2009/12/24

年越しパーティーへのお誘い

 大晦日の夜、私の家で年越しパーティーを開催予定です。

 例年の年末年始やお盆に、私以外の家族が実家へ帰省している間、自宅でワンコたちとさびしく過ごしている私をなぐさめに、あちこちの大学の学生さんたちが遊びに来てくださるという、それはそれは、とてもありがたい企画です。
 今年も若干名の方から、やるんだったら行きますよ、とおっしゃっていただき、パーティー開催の予定です。というわけで、これをお読みの各大学の受講生の皆様、あるいはOBの皆様、ご都合のつく方は、ぜひ遊びにいらっしゃってくださいませ。

 日時:2009年12月31日午後遅めの時間
             ~2010年1月1日未明
 場所:さいたま市内にある小林の自宅

 会費は無料です。お酒や軽いおつまみの差し入れは歓迎です。料理はみんなで作りましょう。ゆっくり食べて飲んで最後はお蕎麦を食べて、その後、除夜の鐘をききながら、大宮の氷川神社へ初詣。たぶん、本殿までたどり着けないまま、参道の屋台で軽くおでんと熱燗で一杯やってから、終夜運転の電車をあてにして大宮駅にて解散の予定です。
 もちろん途中からいらっしゃる方、途中でお帰りになる方も歓迎です。

 というパーティーですが、ひとつ行ってみてやるか、という方は、当日お昼までに小林までメールなどにてご連絡をください(それよりも早い日に連絡いただけるとなおさいわいです)。集合などについて折り返しご連絡いたします。

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2009/09/09

新型インフルにかかる

試験の採点

 先月後半は、月初めの渡欧のつけがまわり、とてもきつかった。一番の大仕事は、各大学の前期試験の採点。採点する答案の数は、ざっと1000枚。それにしても、答案が1000枚ってことは、前期、僕は一週間当たり1000人もの人たち(これに試験をやらないゼミ生を加えると若干増えるけど、そこからサボりの数を引けば実際は800人くらいか)を相手に毎週毎週しゃべり続けてたわけやね。多いなぁ。
 で、試験だけど、思うところがあって、毎回、答案は論述形式。だいたい学生の皆さんには全問合計で1000字前後の答案を書いていただく。それを読んで採点して、成績入力して、確認してっていう作業。
 解答の文中で使用するキーワードをこちらでいくつか指定する形式の設問(どっかの大学の入試問題形式のパクリ)だから、答案の内容もある程度定型的で、その分採点はスムーズだけど、それでも、まあ、短くても1人当たり7~8分はかかる。というわけで、採点作業の時間の合計は、単純計算で、ざっと7000~8000分。だいたい120時間くらいかな。
 フリーターの僕の場合、大学が夏休みでも日中はたいていアルバイト仕事があるから、採点は夜から開始して朝まで。毎日6時間やっても20日はかかる計算。実際、月末は、徹夜か、あるいは寝ても1~2時間の日が続いた。正直、この間は罰当たりな呪詛の文句が心中を去来。なんせ、大学によっては、パートタイムの教員へは、授業のある月しか給与をくれず、夏休みは無給、ってシステムをいまだにとっている。まあ、授業時間に対する給与のなかに休み期間の採点作業やら授業準備への手当ても最初から組み込まれているんだからって言われればそれまでだけど・・・でもおかしなことに、そういった夏休み無給の大学にかぎって、夏休みの月でも給与をくれる大学より・・・とまあ、こんなところで愚痴ってて来年の仕事を減らされてもつまんないから、そろそろやめとこ。

インフル
 
 で、まあなんとか採点作業を終えて、さあこれから僕の短い夏休み(といっても夜なべ仕事からは解放されるってだけの話だが・・・)って思って気を緩めたとたん、見事に感染・発症。発熱があって病院に行くと、綿棒を細長くしたようなやつを鼻に突っ込まれての簡易検査で、A型インフルエンザであることが判明。現在は、A型であればすなわち新型インフルっていう扱いらしい。

