2009/03/03

おすすめ、YUI、西原理恵子

 最近、一番よく聴いている音楽は、YUIという若い女性シンガーソングライターの歌だ。「Good-bye days」・「CHE.R.RY」といったあたりが、まあ、有名曲かな。特に中高生から20代前半くらいの世代に人気がある。というわけで、中年のオヤジの僕なんぞがYUIのファンだと言うと、言われた相手はたいていリアクションに困ってしまうらしい。でも、ほんと、なかなかYUIは良いですよ。

 さて、いきなりだけど、YUIって、漫画家の西原理恵子に似てると思う。こんなことを書くと、YUIのファンからも、西原理恵子のファンからも、双方からブーイングが来そうだが。もちろん見た目が似ているわけじゃないけど。で、僕、西原理恵子も好きです。

 西原理恵子のファンだったら僕の同世代にもたくさんいるだろう。さてさて、どっかにいないかなぁ、YUIと西原理恵子の両方が好きだっていうお仲間は。もし、このブログ読んでる数少ない読者の方で、自分も仲間だっていう人がいたら、ぜひコメントくださいな。

 西原理恵子の最新エッセイ、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、2008.12.)が面白い。「あそこの家のお姉ちゃんはこのあいだ万引きでつかまったとか、昼間からシンナーを吸ってフラフラしていた向かいのお兄ちゃんは、案の定シンナーの吸い過ぎでこのあいだ死んだとか、そんな話は身のまわりに、売るほど転がっていた。」という思春期を経て、とある「非行」で高校を退学させられた西原理恵子は、「貧しさが何もかもをのみこんでいくような、ブラックホールみたいな世界にのみこまれないために、わたしは、絵にすがりついた。…自分は絶対に絵を描く人になって東京で食べていく。そう心に決め」て、たくましく売れっ子漫画家になっていく。

 「なぜわたしが、自分が育ってきた貧しい環境から抜け出せたのかを考えると、それは「神さま」がいたからじゃないかって思うことがある。といっても、わたしは何かの宗教を信じているわけじゃない。でも何かしら漠然とした「神さま」が、わたしの中にいる。もしかしたら「働くこと」がわたしにとっての「宗教」なのかもしれない。だとしたら、絵を描くのが、わたしにとっての「神さま」ってことになるのかな?わたしは自分の中にある「それ」にすがって、ここまで歩いてきた。…どんなに煮詰まってつらいときでも、大好きな人に裏切られて落ち込んでるときでも、働いていれば、そのうちどうにか、出口って見えるものなんだよ。働くことが希望になる―。人は、みな、そうあってほしい。これはわたしの切なる願いでもある。覚えておいて。どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる、っていうことを。…人が人であることをやめないために、人は働くんだよ。働くことが、生きることなんだよ。どうか、それを忘れないで。」

 バングラデシュの貧困層の女性に対して無担保・無利子の少額融資をおこない働く機会を与えていくムハマド・ユヌスのグラミン銀行のことを紹介したりしながら、上に引用した文章で結ばれるこの西原理恵子のエッセイは美しい。

 で、そんな西原理恵子とYUIがよく似てるんだな、これが。

 西原にとっての絵が、YUIにとっては音楽だったんだろう。高校一年生だか二年生だかのころ、バイトで学費をかせいでいて過労で倒れて入院し、それをきっかけに高校を退学して音楽の道に進むことを決心したそうだ。ストリートで演奏しながら歌手をめざす。彼女が育った家庭環境などに興味のある人は、まあどっかで調べてみて。その辺の事情もちょっと西原理恵子と通じる気がする。結局、オーディションを経て、事務所はスターダスト、レコード会社はソニー(の内部レーベル)という強力なプロモーション体制でもって、映画・ドラマ・CMなどのタイアップでどんどんヒットを出していく。そうやって周囲から期待された「役」を十二分にこなしつつも、その中で自分の音楽を作り上げていこうとする姿は、たくましく、そして凛々しい。周囲の「大人」たちがこれからもっとYUIを売ってたんまり稼いでやるぞって盛り上がっているタイミングで、すぱっと一年間の活動休止を決めたのは、たぶん、彼女自身の意志によるのだろう。なかなかの快挙。そして、活動休止といっても、この間、スタジオにミュージシャンを集めては曲作りをやってるらしく、活動再開が楽しみ。

