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2008/12/29

年越し宴会へのお誘い その2

 先にご案内をアップしました年越し宴会ですが、29日お昼の時点で、5名の方から出席希望の連絡を頂きました。私の講義の受講生さん、あるいは元受講生さん、そして、巡見「江戸を縦貫する」の仲間の皆さんをとりあえずの対象としてまだまだ受付中です。
 先日の記事(ここをクリック)もお読みいただき、ご都合のつく方は、私宛に、メールか電話でご一報の上、どうかお出まし下さいませ。31日のお昼から元旦のお昼前ぐらいにかけての長時間・耐久宴会ですが、もちろん、途中からお出でくださっても、また、途中でお帰りになられても大丈夫です。

 お礼の付記2009.1.
 結局、6名のお客さんにお出でいただき、おかげで楽しくにぎやかに年を越すことができました。ありがたいことです。本年もどうかよろしく。

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2008/12/22

近世の終焉としての現在 18

  Ⅲ.近世の終焉としての現在
 
 ③名君政治の終わりと迷走(その3)

 前回の記事で書いたとおり、農家や、家族を中心に営まれる商工業者といった、小経営の保護・育成=「牧民」が、小経営の時代における基本的な政治課題であった。戦後の保守政治ももちろんそれを継承していた。そして、これらの小経営が保守政治を支える基盤を形成していた。

 それでは労働者の問題はどうだったのか。労働者は、高度成長期以降、社会におけるウエイトを増大させたが、その標準形はいわゆる日本型雇用のサラリーマンであった。私はそれを、擬似小経営的サラリーマンと呼んでいる。

 ここで少しおさらいを。日本型雇用のサラリーマンたる夫の労働は、家事全般を担当する専業主婦との組み合わせで成立していた。つまり、サラリーマン個人の生業ではなく、夫婦を中心とする家業として営まれていた。その存在形態は農家や個人商店などの小経営に類似したものであった。それゆえ、これを擬似小経営的サラリーマンと呼びたい。
 念のため付け加えておくと、日本のサラリーマンが擬似小経営的な形態をとることになった理由はまだわからない。従来の日本社会の基本的構成要素が小経営であったことに規定されて労働者までもが小経営的になった可能性もあるが、検証はできていない。ただ、明らかなのは、ともかく結果としては、日本型雇用のサラリーマンの家庭が、農家や個人商店などとよく似た形態をとったということである。これにより、小経営と擬似小経営的サラリーマンとが横断的につながり、一億総中流社会というイリュージョンを現出し、小経営の時代の終幕を飾った。

 さて、こうした擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形であった高度成長期において、彼らの保護や待遇改善を目的として機能した組織が労働組合である(したがって、擬似小経営的サラリーマンではない労働者、つまり、非正規雇用の労働者は、一般に組合から排除されてきたが、それが現在と比べて量的にも少なく、またその大部分が家計補助的な労働であったため、この排除はさほど問題とならなかった)。
 国政においては、これらの労働組合の支持を基盤とした社会党が最大野党として勢力を確保していた。また、左っぽいのが嫌いな組合に対しては、民社党という政党が用意されていた。
 政府・与党は、これらの野党と時に対立しつつもその要求に配慮しながら、政治を遂行していた。また、財界においては、日経連という組織が、組合側と向き合って労使の妥協点を見出し、それに合わせて経営者側をまとめていく役割を果たしていた。そして、この労使の妥協を調整し成立させることが労働行政の重要な役割であった。
 このようにして、労働組合という組織を媒介にして、政治が擬似小経営的サラリーマンを把握する回路が形成されていたのである。この回路を通じて、主に、雇用の安定と経済状況に応じた賃上げとが労働者にもたらされ、いちおうの幸福感を与えていた。

 以上、前回と今回の記事でみてきたように、かつて、政治は、守り育てるべき対象として小経営を把握していたし、擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形となった時期においては、共にこれをも把握する体制をとっていた。
  “小経営の時代”において、政治が国民の多数の幸福を実現するためには、とりあえず小経営や擬似小経営的サラリーマンの幸福を実現すれば良かった。そして、それを実現するための政治体制がかたちづくられていたのである(なお、そんな国民多数の幸福実現という課題が常に最優先されたわけでないのは前に書いたとおりである。念のため。)。