 それから6日間は、自宅2階の空き部屋の隅に布団を敷いてもらい、そこで隔離生活。3度の食事はカミさんが運んでくれて、それを子供たちのままごとセットのテーブルに載せて食べる毎日。まずは、発症前後に出歩いたときの「濃厚接触者」(それにしても「濃厚接触」って用語を聞くとなんとなくエッチな想像が膨らんでしまう)の方々を片っ端から思い出しては電話して、お詫びと体調注意のお願い。

 それがすんで、築42年の借家のちょっといわくありげな2階の和室に独り寝ていると、症状が出て寝込んでる間は、なんとなく、横溝正史物の隠し部屋の男の気分。少し元気になってから座って食後のお茶を飲み窓を開けて庭の植木を眺めている間は、なんとなく切腹を待つ各大名家お預けの赤穂浪人の気分。
 
 布団に寝転ぶと、こんどは天井板の木目を地図や怪獣になぞらえたり。こんなん、子供のとき以来や。
 と、まあ、浮世離れした6日間を過ごしてから現実世界へと復帰。

 まずは、隔離中に東野圭吾を読み返していた余韻で柴咲コウの「影」やKOH+の「最愛」を聴き、最後はもちろんYUIの「Again」聴いてエンジン再始動。

 でも、問題がひとつ。インフルの間、ゲホゲホ咳き込んでいたら、軽い喘息みたいな状態に。熱が下がっても、咳がとれない。昔、十数年前にも一度やったことがある。医者で再度調べてもらい、インフルの完治は確認。というわけで、これからお会いする皆様、僕が咳き込んでいても、そんなに怖がらないで遊んでやってくださいませ。

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2009/03/03

おすすめ、YUI、西原理恵子

 最近、一番よく聴いている音楽は、YUIという若い女性シンガーソングライターの歌だ。「Good-bye days」・「CHE.R.RY」といったあたりが、まあ、有名曲かな。特に中高生から20代前半くらいの世代に人気がある。というわけで、中年のオヤジの僕なんぞがYUIのファンだと言うと、言われた相手はたいていリアクションに困ってしまうらしい。でも、ほんと、なかなかYUIは良いですよ。

 さて、いきなりだけど、YUIって、漫画家の西原理恵子に似てると思う。こんなことを書くと、YUIのファンからも、西原理恵子のファンからも、双方からブーイングが来そうだが。もちろん見た目が似ているわけじゃないけど。で、僕、西原理恵子も好きです。

 西原理恵子のファンだったら僕の同世代にもたくさんいるだろう。さてさて、どっかにいないかなぁ、YUIと西原理恵子の両方が好きだっていうお仲間は。もし、このブログ読んでる数少ない読者の方で、自分も仲間だっていう人がいたら、ぜひコメントくださいな。

 西原理恵子の最新エッセイ、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、2008.12.)が面白い。「あそこの家のお姉ちゃんはこのあいだ万引きでつかまったとか、昼間からシンナーを吸ってフラフラしていた向かいのお兄ちゃんは、案の定シンナーの吸い過ぎでこのあいだ死んだとか、そんな話は身のまわりに、売るほど転がっていた。」という思春期を経て、とある「非行」で高校を退学させられた西原理恵子は、「貧しさが何もかもをのみこんでいくような、ブラックホールみたいな世界にのみこまれないために、わたしは、絵にすがりついた。…自分は絶対に絵を描く人になって東京で食べていく。そう心に決め」て、たくましく売れっ子漫画家になっていく。