 というわけで、西原のエッセイ、YUIのアルバムから、元気もらってがんばろうっていう最近の日々です。

2009.3.26.付記 YUI活動再開みたい。4月からのアニメ「鋼の錬金術師」の主題歌で、CD発売は6月3日からとのこと。楽しみ。

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2008/09/04

東野圭吾『白夜行』・『幻夜』の感想

以下、『幻夜』については、いわゆるネタバレ(ネタバラシ?)の感想なので、要注意

 先日、東野圭吾『容疑者Xの献身』を読んで、東野圭吾という作家が気になりはじめた。というわけで、代表作!との声も高い『白夜行』(集英社文庫)を読んだ。さすがに面白かったです。
 うかつにも、これまで東野圭吾の作品というと、テレビドラマ化されたガリレオ・シリーズの原作となった軽い短編をいくつか流し読みしてみて、まあ、さほど暇でもない今、この人の本はわざわざ読む必要もないか、なんて思いこんでいた。
 ところが、先の記事に書いたように、ひょんなことで長編『容疑者Xの献身』を読んで、少し印象が変わった。そこで、この際だから、同じく長編の『白夜行』にチャレンジ。文庫本でなんと860ページ。うちにある文庫本で一番分厚い本だと思う。

 文庫版の解説で、作家・馳星周が、この作品を絶賛しつつ、「ダークな小説」、「ノワールの傑作」と評して、「ノワールの書き手」・「ノワールを書くことに人生を捧げた者」である自分が激しく「嫉妬」させられたことを告白している。
 個人的には、この作品の主要な舞台となっている大阪の都市民衆世界に深く惹かれた。大阪に行ったことはほんの数回だが、東京の“庶民的”な町とは、どこか違った雰囲気や魅力を感じる。いつか、もっと時間をかけて、大阪の町々を本格的に歩き回ってみたいと思う。
 この『白夜行』を読むなら、そんな大阪の町の深いところにどっぷり浸るように、じっくり、ゆっくり、作品世界に入り込んで読むのが良い。長い本だけど、斜め読みは厳禁かな。確か作者自身、この作品のテーマは「純愛」だとどこかで言ってたように思うけど、それをしっかり読み取る方がいい。「純愛」がテーマの「ノワールの傑作」として。

 『幻夜』は、『白夜行』の続編。こちらの文庫版解説で作家・黒川博行が、トマス・ハリスの『ハンニバル』を連想したと書いていることに共感。
 『ハンニバル』は、ご存じ『羊たちの沈黙』の続編。『羊たちの沈黙』と『ハンニバル』を比べると、怖いのは『羊たちの沈黙』の方。『ハンニバル』は、主人公のレクターが、出まくり、しゃべりまくりで、その生い立ちやら心情もさらけ出されてしまい、あんまり怖くない。で、読んで後悔したか、と尋ねられると、いや、後悔はしない、やっぱり読んだ方が良いだろう、というのが答え。やっぱりハンニバルの正体が知りたいもんね。
 
 さて、『幻夜』はどうか。こちらも、『ハンニバル』同様に、『白夜行』では見え隠れ状態だったヒロインが、出まくり、しゃべりまくり。で、テーマは、やっぱり「純愛」なのかなと思いながら読んでいくことになりますが…。ええ、もちろん、『白夜行』みたいな「純愛」物語だと素直に信じて読むほうが、最後にしっかり楽しめます。特に読者が男性の場合は。『白夜行』を読んで、そんなヒロインに、おっかないけど一度お目にかかってみたいと思う男性読者の場合はね。
 『ハンニバル』とはまるで違っちゃってました。
 “賢明”な女性読者の場合は、「この男も(そして素直な男性読者どもも)どいつもこいつもやっぱり馬鹿だわねぇ。」と最初から冷笑しつつ読むんでしょうか。

