2010/10/04

書評:濱口桂一郎『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』

 付記:濱口圭一郎さんのブログからのリンクでいらっしゃった方へ
 
 軽い感じでアップした「書評」でしたが、思いがけず著者の濱口さんのブログで取り上げていただきました。とりあえずは、この頁の元の記事をお読みいただければよいのですが・・・

 このブログ、構成がぐちゃぐちゃで、せっかくいらっしゃた方にはさぞ不愉快な思いをさせてしまっているのではないか、とあわてています。

 濱口さんにも少し触れていただいた、拙ブログの「近世の終焉としての現在」という連載記事の方までもしもご覧になりたい方は、ご面倒ですが、この頁の左端にある「カテゴリー」欄の項目の中の下から五番目、「研究」の項目をクリックしていただいて、飛んだ先のページ末尾にある、カテゴリー記事一覧の記事タイトルからリンクで各記事へ飛んでいってお読みいただくのが楽かもしれません。

 もっとてっとりばやいのは、「近世の終焉」問題について最近書いたごくごく短いこちらの記事「無縁社会が拡大する原因としての“近世”の終焉」をご覧くださいませ。

 ふだん、あまり多くの方にはお読みいただくことを想定していない、資料と研究書とマンガと料理本が混然と積み重なる私の仕事机みたいなブログなので、必要記事をお探しになる場合、さぞご不快なご面倒をおかけすると思いますが、どうかご寛恕を。


 (以下が、元の書評記事です)


 パートのお仕事

 恐縮ながら、まずは私の近況報告から。

 各大学での後期授業がほぼひととおり開始。今年度の後期は、ぜんぶで6つの大学にて、1週間あたり10コマの授業を担当。それ以外にも、東京都公文書館で週2日の準フルタイム勤務。相変わらずぎゅうぎゅう詰めのスケジュールだけど、まあ、こんなふうに仕事があることには感謝せねば。

 大学のようす

 新学期、授業が始まって久しぶりに学生さんたちと会ってみて感じるのは、やはり、昨年来の就職活動の厳しさ。あちこちのキャンパスでリクルートスーツを身にまとった学生の姿が以前よりも目立つように思う。昔は、就職活動など4年生になってするものだったが、今や、3年生から本格的な活動が始まっている。
 大学院への進学を検討している学生さんにもよく出会う。この現象は、もちろん、学生の間で向学心が増しているからではなく、就職活動の成果が芳しくない状況下、ともかく来年以降の身分を確保するための方策として、大学院進学を選ぶ学生さんが発生しているからだ。

 昨年度の大学卒業生の20パーセント近くが、正規雇用の就職や進学をしなかったという。そんな人たちの多くが、非正規雇用の労働者となるのだろう。

 就活のあと

 一方、しばしば接するのは、無事就職した元学生さんたちが職場で悩んでいる話である。まあ、新社会人だから悩むのは当たり前かもしれないが、いろいろ話をきくと、客観的にみても、それぞれの職場での働かされ方に問題があるのではと思えるケースも多い。いわゆる「ブラック企業」というやつだ。「ブラック企業」と呼ばれるもののなかには、得体の知れない怪しげな会社だけでなく、いわゆる有名企業も相当数含まれている。そこでは、「正社員」の肩書きと引き換えに、法規制すれすれの(あるいは明らかに違法な)労働条件下で働くことを強いられている人がたくさんいる。

 小経営の時代のおわりに

 以前、このブログの連載記事「近世の終焉としての現在」で次のような主張を書いた。グローバル化の進む現在の日本社会においては、17世紀以来続いてきた「小経営の時代」が本格的に終焉を迎えていると。「小経営の時代」の終焉に際しては、農家や個人経営の商工業者などの小経営の多くが消失していく。それと歩を同じくして、それら小経営の家とよく似た構造の、日本型雇用のサラリーマン=擬似小経営的サラリーマンの家も解体していく。

 このようにして終焉を迎えた小経営の時代の次に、いよいよ本格的・全面的に成立しつつあるのが、資本と労働者の時代ではないだろうか、という見通しを書いた。

 第二次産業・第三次産業はもとより、将来的には第一次産業の分野でも、例えば大規模農場や“野菜工場”などの場で、雇用労働の比重が高まっていくと思う。

 こうして広汎に成立する労働者の世界は、かつての日本型雇用の正社員を標準型(あるいは理念型)とする世界ではなくて、名ばかり正社員やら、法規制の穴をみつけては様々な亜種に分化する非正規雇用の労働者やらを含む、多種多様な雇用形態からなっていて、さらには、国籍やらエスニシティーやらジェンダーやらによる分化がそれに重なる。いわゆるマルチチュードの世界である。

 だが、生成しつつある新しい労働者の世界に対して遅まきながら向き合おうとし始めた現在のマスメディアやアカデミズム、それから政治や行政を主導する人々の大半は、依然古い労働者の世界に属する人々である。そのせいか、この新しい世界についての議論や政策は、例えば派遣労働禁止法案みたいに、相当現実離れしたものが多い。経営者たちはもちろんのこと、当の派遣労働者のほとんどもこんな法律を望んだりしてはいないだろう。

 濱口さんのご著書の紹介

 このような現状について、「労働問題を冷静に議論する土俵がなかなか構築されず、ややもするとセンセーショナリズムに走る」か、「法解釈学や理論経済学など特定の学問的ディシプリンに過度にとらわれ」て「議論としては美しいが現実には適合しない処方箋を量産するだけに終わりがち」だと指摘し、「労働問題に限らず広く社会問題を論ずる際に、その全体としての現実適合性を担保してくれるものは、国際比較の観点と歴史的パースペクティブであると考え」た上で、「日本の労働社会全体をうまく機能させるためには、どこをどのように変えていくべきか」、「現実的で漸進的な改革の方向を示そうとした」のが、今回の記事のタイトルにあげた濱口桂一郎さんの『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』という本である。

