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2009/03/17

鞆の浦に行って架橋・埋立問題について考えてみました

 先週、仕事があって2泊3日で鞆の浦へ行ってきた。といっても、このブログで取り上げた架橋・埋立問題の調査に行ったわけではない。しかし、鞆の町を歩きながら、その問題についてもいろいろと思うことがあった。

 先の記事でも書いた観光地化の問題。架橋・埋立工事に反対する人々のうち、少なからぬ人々は次のように主張している。
 架橋・埋立工事の経済効果は一時的なものであって、長期的には、観光資源である景観の破壊が鞆の地域経済をダメにする。工事を中止して歴史的景観を守り鞆を観光地化することで地域経済は立て直せる。

 しかし、そうした主張に根拠はあるのか?

 久しぶり(十数年ぶり)に行った鞆では、観光客向けの土産物屋や飲食店が増えているのに驚いた。ちょうど、町では雛祭りのイベントをやっていた。旧家の多い鞆の町内のあちこちで自宅の雛飾りを一般公開していた。また、町のあちこちでは、例のちっちゃな可愛い人魚の絵も目にした。鞆の観光シーズンとしては、海水浴シーズンにつぐハイシーズンだろう。

 だが、先の記事でも書いたとおり、観光地化で地域経済を振興する、というのは、かなり困難なことのように思えた。

 団体客を乗せた大型観光バスは市外のバス会社のものであった。一方、私が乗った地元のバス会社が運行する路線バスに観光客の姿はほとんどなかった。
 土産物屋や飲食店も、日中はそれなりに賑わうものの、朝のうちや夕方以降はガラガラであった。鞆観光は日帰り客(というか短時間通過客)が大半なのだから当然のことだ。ハイシーズンでこの状況なのだから、シーズンオフの状態はおおよそ想像がつく。
 仮に、これら何十軒かの土産物屋や飲食店で雇用が発生するとしても、あまりにわずかな人数であろう。しかも、それらは、年間を通じての雇用ではなく、ハイシーズンのみの短期アルバイトになる。たいていのお店では、経営者の家族や親戚の誰かひとりふたりが忙しい時間帯にお店を手伝えばなんとかやっていけそうである。というか、それが経営的には一番だろう。

 一方、鞆の町の中で、20~30歳ぐらいの間の男性が働いている姿には、公務員系をのぞくと、ほとんど出会わなかった。2日間いて、4~5人会ったかどうか。
 そして、鞆の主要な地域産業である鉄工業はかなりの苦境のようだ。鞆の町の北の方にある鉄工団地周辺を歩いて回ることは今回できなかったが、おそらく、昨年後半から深刻化した不況はいくつかの工場に致命的なダメージを与えているだろう。

 先にも紹介したが、ネットなどで目にする工事反対派の主張のなかには、歴史的景観を活かした観光地化こそが鞆の採るべき将来の道だ、といった発言がしばしば出てくる。公共事業に依存しちゃうような旧来の地域経済振興は不健全であり、鞆の場合、観光地化にこそ、明るく正しい未来があるのだそうだ。

 要するに、国や自治体の税金などを当てにしてはダメで、鞆の人々は自力でもって観光業という「自由」な「市場」でお金を獲得しなさい、という趣旨のご指導である。

 これを聞いたら、髪の長い元首相や元大臣の大学教授などはさぞかしわが意を得たりと感激するだろう。もし本当にそのとおりでうまくいくのなら、つい最近、懺悔の本を書いちゃった経済の先生などは、喜んで再転向して逆懺悔の本なんて出しちゃうかもね。

 まあ、別に、新自由主義がぜったい悪であると言っているわけじゃない。ただ、ふだんは新自由主義やら市場原理主義やらに対して、弱者や田舎の切り捨てだとか批判している人たちが、もう片方で、上に書いたような、公共事業批判と鞆の浦の観光地化の主張をしているのだとしたら、それにはちょっと首をかしげてしまう。
 ましてや、ご自身、公共事業やなんとか助成金といった、国や自治体の税金の恩恵を被っているような人々までもが、“田舎”経済の公共事業依存を批判しているのだとしたら、そりゃもうめちゃくちゃな話だと私なんかは思ってしまうのだが。それは間違っているだろうか。

 念のため付け加えておくが、だからなにがなんでも架橋・埋立工事を実施せよ、と主張するつもりはない。だが、鞆やその周辺の地域経済に対しては、早急で大規模な経済対策がぜひ必要だと思う。それが鞆の地域経済の病気を完治させる薬ではないとしても、まずは今の痛みを緩和し延命を図る薬の処方がすぐさま行なわれるべきだと思う。