 ところが、現在、小経営と擬似小経営的サラリーマンは、急速に衰退、あるいは消滅している。労働組合もそれに合わせて衰退しつつある。増大する非正規雇用の労働者を組合に収容し、自分たちの収入を削ってまでこれを救おうなどという度量を組合に期待するのはどだい無理だろう。他方、かつての日経連のように、経営者たちに対する強いイニシアチブをもちながら労使交渉を遂行しうる財界組織も今は無い。結果、政治は、国民多数の幸福を実現する方法、牧民の方法を喪失してしまった。
 かつての政治は、国民多数の姿を、小経営および擬似小経営として捉えておけば良かった。
 しかし、現在の政治は、国民の姿を具体的に捉えることがまったくできなくなってしまった。「無党派」、「消費者」あるいは「日本人」といった、抽象的な姿で捉えることしかできなくなってしまったのである。

 このような状況において、滅び行く小経営を支持基盤とする自民党は低落の一途をたどっていた。小経営と擬似小経営的サラリーマンを基本とする産業構造も、グローバル化の中で崩壊し始め、特に、安い労働力を求める企業の海外流出による産業の空洞化が顕著となっていた。

 そんなとき、「自民党をぶっ壊す」ことを旗印にした政治家が人気を集めた。上述の産業構造の崩壊などがもたらす閉塞感の中にいた人々が彼を支持したからである。彼の手法は、要するに、世界標準(アメリカ標準?)に適合しない小経営と擬似小経営的(年功序列で“終身”雇用の)サラリーマンには見切りをつけ、グローバル化を積極的に受け入れることであった。
 これまで選挙の際には地域の小経営の熱心なとりまとめ役として自民党に協力してきた特定郵便局の局長たちを敵に回すといった彼のやり方は、従来の自民党の政治家から見れば、まったく正気の沙汰とは思えなかったはずである。
 しかし、こうした既存の利権にしがみつく「抵抗勢力」とのバトル、というパフォーマンスを、都市部を中心とする「無党派」の人々は熱狂的に支持した。
 だが、実のところ、彼には、幸福にすべき国民の姿は捉えられてはいなかった。まずは、より安価な労働力と雇用調整の自由を獲得した大企業がグローバル化・新自由主義化の下で潤い、金持ちがもっと金持ちになりやすい環境を整えれば、やがてはそれらからしたたり落ちる雫が、姿の見えない、つかみどころのないうぞうむぞうの輩まで行き渡るだろう、といった、例のトリクル・ダウンっていう、粗雑な発想である。

 その後、彼によってアイデンティティをぶっ壊された自民党の迷走ぶりについて、細かな説明はいらないだろう。相変わらず、幸福にすべき国民の姿が把握できないままの自民党は、とりあえず、朝鮮半島の北の方にいるパンチパーマの「悪者」と格闘してみせる「正義の味方」をリーダーに祭上げ、「日本国民」総体の支持を狙った。が、その格闘は空回りに終わり、国民の方も「美しい国の住民として頑張りましょう。」とかいった抽象論にはまったくついていけず仕舞いであった。(以下、ばかばかしくて略。現在にいたる。例えば、国内の全世帯にお金をばらまこうっていうナントカ給付金なんてアイデア自体、政治が具体的な牧民の方法を喪失してしまったことの証左だろう。)

 一方、田中角栄の愛弟子である野党のリーダーは、自民党が見放した小経営に対して、昔ながらの「牧民」のパフォーマンスを繰り広げた。中国地方の山間部の村にビールケースを積んで遊説の第一歩を刻んだこの前の参議院選挙では、自民党に愛想をつかした小経営がまず彼を支持した。ただし、もはや国民の少数となった小経営の支持だけでは選挙には勝てない。しかし、「痛み」と引き換えに約束されたトリクル・ダウンが幻に過ぎなかったことに失望した人々、小経営の時代末期の輝きを懐かしむ人々までもが、田んぼのそばのビールケースの上の彼にノスタルジックな期待を寄せた。結局、彼は記録的大勝利を収めた。次の総選挙も、おそらく、彼はこのスタイルを踏襲するだろう。しかし、彼には幸福にすべき国民の姿がちゃんと把握できているのだろうか。

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2008/12/21

年越し宴会へのお誘い

 年末年始、我が家にて、年越しの宴会を計画しています(今年のお盆に開催した宴会の第二弾です)。

 大みそか、31日の午後くらいから飲み始め、夜は年越し蕎麦(鴨鍋でもつついてそれに蕎麦いれましょう)、ひと休みしてから初詣にでも繰り出しましょう。

 以上、例年の巡見参加者、および各大学で私の講義に出ている学生さん(あるいは昔出ていた元学生さん)を対象にしたお誘いです。 
 
 参加を希望する人は、私にメールか電話くださいな。お待ちしております。参加者は・・・そうですね、何か飲み物をひとり一本。今回、怪しげな“糧食”は、謹んで遠慮いたします。あしからず(笑)

 

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2008/12/10

近世の終焉としての現在 17

  Ⅲ.近世の終焉としての現在

 ③名君政治の終わりと迷走(その2)