 まずは、この本のタイトルに出てくる「労働社会」というタームが、すごく魅力的だ。そして、終章にあたる第四章では、この「労働社会」を基盤とした「民主主義の再構築」の必要性が訴えられている。これは重要な主張。
 小経営の時代の終焉は、小経営の存立基盤として形成されていた地域社会の存在意義を低下させた。これにより、地域社会を基本的な枠組みとするこれまでの民主主義のシステムもその有効性を低下させている(もちろん全面的にこれが無効となってしまうわけではない…念のため)。ここで要請されているのが、新「労働社会」に基盤をおく民主主義のシステムの再構築なのだろう。正社員クラブである既存の労働組合のみを中心した旧「労働社会」のシステムじゃなくてね。

 濱口さんのブログの紹介

 「正規労働者であることが要件の、現在の日本型雇用システム。職場の現実から乖離した、その不合理と綻びはもはや覆うべくもない。正規、非正規の別をこえ、合意形成の礎をいかに築き直すか。問われているのは民主主義の本分だ。」という宣伝文句を本書表紙カバーに載せたのは岩波書店の編集者だと想像できるが、その編集者が著者・濱口圭一郎さんに執筆を依頼したきっかけは、濱口さんが書かれているブログの記事だという。
 実は私もそのブログの愛読者であることを白状しておく。抑制の効いた本書の文章とはかなり味わいのことなる、なかなか刺激的な内容の記事もある。その記事をめぐってしばしば巻き起こる論争はいろんな意味で興味深いし、それにより、濱口さんの主張をある程度は相対的にとらえた上で評価することもできる。
 濱口さんのブログ、ぜひ読みにいってください。

 以上、「書評」とは名ばかりで、自分のブログの過去記事を読み返したりしただけの竜頭蛇尾の記事でしたが・・・

 ともあれ、最近読んだ面白くも大事な本の「紹介」でした。

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2010/02/12

無縁社会が拡大する原因としての“近世”の終焉

 最近NHKがテレビやラジオでしきりにとりあげているのが、無縁社会というテーマである。家族や地域コミュニティとの関係を喪失した生活を送る人々の増加や、そうした人々がやがて迎える孤独死の問題が、番組で生々しくレポートされ、話題となっている。

 我田引水になるが、以前このブログで主張(とりあえずココココを参照)した、現在の日本における“近世”の終焉、という歴史的な大変化を象徴する現象のひとつに、こうした無縁社会の拡大を位置づけうると思う。

 小経営の時代とその終焉

 ここでいう“近世”の終焉とは、小経営の時代の終焉のことである。小経営とは、本来的に、家族労働を中心とした、農家や「個人」経営の商工業者のことである。こうした小経営が主体となって社会を構成した時代が、小経営の時代であり、それが始まったのが、だいたい17世紀の前半、近世の成立期である。そして、それから400年が過ぎて、これらの農家や「個人」経営の商工業者が社会の中心的な構成主体ではなくなった現在のことを、近世の終焉、と呼んでみたのである。

 「小経営とは、本来的に・・・」と書いたが、それは、小経営の時代が終わる少し前、日本においては、本来的な小経営ではないものの、それとよく似た、いわば擬似小経営的なるものが登場し、社会の構成主体として成長したことにも注意したいからである。それは、農家などとよく似た存在形態の、擬似小経営的サラリーマンの家庭である。この成長が本来的な小経営の減少を補った。それにより、小経営と擬似小経営的サラリーマン家庭とを横断するかたちで、「日本」的な「均質社会」・「一億総中流社会」も生み出された。こうして、しばらく先延ばしされた小経営の時代の終焉だが、それが今まさにやってきたのである。
 擬似小経営的サラリーマンとはいわゆる日本型雇用のサラリーマンのことで、その家庭は、外で働くお父ちゃんと、育児やら老人介護やらの家事労働やPTA・子ども会などの地域活動のほとんどを引き受けて働く専業主婦のお母ちゃんとが、二人三脚の「夫婦かけむかい」で維持していく家庭であるという点、つまり家族労働を中心として維持されているという点で、農家のような本来的な小経営の家庭との間で共通性をもつ。
 そして現在、日本型雇用制度が解体し始めることで、擬似小経営的サラリーマン家庭は減少し、すでに進行していた本来的な小経営の衰退と相俟って、小経営の時代の終焉は決定的なものとなったと考えられる。

 無縁社会

 小経営の時代においては、人々は小経営の維持のために「家」を必要とし、結婚して子供を作った。また、小経営の維持のために地域コミュニティを形成した。そして、小経営の時代が終焉を迎えた今、経営体としての「家」は解体し、地域コミュニティもその存在意義を著しく低下させた(擬似小経営的サラリーマン家庭が形成する、脆弱な擬似的コミュニティについては、過去記事を参照のこと)。
 家族と共に守ってきた小経営を子供に受け渡し、小経営とそれが属する地域コミュニティのなかで余生を送る。そして、小経営のなかで介護を受け、やがては死を看取ってもらい、最後は地域コミュニティがその葬儀を営む。そんな小経営の時代のライフコースは、その時代の終焉とともに崩壊した。

 つまり、無縁社会といったときの「縁」とは、小経営が生み出す「縁」であり、小経営の時代の終焉とともにその「縁」は切れていくのだろう。

 少子化と非婚化・老人介護問題・地域コミュニティの解体、そして無縁社会。これらの諸問題は、小経営の時代の終焉、すなわち、近世以来400年続いた伝統社会の終焉において現れた、一連の問題群としてとらえられるであろう。

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2009/04/07

川上村の中国人「研修生」と農業経営はどうなっていくの?

