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2009/06/24

続々・たけくらべ論争~娼妓取締規則をめぐって

 たまにこのブログのアクセス解析っていうのをやる。相変わらず一番読まれているのは、もう4年も前の記事だが、たけくらべ論争についての記事である。今でもほぼ毎日、いくつかのアクセスがある。もちろん、これは僕のブログに人気があるからではなく、名作『たけくらべ』の人気のせいである。

 そのアクセスの先月分が飛躍的に増えていた。一日数百のアクセスが数日間続いた。どうして増えたんだろうって思って調べると、どうやら、この記事を、ある有名な文学者の方がブログでとりあげたり、ご自身の私塾の授業資料に使用したりしたかららしい。というわけで、今度のはその文学者の方の人気のせいである。

 それはともかく、塾での授業で僕の記事がどのようにとりあげられたのか関心がある。が、まあ、それは知りようもない。ただ、塾の生徒の方で授業ノートをネット上に公開されている人や授業感想をブログに書いている人などがいらっしゃるので、それらを興味深く読ませていただいた。また、それらの記事からのリンクで、山本欣司「売られる娘の物語:「たけくらべ」試論」(『弘前大学教育学部紀要』87、2002)も読んでみた。
 ここで本来は、ちゃんとした討論のかたちをとるべきかもしれないが、当方で勝手に集めた間接的で部分的な情報だけをもとに、ご当人がご意見を公表されていない段階(あるいは公表されていても私が知らないだけ?)で、件の文学者の方のお名前を出して反論するのは良くないかなと。というわけで、以下、自問自答みたいなかたちで考察をすすめてみよう。とはいえ、これはこれで相手の方に失礼なんだろうけど。どうかご勘弁のほどを。関連ブログへのリンクなども当面は控える。もし、状況が整えば、リンクなりトラックバックなりしようかなと。

 さて・・・

 たけくらべ論争の概要についてはこちらこちらの過去記事を。
 要は、物語の終盤、急に元気を無くした主人公の少女美登利について、彼女が元気を無くした原因をめぐる論争である。初潮をむかえたからだという初潮説のほか、吉原の遊女屋で初めて客を取ったからだという初店説、あるいは、娼妓に対して義務付けられていた身体検査を遊郭隣接の検査場で初めて受けたからだという検査場説(初検査説)などがある。

 以前の記事においては、これらの諸説のうち、初店説と検査場説は成り立たない、と主張した(ただし、私が否定するのは一般的な遊女デビュー形式での初店説。佐多稲子が主張するような違法な“秘密の初店”説は成立の可能性がある)。

 私がこれら2説は成り立たないとする論拠は当時の娼妓取締規則にある。そこでは、16歳未満で娼妓になることは禁止され、娼妓の遊郭外居住も禁止されている。まだ14歳で、かつ、遊郭外に暮らし続ける美登利が、正式に娼妓デビューしたり、デビューのための身体検査を受けたりすることはありえない。

 こうした主張に対しては、当時の吉原において、年齢をごまかして16歳未満の者を娼妓にすることは可能だろう、という反論や、作者の一葉が娼妓取締規則を知らなかったこともありえるだろう、という反論も成り立つようだ。

 たしかに一般論として年齢詐称もありえるだろう。たとえば、どこか遠い地方から売られてきた少女ならそれは容易かもしれない。しかし、吉原界隈のちょっとした有名人で、かつ、いまだ地元の小学校に在学中の美登利の場合、年齢の詐称は困難だろう。遊女屋の経営者にとって、これほどあからさまな違法行為はリスクが大きすぎる(仮にライバル業者やら逆恨みした客やらが警察に告発したら、かなり厄介だろう)。
 (20097.22.付記) 私の記事を紹介してくださった文学者の方のブログを読んだら、森鴎外の年齢詐称を引き合いに出して、それと同様に、美登利だって年齢を詐称してもおかしくなない、と考える学者の説が挙げられていた。うーむ、文久年間に石見の津和野で生まれた鴎外が、上京した翌年の明治6年に年齢をごまかして医学校に入ったという話と、明治19年の小学校令による義務教育の確立後で現に地元の小学校に在学している美登利の話とを同列に扱うのは、かなり粗雑な考えだと思う。(付記おわり)