 小経営の時代、政治における最大の課題は、当然のことだが、小経営の保護・育成であった。近世段階における「名君」の最重要の仕事は「牧民」である。それは近代以降も変わることのない政治の基本課題であり続けた。
 もちろん、小経営の保護・育成が、いつなんどきも最優先で不可侵の課題とされたわけではない。他の課題、例えば、戦争の遂行や企業の育成、金融問題の解決、あるいは政治組織の自己防衛などが優先されて、小経営にダメージを与えることもあった。しかし、そうしたダメージを与えたことは、政治の失敗として確実に認識され、その解決が図られてきた。
 戦後の保守政治の支持基盤が、基本的には、農家や小規模の商工業者たちといった小経営が形成する地域コミュニティや同業者組織にあったことは説明するまでもない。外国産の安価な農産物が国内市場に入ってくることを阻止し、大規模な小売店舗の出店を規制し、それらスーパーマーケットで酒や薬が販売されないようにすることが、そうした支持基盤によって立つ自民党の議員たちの責務であった。各選挙区における「牧民」が彼らの仕事だったのである。
 行政のあり方も同様である。例えば、農水省。いわゆる事故米の問題だって、別に、なんとかフーズとかいった悪徳流通業者に儲けさせることがお役人の本来の目的だったわけではない。国内の米作農家の保護を目的に、ミニマムアクセス米という問題だらけの制度を運営していくなかの無理(と手抜き)から発生した、おそまつな事件である。このように、農水省の従来の仕事は、農家の保護・育成であって、そんな役人たちや、農水族議員の中でのしあがってきた大臣が持っているメンタリティとして、所詮「消費者」は受け持ち範囲の外の存在であり、「やかましい」だけの外野だったのは当たり前である。
 (次回は、擬似小経営的サラリーマンと労働組合について)

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2008/12/08

近世の終焉としての現在 16

  Ⅲ.近世の終焉としての現

 ③名君政治の終わりと迷走

 「近世の終焉としての現在」シリーズの続きを。ますます混迷の度合いを強める最近の政治状況のニュースを横目にみながら、私個人はちょっと苦手な政治の話をしようと思うが、このシリーズ記事を書くのが久々なので、自分の記憶を取り戻すためにも、今回はちょっとおさらいを。

 「近世の終焉としての現在」とは、私たちの生きている現在、つまり、20世紀末から21世紀初頭にかけて、日本社会が、歴史上、最大級の転換の過程にある、というお話。

 私たちのちょうど目の前で終焉をむかえようとしているのは、小経営の時代、である。ここでいう小経営とは、家族労働を基本とした家業的経営のことで、農家・個人商店(商家)がその主たる構成要素である。
 小経営の農家とそれらが形成する共同体としての村、そして、小経営の商店とそれらが形成する共同体としての町。こうした小経営と地域コミュニティが社会の基盤をなしていた時代、それが小経営の時代である。
 そんな小経営の時代が始まったのが近世である。その後、明治維新というやや大き目の転換点があり、農家と村、商店と町もそれぞれある程度の変化を見せるが、でも、所詮それは“変化”でしかない。現在進行しているのは、単なる“変化”にとどまらない。それらの存在そのものの“消滅”という事態である(詳しくは、このシリーズのを参照のこと。また、それら農家・個人商店といった小経営と一緒になって「一億総中流社会」を形成していた擬似小経営的サラリーマンと呼びうる日本型雇用の労働者の特質とその衰退状況については、10を参照のこと)。
 したがって、今起きている日本社会の転換は、明治維新などを上回る、より根源的な転換なのである。17世紀ごろに始まった小経営の時代は、その後400年間ほど続き、そして現在、終わろうとしているわけだ。

 このシリーズの後半の記事では、小経営の時代の終焉がもたらす社会の変化の例をいくつかとりあげてみた。
ひとつは、家・子供・結婚の不要化(1314を参照)である。小経営(および擬似小経営的サラリーマン)が無くなると、家はいらなくなる。家がいらなくなれば、当然、子供や結婚の必要性も大幅に低下する。現在、深刻化している少子化や非婚化の問題はこうして発生したと考えられる。小経営の時代の終わりは、こうして、私たちの人生の目標設定、幸福観、価値観に大きな変化をもたらしているといえるだろう。