 昨日の自分の記事を読みながら、ちょっと反省というか、再考。

 多数の中国人「研修生」を受け入れて、レタスや白菜を生産する長野県の川上村の事例をちょっとあげた。しかし、「小経営の時代の終焉」という連載のテーマからすると、これは矛盾してるなぁと。
 要するに、現状としての川上村は、外国人の「労働力」に依存することで小経営の維持に成功している事例ということになる。

 川上村の場合は、村内約600戸の農家のうちの3分の1強の農家が組合を作り、その組合が「研修生」の受け入れ事業をおこなっているそうだ。いわゆる集落営農的な傾向を強めつつある地域だと思う。「平均年収2500万円の農村」が村長のキャッチフレーズみたいだ。
 一方、そんな川上村で農作業に従事する中国人「研修生」の「時給」は、長野県の最低賃金669円を大きく下回る530円程度。まあ、農家の人たちも、たくさん儲かっている分、「研修生」にはもっと多くのお金を渡したいだろうが(?)、それができないのは、彼ら彼女らがあくまで「研修生」であって「労働者」ではないという制度の壁のせいもあるのかな。また、こうした「研修生」のなかには、このまま日本にとどまって働き続けることを希望する人も少なくないようだ。

 ともあれ、この先の川上村が、「農家」という小経営の単位を維持しつつ集落営農の方向へ進んでいくのか、あるいは、その途中で、法人経営の大農場へと移行していくのか、今後、興味深く追っかけていくことにしたい。
 あるいは、川上村以外の日本各地の農業における外国人「研修生」、あるいは外国人労働者の雇用(「研修」)形態はどのようなものなのだろう。最近は自動車関連工場から追い出された日系ブラジル人の人々を雇い入れた農業法人のニュースなども目にする。

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2009/04/06

近世の終焉としての現在 23 連載のおしまいに

 400年も続いた小経営の時代が終わることで、次はいったいどのような時代がやってくるのだろうか。もちろん、そんなことは誰にも分からない。まあ、誰にも分からないのをいいことにして、勝手な想像を書くことにしよう。

 現在、日本列島において「日本人」の数は減少傾向にある。遠い昔のことは知らないが、少なくとも17世紀以降でみれば初めての事態だろう。
 今回の連載記事では、農家や個人経営の商工業者といった小経営や擬似小経営的サラリーマンの衰退によって、結婚や子づくりが不必要化したことが人口減の最大の原因ではないかと書いた。ちゃんとした根拠は無いが、たぶんこれは当たっているだろう。

 さて、素人考えだと、「日本人」の減少によって、日本社会は移民社会へと変化していくことになると思う。ごくごく大雑把にいって、日本経済が人口減に合わせてどんどんダウンサイズしないかぎり、「日本人」の減少は移民の増加を必然化する。
 いやいや、産業の合理化やら、はてはロボット技術の進化(?)やらで、「日本人」労働力の減少はただちに移民増加には結びつかない、ということを主張する人もいる。政治的・文化的な障害もあるだろう。
 しかし、事実として、外国人労働者は増加し続けている。工場労働者や都市部のサービス産業の労働者以外にも、農業や老人介護の分野でも外国人労働者は欠かせない存在となりつつある。

 もし、現在の国策どおり、小経営の農家に代わって大規模経営の「農家」・「農園」が農業の担い手として増えるならば、農業における雇用労働力の需要も増加する。しかも、低賃金で季節的な期間限定の非正規雇用の労働力がもっぱら必要となるわけだ。
 日本一のレタス生産を誇る信州南佐久の川上村では、農家戸数約600戸に対して約600人の中国人「研修生」を受け入れていることが昨年の朝日新聞に掲載されていた。彼ら彼女らは、時給530円程度で年間7ヶ月ほど、レタスづくりと白菜づくりのかなりハードな「研修」をしていくそうだ。私たちが食べる“安心安全”の国産朝どりレタスやら北関東の朝づみイチゴやらには、中国などからやってくる彼ら彼女らの労働が不可欠らしい(※脚注参照)。こうした事例がどこまで日本農業全体に一般化できるのかは知らないが、もしかりに私が、無農薬・有機栽培が売り物の「小林農園」の経営者になったら、いかにして安い季節労働者を確保するかが、経営上の最大の懸案となるだろう。国内外のライバルに負けないために。
 また、小経営の崩壊は老人介護の構造を変えた。かつて、相続される小経営や擬似小経営の内部においては跡継ぎ夫婦が年老いた親たちを介護した。これが小経営の時代の老人介護であった。しかし、小経営・擬似小経営が無くなれば、老人の介護を担う「家」も無くなる。これにより、老人介護の分野でも雇用労働者は不可欠の存在となった。この分野も、今後、外国人労働者への依存が急速に強まることはほぼ確実であろう。

 2000年から2050年までの間で、日本の生産年齢人口(15~64歳)を現状で維持する場合には、延べで3千万人以上の移民が必要であるという国連の推計がある。たぶんかなりざっくりとした推計だろうし、実際に3千万人もの移民を日本社会が受け入れられるとは思えないが・・・さあ、どうだろう。
 かつて、自民党の一部の人が、人口の10%にあたる1000万人の移民受け入れ計画を発表した際、たちまち世間から大きな非難がよせられた。
 しかるに、2006年の数字だと、外国人労働者の数は合法的就労者が75万人で、これに不法就労者を加えて、およそ92万人とされている。おそらく今頃は100万人前後に達しているだろう。
 この先、少なくとも数十年間、「日本人」の生産年齢人口の超・激減はもはや確定した事態だし、もし日本経済が今より回復すれば、外国人労働者はたちまち数百万人規模へ増加するように思える。
 こうした事態は、日本社会の歴史において、まったく新しい時代がやってきたことを意味しているだろう。

 さて、小経営の時代が終わって、次に来る時代とは何か。それは、たぶん、資本と労働者の時代ではないだろうか。
 資本と労働者、それは、商工業・サービス業のみならず、第一次産業のうちのかなりの割合までをも包摂していく。ただし、そこにいる労働者の内実は、かつてイメージされていた均質的な近代労働者集団ではない。そのエスニシティーにおいて、そのジェンダーにおいて、働き方において、まったく相異なる多種多様な人々から成っている。そんな人々をくくる唯一の共通項が、労働者であること、だろう。あるいは、マルチチュード、という呼び名もすでに出されている。

 小経営の時代のあとは、資本と労働者の時代。こんなことを書いたりすると、年配の人たちからも、また、若い人たちからも、何を今さら、と鼻で笑われるような気もするが・・・。だけど、これから、本格的な資本と労働者の時代が始まるんだと思ってる。

 
 ※本文を読み返してみると、この川上村の事例は、ちょっと矛盾してますね。外国人「研修生」の「労働」に頼りながら、当面は小経営の維持が図られている事例であって、連載のテーマ「小経営の時代の終焉」とは逆の事態かも。ちょっと補足記事を書いてみました。こちらをご覧くださいな。