 つけたし:先の記事に書いたように、『容疑者Xの献身』を読んで、同じく“献身”物の傑作、白石一文『一瞬の光』を思い出したので、白石一文『すぐそばの彼方』を読んでみた。うーん、本の中で展開される政治論は面白かったけど、本筋はどうも僕とは相性が悪かった。『一瞬の光』を超える作品はなかなか書けないのかな。

 さらにつけたし:TVドラマ化された『白夜行』は残念ながら見ていない。だけど、そういえば、このドラマの主題歌が柴咲コウの「影」だった。名曲!(PVも良い)。作詞は、いつものごとく、柴咲コウ自身。原作を読んでから作詞したらしいが、とても良い歌詞。原作のテーマ「純愛」をしっかり読み取った歌詞。
 今回、感想記事を書いてから、ネットでパラパラと『白夜行』の書評を読んでみたけど、なかにはひどいものもある。たとえば、悪に手を染めた雪穂と亮司の関係を純愛なんて呼びたくないとか、雪穂みたいな悪女は許せない、嫌い、とかいった類の、夏休み読書感想文のような書評。作品の最初の方に登場する「清華女子学園中等部」の「藤村都子」あたりならいかにもそんなことを書きそうだ。もうちょっと大きくなってからまた読んでね。その点、柴咲コウはさすがやね。
 付記:この記事の末尾に、TBSのサイトでみつけた柴咲コウへのインタヴューの一部を引用しておきます。
 
 そういえば、ここのところ、ちょくちょく思い出してしまう白石一文『一瞬の光』のヒロイン・香折に対しても、あんな身勝手な女が主人公の男性に最後に選ばれるなんて納得できないっていう“夏休み読書感想文”に出くわすことがある。ある種の人々(しばしば女性)にとっては、雪穂も香折も、絶対認めたくない存在なのかなぁ。

以下、柴咲コウへのインタヴューより一部引用

――ドラマ「白夜行」の主題歌という事ですが…
もともと、東野さんの作品が好きで、ドラマになると聞いて「絶対出たい!」と思ってたんですけど、年齢的な問題とかがあってあえなく出られなかったんですが(笑)、主題歌をというお話を頂いて、喜んで書かせて頂きました。
――小説「白夜行」を読んでの感想
なんだろう…すっごくヒドい人生じゃないですか?ホント、死に向かっていく男の子と、生きる欲望はすごく持ってるんだけど、なんかちょっとその方向が違うなって思う女の子。その2人に惹かれてしまいました。読み終わった後に、後を引く感じはあったけど、気持ち悪さは感じなかったですね。最後はあんな別れ方してるのに、「よく彼女はひょうひょうと歩いて行けるな」って思いましたけどね。彼女は強いですね。生きる欲望の強い人なんだと思いました。
――亮司と雪穂の恋愛観について
なんかもう恋愛観という言葉では片付けられないですよね。亮司に関しては「どうしてそんな人になってしまったの?変えられなかったの?」という生き方だし、雪穂は亮司をある意味自分の一部にして生きていて、すごくしたたかな女性なのに、ズル賢くないし、決してイヤミじゃない所がプリンセスだなって思います。
――「影」はどんな思いを込めて書いた詩なんですか?
絶対に主人公の2人の感情をひろって表現したくて、亮司が生まれながらに持っている“深い喪失感”みたいなものと、 “恋とかでは済まされないような愛”が表現出来ればと思って書きました。詩を書く時は亮司目線、逆に歌を歌う時は亮司の気持ちを雪穂が歌っているような気持ちで歌いました。
 

(インタヴューの引用、ここまで)

 “このインタヴューを読んで”
 さすがに、ちゃんと読めてるなぁ、と感心しきりですが。ただ、亮司の人生に対して、「どうしてそんな人になってしまったの?変えられなかったの?」って問いかけてみても、それは無駄だろうなぁと。こうした亮司の生き方は、『容疑者X』の石神と大いに通じるところがあると思う。