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コメント

事実誤認にもとづいた立論です。
1 埋立架橋に関する評価
2 埋立架橋に反対している人たちは公共事業に反対している
3 鞆の観光の現状に関する評価
以下、個々の点について述べます。

1 埋立架橋に関する評価
「架橋・埋立工事の経済効果は一時的なものであって、長期的には、観光資源である景観の破壊が鞆の地域経済をダメにする。」
「経済効果は一時的なもの」ではなく、完成までに10年かかる工事は、そのこと自体が観光の妨げになるのではないでしょうか。長期的な問題ではなく、着工とともにおこる問題です。

2 埋立架橋のかわりに山側トンネル案を主張しています。
交通問題の解決には公共工事は必要でしょう。
ただ、埋立架橋は、1でも述べたように、地域振興には結びつかないのではないでしょうか。
地域住民のためには、今すぐにも下水道の整備など生活改善の公共工事を優先すべきでしょう。

3 観光客向けの店が増え活性化していると評価できないのが不思議です。
主要な地域産業である鉄工業の振興策を示しているわけでもないし、公共事業が必要と言ってみても、それが地域住民の生活向上、人口呼び戻しなどに結び付くのですか。
 

投稿: 一国民 | 2009/03/17 12:26

 早速のコメント、ありがとうございます。

 相変わらず、私の文章が下手なせいで、基本的な文意すら伝わりにくいようで、まったく恐縮しております。

 「1埋立架橋に関する評価」が私の「誤認」であるとのご指摘ですが、記事本文の前後をお読み頂けると分かるように、私も、一国民さま同様、これは誤った「評価」だと思って引いています。どこが誤っているのかという点では、一国民さまと私とでは大きくズレがあるようですが。
 また、「一時的」だとか「長期的」だとかのことばの意味内容ですが、他人の主張なので、正確な説明はしにくいものの、おそらく、一国民さまのご理解とは異なり、「一時的」とは10年余くらいのスパンのこと、つまり、工事期間とその直後しばらくぐらいまでのことで、「長期的」とは、40年50年先、あるいは、おおざっぱに「百年の計」といったようなことを想定しているのではないだろうかと想像します。

 「2埋立架橋に反対している人たちは公共事業に反対している」という小林の認識は誤っている、という一国民さまのご指摘ですが、これも記事本文をお読み頂けるとわかるとおり、私はそのように認識してはいません。埋立架橋工事反対=公共事業反対だとは思っていません。

 で、3番目の観光業による町の活性化に対する評価をめぐっては、私と一国民さまとで、議論がかみ合っていますね。で、ご指摘の通り、見解の相違があるようです。ただし、私も、観光による活性化の効果が皆無だとか、観光地化が不必要だとか言ってるわけではありません。その点は、以前のやりとりなどを再度ご確認ください。
 で、私と一国民さまとの相違点は、観光を「評価」するかしないか、ではなくて、「評価」の大小、あるいは「期待」の大小の問題でしょう。たとえば、現在、土産物屋や飲食店において鞆の若者の雇用はどの程度増えているのでしょうか。くどいですが、増加のあるなしではなくて、増加した数の大小が問題だと私は思っています。

 「主要な地域産業である鉄工業の振興策を(小林は)示しているわけでもない」
 これはまったくおっしゃるとおりです。私には示す能力がまるでありません。ただ、何らかの振興策が絶対必要だろうな、ということぐらいまでは分かるのですが。で、そのことを書きました。では、どんな策が必要か。それはまず、当事者である鉄工場の経営者や労働者に聞いてみなくてはならないでしょうね。彼らの意見こそが基本に据えられるべきでしょう。

 「公共事業が必要と言ってみても、それが地域住民の生活向上、人口呼び戻しなどに結び付くのですか。」とのご質問ですが・・・。
 公共事業である以上、地域住民の生活のためになるもの、地域住民が望むもの、であるべきだと思います。そして、できれば、なるべく広範囲の地域住民の生活のためになるもの、地域住民の多数が望むものであるべきだとも思います。
 一気に「人口呼び戻し」は難しいかもしれません。まあ、そうした妙案がもしあればすぐに実施すべきでしょう。とりあえずは、現在の鞆地域内に存在する雇用や経営を維持する(あるいは雇用や経営の減少のスピードをゆるめる)ための緊急の策が必要だと思います。記事本文の「緩和」だとか「延命」だとかいった用語は、そういうニュアンスです。
 で、くどいようですが「だからなにがなんでも架橋・埋立工事を実施せよ、と主張するつもりはない」です。