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2009/03/26

近世の終焉としての現在 22 まとめ~その4

 これまで述べたように、400年続いた小経営の時代は、今、我々の目の前で終わろうとしている。では、小経営の衰退は、日本の社会全体にどのような影響を及ぼしているのだろうか。

 小経営が消えることにともなって我々の社会から消えているものは何か考えてみよう。

①消えていく子供と結婚

 小経営が消えることによって必要がなくなるもの。それは、まず子供である。小経営の農家や個人商店にとって、後継ぎとなる子供は絶対必要だった。子供がいなければ、せっかく丹精こめて耕してきた田畑はよその家の物になってしまう。だから、もし実子に恵まれなければ、どこかで子供を貰ってきてでも、後継者たる子供を確保する必要があった。しかし、小経営が消えることで、家の相続の重要性は消え、子供は不必要なものとなった。

 こうして子供が不必要になると、次に不必要となるのは、結婚である。さらには、家族労働を中核とする小経営の解体によって、小経営の維持に必要だった夫婦の協働も不要となり、結婚の必要性はますます失われることになった。

 日本型雇用の正社員=擬似小経営的サラリーマンにとっても夫婦の協働が必要だったことは前回書いた通りだ。家庭を守ってくれる嫁が男性サラリーマンには必要だったし、自分を経済的に養ってくれる旦那が主婦には必要だった。しかし、このような擬似小経営的サラリーマンが消えていくことで、やはりここでも結婚の必要性は消えつつある。また、非正規雇用の労働者同士が結婚した場合、子供を持つことの経済的負担とリスクはあまりに大きすぎる。そもそも、彼ら彼女らにとって子供とは何が何でも必要なものではない。

 小経営の時代においては、小経営の維持と相続のため、という社会的動機が、結婚と子作りを人々に強制していたのである。結婚してはじめて一人前の大人だ、とか、結婚したからには子供を作るのが当たり前だ、とかいった強制である。
 そして、現在、小経営の時代の終焉により、そうした社会的動機を喪失した日本人社会において、結婚と子供の数は激減しつつある。

 出生率の急激な低下はわざわざここで紹介するまでもないだろう。結婚の激減についてみると、たとえば、30~34歳の男女を例にとれば、1970年代頃は、およそ10人の男性のうち1人だけが独身といった割合であった。それが2005年では、2人に1人が独身である。女性の場合も、1970年代頃は10人に1人だけが独身であったが、2005年には、3人に1人が独身である。

②消えていく地域コミュニティ

 小経営の時代において、地域コミュニティは小経営の維持のために存在した。農家にとっての村や、個人商店にとっての商店街がそれにあたる。
 コミュニティは、イベントを楽しむための仲良しサークルではない。用水路を浚渫しアーケードを補修し、そして、小経営の後継者である子供たちを通わせる学校の運営に協力しながら、小経営が存続するための経済的・文化的な地域基盤を維持していたのが地域コミュニティであった。
 しかし、小経営の衰退はそうした地域コミュニティを解体していく。集落自体が消失していく数も増加しつつある。

 小経営の時代の最後に登場した擬似小経営的サラリーマンも、擬似的な地域コミュニティを形成した。ただし、彼らの生業自体は地域コミュニティの存在を必要としないため、主として子供の育成環境の整備が擬似的コミュニティの存在意義であった。そこでは、農村に実家をもつサラリーマンたちが子供の頃に経験した農村祭礼などのノスタルジックな模倣も催されたりした。
 しかし、そうした擬似的祭礼や、子供を中心とした生活消費なども、上に書いた通り、子供の育成を目的になされていたため、同一世代で構成されたその擬似的なコミュニティから一斉に子供たちが巣立ってしまうと、たちまちコミュニティ的な様相は失われていくことになる。小学校が閉鎖され、地域の商店が次々に閉店していく、なんとか団地やなんとかニュータウンがそれである。
 あるいは、農家や個人商店などの小経営と擬似小経営的サラリーマンとの間の類似性をもとに、両者が混在するかたちの地域コミュニティ(半擬似的コミュニティ)も成立したが、言うまでもなく、小経営と擬似小経営的サラリーマンの減少によって、こうした地域コミュニティも崩壊しつつある。

 ③消えてゆく名君政治

 小経営の時代において、国民を幸福にするための政治の主たる目標は、小経営の保護・育成=牧民であった。少し前だと、外国からの安価な農産物の流入を食い止め、米価を高値に保ち、農家の保護のための補助金を注ぎ込み、あるいは、大規模小売店の進出を制限し、酒や薬その他の独占的販売体制を守ってきた。こうして小経営を保護してきたのである。
 また、上記小経営の保護政策との間でバランスを保ちながら、国内企業を育てることで、それら企業の下で働く擬似小経営的サラリーマンからの支持をも取りつけてきた。
 他方、擬似小経営的サラリーマンたちの諸要求は、労働組合を通じて、野党勢力がそれを国政の場で展開していたが、保守与党は、それらの要求を部分的に受け容れつつ、同時に先に書いたような企業育成を通じて、擬似小経営的サラリーマンに対しても一定の満足感を与える政治を遂行していた。

 しかし、今、小経営の時代が終わることによって、政治はその目標を失い、ダッチロールに陥っている。
 激減してしまった農家や個人商店などをあてにしていては選挙には勝てなくなった。小経営の没落とともに長期低落傾向にあった自民党をぶっ壊し、小経営を切り捨ててグローバリゼーションに積極的に応じようとする政治が一世を風靡した。
 例えば、これまで地域の小経営を取りまとめて自民党を支えてきた地方名士たる特定郵便局長の地位を危うくすることなど、かつての自民党にとっては絶対受け容れることのできない政策だったが、逆に、そうした政策が喝采を浴びた。その際行われた選挙では、都内の某選挙区でも、地元商店街を支持基盤としてきた自民党の有力議員がその政策に反旗を翻したが、結局、当該区域の地域社会とはなんの縁もない、落下傘で降ってきた刺客に対して、まったく太刀打ちできなかった。
 農家は選別にかけられ、大規模な耕地を確保しての企業的経営に乗り出すことで、国際競争力を高めるように求められている。
 また、雇用多様化のお題目のもと、擬似小経営的サラリーマンは解体されようとしている。そんななか、“正社員クラブ”の労働組合はますますその存在意義を低下させている。また、正社員が手にしていた終身雇用の証文は反古になりつつある。