 先に挙げた山本欣司氏の論文では、16歳になって娼妓デビューする前の見習い奉公開始もひとつの可能性として示唆されているが、見習い奉公なら遊女屋に移り住む必要がある。作品中に明記されているとおり、美登利は廓外に暮らし、遊女屋に行くのは、そこで働く姉に「用ある折」だけなので、見習い奉公も始まっていないと考えられる(山本氏がこれとは別に指摘する、美登利と遊女屋との間でなんらかの契約が成立した可能性については、検討の価値があると思う)。

 そもそも、美登利が正式に娼妓として就業していないことは、上記の年齢問題を別にしても、こうした彼女の遊郭外居住からも、明らかである。

 もうひとつ。一葉が娼妓取締規則を知らずに、16歳未満で遊郭外居住の美登利を娼妓にしてしまったのではないか、という反論。その可能性については、私も前の記事でふれた。でも、やはりそれは無理センだと思う。
 まず、16歳未満の娼妓就業禁止の方について。おそらくこれは、現在のなんとか条例の18歳未満云々程度には、世間の常識(?)だったと思う。一葉が正太に歌わせている流行節に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」とあるとおりだ。
 そして、娼妓の遊郭外居住の禁止の方は、江戸時代から続く、遊郭の営業独占を守るための最重要かつ最も有名な“おきて”である。『たけくらべ』執筆の前年、吉原のすぐ近くで約1年間居を構え、折にふれて吉原のことを観察していた一葉が、それを知らなかったことなどありえないだろう。

 というわけで、やっぱり、初店説(秘密の初店説はのぞく)と検査場説(初検査説)は成り立たないと考えられる。

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2009/06/17

江戸柳原の古着市場

 ブログ読者の皆様一般に対しては申し訳ありませんが、ちょっとした業務上の都合で、場違いながら、以下、江戸の柳原というところにあった古着市場に関するメモを掲載します。興味のある人はご笑覧を。

柳原土手通りの古着市場

 神田川の南岸に沿って築かれた総延長1.5km弱の土手に沿った通りに、土手を背にして床店が並んでいた。軒数は不明。明治初年に同所での床店営業の許可が検討されるが、その許可軒数は約550軒。そこから判断して、500軒程度というのがひとつの目安か。
 成立年代は不明。床店場所全体は八つの区画に分かれていて、それぞれの区画ごとに幕府からの営業認可が与えられていた。それらの認可はおおむね18世紀前半に順次出されたが、それ以前から無認可の営業が存在した可能性も大きい。
 この床店場所において、古着市場が開かれていた。古着市場の成立年代も不明だが、諸文献における同所の古着商売への言及は、1730年代以降に現れてくる。床店場所が幕府から認可された18世紀前半頃に、柳原土手通りの古着市場も形成されたのではないだろうか。古着を扱う床店の軒数も不明だが、100~200軒程度だったのではないか。

柳原土手通りの古着市場についての要点

 この古着市場については、これまで史料もみつからず、実証作業を欠いたまま、同所は詐欺的な商売が横行する怪しげな場所であったという見解が出されていた。しかし、近年、貴重な史料を発見できた。明治7年1月付で、古着商の住吉屋幸左衛門という人物が東京府知事宛に提出した書類のなかに、近世段階の柳原土手通りの古着市場について説明した記述が見つかった。その記述内容から導き出せる要点は次のとおり。