投稿: 小林 | 2009/03/17 15:05

必ず最後に、「なにがなんでも架橋・埋立工事を実施せよと主張するつもりはない」と述べ、また「観光地化をめざすのがまちがいだと言っているのではない」とも述べられますが、論旨は要するに緊急策として埋立架橋が必要だと主張されているとしか理解できません。

もし空き家再生の土産物屋や飲食店がないとしたら、今以上に過疎化が進んでいるのではないですか。
私は、観光の現状を鞆の活性化と評価しています。
観光についても量の評価をもとに現状を否定的に評価するのであれば、鞆の活性化について代案を示してもらいたいものです。

十数年ぶりに鞆に一度行かれただけの経験をもとに、鞆へのアプローチに乗り合いバスを利用している人がわずかだなどと言われると事実誤認だと私には思えますが、数量の評価がもともと違うのでしょう。

「国や自治体の税金などを当てにしてはダメで、鞆の人々は自力でもって観光業という「自由」な「市場」でお金を獲得しなさい、という趣旨のご指導である。」
こういうことを埋立架橋反対論者が主張しているというのも事実誤認ですね。
福山市の坂本龍馬キャンペーンのあり方がおかしいという指摘はすでにしました。
観光振興にも行政の支援は当然必要でしょう。

事実誤認というのは、あなたが反対派の論調として紹介している内容が、反対派の論調の紹介として、いつもおかしいと言っているのです。

投稿: 一国民 | 2009/03/17 23:30

 「十数年ぶりに鞆に一度行かれただけの経験をもとに、鞆へのアプローチに乗り合いバスを利用している人がわずかだなどと言われると事実誤認だと私には思えます」とのこと。

 たしかにおっしゃるとおりです。鞆鉄バスから正式な数字を入手した上で実証的に論じるべきですね。
 まあ、ブログという私的日記なら一度限りの自分の見聞をもとにした粗い感想を書くのも許されるかと思ってたのですが。
 そもそも、鞆の町に住んでもいない外野の人間が、ほんの2、3日の見聞をもとに、こうした地元の問題についてもっともらしい意見を表明するなんて乱暴なことは、一国民さまの言われるとおり、誤ったことなのかもしれません。

「事実誤認というのは、あなたが反対派の論調として紹介している内容が、反対派の論調の紹介として、いつもおかしいと言っているのです。」とのこと。

 公共事業依存を批判して架橋埋立工事に反対しながら観光地化による自立的な地域経済立て直しを有望視する、といった論調は、記事本文で書いたとおり、ネット上ではかなり頻繁に目にします。で、そうした主張に対しての私の違和感を書いたまでのことなのですが・・・。
 うーむ、工事に反対する人の主張もいろいろということなのでしょう。
 「いつもおかし」くなってしまい申し訳ないです。

投稿: 小林 | 2009/03/18 06:53

鞆の埋立架橋に関しては、住民の賛成派と反対派の対立だけでなく、行政が進めようとしている公共事業とそのあり方を問う免許差し止め訴訟が起こされています。
その訴訟に関しては、原告被告の主張がすべて下記にアップされています。
一度目を通されたらどうですか。

鞆の浦の世界遺産登録を実現する生活・歴史・景観保全訴訟
http://tomo-saiban.net/index.html

投稿: 一国民 | 2009/03/18 12:25

歴史遺産を保護、保全し、それを活かしたまちづくりをするにも、当然投資が必要です。
それを支える行政的支援、公共投資、公共事業が必要です。
問題は、その内容です。

官民協働が必要ですが、なぜそれが成り立たないのでしょうか?

賛成派と反対派の対話がなぜ成り立たないのでしょうか?

単に賛成派と反対派の話し合いの必要性を説くだけでは、何も進まないでしょう。

投稿: 一国民 | 2009/03/18 12:52

鞆の現状を活性化していると評価できないのは日本の地域の現状に無理解だからでしょう。
高齢者の比率が高くいづれ消滅する限界集落は、山の中にいかなくても、日本の地方都市の地域の中にはいくらでもあるのです。その地域には八百屋も魚屋もなくなって、高齢者のみが居住しています。
それに比べれば、鞆は活性化しています。
若者が昼間、働く姿が少ないといっても、鞆の土産物屋や飲食店は鞆近郊や福山の人が働いたり経営しているので、その分昼間人口は増えています。
人口減少、少子高齢化が進む日本においては、それぞれの地域で人口減少、少子高齢化を前提に、その地域の活性化を図らなければならないのです。首都圏とは事情がまったく違います。
そこを見誤ると地域の活性化にはカンフル剤しかないなどという短絡した考えが出てきます。

投稿: 一国民 | 2009/03/20 00:01

 ご教示、ありがとうございます。

 「鞆の土産物屋や飲食店は鞆近郊や福山の人が働いたり経営しているので、その分昼間人口は増えています。」

 だとすれば、今までのところ、鞆の在来の住民にとって、観光地化のメリットは小さいということになるのでは?

