映画『どろろ』の感想と、ミスチル主題歌「フェイク」についてほんの少しの感想
映画『どろろ』を観た。ご存知、手塚治虫が原作のコミックの映画化。『週刊文春』に載っていた、おすぎの映画評でも高評だったので、期待しつつ、それでも期待しすぎないようにつとめながら映画館へ。 なかなか良い映画でした。
映画のあらすじ~時は戦乱の世。ある武将が、化け物と契約を結ぶ。天下をわがものとすることと引き替えに、生まれてくる我が子の体の48箇所の部分を化け物たちに与えるという約束。こうして体のほとんどを失った赤ん坊は川に流される。その男の子が人造の体を与えられ、成長して化け物たちと戦う旅に出る。化け物を倒すたびに彼、百鬼丸はひとつずつ自分の体の部位を取り戻していく。そんな彼と偶然出会って共に旅することになったのが、泥棒のどろろ。どろろは、とある武将に親を殺され復讐を願っている。百鬼丸の使う最強の武器は左腕に仕込まれた刀だが、百鬼丸が左腕を回復した機会にその刀をわがものにして復讐に使おうというのがどろろのねらい。このどろろは、男として育てられたが、実は女。そんな旅の途中、どろろの敵である武将が百鬼丸の父であることが明らかとなる。でもって――、というのがあらすじです。
個人的にはどろろ役の主演女優、柴咲コウに見とれてしまいました。年末、柴咲コウが出演したTVドラマ『GOOD LUCK』の再放送を見てあらためて感心しましたが、今回もこの女優さんの魅力を再確認しました。
柴咲コウのいわゆるツンデレ
『GOOD LUCK』の航空整備士役は、木村拓哉演じるパイロットを相手にした、いわゆるツンデレのお手本みたいなキャラクター。そうそう、同じくTVドラマの『オレンジデイズ』の難聴に悩むバオリニスト・ピアニスト役も、やっぱりツンデレ・キャラクターでした。相手は今回の映画と同じ、妻夫木聡。
今回のどろろ役も、煎じ詰めれば、ツンデレの亜種みたいなもんですよね。手塚治虫的亜種といってもいいかな。表面的には「デレ」の部分が極端なまでに抑制されているがために、よけいに引き立つツンデレというか。どろろの他には、たとえばリボンの騎士のサファイアとかね。男装の女の子という設定が共通。
そんなツンデレ評論の観点からすると、今回の映画『どろろ』では、ラストシーンがなかなか面白かったです。まあ、これもよくあるパターンといえばパターンなのかもしれないけど、上記のTVドラマと比べても、なかなか爽快?でした。百鬼丸がいつ「アレ」を化け物から取り戻していたのか、という至極まっとうな疑問をもつ人は当然多いらしく、ネットなどでも論点化していますが、まあ、そうしたことも織り込み済みの、よくできた脚本でした。
無いものねだりを少し
柴咲コウの魅力はともかく、映画の構成については少し注文が。映画のなかほどで繰り返される化け物との格闘シーンの連続はちょっとつまんなかった。まあ、アクション班への配慮もあっての編集だったかもしれない。個人的には前後の文脈あってのアクションシーンだとは思うんだけど。香港のカンフー映画とかで、主人公が一番の敵役と遭遇するクライマックスの前に、連戦シーンとか訓練シーンの断片がしばらく続く部分があったりしますよね。それを連想。で調べたら、今回の映画のアクション監督が香港映画の人だと知って少し納得。意識的な演出なら、それも面白いか。
もうひとつの注文は、百鬼丸の父が化け物と非情の契約を結ぶにいたるまでの、人間に絶望していく過程がもう少し描かれていると良かったと思う。冒頭のシーンの極端なまでの凄惨さがその過程の象徴なんだろうけども、もっとストーリーとして展開してほしかった。彼の絶望がそもそもこの物語の出発点なわけだろうし、彼の最期も、そうした絶望との闘いとしてより深く印象づける方が良かったような気もする。まあ、いわゆるエンターテイメント作品にそんな無いものねだりをしなくても、“無いもの”はお客が自分の頭で補って観てあげれば十分だけどね。すべてが描きこまれてる必要はないもんね。
ともあれ、『どろろ』、楽しめました。
ミスチル「フェイク」
ついでながら、ミスチルの主題歌「フェイク」も面白い。映画にふさわしいかどうかはちょっと微妙だけど、歌詞が面白い。少し前の記事で、ミスチルの「しるし」について、ここしばらくのミスチル・ラブソングにつきものだった苦味・自嘲・皮肉といった“スパイス”が使われていない、ピュアなラブソングだという感想を書きましたが、そこでは使われなかった苦味・自嘲・皮肉が、そのまままとめて詰め込まれちゃっているのが「フェイク」かなと。
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