無縁社会が拡大する原因としての“近世”の終焉
最近NHKがテレビやラジオでしきりにとりあげているのが、無縁社会というテーマである。家族や地域コミュニティとの関係を喪失した生活を送る人々の増加や、そうした人々がやがて迎える孤独死の問題が、番組で生々しくレポートされ、話題となっている。
我田引水になるが、以前このブログで主張(とりあえずココやココを参照)した、現在の日本における“近世”の終焉、という歴史的な大変化を象徴する現象のひとつに、こうした無縁社会の拡大を位置づけうると思う。
小経営の時代とその終焉
ここでいう“近世”の終焉とは、小経営の時代の終焉のことである。小経営とは、本来的に、家族労働を中心とした、農家や「個人」経営の商工業者のことである。こうした小経営が主体となって社会を構成した時代が、小経営の時代であり、それが始まったのが、だいたい17世紀の前半、近世の成立期である。そして、それから400年が過ぎて、これらの農家や「個人」経営の商工業者が社会の中心的な構成主体ではなくなった現在のことを、近世の終焉、と呼んでみたのである。
「小経営とは、本来的に・・・」と書いたが、それは、小経営の時代が終わる少し前、日本においては、本来的な小経営ではないものの、それとよく似た、いわば擬似小経営的なるものが登場し、社会の構成主体として成長したことにも注意したいからである。それは、農家などとよく似た存在形態の、擬似小経営的サラリーマンの家庭である。この成長が本来的な小経営の減少を補った。それにより、小経営と擬似小経営的サラリーマン家庭とを横断するかたちで、「日本」的な「均質社会」・「一億総中流社会」も生み出された。こうして、しばらく先延ばしされた小経営の時代の終焉だが、それが今まさにやってきたのである。
擬似小経営的サラリーマンとはいわゆる日本型雇用のサラリーマンのことで、その家庭は、外で働くお父ちゃんと、育児やら老人介護やらの家事労働やPTA・子ども会などの地域活動のほとんどを引き受けて働く専業主婦のお母ちゃんとが、二人三脚の「夫婦かけむかい」で維持していく家庭であるという点、つまり家族労働を中心として維持されているという点で、農家のような本来的な小経営の家庭との間で共通性をもつ。
そして現在、日本型雇用制度が解体し始めることで、擬似小経営的サラリーマン家庭は減少し、すでに進行していた本来的な小経営の衰退と相俟って、小経営の時代の終焉は決定的なものとなったと考えられる。
無縁社会
小経営の時代においては、人々は小経営の維持のために「家」を必要とし、結婚して子供を作った。また、小経営の維持のために地域コミュニティを形成した。そして、小経営の時代が終焉を迎えた今、経営体としての「家」は解体し、地域コミュニティもその存在意義を著しく低下させた(擬似小経営的サラリーマン家庭が形成する、脆弱な擬似的コミュニティについては、過去記事を参照のこと)。
家族と共に守ってきた小経営を子供に受け渡し、小経営とそれが属する地域コミュニティのなかで余生を送る。そして、小経営のなかで介護を受け、やがては死を看取ってもらい、最後は地域コミュニティがその葬儀を営む。そんな小経営の時代のライフコースは、その時代の終焉とともに崩壊した。
つまり、無縁社会といったときの「縁」とは、小経営が生み出す「縁」であり、小経営の時代の終焉とともにその「縁」は切れていくのだろう。
少子化と非婚化・老人介護問題・地域コミュニティの解体、そして無縁社会。これらの諸問題は、小経営の時代の終焉、すなわち、近世以来400年続いた伝統社会の終焉において現れた、一連の問題群としてとらえられるであろう。
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