 観光関連業に就いていない鞆の住民・鞆のなかで観光地化に適さない地域の住民などのために、やはり、観光地化以外の策を、観光地化とセットにして、早急に講じる必要がありそうですね。


 「地域の活性化にはカンフル剤しかないなどという短絡した考え」とのご評価。
 これには同意します。カンフル剤しかない、というのは本当に短絡的です。同様に、カンフル剤は不必要、というのも、今現在苦しんでいる人を前にして、あまりに残酷すぎる考え方です。

 では、なにがカンフル剤になりうるのか。それは私には決められません。実際に苦しまれている地域の住民が決めていくことでしょう。

投稿: 小林 | 2009/03/20 17:07

今回の判決に対して
見解を聞かせてください

投稿: 一国民 | 2009/10/07 20:43

鞆の事業のことを理解するには
訴訟の原告、被告側の主張が全て載っている
ブログがあるので
それを読んでくださいと申し上げたことがありますが
いっこうにそれに触れた発言はなかったように思います

研究者、専門家のNGO日本イコモスが
事業の計画の問題点を明らかにし
鞆の価値、代替案などについて示しています。
裁判所は、大きくそれを取り入れ
今回の判決を出しています。

まちづくりの基本が
住民どおしの話し合いであることは、
そのとりであるとしても
それが成り立たないのは
行政のあり方に問題があると思っています。

研究者は、少なくとも基本的な資料にあたって
発言すべきではないでしょうか

投稿: 一国民 | 2009/10/08 07:09

一国民さま、せっかくコメントをいただきながら、レスが遅くなって申し訳ありません。事情があってしばらくブログの更新ができなせんでした。

「判決」については、なかなか勇気のある良い判決だと思いました。特に、県や市の側が掲げる工事の必要性の主張がずさんである、という趣旨の指摘には同感です。市のHPなども見ましたが、正直、あれじゃあねぇ…と思いました。

一方、「判決」はともあれ、以前から記事のなかで書いてきたとおり、鞆の地域経済に対する早急かつ十分な規模の振興策が実施されなくてはならない、という思いは変わりません。もちろんその振興策の中身については、これもやはり以前から記事のなかで繰り返しているとおりで、「なにがなんでも架橋・埋立工事を実施せよ、と主張するつもりはない」です。住民同士の、互いの立場を尊重した話し合いや、政治家の的確なリーダーシップが求められているように思います。

一国民さまからの「研究者は、少なくとも基本的な資料にあたって発言すべきではないでしょうか」というお叱りには、まったく耳が痛いかぎりです。教えていただいた「ブログ」(?)は拝見したのですが、私の能力不足でそれを生かすことができずにいます。

ところで、以前、一国民さまにご教示いただいた、鞆の観光地化における現状としての「鞆の土産物屋や飲食店は鞆近郊や福山の人が働いたり経営しているので、その分昼間人口は増えています。」という状況を心配しています。また機会を得て鞆の浦にお邪魔して、観光地化の実態をこの目で確かめられたら良いのに、と思っております。


投稿: 小林信也 | 2009/10/19 10:01

「売らない。貸さない。壊さない。」というのは、1970年代の思想。「Uターン、Jターン、Iターン」と活性化を求めなければ、地域間競争に後れを取るのは必定。時代は変わる。地域の魅力は、歴史遺産。それを前提に、通過交通と地域内交通を分離するための道路政策への投資。埋立架橋に反対するのは、地域切り捨ての新自由主義にもとづく主張というのは的外れの議論。住民の話し合いをもとに、鞆は山場を迎えました。鞆は、どうあるべきか、あらためてご意見をお伺いしたいと思います?

投稿: 一国民 | 2011/11/04 21:23

ここしばらくは福山にも鞆にもお邪魔できず、情報にも現場の雰囲気にもまったく疎いのですが、住民協議会の議論が大詰めに近づきつつあるという報道は耳にしています。どのような話し合いの成果が発表されるのか、注目したいです。

賛成派・反対派の話し合いの場がこうして継続的にもたれてきたこと、それ自体、鞆の人々の“力量”の高さによるものだと思います。

「鞆は、どうあるべきか、あらためてご意見をお伺いしたい」とのことですが、それはもう単純に、鞆の人々のなるべく多数が幸せに暮らせることが一番重要で、そのための進むべき道筋を鞆の人たちが主体となって選びとる話し合いの場が今後とも成熟していくことが大事だと思います。

投稿: 小林信也 | 2011/11/06 11:26

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