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2008/12/08

近世の終焉としての現在 16

  Ⅲ.近世の終焉としての現

 ③名君政治の終わりと迷走

 「近世の終焉としての現在」シリーズの続きを。ますます混迷の度合いを強める最近の政治状況のニュースを横目にみながら、私個人はちょっと苦手な政治の話をしようと思うが、このシリーズ記事を書くのが久々なので、自分の記憶を取り戻すためにも、今回はちょっとおさらいを。

 「近世の終焉としての現在」とは、私たちの生きている現在、つまり、20世紀末から21世紀初頭にかけて、日本社会が、歴史上、最大級の転換の過程にある、というお話。

 私たちのちょうど目の前で終焉をむかえようとしているのは、小経営の時代、である。ここでいう小経営とは、家族労働を基本とした家業的経営のことで、農家・個人商店(商家)がその主たる構成要素である。
 小経営の農家とそれらが形成する共同体としての村、そして、小経営の商店とそれらが形成する共同体としての町。こうした小経営と地域コミュニティが社会の基盤をなしていた時代、それが小経営の時代である。
 そんな小経営の時代が始まったのが近世である。その後、明治維新というやや大き目の転換点があり、農家と村、商店と町もそれぞれある程度の変化を見せるが、でも、所詮それは“変化”でしかない。現在進行しているのは、単なる“変化”にとどまらない。それらの存在そのものの“消滅”という事態である(詳しくは、このシリーズのを参照のこと。また、それら農家・個人商店といった小経営と一緒になって「一億総中流社会」を形成していた擬似小経営的サラリーマンと呼びうる日本型雇用の労働者の特質とその衰退状況については、10を参照のこと)。
 したがって、今起きている日本社会の転換は、明治維新などを上回る、より根源的な転換なのである。17世紀ごろに始まった小経営の時代は、その後400年間ほど続き、そして現在、終わろうとしているわけだ。

 このシリーズの後半の記事では、小経営の時代の終焉がもたらす社会の変化の例をいくつかとりあげてみた。
ひとつは、家・子供・結婚の不要化(1314を参照)である。小経営(および擬似小経営的サラリーマン)が無くなると、家はいらなくなる。家がいらなくなれば、当然、子供や結婚の必要性も大幅に低下する。現在、深刻化している少子化や非婚化の問題はこうして発生したと考えられる。小経営の時代の終わりは、こうして、私たちの人生の目標設定、幸福観、価値観に大きな変化をもたらしているといえるだろう。

 もうひとつは、地域コミュニティの解体である(15を参照)。従来の地域コミュニティは、本来、農家や個人商店の経営を成り立たせるための結合である。したがって、それらの小経営が消えると、当然、地域コミュニティも解体する。
 子育ての環境整備も、そんな小経営の継承のため、地域コミュニティに要請された機能のひとつであった。そして、この機能は、日本型雇用の擬似小経営的サラリーマンが集住する団地やら住宅街の場合は、最優先で求められる機能となった(農家などと違って、会社づとめのサラリーマンの各家庭の「経営」そのものは、およそ地域コミュニティを必要としておらず、したがって子育ての環境整備こそが最優先の機能となった)。そのため、それら団地や住宅街で住民の世代交代が起きない場合、つまり子供がいなくなってしまった場合はコミュニティが解体する。
 こうした現象は以前から発生していた。そして現在、擬似小経営的サラリーマンが衰退することで、コミュニティの新規成立や更新は抑制されている。結婚もせず子供も作らず流動するフリーターたちにとって、従来型の地域コミュニティは無用である。
 こうして、都市部・農村部を問わず、地域コミュニティの解体は急速に進んでいる。また、昨今の地域コミュニティ再生運動の多くが、住民のごく一部だけによる、ノスタルジックなコミュニティごっこのイベントに終始してしまうという問題の背景は、およそ、こんなところにある。

 17世紀に始まる小経営の時代。それを終焉へと導いたのは、基本的には、日本の資本主義化・工業化であったのだろう。しかし、上にも述べたように、サラリーマンの標準形が日本型雇用の擬似小経営的サラリーマンとなることで、小経営の時代の寿命はしばらく延ばされてきたように思う。その最後の輝きが「一億総中流社会」のイリュージョンだったのであろう。こうして先送りされてきた日本の「伝統社会」の終焉が、ここにきて決定的なものとなっているのは、おそらく、日本社会がグローバル化の波に飲み込まれたことによるのだろう。ただし、こうした社会の転換の要因については、精密な分析と検証が必要だと思う。

 以上、おさらいでした。次回は、小経営の時代の終焉における、政治の混乱について。

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