江戸に帰った慶喜 ウナギとマグロと毛布 その1
慶応4(1868)年1月3日に開戦した鳥羽・伏見の戦いで、旧幕府軍は敗退する。
すると慶喜は、将兵を残したまま、大坂湾に停泊していた軍艦開陽丸にこっそりと乗り込み、江戸へ向かう。
大坂出航が1月8日で、江戸に着いたのが11日である。
この行動については、将としての勇気や責任感を欠く「敵前逃亡」だとして、批判が集まるのだが…。
個人的には、好感のもてる行動である。戦争はしないに限る。
ところで、江戸に着いた慶喜に関するエピソードが『藤岡屋日記』に掲載されている。
こういうのを読むと、ますます慶喜について親近感がわく。
江戸に戻って早々に、ウナギやマグロを食べたがった話である。
次回、下掲の『藤岡屋日記』の記事を読んでみよう。
ネット上で、このエピソードはしばしば取り上げられているが、どうも、解釈の誤りが多い。
せっかくの面白い話なので、ちゃんと読んでみよう。
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コメント
「戦争はしないに限る」って言うならちゃんと戦争を回避するなり停戦交渉をすべきで、現地で将兵が戦っている最中に最高指揮官が一人で撤収するのは無責任も甚だしい事態である。その場で辞任し、他者に指揮権を継承すべきであったでしょうね。
投稿: ハインケルフリーク | 2021/07/05 03:47
ハインケルフリークさん、コメントありがとうございます。
あの時点の薩摩と交渉して停戦に持ち込むことが可能であったか否か、「戦争を回避する」=武力行使の中止を慶喜が命じた場合、旧幕府軍の中の主戦派がそれに従ったか否か、「他者」に指揮権を継承することで戦争が回避できたかどうかが論点になりますね。また旧幕府軍戦死者約280人が多いと見るか少ないと見るかも論点かもしれません。
投稿: 小林信也 | 2021/08/27 14:37