 こうして、地域コミュニティや労働組合を通しての国民の把握が無効化していくことにより、保守与党の政治家たちは、「無党派」だとか「消費者」だとかいった、抽象的でとらえようのない姿をした国民を相手にした不慣れなパフォーマンスに追われている。
  「抵抗勢力」やら「官僚」やら、「民営化」に巣食う悪党やら、はたまた某国の独裁者やら世界恐慌やらとの格闘を、次々と脈絡なく、前後の自己矛盾も気にせずに上演しつづけることで、移り気なコロッセオの喝采を繋ぎとめようとするしかない状態だ。
 あるいは、山間部の田んぼの脇に積んだビールケースの上から、ぶっ壊される以前の自民党の牧民策(例えば、小規模農家を差別しない補助金政策だとか)を復唱することで、国民のノスタルジーをゆさぶることに成功した野党のリーダー。しかし、最近、彼は自分の領国における師匠直伝の“名君”ぶりがあだとなり、コロッセオでの人気を急落させてしまった。


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2009/03/22

近世の終焉としての現在 21  まとめ~その3

  17世紀前半に始まった小経営の時代。日本社会の基本は、農家や家業的経営の商工業者などの小経営から成っていた。特に、近世期、農家人口は総人口の8割を占めていて、農家と農家が構成する村とが、日本社会の基礎構造一般を構成していた。
 その農家が、日本社会におけるウエイトを急速に低下させたのは、戦後の高度成長期であった。
 それより少し遅れて、20世紀末には、家業的経営の商工業者も急速な減少傾向をみせるようになった。
 
 こうして、20世紀後半、終幕に近づきつつあった小経営の時代だが、その終幕を若干遅くさせたのは、日本型雇用のサラリーマンであった。
 こうしたサラリーマンを、私の拙い造語だが、擬似小経営的サラリーマンと呼びたい。

 サラリーマン=労働者というのは、本来、個々人で労働を行うものだが、日本型雇用のサラリーマンは、サラリーマン個人では労働の継続が難しかった(家庭をもつことを放棄すれば別の話だが)。
 こうしたサラリーマンのほとんどは男性であった。深夜残業でも、単身赴任でも、なんでもこなしながら、会社のために献身的に働いた。
 そんな労働を支えたのは、専業主婦たる妻だった。炊事・洗濯から育児、年老いた親(たいていは夫側の親)の介護、そして、子供会やらPTAやらスポーツ少年団などの世話といった“地域”活動を、もっぱら妻が引き受けた。そんな妻が賃金を得るために働くとしてもそれは内職かパート労働にほぼ限られていた。 
 このような妻による、家庭・地域における“労働”に依存して、サラリーマンたる夫の会社に対する滅私奉公が実現していた。
 つまり、日本型雇用のサラリーマン稼業は、実質、夫と妻の二人三脚による、「夫婦かけむかい」の家業として成立していたのである。

 このような献身的サラリーマンのお父さんを、企業が簡単に解雇することは許されなかった。解雇してしまっては、たちまち一家が路頭に迷うことになるわけで、それは社会的にも許されることではなかったのである。
 サラリーマン側の献身と企業側の終身雇用の約束とによって、サラリーマンの家業的経営は、長期持続的なものとなった。
 こうして、日本型雇用のサラリーマンの家業的経営は、ちょうど、農家の小経営とよく似た性質のものとなった。

 農家とサラリーマン家庭とで一番大きく異なっていたのは、相続の問題だろう。農家の場合、何が何でも後継ぎの子供を確保して、その子に田畑を引き渡すことが相続の根本である。しかるに、サラリーマンの場合、父親の会社でのポストをそのまま息子が継承することはほとんどない。
 しかし、サラリーマン家庭の場合でも、男子の子供については、父親と同等かそれ以上の学歴を積み、父親と同等かそれ以上の年収のサラリーマンになることが一般には理想とされた。女子の場合は、母親と同様、サラリーマンと結婚して専業主婦となることが理想とされた。そうして、家産や生活レベルの継承が求められたのである。

 このように、農家によく似た性格を持つ、疑似小経営的なサラリーマン。これが日本型雇用のサラリーマンであった。
 もちろん、すべての労働者がこのようなサラリーマンだったわけではない。しかし、もっぱらこうしたサラリーマンが、労働者の標準型・理念型とされてきたことが重要であろう。

 日本型雇用のサラリーマンの原型を、近世の武士に求めたり、あるいは、商家奉公人に求める考え方もある。しかし、単身で家庭を持たないのが普通だった商家奉公人と、日本型雇用のサラリーマンとはかなり性格が異なる。武士との間では類似点が多いが、実態としての連続性が乏しいのではないか。
 その大半が農家の出身であった日本のサラリーマンにおいて、「仕事」や「家庭」のあり方についてのメンタリティは、おそらく、農家のそれが継承されていたのだろう、と推測している。

 日本型雇用の制度的な成立時期をめぐっては、第一次大戦後の労働争議が活発化した時期、あるいは戦時体制期、もしくは高度成長期などにそれぞれ画期を見出そうとする諸説がある。
 おそらくは、それらの時期における労使関係や労働政策の諸動向のなかで日本型雇用は段階的に成立したのであろうが、ここでまったくの当て推量を述べさせてもらえるなら、先にも書いた通り、日本型雇用のもとで形成される擬似小経営的な労働者家庭のあり方と、小経営の農家のそれとが類似していることが、日本型雇用の社会的許容の要因となったのではないだろうか。

 まあ、日本型雇用の成立要因をめぐる問題はさておいても、結果として、日本型雇用の擬似小経営的サラリーマンの家庭と小経営の農家との間で類似性が強い、という事実が重要である。
 これにより、小経営の農家や商工業者と、擬似小経営的サラリーマンとを横断して、家族観・労働観・経済観・幸福観・倫理観などが共有されることになった。
 そうした共有をもとにして、均質的な日本社会だとか、一億総中流社会だとかいったイリュージョンが生まれたのだろう。