①江戸の主要な古着市場として、富沢町の市場と柳原土手通りの市場とが両立していたが、富沢町市場の取扱商品が高級化するにつれて、古着市場としての「人気」が柳原土手通りへと移ってきた。
②市場の場所は「床店最寄」である。おそらくは、床店前の路上において、古着の市場取引(糶売買)が行われていた。そうした取引に対しては、床店は商品の保管場所としての機能を果たしていたと考えられる。
③市場での売り手は、床店の古着商人たちである。買い手は、「府下市中見世」、すなわち江戸市中の小売の古着屋と、「諸国」から古着を仕入れにやってきた「旅人」である。また、売り手である床店の古着商人が市場で古着を買うという「互ニ売買」という取引もおこなわれていた。
④市場では、どんな古着でも「値次第」で「悉売捌」けるので、「薄元手」の零細な商人たちが「尚以糶合出市」し「日々営業」していた。

 柳原土手通りの古着市場を、小売市場とする誤った見解もあるが、③で明らかなように、この市場の主な機能は、小売店や旅商人を相手にした、いわゆる卸売であった(それと平行して、個々の床店における素人相手の小売も行われていたことはほぼ間違いない)。
 このように、売り手・買い手ともにプロフェッショナルな商人である以上、これまで喧伝されたような詐欺的な商売の横行といった状況はありえない(そんな商売が一部にはあったとしても)。
 こうした柳原土手通りの古着市場は、少なくとも幕末段階では、由緒ある富沢町市場と肩を並べさらにはそれを凌駕する卸売市場として発達を遂げていた(明治前半にはこの柳原土手通りの市場をもとに岩本町古着市場がつくられ、ここが東京の古着流通における最大の拠点となる)。
 市場での売り手として商品を豊かに供給しときには買い手ともなる古着商人たちが、恒常的に多数集合すること、これが市場を発達させた基本条件であろう。零細な経営規模の商人たちが、個々単独では決して作りえない巨大な集客力や活発な市場取引は、彼らが多数の共同によって柳原土手通りに生み出し育んだものである。

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2009/06/15

最近のお気に入り~YUIの「again」

 今よく聴いている音楽は、もちろん(?)、YUIの歌う「again」。個人的には、なぜか西原理恵子と並んで最近お気に入りのYUIです。それについてはこちらの記事を。

 昨秋からの活動休止期間を経ての新曲。早口で畳みかける歌詞が乗せられた疾走感満開のギターロック。いさぎよくシンプルかつ骨太の曲構成。そうしたシンプルさは初めて聴いたときちょっと物足りないくらいだったけど、繰り返し聴いてると、やっぱり満足の聴き応え。うーむ、歳とるとどんどん鈍感になっちゃうねぇ。

 オリコンの週間ランキング1位で、今年度女性アーティストのCD初動売り上げも、あゆを抜いて1位。さすがー。

 さて、この曲、CD以外で楽しめるのは、2種類のPVと、これをオープニングテーマにしているアニメ。

 まずPV。初回限定版CDに付いているDVDに収録された普通のPVと、それ以外にもう一種類。普通のPVと同じスタジオで録られた、なんと、通しで一発録りのライブヴァージョン。実際には、このライブ映像を編集して普通のPVも作られているから、両者の画像はかなり重なっているけども。
 それにしても、緊張感があってとても良いPV。こっちのPVも、ときどき、音楽専門系のTVチャンネルで流れるし、たしかどっかで公式配信されてたはず。おすすめです。どちらのPVも、PVディレクターの、YUIと曲とに対する「敬意」が感じられる。まあ、いろんなPVがあってよいとは思うけど・・・やっぱりこういうPVが良いね。

 アニメの方は、日曜夕方に放映中の『鋼の錬金術師』のオープニング。この番組の過去のテーマ曲だと、ポルノの「メリッサ」や、アジカンの「リライト」も好きだったなぁ。だけど、やっぱ、「again」、いいですね。アニメキャラクターがこの曲を口ずさむシーンがところどころ挿入されていて、それがなかなかかっこよい。

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