 「なぜわたしが、自分が育ってきた貧しい環境から抜け出せたのかを考えると、それは「神さま」がいたからじゃないかって思うことがある。といっても、わたしは何かの宗教を信じているわけじゃない。でも何かしら漠然とした「神さま」が、わたしの中にいる。もしかしたら「働くこと」がわたしにとっての「宗教」なのかもしれない。だとしたら、絵を描くのが、わたしにとっての「神さま」ってことになるのかな?わたしは自分の中にある「それ」にすがって、ここまで歩いてきた。…どんなに煮詰まってつらいときでも、大好きな人に裏切られて落ち込んでるときでも、働いていれば、そのうちどうにか、出口って見えるものなんだよ。働くことが希望になる―。人は、みな、そうあってほしい。これはわたしの切なる願いでもある。覚えておいて。どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる、っていうことを。…人が人であることをやめないために、人は働くんだよ。働くことが、生きることなんだよ。どうか、それを忘れないで。」

 バングラデシュの貧困層の女性に対して無担保・無利子の少額融資をおこない働く機会を与えていくムハマド・ユヌスのグラミン銀行のことを紹介したりしながら、上に引用した文章で結ばれるこの西原理恵子のエッセイは美しい。

 で、そんな西原理恵子とYUIがよく似てるんだな、これが。

 西原にとっての絵が、YUIにとっては音楽だったんだろう。高校一年生だか二年生だかのころ、バイトで学費をかせいでいて過労で倒れて入院し、それをきっかけに高校を退学して音楽の道に進むことを決心したそうだ。ストリートで演奏しながら歌手をめざす。彼女が育った家庭環境などに興味のある人は、まあどっかで調べてみて。その辺の事情もちょっと西原理恵子と通じる気がする。結局、オーディションを経て、事務所はスターダスト、レコード会社はソニー(の内部レーベル)という強力なプロモーション体制でもって、映画・ドラマ・CMなどのタイアップでどんどんヒットを出していく。そうやって周囲から期待された「役」を十二分にこなしつつも、その中で自分の音楽を作り上げていこうとする姿は、たくましく、そして凛々しい。周囲の「大人」たちがこれからもっとYUIを売ってたんまり稼いでやるぞって盛り上がっているタイミングで、すぱっと一年間の活動休止を決めたのは、たぶん、彼女自身の意志によるのだろう。なかなかの快挙。そして、活動休止といっても、この間、スタジオにミュージシャンを集めては曲作りをやってるらしく、活動再開が楽しみ。

 というわけで、西原のエッセイ、YUIのアルバムから、元気もらってがんばろうっていう最近の日々です。

2009.3.26.付記 YUI活動再開みたい。4月からのアニメ「鋼の錬金術師」の主題歌で、CD発売は6月3日からとのこと。楽しみ。

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2008/12/29

年越し宴会へのお誘い その2

 先にご案内をアップしました年越し宴会ですが、29日お昼の時点で、5名の方から出席希望の連絡を頂きました。私の講義の受講生さん、あるいは元受講生さん、そして、巡見「江戸を縦貫する」の仲間の皆さんをとりあえずの対象としてまだまだ受付中です。
 先日の記事(ここをクリック)もお読みいただき、ご都合のつく方は、私宛に、メールか電話でご一報の上、どうかお出まし下さいませ。31日のお昼から元旦のお昼前ぐらいにかけての長時間・耐久宴会ですが、もちろん、途中からお出でくださっても、また、途中でお帰りになられても大丈夫です。