 本来の小経営である農家や個人経営の商工業者が退潮した分を、擬似小経営的サラリーマンが補うかたちで、小経営の時代の終幕はしばらく先延ばしされ、最後の輝きを見せたわけである。

 そして、現在。この擬似小経営的サラリーマンも減少傾向に入った。いよいよ小経営の時代の終幕である。

 


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2009/03/12

近世の終焉としての現在 20  まとめ~その2

その2.小経営の時代の終わり
 
 今、私たちの目の前で終わろうとしている時代。それは小経営の時代とでも呼ぶべき時代である。

日本社会において、小経営の時代が本格的に始まったのは、17世紀前半のことだろう。それからおよそ400年を経た今、20世紀末から21世紀初頭において、小経営の時代は終焉を迎えようとしている。

 ここでいう小経営とは、農家や個人商店などの、家族労働を中心として維持されている、家業的な経営のことである。

 近世の日本社会においては、農家人口が総人口の80%を占めていたとされている。第二次大戦の前後では、これが40~50%にまで低下するが、それは総人口自体が増加しているからであり、実際のところ、おおむね3000万人といわれる農家人口の絶対数において、近世以来ほとんど減少はない。
 しかし、その後の高度成長期において、人口比と絶対数の両方の減少が始まり、その減少速度は近年ますます加速している。2006年においては、農家人口は約790万人で、総人口に占める割合は、わずか6.2%となった。 また、農業の就業人口の60%は65歳以上の高齢者が占めていて、今後、農家の減少速度はいっそう速まることが確実視されており、2025年の農家人口の総人口比は、2.7%となることが予測されている。
 統計を確認していないが、農業で生計を立てている(あるいは生計の足しにしている)いわゆる販売農家の割合も激減しているだろう。高齢の「農民」が、大部分の耕地を手放したり(放棄したり)あるいは宅地その他に転用しながら、わずかに残した耕地でもって、自家用の農作物、あるいは都市に出た息子・娘に送るための農作物を細々と栽培している、という、名ばかり「農家」がかなりの割合に達しているのではないか。
 こうして、私たちの日本社会から、伝統的な農家の姿はその大部分が消えようとしている。

 一方、家業的経営の商工業者も急速に減少している。その中のいわゆる個人商店(小売)の数についてみると、1958年には、全国小売店舗総数、約140万店舗のうち、実に90%を個人商店が占めていた。数にすると約126万店舗となる。まさに、小経営中心の小売業であった。その24年後の1982年では、店舗総数が約172万店舗に増加し、その中で個人商店が占める割合は約73%に低下するものの、店舗の数は約125万店舗で、個人商店の数自体は維持されている。しかし、2002年になると、店舗総数は約130万店舗に減少し、その中の個人商店は約55%で、数にすると約72万店舗である。なんと、この20年間で約53万店舗、42%以上も減少している。凄まじい減少である。そして、その後も減少の速度は増大する一方である(2004年から2007年のわずか3年間で13.4%も減少)。
 こうした個人商店の激減ぶりは、身の回りの商店街の様子をちょっと思い浮かべれば容易に実感できるだろう。

 近世の日本社会における「被支配階級の構成する基本的社会集団」は「村と町」であると朝尾直弘はいう。その村を構成していたのが小経営の農家で、これが日本の人口の大部分を占めていた。町を構成していたのが小経営の商工業者であった。
 これらの小経営が基本的社会集団を構成するという社会構造は、明治維新を経てもなお、一定の変化を見せつつも、存続していった。例えば、寄生地主にしたところで、こうした小経営の農家とそれらが構成する集落の存在を前提にしてはじめて成立するものであったことは言うまでもない。
 そして、今、20世紀末から21世紀初頭にかけて、これらの小経営のほとんどが姿を消そうとしている。

 このようにして、17世紀に始まった小経営の時代は、400年後の今、終焉の時を迎えているのである。

 次回は、日本型雇用の労働者とその家庭の“小経営性”と、その衰退について。

※今回のまとめ記事の内容について、詳しくは以下の過去記事を参照のこと。
農家と農村の消滅について
  近世の終焉としての現在 4
  近世の終焉としての現在 5
個人商店や商店街の消滅について
 近世の終焉としての現在 6
小経営の時代の終わりについてのまとめ記事
 近世の終焉としての現在 7

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2009/03/09

近世の終焉としての現在 19  まとめ~その1

 昨年の春以来、「近世の終焉としての現在」というタイトルの記事を計18回連載していきた。そろそろ“おわりに”を書いて仕舞いたいが、その前に、10か月の間、とびとびで連載した記事の内容を、これから3回くらいで簡単にまとめておいてから、“おわりに”を書くことにしたい。

その1.日本史の時代区分をめぐって

 私たちが生きる現代日本社会の直接のルーツは、歴史上のどこにあるのか。この問いに対しては、明治維新期以後の近代化(欧米化・資本主義化など)の過程にルーツを求めるべきだ、と答えるのがたぶん一般的なんだろう。いわば、近世・近代(近現代)断絶論である。
 
 だけど、尾藤正英・朝尾直弘という近世史研究における二大権威の意見をもとにすれば、現代社会のルーツは近世社会の成立過程にある、という別の答えが出てくる。つまり、近世・近代(近現代)連続論である。

 とりあえず、尾藤の主張を引用しておく。「そうしますと、明治維新ではっきりと前と後に区切られるように見えながら、実際には近世と近代も連続しているのではないかという考え方が生まれてきます。少なくとも私はそう考えています。(中略)つまり古代、中世は連続していて、中世と近世の間、南北朝から戦国の時期、そこにこそはっきりした区画線があって、そのあとまた近世、近代は連続している」。(尾藤『江戸時代とはなにか』岩波書店1992)。