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2008/08/25

『容疑者Xの献身』の感想

  9月16日付記:『容疑者Xの献身』が面白かったので、そのいきおいで、『白夜行』とその続編の『幻夜』も読んで感想記事を書きました。よろしかったらそちらもどうぞ。

 映画も見ました。映画の感想は、こちらの記事です

(以下、記事本文)
 
  行儀がひどく良くないのは自分でもわかっているんだけど、混んだ電車のなかで隣の人のひろげている本が視界のなかに入ると、ついつい盗み読みしてしまう。で、仕事柄、文章を斜めに読むスピードが多少他人よりは速いらしく、チラって覗くと、だいたい、そのページ分のあらすじが頭に入り込んでしまう。

 先日、京浜東北線の車内、中年サラリーマン風の乗客が読んでいた本が、殺人事件のまさに殺害のシーン。母娘二人が、母につきまとう男をコタツのコードで絞殺するところ。と、ここまで書けば、分かる人には分かっちゃいますね、この本の正体。だけど、そのときの僕には、作品名も作者も分からなかったんですけど。ただ、なんとなく、文体が好みだなぁと。水商売の女性と、彼女にタカる元夫という人物設定からして、よくある量産型“ハードボイルド”かいな、と思いつつも、ムダの無い、それでいてなんとなくデリケートなタッチの文体の印象と一緒に、犯人母娘の「靖子」・「美里」という名前が頭に残りました。
 翌日、混み合う電車での通勤の途中、昨日と同じく、すぐ顔の脇で本が広げられました。ぱっと見て、あらら、昨日と同じ本。同じシーン。今度の読者は、若い男性。

 こうして昨日今日と立て続けに同じ本に出くわしたからには、これは、かなり面白いんだろうってことで、早速、パソコンで検索。キーワードは「靖子」・「美里」・「殺人」・「小説」。ハイ、すぐにヒットしました。東野圭吾『容疑者Xの献身』。あの探偵ガリレオ・シリーズのなかの最高傑作といわれる作品。直木賞受賞。単行本は2005年だけど、ちょうど文春文庫にて文庫化されたばかり。

 このブログで、たびたび、しつこく、むなしく告白し続けているが、私は、柴咲コウのファン。で、その柴咲コウと福山ナントカって人の主演で大ヒットしたテレビドラマ『ガリレオ』の劇場版として、この秋に公開される映画の原作がこれ。そんなわけで、早速、駅の本屋さんで購入。一気に読み終えました。

 面白かった。ちょっと大人の本ですね。面白くない人には面白くない。「石神」の「献身」に理解が及ばない、シンパシーが持てないって人にとっては、最終的につまんないだろうな。ネットの書評記事をパラパラみても、記事を書いた人が意識しているかいないかはともかく、そこんとこで評価の良し悪しがかなり決まっているように読める。

 この作品をめぐって作者の東野圭吾自身がざっくりと語った、「やっぱり多くの男って、あ、この恋は伝わらないなと思ったときに、それでも相手の女性に好きな男がいるなり、幸せになる道が自分に関係ないところにあるとしたら、自分が犠牲になってでも叶えてやりたいという、お人好しなところがあるんですよね。」という心情が理解できるか否かにかかっているように思える。途中で登場してきた「工藤」って脇役も、まさにそんな「多くの男」のひとりだろうし。
 2008.9.29.付記:同じ作者の『白夜行』の「亮司」も『幻夜』の「雅也」も、そんな「多くの男」の代表みたいなもの。きっと、東野圭吾が一番惹かれる恋愛=「純愛」のかたちがこれなんだろう。

 個人的には、作品のストーリーとは違って、「石神」の企みが初期段階からうまくいって、その後の年月を通じ、彼の純愛がどんどん陳腐化したり傷だらけになるところが見たい気もするけど。それはひねくれすぎかなぁ。