 お礼の付記2009.1.
 結局、6名のお客さんにお出でいただき、おかげで楽しくにぎやかに年を越すことができました。ありがたいことです。本年もどうかよろしく。

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2008/12/03

酉の市めぐり、途中でゴールデン街

 今年は酉の市に合わせた巡見が設定できなかった。痛恨。ただし、個人的には酉の市を歩くことができたのでご報告。

新宿にて
 まずは、新宿花園神社の酉の市。つい最近、期せずしてうれしい再会をはたすことができた友達が、新宿ゴールデン街を案内してくれるという。以前からゴールデン街には興味があったので、大喜びで出かける。スタートの遅いゴールデン街へ行く前に、ちょうど酉の市が始まったところだったので、友達と一緒に露店をひやかして歩く。見世物小屋も出ていた。
 東京のあちこちからお客が集まる浅草酉の市と比べると、こちらは若干こじんまりとして、お客も近隣からやってくる人が比較的多い感じ。開店前のホストたちが連れ立って熊手をかついで道行く姿がいかにも新宿ローカル。友達いわく、ここらの露店の食べ物はなかなかレベルが高いと。たしかに、うまそう。ついつい手を出したくなったが、その後のゴールデン街ツアーに備えてがまんした。
 ゴールデン街では5軒くらいハシゴ。“顔役”の友達のおかげで貴重な経験。やはり、ゴールデン街は本当に良い世界だった。お店で働く人々、そこに集まるお客さんたち、みんなが、この街のディテールとして生きている。そんなディテールをもった社会のあり方が街の景観にも如実に反映している。ゴーストタウン化したなんとかヒルズも、いつかこんな街になれば良いのになぁ。
浅草にて
 翌日は、目白にある大学で開かれた、とあるシンポジウムにコメンテーターとして参加。私のコメントの稚拙さにも関わらず活発な議論が続く盛会。閉会後、目白駅の近所で懇親会。そのまま楽しく二次会へも出席。
 その頃、浅草酉の市は、終盤を迎えていたはず。去年の巡見で知り合った熊手のお店で今年はバイトしている学生さんたちから携帯へ「仕事が終わるから飲みに来い。」とのお誘い。というわけで、真夜中の零時過ぎに浅草酉の市にて合流。取り片づけにあわただしく動き回るお店の人々を眺めながめてから、すぐ近所の吉原へ。
 まずは、旧遊郭ゾーンの角にある韓国居酒屋ぽらむ。ここ、すごく良いお店ですよ。マスメディアやネットにはほとんど情報流れてないけど。
 で、そのあとは、例によって、浅草のカラオケボックスで始発待ち。ひとりの学生さんが気を利かせて、YUIのRolling Star を歌ってくれる。やっぱ良いねぇ、YUIは。
 調子に乗って、自分で、同じくYUIの新曲 I’ll be を歌おうかとも思ったが、なんとか自制。好きなんだけどなぁ、この曲。だけど代わりに柴咲コウの影をついつい歌ってしまい、かなりひかれてしまった。

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2008/06/11

フリーター漂流

 もう3年以上も前のことになるが、このブログでNHKの「フリーター漂流」というドキュメンタリー番組の感想を書いた。前編、それから中編まで書いて、後編を書こうと思いつつ、書けずにいる。
 この件は、自分のなかでもずっと宿題でありつづけている。今もそうである。最近書いている「近世の終焉としての現在」という連載記事も、実は、その宿題の一環に位置するものだと、自分では思っている。
 
 今朝アクセス解析をやってみたら、ここ数日、その昔書いた番組感想の記事を読みに来られる人が大変多い。これは、例の秋葉原の無差別殺人事件のせいだろう。
 
 番組では、北海道の運送会社で働いた後、フリーターとなり、あちこち漂流したあげくに、愛知の自動車工場での請負労働へと送り込まれていく男性が登場した。彼は一人前の工員としての人生を始めたいと願いながら、漂流の過程で、その夢を打ち砕かれていく。
 これは、青森の運送会社を辞めて静岡の自動車工場での派遣労働に従事していた今回の事件の犯人とどうしてもだぶってしまう。
 おまけに、犯人を雇っていた派遣会社こそ、あの番組のフリーターを雇っていた請負会社である。番組でこの請負会社の社長が、自分の会社が雇ったフリーターのことを、必要に応じて「前線」へ送り込む「弾」と呼んでいたのも印象に残る。刻々と変化する戦況に応じて、弾薬の不足する「前線」へすぐさま「弾」を送り込むことで、自分の会社は社会に貢献していると胸を張っていた。(今は、偽装請負が問題となって、「請負」会社から「派遣」会社へと変化しているが、実態はほとんど変わっていないようだ。)
 
