江戸に帰った慶喜 ウナギとマグロと毛布 その4
鳥羽伏見の戦いの直後、軍艦で大坂をこっそり脱出し、江戸にもどった徳川慶喜。
その慶喜に関する『藤岡屋日記』の記事を読んでみようというシリーズ。今回が最終回です。
急きょ江戸城へ入った慶喜の寝具をどうするか、家来たちが困ってしまっている、という風聞を伝える『藤岡屋日記』の記事の現代語訳から。
11日の夜は、上様はフランケ(=ブランット)2枚でお寝になられ、12日に御夜具の評議があり、御納戸へ掛け合ったところ、(西ノ丸御殿の)御表には御夜具が一切無いというので、大奥へ掛け合いに及んだところ、お節倹が命じられたため諸々のことに差し支えているので、(上様の)御用に立つ寝具などはひとつもないとのよし、大奥からお断りがあって、大困りしたという噂である。
このエピソードを紹介したネット情報を見ると、しばしば「江戸城へ戻った慶喜にはたった毛布2枚しか用意されず…」などと書かれているが、それは間違いであろう。
慶喜が毛布(ブランケット)2枚で眠ったのは、11日の夜、すなわち、江戸湾に停泊している開陽丸の船内でのことで、江戸城に入城したのは12日の朝である。
記事によると、慶喜を迎える江戸城内では、寝具をどうやって用意するかで大騒ぎのようだが、おそらく、慶喜本人は、別にどんな安っぽい寝具であっても気にもしなかったのではないか。「この寒い時期、毛布2枚で寝たことを思えば、これで上等、上等」とでも言って笑ったのではないだろうか。
1月12日に江戸城西ノ丸に入った慶喜は、ウナギとマグロを食べて評議に臨む。
もちろん自分の寝具の調達ではなく、新政府軍との軍事衝突の回避を目指して、素早い動きを見せる。
フランスの力を頼みにする主戦派の中核であった陸軍奉行並・勘定奉行の小栗忠順を15日には罷免し、それに代えて、非戦派の勝海舟を17日には海軍奉行並、23日には陸軍総裁の要職に就ける。勝海舟はフランスに対して支援を断る。こうして新政府軍との軍事衝突を避けるための体制固めに向けて、慶喜は強いリーダーシップを発揮していくのである。
大坂を脱出し江戸城での強力な人事改革の断行。内戦の回避を目標に定め、大胆かつ的確な措置を次々に講じる慶喜。
慶喜の旺盛な食欲からは、そんな精力的な辣腕政治家の姿が描けるのだが…いかが?
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