 本格的な推理小説ファンの一部からは、トリックが途中でわかっちゃってつまらないって声も出たみたい(ちなみに、私は最後まで分かんなかった)。でも、まあ、それは気にならない。この本が、ミステリー系の賞をとったときにイチャモンをつけたミステリー作家がいた。その批評を少し読んでみたが、「石神」の心情分析という点では、まるでお子ちゃまやね、その作家は。

 ついでにいえば、なんとなく、白石一文の『一瞬の光』の主人公の“献身”を連想した。この本も、『容疑者X』同様に、なかなか“荒唐無稽”気味な部分もあるが、それでも肝心のテーマそのものには相当なリアルがあって、面白く読めた。

 まあ、それはともあれ、映画公開が待ち遠しい。先日、テレビニュースの芸能コーナーで、映画の主題歌のPVが少しだけ紹介されていた。もちろん、KOH+。福山ナントカ君は、柴咲コウがカラオケでバラードを歌うのを聴いて、その印象をもとにしてこの新曲を書いたそうだ。なかなか良い曲。テレビシリーズの主題歌「Kissして」も良かったけど、今度の曲も良い。
 そういえば、私の妹がこの福山君のファンで、歳甲斐も無くキャーキャー言ってたが、以前は、どこが良いんだか??って冷ややかに見ていた。が、ここにきて、ちょっと、印象が変わったよ。インタビューとか観ると人柄も良さげだし。うーん、才能もルックスも性格もめぐまれまくった男だなぁ、福山雅治。
 
 というわけで、柴咲ファンとしては、妻夫木ナントカも福山ナントカも許せる。が、許しがたいのは、阿部ナントカだろ!

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2008/08/04

『信頼と安心の日本経済』

 本の宣伝です。

 岡村宗二編『信頼と安心の日本経済』(勁草書房、2008年6月)

 バブル、デフレ、グローバリゼーション、構造改革、雇用問題、環境問題、資源問題といった喫緊の課題を、経済学の方法で分析して解決への指針をさぐる、という本です。そして、導入部と“まとめ”の他、11章の各章を通じて市場主義に対する問い直しがなされています。

 経済学を教えていらっしゃる大学教員の他に、シンクタンクの研究員や官僚、民間のエコノミストの方々の論文を集めた本です。皆さん、経済学の専門家です。そこになぜか、歴史研究者の私が執筆者に加わって、第七章「江戸の格差社会と現代東京」を書きました。

 本書を通じて、先にあげた現在の日本社会の諸課題について実証的に深く知ることができると同時に、現代社会を分析するツールとしての経済学の魅力にふれることができます。おそらく、あちこちの大学の経済学入門の講座などでテキストとして使用されることもあるでしょう。

 そんななか、例外的に、私の章は、現代社会を分析するツールとして、歴史学、なかんずく日本近世史研究が有効であるということを、経済学の専門家や、経済学に興味をもつ人にわかってもらいたくて、そのことを隠れたテーマに据えて書きました。

 私の場合、いくつもの大学を非常勤講師としてかけもちする日々ですが、歴史学以外の学問である、商学や経済学、法学などを学ぶ学生さんたちを相手に日本近世史の講義をする機会が大半です。そうしたなかで、常に「自分が教えている近世史が学生さんたちの役に立つのだろうか?」という問いを胸に抱いて講義をします。そんな講義のスタイルが反映したのが今回の文章だと思います。

 内容は、このブログで最近書いている連載記事「近世史の終焉としての現在」(2008年5月以降)でおおざっぱに紹介したような問題意識を下地にして、昔書いた「私の研究は面白いですか?」10「(同右)」12でまとめたかつての修士論文の骨子を、リライトしたものになっています。

 まあ、そんな私の章はともかく、現在の日本社会の諸問題を、経済学の視点から、しっかりと捉えてみたいという人は、ぜひ読んでみてください。

 

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2007/02/28

明暦江戸大絵図と失われた江戸

去年の秋頃はたくさん江戸図をみた。昔、仙台の千葉正樹さんという研究者と一緒に、東北大の図書館が所蔵する大量の江戸図をみたことがあるが、それ以来の経験。 2度目の経験で、鈍感な私にも、やっと江戸図の面白さがわかってきたような気もする。
 今回、江戸図をみたのは、明暦江戸大絵図が刊行されるのに際して、その本に解説を書く仕事を引き受けたからだ。
 執筆の準備段階で、初期江戸についての高名な研究者の村井益男さんと一緒に絵図を調べる機会にもめぐまれた。学ぶことが多かった。