 今回の事件を通じて、はからずも、あらためてこうした漂流するフリーターの姿に接することになった。なんでも、犯人の働いていた自動車工場では、200人のフリーターのうち、150人をいきなり解雇する計画だったとか。相変わらずやね。自動車工場の幹部社員が、記者会見で、この解雇について、うっかり、「切る」って口を滑らせてしまい、あわてて「契約解除」と言い直すシーンも、先の番組の「弾」発言を思い出させてくれた。

 今回の事件の犯人について、こうした境遇を考慮して少しは免責してやるべきだとは、まったく思わない。しかし、テレビ報道をみていて、もうひとつ、印象に残ったシーンがあった。
 彼がもともと切れやすい性格だったということを裏付ける証言として、かつてアルバイト(正社員という報道もある)していた青森の運送会社の同僚が語っていた。時々、仕事上のトラブルで興奮した彼の頭をコンと小突いて、まあ落ち着けとたしなめていたという。彼もそれにおとなしく従っていたという。この同僚は彼のことを不器用な男だと評していた。

 どうして彼がこの運送会社を辞めたのかはわからないが、もしそのままこの会社で働き続けていたらどうなっていたのだろうか。何度も頭を小突かれているうちに、やがて彼は自分の感情をコントロールする術を身につけた一人前の大人になっただろうか。あるいは、小突かれつづけるうちについに暴発してしまっただろうか。
 一方、自動車工場では、彼の頭を小突いて落ち着かせることのできるような職場での人間関係は成立しえたのだろうか。

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2008/06/04

最近のお気に入り

 ここんところ、ちょっと映画はご無沙汰してたが、つい先日、やっと念願の「少林少女」を観にいけた。このブログでもときどき告白しているが、私、柴咲コウのファンです。本来、自分の好みのタイプは、丸顔のなごみ系だと思っていたけど、自分の体型が、昔と違って丸みを帯びてくるにつれて、好みも変わったのか。ここ2~3年の間でファンになりました。

 そういえば、最近のお気に入りの女性シンガーは、YUI 。この人は結構丸顔系かもしれないけど、凛々しさが柴咲コウと通じる気がする。たまに学生さんたちとカラオケに行くと、頼んでYUI を歌ってもらう、というセクハラ・アカハラまがいの振る舞いをしてますが、この前は、ついに自分でKOH+を入れてしまうという暴挙に及んでしまった。もう、どうしようもないオッサンやね。学生さんたち、愛想尽かさないでね。
 
 で、映画「少林少女」、良かったです、はい。ネット上で脚本・演出についてのさんざんな評判を読んでから観たせいか、映画の出来の悪さはすでに織り込み済み。そうしたら、結構、抵抗なく映画に入っていけた(まあ、それにしてもひどかったけど)。
 基本的に、主役は、柴咲コウひとり。舞妓はぁぁんや、どろろと違って、余計な相方(笑)はいません(特に前者の相方は許しがたい!後者は、まあ、仕方ないか)。彼女のファンなら、映画の最初から最後までどっぷりと楽しめます。

 先日、浦和のイタリア料理店で友人と飲んだ。その友人も柴咲コウのファン。さらには、そのお店のカメリエーレ(ホールサービス)さんもファン。三人でちょっと盛り上がってしまいました。友人いわく、「彼女の“まったく自分の思い通りにならない感”がいいんですよ。」というのはなかなかの至言かも。

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2008/04/09

新学期に際してのご挨拶とお願い

桜も散っちゃいましたねぇ。というわけで、ぼちぼち今週から諸大学での授業がはじまる。今年度の出講先は、川村学園女子大学・都留文科大学・日本大学・東京国際大学・埼玉大学・東京女子大学の6校。
 授業のコマ数は、前期が週9コマ、後期が8コマ。これら大学での仕事以外に、東京都公文書館での朝から夕方までの勤務が週2日。
 結局、今年も月曜から土曜までふさがってしまった。あとは育児・家事で大体いっぱいいっぱいかな。