 明治維新と近代化の意義を相対的に軽く扱うことにもなるこうした考え方に対しては、きっと異論も多いだろう。
しかし、そもそも、このような問題に対して、唯一絶対の答えがあろうはずもない。要するに、モノの見方の問題なんだから、見る人が違えば、あるいは、見る人の立ち位置が違えば、モノの大きさやかたちはガラッと変わる。どれかひとつの見方が絶対的に優れているということはあり得ない。
 したがって、どのような時代区分を選択しようか、と考える場合、どのような時代区分がより正しいか、ではなく、現在の自分の立ち位置においては、どのような時代区分がより役に立つのか、という基準で選択することになる。

 で、今、私が立っているのは、現在の日本社会における変化の意味を考えよう、とする立場である。その場合、有効なのが、近世・近代(近現代)連続論だと思う。

 上で紹介したとおり、尾藤や朝尾は、近世と近代(近現代)は連続しているという。近世社会の成立過程に現代社会のルーツを求めることになる。

 さて、私がこれに付け加えたいのは、そのように近世から近代(近現代)へと連続してきた時代が、まさに今、私たちの目の前で終わろうとしている、ということである。

 現在の日本社会において生じている諸変化は、ざっと400年間続いてきたひとつの時代の終末現象として位置づけることでこそ、それらの変化がもつ意味がより深く理解できる。私たちは、日本社会の歴史的な大転換に立ち会っているのである。

 私たちの眼前で終焉をむかえようとしている時代。おおよそ17世紀に始まり、20世紀末から21世紀初頭に終わろうとしている時代。とりあえずこれを、小経営の時代、と呼ぶことにしたい。


※今回のまとめ記事の内容について、詳しくは以下の過去記事を参照のこと。
 近世の終焉としての現在 1
 近世の終焉としての現在 2
 近世の終焉としての現在 3

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2009/03/06

マルチチュード、フリーター、近世の終焉としての現在

 最近、ネグリ、ハートの本を読んでいる。何を今さら、遅れてるぅ、って笑われるかもしれないが。
 うかつにも、今までは、アントニオ・ネグリやマイケル・ハートという名前と、彼らが<帝国>論というものを唱えているといったぐらいのことしか知らず、その論の簡単な中身を確かめることすらしてなかった。うーむ、お恥ずかしい。

 なぜ恥ずかしいかというと、かなりのブームだった彼らの本の内容をよく知らなかったということもあるが、もっと恥ずかしかったのは、このブログでしばらく連載してきた「近世の終焉としての現在」という記事の内容と、ネグリ、ハートの主張とが、かなり重複しているからだ。きっと、このブログ記事を読んだ多くの人は、なぁんだ、これ、ネグリのパクリじゃん、と思っていたに違いない(誰か教えてくれてもよかったのになぁ)。

 たとえば、「地域」やら、「労働組合」やらが、資本主義的グローバリゼーションに対抗する拠点にはなりえないだろう、という趣旨の私の主張は、実は、そのまま、ネグリ、ハートの指摘であった。

 そして、労働の問題。
 そもそもこの「近世の終焉としての現在」という記事の連載を思い立ったきっかけは、4年前にNHKで放映された「フリーター漂流」という番組をみたことにある。
 前にも話したが、番組をみた直後にとりあえずの感想を「前編」「中編」としてアップしたものの、まとめとなる「後編」が書けなくなった。もちろん私が怠慢なせいもあるが、これは軽い感想を書いて終わりにするのではなく、歴史研究者としてちゃんと正対して書くべきテーマだと感じたからでもあった。で、その「宿題」を果たすべく、やっと去年の5月から書き始めたのが、「近世の終焉としての現在」という連載記事だ。 ネグリ、ハートが、資本主義的グローバリゼーションに対抗する主体として示した「マルチチュード」(排他性・限定性をもつ近代「労働者階級」じゃなく多数多様性の労働者を指す概念としての「マルチチュード」)の問題と、「フリーター漂流」をみて感じた私の問題意識とは、言うまでもなく、そのまま結びつくわけだ。

 だからといってもろ手をあげてネグリ、ハート万歳じゃないが、これまで、ちょっとばかり日本史の研究をやりながら同時に現代の東京をあちこち見て歩くことによって自分の中で勝手に狭く積み上げてきた素朴な問題の構図と、彼らの提起する問題の構図とがかなり一致しているということがとても面白かった。
 極度に不勉強なせいで、幸か不幸か、<帝国>もマルチチュードも知らないまま、主に日本社会だけを素材に私が導き出した論点が、結果として彼らの提示する論点とかなり重複していたということは、図らずも、これらの論点の大切さの検証となるように思う(ということで、ひとつ、私の怠慢と結果としてのパクリとを許してやってください)。

 で、遅まきながら、ネグリ、ハートを読んでみようかなと。私にとっては取っ付きにくい『<帝国>』を後回しにして、まずは『マルチチュード』から読むことにしよう。
 読後の感想はまた後日。

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2008/12/22

近世の終焉としての現在 18

  Ⅲ.近世の終焉としての現在
 
 ③名君政治の終わりと迷走(その3)

 前回の記事で書いたとおり、農家や、家族を中心に営まれる商工業者といった、小経営の保護・育成=「牧民」が、小経営の時代における基本的な政治課題であった。戦後の保守政治ももちろんそれを継承していた。そして、これらの小経営が保守政治を支える基盤を形成していた。

 それでは労働者の問題はどうだったのか。労働者は、高度成長期以降、社会におけるウエイトを増大させたが、その標準形はいわゆる日本型雇用のサラリーマンであった。私はそれを、擬似小経営的サラリーマンと呼んでいる。

 ここで少しおさらいを。日本型雇用のサラリーマンたる夫の労働は、家事全般を担当する専業主婦との組み合わせで成立していた。つまり、サラリーマン個人の生業ではなく、夫婦を中心とする家業として営まれていた。その存在形態は農家や個人商店などの小経営に類似したものであった。それゆえ、これを擬似小経営的サラリーマンと呼びたい。
 念のため付け加えておくと、日本のサラリーマンが擬似小経営的な形態をとることになった理由はまだわからない。従来の日本社会の基本的構成要素が小経営であったことに規定されて労働者までもが小経営的になった可能性もあるが、検証はできていない。ただ、明らかなのは、ともかく結果としては、日本型雇用のサラリーマンの家庭が、農家や個人商店などとよく似た形態をとったということである。これにより、小経営と擬似小経営的サラリーマンとが横断的につながり、一億総中流社会というイリュージョンを現出し、小経営の時代の終幕を飾った。