 現在、ちょっと大きめの本屋さんに行けば、江戸図の複製はすぐに手に入る。しかし、その大半は幕末期のもの。明暦江戸大絵図は、その名の通り、幕末からは200年もさかのぼる初期江戸の絵図である。おそらくは明暦大火前に作成された原図に大火直後の情報が記載されて成立した絵図だ。
 江戸は、明暦大火を契機にその姿を大きく変えたとされるが、その時期の江戸の空間構造について考える場合、これは必見の絵図だ。というのも、これまで多く利用されてきたこの時期の他の絵図とは桁違いに良い絵図だからだ。この絵図を見ながらの研究と、この絵図を見ないままでまとめた研究とでは、その中身にかなりの違いが生じるだろう。例えば・・・とここで書いちゃうのはやめておこう。

 最近、広島大の金行信輔さんなどのお仕事などによって、初期の江戸図の研究レベルは格段に上がりつつある。いうまでもなく、この時期の江戸に関する文字史料は非常に乏しい。江戸図研究の刷新の動きは、初期江戸の都市社会に関する研究の飛躍へ直結するだろう。
 
 さて、今回刊行の『明暦江戸大絵図』。出版社は之潮。コレジオと読む。歴史書や地図の出版で有名な柏書房の社長さんが独立して作られた出版社。一冊一冊手作業で製本された、限定157部の『明暦江戸大絵図』はなかなか高価な本だけど、印刷・装丁も素晴しく、また、拙い解説文はともあれ、地図上の文字情報をほとんど網羅する索引も付されていて、美しくも機能的な本となっている。之潮のホームページにいけば、オリジナルや本と比べると、発色がイマイチですが、この素晴しい絵図の中心部分のサンプル写真と、それに付された村井益男さんの解説文があります。いちどおでかけください。
 付記:之潮のホームページに行かれる方は、ぜひ、会社案内や短信の頁もご覧ください。面白いです。おすすめ。

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2005/09/21

NANA おとな買い

話題のコミック、矢沢あい『NANA-ナナ-』の1~3巻(集英社、りぼんマスコットコミックス)を買った。

中・高生の頃だったら、1冊ずつ買うところだけど、そこは大人。
まとめて3冊の“おとな買い”。 まあ、1冊390円だったし(笑)。

そんな話はともあれ・・・
13巻まで出ているこの『NANA』。累計で2600万部発売。2600万!すごい!
しかも、現在、品切れ状態の本屋さんも多くて、まだまだ売れそう。

基本的に、私、メジャー信仰。
たくさんの人が“良い”と思うものは、実際、良い(ことが多い)、と信じてます。

そんなわけで、遅まきながら、『NANA』を読んでみることに。

ひょんなことからルームシェアして暮らす二人のNANA。
かっこいい女性ヴォーカルのナナと、恋愛依存症の奈々の二人の物語。

1巻収録部分は、読み切りを前提にかかれたらしく、正直、どうしてこれが大ヒットなの?という感じ。

ところが、連載へと切り替えられたあとの2巻、3巻を読むと、だんだん面白くなってくる。
もし1巻だけ買ってたら、その後は買うのをやめてたかも。“おとな買い”して良かった。
帯にあった「進化する少女まんが」ってコピーは、なるほど正しそうだなっと。

3巻までだと、まだ累計2600万部の魅力の真髄には到達しない感じがするけど、期待大。


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2005/02/19

シリーズ『週刊日本の伝説を旅する』を読む その2

世界文化社から『週刊日本の伝説を旅する』第2号が送られてきた。今回は、江戸と伊豆七島の伝説と旅。

とりあげられた伝説は「八百屋お七」・「太田道灌」・「伊豆七島の伝説」の三本。この三本については、創刊号の京都の伝説よりは面白く読めた。伊豆七島の伝説は、知らない話もあって勉強になった。

ただ、相変わらず、物故者の文章が載せられている。前回はそれが二本。今回は一本。ともあれ、昔、別の雑誌か本で発表された文章を、この雑誌は転載しているわけだろう。ご健在の執筆者の文章についても、既発表の文章の転載ではないか?と勘ぐってしまう。どうなんでしょう?