 本当はこの他にも隔週で朝日カルチャーの授業が入る予定だったけど、大学での授業スケジュールが大きく変わったため、それに合わせてカルチャーの曜日を急遽変更したら、これまでの受講生さんが来られなくなってしまい、あえなく閉講。期せずして少し時間が空いたけど、正直、収入減も痛いなぁ。
 昨年度ずっとお付き合いくださった受講生の皆様、そして、4月からも継続申し込みをしてくださってた皆様、本当にごめんなさい。

 あと、そろそろ、腰を据えた歴史研究へ復帰したいとも思うけど、それはまたあきらめよう。まあ、仕方ないな。実際、こうしてあちこちで仕事がもらえるだけでもありがたい話だ。
 ただ、最近は少し不安もふくらむ。理由は、自分の能力の低下だ。まずは、以前より頭の回転が遅くなってきたこと。例えば史料読んでても、読解のスピードがあがんない。そもそも他人よりも頭の働きは遅かったのに。まことに困ったことだ。それから、体力の低下だ。日中にいろんな仕事をやってから、深夜、もうひとがんばりができてたのに、それが難しくなった。あるいは、夜中に仕事していても、以前よりは作業効率が低下してきた。
 これまでだってろくな研究してこなかったけど、それがさらにダメになるのではないかと不安。こんなんで論文が書けんのかなぁ。
 
 と、まあ、スケジュールやら収入減やら自分の能力劣化やらを考えると滅入ってくるけど、実際に授業が始まれば、また、たくさんの学生さんたちと出会えて、元気も出てくるはず。そうやって得られた元気でもって、能力低下をカバーしていかなきゃね。
 
 というわけで、今年度、私の授業に来られる学生の皆々様、どうか、よろしくお願いします。

 それから、町あるき「江戸を縦貫する」の方もよろしく。今年も、去年同様、江戸城本丸からスタートする予定。初回の日程は、今のところ、4月26日の土曜午後にしようかなと。
 昨年度までの常連の皆様も、どうかまたいらっしゃってくださいまし。お待ちしてます。

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2008/04/02

映画「ノーカントリー」の感想~本当の悪はどこに

 評判どおり、なかなか良い映画でした。そして、評判どおり、相当に怖いけど。アカデミー賞で作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞だっけ。ちょっと難解な映画かも。


 以下、これから観に行く予定の人は読まないでください。映画館から帰ったら、ぜひまたここに来てくださいな。

 原題は、No country for old men。老人がいられる国はもはや無い、とでも訳すのでしょうか。

 あらすじ。テキサス州西部。モスという貧乏白人男性が、狩りの途中で大金を手にする。麻薬の取引がこじれた銃撃戦のあと、死体が散乱するその現場に出くわして、200万ドル(だっけ)が入ったカバンを自宅にもちかえる。それがきっかけで、モスは、シガーという最悪の殺し屋に追っかけられることになる。そうした事態を察知した老保安官ベルが、モスとシガーの跡を追い始める。さらには、アメリカとメキシコの麻薬取引の組織もモスとシガーを追ってくる。

 とまあ、重層する追跡劇なんですが、ともかく、モスを追うシガーという殺し屋がすさまじい。殺人マシーンといってもいい。要するに、エイリアンみたいな奴だけど、それが宇宙生物じゃなくて、人間だということで断然凄みが増す。傷ついて血を流し折れた骨が皮膚を突き破って苦しみながらも稼働するこの殺人者の姿は、ターミネーターよりももっと怖い。いわゆる絶対的な悪としてシガーは登場し、冷静な態度で人を殺しまくる。

 それに対して、モスは、人間味があるキャラクターだ。映画の大半は、このモスを主人公として構成されている。とりあえず観客は主役のモスに感情移入し、迫り来るシガーにおびえながら映画を観ていくことになる。

