかたちづくられていたのである(なお、そんな国民多数の幸福実現という課題が常に最優先されたわけでないのは前に書いたとおりである。念のため。)。
ところが、現在、小経営と擬似小経営的サラリーマンは、急速に衰退、あるいは消滅している。労働組合もそれに合わせて衰退しつつある。増大する非正規雇用の労働者を組合に収容し、自分たちの収入を削ってまでこれを救おうなどという度量を組合に期待するのはどだい無理だろう。他方、かつての日経連のように、経営者たちに対する強いイニシアチブをもちながら労使交渉を遂行しうる財界組織も今は無い。結果、政治は、国民多数の幸福を実現する方法、牧民の方法を喪失してしまった。
かつての政治は、国民多数の姿を、小経営および擬似小経営として捉えておけば良かった。
しかし、現在の政治は、国民の姿を具体的に捉えることがまったくできなくなってしまった。「無党派」、「消費者」あるいは「日本人」といった、抽象的な姿で捉えることしかできなくなってしまったのである。
このような状況において、滅び行く小経営を支持基盤とする自民党は低落の一途をたどっていた。小経営と擬似小経営的サラリーマンを基本とする産業構造も、グローバル化の中で崩壊し始め、特に、安い労働力を求める企業の海外流出による産業の空洞化が顕著となっていた。
そんなとき、「自民党をぶっ壊す」ことを旗印にした政治家が人気を集めた。上述の産業構造の崩壊などがもたらす閉塞感の中にいた人々が彼を支持したからである。彼の手法は、要するに、世界標準(アメリカ標準?)に適合しない小経営と擬似小経営的(年功序列で“終身”雇用の)サラリーマンには見切りをつけ、グローバル化を積極的に受け入れることであった。
これまで選挙の際には地域の小経営の熱心なとりまとめ役として自民党に協力してきた特定郵便局の局長たちを敵に回すといった彼のやり方は、従来の自民党の政治家から見れば、まったく正気の沙汰とは思えなかったはずである。
しかし、こうした既存の利権にしがみつく「抵抗勢力」とのバトル、というパフォーマンスを、都市部を中心とする「無党派」の人々は熱狂的に支持した。
だが、実のところ、彼には、幸福にすべき国民の姿は捉えられてはいなかった。まずは、より安価な労働力と雇用調整の自由を獲得した大企業がグローバル化・新自由主義化の下で潤い、金持ちがもっと金持ちになりやすい環境を整えれば、やがてはそれらからしたたり落ちる雫が、姿の見えない、つかみどころのないうぞうむぞうの輩まで行き渡るだろう、といった、例のトリクル・ダウンっていう、粗雑な発想である。
その後、彼によってアイデンティティをぶっ壊された自民党の迷走ぶりについて、細かな説明はいらないだろう。相変わらず、幸福にすべき国民の姿が把握できないままの自民党は、とりあえず、朝鮮半島の北の方にいるパンチパーマの「悪者」と格闘してみせる「正義の味方」をリーダーに祭上げ、「日本国民」総体の支持を狙った。が、その格闘は空回りに終わり、国民の方も「美しい国の住民として頑張りましょう。」とかいった抽象論にはまったくついていけず仕舞いであった。(以下、ばかばかしくて略。現在にいたる。例えば、国内の全世帯にお金をばらまこうっていうナントカ給付金なんてアイデア自体、政治が具体的な牧民の方法を喪失してしまったことの証左だろう。)
一方、田中角栄の愛弟子である野党のリーダーは、自民党が見放した小経営に対して、昔ながらの「牧民」のパフォーマンスを繰り広げた。中国地方の山間部の村にビールケースを積んで遊説の第一歩を刻んだこの前の参議院選挙では、自民党に愛想をつかした小経営がまず彼を支持した。ただし、もはや国民の少数となった小経営の支持だけでは選挙には勝てない。しかし、「痛み」と引き換えに約束されたトリクル・ダウンが幻に過ぎなかったことに失望した人々、小経営の時代末期の輝きを懐かしむ人々までもが、田んぼのそばのビールケースの上の彼にノスタルジックな期待を寄せた。結局、彼は記録的大勝利を収めた。次の総選挙も、おそらく、彼はこのスタイルを踏襲するだろう。しかし、彼には幸福にすべき国民の姿がちゃんと把握できているのだろうか。
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