「鉄道で巡る伝説の地」のコーナーは、西武新宿線がとりあげられていたが、伝説と何の関係もない、しかもあまりに平凡な紀行文。

旅行案内の情報記事は、手抜きしすぎじゃないでしょうか?観光案内所や旅行会社がタダでくれるパンフレットと大差はない内容にがっかり。

井沢元彦の連載「伝説の住人」は、江戸・伊豆七島の号なのになんで出雲の神話なの?前号に引き続き、怨霊やら鎮魂の話としてまとめられている。「怨霊・鎮魂」という他人のアイデアを借りるのは、足利義満の話と同様に、みっともないやり方だとは思うが、まあそれでも構わない。ただ、借りたアイデアなら、もう少しそれをちゃんと使いこなすべきだと思う。借り物の話の枠の中にあまりに根拠薄弱な思いつきが並べられているだけ。

どうでもいいことだが、井沢元彦と井出孫六とが同じ雑誌に執筆者として並んでいるのは最近珍しいかも。

前の号の評にも書いたかもしれないが、冒頭の伝説紹介の部分に関しては、有名じゃなくても、若手でもっと面白い記事が書けるライターさんはいるんじゃないかな。手堅く無難な文章よりも、活きのいい文章が読みたいと思う。いやいや「一般読者」にはこの位が、なんてタカをくくってたら、そのうちそっぽ向かれるんじゃないかな。創刊特別価格350円なら許せるけど、この内容で560円は高いと思うよ。

次回の北海道の号には期待したい。北海道の伝説なんてほとんど知らないし。楽しみにしよう。

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2005/02/08

教えて!阿部和重『シンセミア』なぜ鶲なの?

少し前に、阿部和重の小説『シンセミア』の読書ノートを書いた時から頭を離れない疑問。
気になって仕方ない。誰か答えを教えてくださいな。

この作品の最大の山場は洪水の場面で、その最後はパン屋の若夫婦が山に登るシーン。
この洪水の場面は、ノアの箱舟の話にいろいろ似せて書かれている。

なかなか深刻な状態に陥っている若夫婦は、この山の頂で将来への展望をつかみかけるが、結局、うまくはいかない。
このシーンで妻が最後にその姿を見失ってしまう鳥が、鶲ヒタキである。ヒタキのなかでもキビタキという美しい鳥。
この鳥の姿を見失うってことが何かを象徴しているように思うんだけど。
この作品においては重要な場面である。
作者のヒタキへのこだわりは、後から出てくる別の場面で、妻がわざわざ友人から鳥類図鑑を送ってもらってヒタキを調べていることにも示されてる。ただなんとなくヒタキってわけじゃないように思える。

なぜヒタキなのか?これが私の疑問である。「箱舟」で「鳥」とくれば、オリーブをくわえたハトなんだろうけど、そうではない。
もしかしたらヒタキの学名のナルシスに関係するのか?自己愛とか自己肯定とかにかかわる?

『シンセミア』読者の方。あなたの“読み”を教えてくださいな。

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2005/02/04

シリーズ『週刊日本の伝説を旅する』を読む その1

世界文化社からの刊行が始まった『週刊日本の伝説を旅する』の創刊号が自宅に送られてきた。「ブログ上で書評しませんか?」というお話を世界文化社の編集の方から頂いたからだ。もっと正確に言うと、私のブログのお師匠さんのところへ最初にお話があり、それに私も相乗りさせて頂いたわけである。

「伝説」と「旅」。どちらも私の大好物である。このシリーズでもって、きれいな写真や絵を眺めながら、伝説めぐりの旅が擬似体験できれば楽しいだろうなってことで、しばらく書評してみます。