 もうひとつは、地域コミュニティの解体である(15を参照)。従来の地域コミュニティは、本来、農家や個人商店の経営を成り立たせるための結合である。したがって、それらの小経営が消えると、当然、地域コミュニティも解体する。
 子育ての環境整備も、そんな小経営の継承のため、地域コミュニティに要請された機能のひとつであった。そして、この機能は、日本型雇用の擬似小経営的サラリーマンが集住する団地やら住宅街の場合は、最優先で求められる機能となった(農家などと違って、会社づとめのサラリーマンの各家庭の「経営」そのものは、およそ地域コミュニティを必要としておらず、したがって子育ての環境整備こそが最優先の機能となった)。そのため、それら団地や住宅街で住民の世代交代が起きない場合、つまり子供がいなくなってしまった場合はコミュニティが解体する。
 こうした現象は以前から発生していた。そして現在、擬似小経営的サラリーマンが衰退することで、コミュニティの新規成立や更新は抑制されている。結婚もせず子供も作らず流動するフリーターたちにとって、従来型の地域コミュニティは無用である。
 こうして、都市部・農村部を問わず、地域コミュニティの解体は急速に進んでいる。また、昨今の地域コミュニティ再生運動の多くが、住民のごく一部だけによる、ノスタルジックなコミュニティごっこのイベントに終始してしまうという問題の背景は、およそ、こんなところにある。

 17世紀に始まる小経営の時代。それを終焉へと導いたのは、基本的には、日本の資本主義化・工業化であったのだろう。しかし、上にも述べたように、サラリーマンの標準形が日本型雇用の擬似小経営的サラリーマンとなることで、小経営の時代の寿命はしばらく延ばされてきたように思う。その最後の輝きが「一億総中流社会」のイリュージョンだったのであろう。こうして先送りされてきた日本の「伝統社会」の終焉が、ここにきて決定的なものとなっているのは、おそらく、日本社会がグローバル化の波に飲み込まれたことによるのだろう。ただし、こうした社会の転換の要因については、精密な分析と検証が必要だと思う。

 以上、おさらいでした。次回は、小経営の時代の終焉における、政治の混乱について。

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2008/12/03

酉の市めぐり、途中でゴールデン街

 今年は酉の市に合わせた巡見が設定できなかった。痛恨。ただし、個人的には酉の市を歩くことができたのでご報告。

新宿にて
 まずは、新宿花園神社の酉の市。つい最近、期せずしてうれしい再会をはたすことができた友達が、新宿ゴールデン街を案内してくれるという。以前からゴールデン街には興味があったので、大喜びで出かける。スタートの遅いゴールデン街へ行く前に、ちょうど酉の市が始まったところだったので、友達と一緒に露店をひやかして歩く。見世物小屋も出ていた。
 東京のあちこちからお客が集まる浅草酉の市と比べると、こちらは若干こじんまりとして、お客も近隣からやってくる人が比較的多い感じ。開店前のホストたちが連れ立って熊手をかついで道行く姿がいかにも新宿ローカル。友達いわく、ここらの露店の食べ物はなかなかレベルが高いと。たしかに、うまそう。ついつい手を出したくなったが、その後のゴールデン街ツアーに備えてがまんした。
 ゴールデン街では5軒くらいハシゴ。“顔役”の友達のおかげで貴重な経験。やはり、ゴールデン街は本当に良い世界だった。お店で働く人々、そこに集まるお客さんたち、みんなが、この街のディテールとして生きている。そんなディテールをもった社会のあり方が街の景観にも如実に反映している。ゴーストタウン化したなんとかヒルズも、いつかこんな街になれば良いのになぁ。
浅草にて
 翌日は、目白にある大学で開かれた、とあるシンポジウムにコメンテーターとして参加。私のコメントの稚拙さにも関わらず活発な議論が続く盛会。閉会後、目白駅の近所で懇親会。そのまま楽しく二次会へも出席。
 その頃、浅草酉の市は、終盤を迎えていたはず。去年の巡見で知り合った熊手のお店で今年はバイトしている学生さんたちから携帯へ「仕事が終わるから飲みに来い。」とのお誘い。というわけで、真夜中の零時過ぎに浅草酉の市にて合流。取り片づけにあわただしく動き回るお店の人々を眺めながめてから、すぐ近所の吉原へ。
 まずは、旧遊郭ゾーンの角にある韓国居酒屋ぽらむ。ここ、すごく良いお店ですよ。マスメディアやネットにはほとんど情報流れてないけど。
 で、そのあとは、例によって、浅草のカラオケボックスで始発待ち。ひとりの学生さんが気を利かせて、YUIのRolling Star を歌ってくれる。やっぱ良いねぇ、YUIは。
 調子に乗って、自分で、同じくYUIの新曲 I’ll be を歌おうかとも思ったが、なんとか自制。好きなんだけどなぁ、この曲。だけど代わりに柴咲コウの影をついつい歌ってしまい、かなりひかれてしまった。

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