江戸に帰った慶喜 ウナギとマグロと毛布 その3
大坂を軍艦で脱出し、江戸に戻った慶喜が、江戸城に入ると、マグロを食べたという話。
ウナギの話と並んで『藤岡屋日記』の記事に書かれている。
まずはその記事の現代語訳。
同朝(正月12日朝)(「□ふの」…読みとれず)マグロが、御納屋(日本橋の御肴役所の納屋のことか)から江戸城西丸御膳所へ納められたことについて、かつてマグロが御城へ上納されたことはなく、どうしたことかと尋ねたところ、昨夕、上様(慶喜)が仰せつけられたので上納したということで、すぐさま、正身を刺身と味噌漬にして、アラはねぎまにして召し上がり、残りを一同へお下げになったという。なんだかわからないが闊達な主君で感心との噂。
この記事の話者によると、江戸城にはこれまでマグロが納められたことはなかったという。現代とは異なり、当時、庶民が食べる魚だったマグロは、将軍の食事に用いられることはなかったのであろう。
将軍の食事の献立をみると、魚は白身魚が多く、やはりタイがよく出てくる。刺身もタイの刺身が多い。
慶喜は京都で征夷大将軍に就任するのだが、それ以前、江戸で暮らしていた頃は、おそらく食事も比較的自由で、ウナギの蒲焼やマグロ料理にも親しんでいたのであろう。豚肉が好物だったことはよく知られている。
そんな慶喜が、マグロを食べさせろ、と江戸城西丸御膳所へ命令したのは、江戸上陸の前夜、品川沖に停泊した軍艦開陽丸にまだ乗っていた時点である。
江戸城に納入されたマグロは、すぐに刺身にされ、江戸城に着いたばかりの慶喜の食膳にのぼったのであろう。余った身は味噌漬にされた。また、アラはねぎま(鍋?)にして食べたと記されている。もちろん、慶喜一人で食べきれるはずもなく、残りは将軍の身の回りにいる一同に与えられた。
先にも書いたとおり、慶喜が徳川宗家を相続したのも、その後に将軍となったのも、京都に居たときのことである。それ以降も慶喜は京都に居続け、政争に明け暮れた。そして今回、久しぶりに江戸へ戻って来たわけである。したがって、城主として江戸城へ入るのはこれが初めてである。
慶喜のマグロの特注という振る舞いは、城に詰める家臣たちからのウケも良かったたようで、闊達な主君として好評を得たのである。
先のウナギの話にしても、このマグロの話にしても、それらからは、慶喜の精神的な余裕のようなものを感じることができる。
大坂脱出、江戸帰還、そしてその後の新政府に対する恭順の貫徹。これらは、慶喜が最善の策として選び取り、それを主体的に実行したものではなかろうか。
その際の気力の充実。それがこの旺盛な食欲につながっているように思えるのだが…いかがでしょう?
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