創刊号は京都の伝説がテーマで、小野小町・酒呑童子・小督局が取り上げられています。中高年女性の旅行が盛んな昨今、少し女性の読者を意識したラインナップなのでしょうか。
冒頭の安西篤子による小町と深草少将のエピソードは、しっとりと味わい深く読めました。それ以下の酒呑童子と小督局に関する文章は、各伝説のあまり要領のよくないあらすじ紹介が文章の大部分を占めていて、正直面白くない。有名作家の既発表の文章を転載したものなのだと思うんだけど、やっぱりそれじゃものたりないなあ。
どうせなら、旅している気分にしてくれたり、旅にいざなってくれたりする文章をメインに読みたいな。このシリーズのタイトルは「伝説を旅する」なんだから。有名作家の文章じゃなくてもいいから、伝説にもとづいて現地取材をした生の文章をたくさん読みたい。

 さて、次号は私の本拠地「江戸」がテーマ。送られてくるのが楽しみ楽しみ。

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2005/01/30

読書ノート1~阿部和重『シンセミア』

阿部和重

最近、とあるところで知り合って仲良くしてもらってる友に、その友と同郷の阿部和重という小説家が面白そうだと教えてもらった。阿部和重は近作『グランド・フィナーレ』が芥川賞を受賞したから、名前を知ってる人も多いのかな。

阿部は、自分の出身地、山形県にある神町という実在の小さな町を舞台にして、いくつか作品を書いている。芥川賞を獲った『グランド・フィナーレ』もそのひとつ。ディープなロリコンであることがばれて妻と娘に去られた男が、故郷の神町に帰る。そこで出会った二人の小学生の女の子と親しくなって・・・というお話。


歴史小説『シンセミア』

さて、今回読んだ『シンセミア』は、その神町という町を舞台に、というより、神町の社会そのものを主人公にした小説である。歴史小説と呼ぶのがふさわしいかもしれない。神町には戦後アメリカ占領軍の基地ができる。この占領軍との関係を梃子にして町の実力者にのしあがったグループがあった。こうして彼らが作り上げた町の社会・権力構造は、今、まさに崩壊しようとしている。産廃処理施設をめぐる抗争、盗撮組織の暗躍、売春、淫行、ドラッグなどなどがグルグルと渦を巻いて、町の旧来の秩序を崩していく。

上・下2冊、1600枚の長編全体にわたって、おおよそ救いがたいエピソードがえんえんと積み重ねられていく。唯一美しいのは、ノアの箱舟の話を念頭にして書かれた、町を襲う大洪水の話で、雨があがったあと、盗撮グループを抜けようとしているパン屋の若旦那が妻を追って山に登ったときの情景である。雲間から差す陽光の帯のごとく、希望の光が物語にも差し込むかと思われる。だが、結局、夫婦は新世界の存在を確かに告げてくれるはずの鳥を見つけることができない。

戦後史

若旦那のパン屋の戦後史が、この小説のひとつの軸である。占領軍の基地に出入りし、また、アメリカの占領政策ともうまく結びついて大きくなっていったパン屋は、一方で、町の政治やヤクザの世界と裏でつながる。こうして町のボスのひとりとなったパン屋の初代と二代目。若旦那はそうした家の宿命から逃れようともがく三代目である。

この小さな町の話を、ぐうっと拡大して戦後日本社会全体のあり方にあてはめることは容易である。また、山形以外のどこか別の地方都市にだぶらせることもできる。この本が語る神町フォークロアは戦後日本において相当に普遍的なフォークロアである。

さて、本を読み終えて得られるのは、感動やら爽快感やらとはかけ離れた、グッタリするような読後感であり、「こんな小説は嫌いだ。」と文句言う人も多いだろうが、そうした読後感とは無関係に、また本人の意思とも関係なく、読み終わった人の意識の深いところに必ず決定的な何かを残す小説だと思う。

阿部和重『シンセミア』上・下(朝日新聞社2003)

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