 さて、こうした擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形であった高度成長期において、彼らの保護や待遇改善を目的として機能した組織が労働組合である(したがって、擬似小経営的サラリーマンではない労働者、つまり、非正規雇用の労働者は、一般に組合から排除されてきたが、それが現在と比べて量的にも少なく、またその大部分が家計補助的な労働であったため、この排除はさほど問題とならなかった)。
 国政においては、これらの労働組合の支持を基盤とした社会党が最大野党として勢力を確保していた。また、左っぽいのが嫌いな組合に対しては、民社党という政党が用意されていた。
 政府・与党は、これらの野党と時に対立しつつもその要求に配慮しながら、政治を遂行していた。また、財界においては、日経連という組織が、組合側と向き合って労使の妥協点を見出し、それに合わせて経営者側をまとめていく役割を果たしていた。そして、この労使の妥協を調整し成立させることが労働行政の重要な役割であった。
 このようにして、労働組合という組織を媒介にして、政治が擬似小経営的サラリーマンを把握する回路が形成されていたのである。この回路を通じて、主に、雇用の安定と経済状況に応じた賃上げとが労働者にもたらされ、いちおうの幸福感を与えていた。

 以上、前回と今回の記事でみてきたように、かつて、政治は、守り育てるべき対象として小経営を把握していたし、擬似小経営的サラリーマンが労働者の標準形となった時期においては、共にこれをも把握する体制をとっていた。
  “小経営の時代”において、政治が国民の多数の幸福を実現するためには、とりあえず小経営や擬似小経営的サラリーマンの幸福を実現すれば良かった。そして、それを実現するための政治体制がかたちづくられていたのである(なお、そんな国民多数の幸福実現という課題が常に最優先されたわけでないのは前に書いたとおりである。念のため。)。

 ところが、現在、小経営と擬似小経営的サラリーマンは、急速に衰退、あるいは消滅している。労働組合もそれに合わせて衰退しつつある。増大する非正規雇用の労働者を組合に収容し、自分たちの収入を削ってまでこれを救おうなどという度量を組合に期待するのはどだい無理だろう。他方、かつての日経連のように、経営者たちに対する強いイニシアチブをもちながら労使交渉を遂行しうる財界組織も今は無い。結果、政治は、国民多数の幸福を実現する方法、牧民の方法を喪失してしまった。
 かつての政治は、国民多数の姿を、小経営および擬似小経営として捉えておけば良かった。
 しかし、現在の政治は、国民の姿を具体的に捉えることがまったくできなくなってしまった。「無党派」、「消費者」あるいは「日本人」といった、抽象的な姿で捉えることしかできなくなってしまったのである。

 このような状況において、滅び行く小経営を支持基盤とする自民党は低落の一途をたどっていた。小経営と擬似小経営的サラリーマンを基本とする産業構造も、グローバル化の中で崩壊し始め、特に、安い労働力を求める企業の海外流出による産業の空洞化が顕著となっていた。

 そんなとき、「自民党をぶっ壊す」ことを旗印にした政治家が人気を集めた。上述の産業構造の崩壊などがもたらす閉塞感の中にいた人々が彼を支持したからである。彼の手法は、要するに、世界標準(アメリカ標準?)に適合しない小経営と擬似小経営的(年功序列で“終身”雇用の)サラリーマンには見切りをつけ、グローバル化を積極的に受け入れることであった。
 これまで選挙の際には地域の小経営の熱心なとりまとめ役として自民党に協力してきた特定郵便局の局長たちを敵に回すといった彼のやり方は、従来の自民党の政治家から見れば、まったく正気の沙汰とは思えなかったはずである。
 しかし、こうした既存の利権にしがみつく「抵抗勢力」とのバトル、というパフォーマンスを、都市部を中心とする「無党派」の人々は熱狂的に支持した。
 だが、実のところ、彼には、幸福にすべき国民の姿は捉えられてはいなかった。まずは、より安価な労働力と雇用調整の自由を獲得した大企業がグローバル化・新自由主義化の下で潤い、金持ちがもっと金持ちになりやすい環境を整えれば、やがてはそれらからしたたり落ちる雫が、姿の見えない、つかみどころのないうぞうむぞうの輩まで行き渡るだろう、といった、例のトリクル・ダウンっていう、粗雑な発想である。

 その後、彼によってアイデンティティをぶっ壊された自民党の迷走ぶりについて、細かな説明はいらないだろう。相変わらず、幸福にすべき国民の姿が把握できないままの自民党は、とりあえず、朝鮮半島の北の方にいるパンチパーマの「悪者」と格闘してみせる「正義の味方」をリーダーに祭上げ、「日本国民」総体の支持を狙った。が、その格闘は空回りに終わり、国民の方も「美しい国の住民として頑張りましょう。」とかいった抽象論にはまったくついていけず仕舞いであった。(以下、ばかばかしくて略。現在にいたる。例えば、国内の全世帯にお金をばらまこうっていうナントカ給付金なんてアイデア自体、政治が具体的な牧民の方法を喪失してしまったことの証左だろう。)

 一方、田中角栄の愛弟子である野党のリーダーは、自民党が見放した小経営に対して、昔ながらの「牧民」のパフォーマンスを繰り広げた。中国地方の山間部の村にビールケースを積んで遊説の第一歩を刻んだこの前の参議院選挙では、自民党に愛想をつかした小経営がまず彼を支持した。ただし、もはや国民の少数となった小経営の支持だけでは選挙には勝てない。しかし、「痛み」と引き換えに約束されたトリクル・ダウンが幻に過ぎなかったことに失望した人々、小経営の時代末期の輝きを懐かしむ人々までもが、田んぼのそばのビールケースの上の彼にノスタルジックな期待を寄せた。結局、彼は記録的大勝利を収めた。次の総選挙も、おそらく、彼はこのスタイルを踏襲するだろう。しかし、彼には幸福にすべき国民の姿がちゃんと把握できているのだろうか。

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