 しかし、不思議なのは、映画の後半になると、だんだん観ている僕のスタンスがあやふやになっていったことだ。そして、前半は、エイリアン(ただし、エイリアン第一作におけるエイリアン)みたいに絶対的だったはずのシガーの悪が、相対的なものとして感じられるようになってくる。
 その感覚の変化は、これまで主役だったはずのモスが、殺害シーンも無いまま、いきなり死体となって画面に現れ、お話からあっけなく退場してしまったことで強まり、さらには、ラスト近くで、重傷をおったシガーに逃走用の衣服を与えて金を受け取る少年達の会話によっていよいよ決定的なものとなった。

 絶対悪だったはずのシガーの周囲で、次々と色んな別の悪が発泡し始めたのだ。

 主役のモス自身、ベトナム戦争で殺人をしまくりながら様々な玄人のテクニックを身につけた人物であるし、彼は自分を愛してくれる妻をも死の危険にさらして、大金を手に入れようとする。
 麻薬組織は、一般企業の顔も持っていて、業務の一環として麻薬を取り扱い、やはり業務の一環として、費用や効率を計算しつつ、モスやシガーの抹殺を事務的に企画検討していく。
 決定的なシーンは、先にも書いたとおり、殺し屋シガーがモスの妻を殺害した後で交通事故に遭い、かなりの重傷を負うシーン。たまたま事故に出くわした二人の白人少年がシガーの怪我を心配する。それに対して、シガーは、血まみれの服を隠して逃走するために少年のシャツを金で買い取る。最初、少年たちは金の受け取りをためらう。人助けだし、お金はいいよと。しかし、結局、金を受け取る。そして、よろめきながら逃げていくシガーの背後で、二人はその金の分配をめぐって言い争いを始めるのだ。さっきまでごく普通のうぶで良心的な少年に見えた彼らのそのあけすけな姿。

 さらには、「血と暴力」の現代アメリカ社会に対して絶望し引退していく老保安官が代表する「古き良きアメリカ」が孕んでいた悪についても、その片鱗が描かれる。例えば、先住民族に対する侵略・抑圧や、メキシコに対する経済的搾取や民族差別に関わるちょっとしたエピソードが随所に挿入されている。そもそも、この悲劇の発端となった麻薬問題の根っこも、その辺りにある。
 (この老保安官が代表する旧世界を、単純に「正義」の社会として認めてしまい、それにあこがれたり懐かしんだりする見方は、あまりに牧歌的すぎる。)

 映画の前半は、一般社会のなかに現れたエイリアンとして絶対悪であるかのように見えた殺し屋シガー。しかし、次第にその周囲においてブツブツと発泡し、いつのまにか、シガーの絶対悪を包み込んでそれすら相対化してしまう「一般社会」の悪の姿。
 これがこの映画の真の主題だとみたんだけど。 どうでしょうか?


2008.4.4.付記
 
 個人的な体験だが、この映画の一番の怖さ・不気味さは、映画館を後にしてから数時間後、僕を襲ってきた。

 絶対悪であったはずのシガーの悪を相対化してしまうような「一般社会」の悪。シガーの周辺で発泡するそうした諸々の悪が、にじみ、拡がっていく先を追うのに、僕は数時間もかかってしまったわけだ。

