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2009/04/06

近世の終焉としての現在 23 連載のおしまいに

 400年も続いた小経営の時代が終わることで、次はいったいどのような時代がやってくるのだろうか。もちろん、そんなことは誰にも分からない。まあ、誰にも分からないのをいいことにして、勝手な想像を書くことにしよう。

 現在、日本列島において「日本人」の数は減少傾向にある。遠い昔のことは知らないが、少なくとも17世紀以降でみれば初めての事態だろう。
 今回の連載記事では、農家や個人経営の商工業者といった小経営や擬似小経営的サラリーマンの衰退によって、結婚や子づくりが不必要化したことが人口減の最大の原因ではないかと書いた。ちゃんとした根拠は無いが、たぶんこれは当たっているだろう。

 さて、素人考えだと、「日本人」の減少によって、日本社会は移民社会へと変化していくことになると思う。ごくごく大雑把にいって、日本経済が人口減に合わせてどんどんダウンサイズしないかぎり、「日本人」の減少は移民の増加を必然化する。
 いやいや、産業の合理化やら、はてはロボット技術の進化(?)やらで、「日本人」労働力の減少はただちに移民増加には結びつかない、ということを主張する人もいる。政治的・文化的な障害もあるだろう。
 しかし、事実として、外国人労働者は増加し続けている。工場労働者や都市部のサービス産業の労働者以外にも、農業や老人介護の分野でも外国人労働者は欠かせない存在となりつつある。

 もし、現在の国策どおり、小経営の農家に代わって大規模経営の「農家」・「農園」が農業の担い手として増えるならば、農業における雇用労働力の需要も増加する。しかも、低賃金で季節的な期間限定の非正規雇用の労働力がもっぱら必要となるわけだ。
 日本一のレタス生産を誇る信州南佐久の川上村では、農家戸数約600戸に対して約600人の中国人「研修生」を受け入れていることが昨年の朝日新聞に掲載されていた。彼ら彼女らは、時給530円程度で年間7ヶ月ほど、レタスづくりと白菜づくりのかなりハードな「研修」をしていくそうだ。私たちが食べる“安心安全”の国産朝どりレタスやら北関東の朝づみイチゴやらには、中国などからやってくる彼ら彼女らの労働が不可欠らしい(※脚注参照)。こうした事例がどこまで日本農業全体に一般化できるのかは知らないが、もしかりに私が、無農薬・有機栽培が売り物の「小林農園」の経営者になったら、いかにして安い季節労働者を確保するかが、経営上の最大の懸案となるだろう。国内外のライバルに負けないために。
 また、小経営の崩壊は老人介護の構造を変えた。かつて、相続される小経営や擬似小経営の内部においては跡継ぎ夫婦が年老いた親たちを介護した。これが小経営の時代の老人介護であった。しかし、小経営・擬似小経営が無くなれば、老人の介護を担う「家」も無くなる。これにより、老人介護の分野でも雇用労働者は不可欠の存在となった。この分野も、今後、外国人労働者への依存が急速に強まることはほぼ確実であろう。

 2000年から2050年までの間で、日本の生産年齢人口(15~64歳)を現状で維持する場合には、延べで3千万人以上の移民が必要であるという国連の推計がある。たぶんかなりざっくりとした推計だろうし、実際に3千万人もの移民を日本社会が受け入れられるとは思えないが・・・さあ、どうだろう。
 かつて、自民党の一部の人が、人口の10%にあたる1000万人の移民受け入れ計画を発表した際、たちまち世間から大きな非難がよせられた。
 しかるに、2006年の数字だと、外国人労働者の数は合法的就労者が75万人で、これに不法就労者を加えて、およそ92万人とされている。おそらく今頃は100万人前後に達しているだろう。
 この先、少なくとも数十年間、「日本人」の生産年齢人口の超・激減はもはや確定した事態だし、もし日本経済が今より回復すれば、外国人労働者はたちまち数百万人規模へ増加するように思える。
 こうした事態は、日本社会の歴史において、まったく新しい時代がやってきたことを意味しているだろう。

 さて、小経営の時代が終わって、次に来る時代とは何か。それは、たぶん、資本と労働者の時代ではないだろうか。
 資本と労働者、それは、商工業・サービス業のみならず、第一次産業のうちのかなりの割合までをも包摂していく。ただし、そこにいる労働者の内実は、かつてイメージされていた均質的な近代労働者集団ではない。そのエスニシティーにおいて、そのジェンダーにおいて、働き方において、まったく相異なる多種多様な人々から成っている。そんな人々をくくる唯一の共通項が、労働者であること、だろう。あるいは、マルチチュード、という呼び名もすでに出されている。

 小経営の時代のあとは、資本と労働者の時代。こんなことを書いたりすると、年配の人たちからも、また、若い人たちからも、何を今さら、と鼻で笑われるような気もするが・・・。だけど、これから、本格的な資本と労働者の時代が始まるんだと思ってる。

 
 ※本文を読み返してみると、この川上村の事例は、ちょっと矛盾してますね。外国人「研修生」の「労働」に頼りながら、当面は小経営の維持が図られている事例であって、連載のテーマ「小経営の時代の終焉」とは逆の事態かも。ちょっと補足記事を書いてみました。こちらをご覧くださいな。

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