 例えば、イラク戦争。まるでテレビゲームみたいに、誘導ミサイルが飛んで行き、目標地点で爆発する映像。その爆発の下では、幼い子供・非戦闘員をふくむ数多くの人が、実にあっけない死を迎えている(映画の中、たまたまシガーに出くわしてしまったことが原因の、おそらく殺される自覚もないままだったのであろうドライバーやホテルのフロント係の死とよく似た死が、紛れもない現実として、そのミサイルの着弾地点には無数にあった)。そうした「理不尽」な死のありさまを映し出すテレビ画面を自宅のリビングダイニングで眺めながら、むしゃむしゃとご飯を平らげ、缶ビールをうまそうに飲み干す私たち。アメリカが始めたこの「テロとの戦い」に賛同し手を貸した国に私たちは住んでいる。
 あるいは、人が殺されまくり、死体がごろごろ転がるこんな映画を、ポップコーン片手に「娯楽」として消費していく私たち。
 人の死に接して全然動じない、シガーと同じ冷静さを、ときに私たちも共有している。
(2008.4.14.付記 映画の登場人物でいえば、麻薬組織の経理担当者くらいの立ち位置が、だいたい自分に当てはまる気がする。この組織は、一般企業の顔も持っていて、彼が扱う日常的な経理の一部に、シガーやモスの処理問題も含まれている。おそらく、彼にとってそれは、会社全体のふだんの人件費やクレーム対策費なんかと同列に認識されるに過ぎない問題だったのだろう。彼自身、自分が悪である自覚はまったく無い。しかし、人の死に対する彼の感覚麻痺・無神経さは、シガーをはるかに超えているわけだ。シガーに出くわしてしまったこの経理担当者の生死がはっきり描かれていないのは、彼と同じスタンスにいるであろう私たち観客の多数に対する問いかけのように思えた。)
(2008.4.21.付記 たとえば、ラストでシガーをも打ちのめした自動車の問題。日本だけでも、毎年、何千もの命を自動車が奪っている。もし、社会から自動車を追放すれば、たちまち、おびただしい命が救われる。公共交通車両や緊急車両だけを残して、自家用車を全廃してもいい。それだけでも効果絶大だろう。だけど、雨降りの外出の快適さやら、今日出せば明日届く宅配便の利便やら、自動車産業の経済効果やら(はたまた高速移動の快感やらステイタスの誇示やら)を手放すことのできない私たちは、そうやって毎日毎日、たくさんの人を殺していくことを選択している。この際、その選択の是非は問わないが、私たちは、快適さ・利便性・経済効果と、何千もの命とを天秤にかけた場合、躊躇なく、前者を選択する生き物なのだということぐらいは忘れない方が良い。人命が地球より重いなんて、本当は誰も思っていない。映画のラストで、シガーという悪に衝突し、文字通り相対化した悪を、私たちは自分のものとしている。)


 結局、シガーの周りで発泡する悪が拡がる先を追っていくと、それはいつの間にか、僕の足元にも達していた。ちょうど、モスの妻を殺害した直後のシガーのように、足元に目をやると、僕らのズボンの裾や靴底には、そうやって拡がった悪の染みが容易に見つかるだろう。
 僕が一番恐怖を感じたのは、映画が終わってしばらくたって、そんなことを考えた時だった。

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2008/03/25

いま安室がよいねぇ

 安室奈美恵のシングルCD「60s 70s 80s」が、彼女にとって久しぶりのオリコン週間チャート1位になるみたいだ。このブログでも、先月末、「最近のお気に入り」という記事で、このCDに入っている「ROCK STEADY」が好きって書いた。その時点では、まだCDは発売前だったが、蓋を開けると、やっぱり大ヒット。別に、自分に先見の明があると言いたいわけじゃなくて、こんな摩耗しきったおっちゃんの感性に訴えてきたくらいだから、このヒットはあまりに当然だと思う。そんなわけで、「60s 70s 80s」、さらに自信をもっておすすめ!
 先の記事では、トップ歌姫の責をエイベックスの後輩たちに任せてからの安室の伸びやかさが良いなぁと書いたけど、これでまた、プリマ・ディーヴァになっちゃったね。なにかと誤算つづきのエイベックスが、ここにきて安室の営業に力を入れたのかもしれないけど。
 で、今度のシングルも良いけど、アルバムの「PLAY」もおすすめ。収録曲のうち「FUNKY TOWN」や「BABY DON'T CRY」が今のところ好きだなぁ。シングルもアルバムも、どちらも、ダンスみなきゃ損だから、お求めの際は、必ずDVD付の方を。
 去年今年、私と一緒に巡見であちこち歩いた人は、「BABY DON'T CRY」のPV、結構楽しめるのでは。
 

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