2011/04/10

再考・たけくらべ論争~小谷野敦『現代文学論争』を読んで

文学論争は面白い
 
 遅まきながら、昨年秋に出された小谷野敦『現代文学論争』(筑摩書房、2010.10.)を買って読んでみた。文学論争や文学研究について素養のない私にとっては、初めて知ることが多くて本当に面白かった。この本で紹介された論争にふれることで、「文学」の問題の範囲にとどまらず、自分のふだんの生活における“良識”やら“正義”やらがゆらいできて楽しい。それが文学本来の力なのだろうし、論争の意義なんだろう。また、そうした揺さぶりをかけるのが小谷野さんのキャラクターなのかも。

 「たけくらべ」論争
 
 それはそうと、当ブログとの関係では、第九章の「たけくらべ」論争の部分が興味深い。まずは、たけくらべ論争について僕の知らないたくさんの人のいろんな説が紹介されていてすごく勉強になった。その結果、このブログの過去記事のうち、特に論争の基本的構図や経緯について書いた部分に若干修正の必要も感じる。例えば、初潮説を学界の定説として誤って紹介したくだりなどだ。しかし、とりあえずそれは「小谷野さんの本を買って読んでください」ということで勘弁してもらおう。

 「たけくらべ」論争とは、樋口一葉の有名な小説『たけくらべ』の主人公である美登利という活発な女の子が、物語の終盤、ある日を境に急に元気を無くしてしまったことの原因はなにか、という論争である。
 初潮を迎えたからという説や、吉原遊郭の娼妓としてデビューしたからという初店説、あるいは、娼妓に義務付けられた身体検査を初めて受けたからだという検査場説などなど、諸説が唱えられている。
 論争が大きくなったのは、小説家の佐多稲子さんが初店説を唱え初潮説を批判したことに対して、初潮説をとっていた文学者の前田愛さんが反論したことがきっかけであった。

 なお、佐多さんの主張について留意すべきは、初店といっても正式な娼妓としての初店ではなくて、店の奥で秘密裡におこなわれた違法な“初店”を佐多さんは主張しているという点である。佐多さんの初店説を支持する人のなかには、美登利が公然と娼妓デビューを果たしたものと考えている人も少なくないようだが、それは佐多さんの主張ではない点に留意すべきである。

 さて、この小谷野さんの本を読んだ後、自分の思いは少し佐多説に接近した気がする。最初は、佐多説もいちおう成立可能だけどやっぱり初潮説の方がしっくりくるかなぁ、と思っていて、このブログにも昔そう書いた。その後、次第に佐多説に魅かれつつも、どうしてもそうした“読み”はアクロバティック過ぎるように思い続けてきた。小説が書かれた当時の一般的な読者のリテラシーからして、秘密裡の初店という筋はなかなか思いつかないのではないかと感じていたからである。今回、小谷野さんの本を読んで自分が以前よりも佐多説に傾いたのは、この本で紹介された初潮説提唱者の言い分があまりにひどかったからかもしれない。まあそれは半分冗談。たしかに美登利の変貌の原因を初潮として読まなければならないとする積極的な根拠は見当たらないなあ、と思うようになったからだ(もちろん、初潮が原因ではない、という確実な根拠もまだ見つからない。念のため)。
 僕としては、この本で紹介された説の中では、佐多さんの批判を受けた後で前田さんが提出した「代案」や、まだ元の文献自体を読んでいないが、蒲生芳郎さんという人の主張に好感をおぼえた。

 小谷野さんのコメントについての疑問点

 こんなふうにこの本から多くを学んだが、ただし、各論者の説を紹介・批評しながらときどき示される小谷野さん自身の見解のうち、検査場説についてのコメントには疑問を感じる。

 以前の記事で書いたように、小説の最後まで美登利が正式な娼妓となっていないことはほぼ確実である。正式な娼妓になっていないと判断できる根拠は以下のとおり。
 ①娼妓は遊郭内の居住が義務だが美登利の居住地は遊郭の外であることと、②14歳の美登利は娼妓になることが法的に許される年齢の16歳に達していないこと、以上2点である。
  この2点について詳しくは、こちらの記事 と こちらの記事 を参照のこと

 明らかに美登利は娼妓デビューしていない。美登利が正式に娼妓になったという単純な初店説は不成立なのである。
 そして、すでに娼妓となっている者や娼妓デビュー直前の者たちだけに法律上義務付けられていた検査場での身体検査を美登利が受けることもありえない。検査場説も不成立なのである。

 これに対して小谷野さんは、娼妓の年齢制限が守られなかった可能性や、「一葉が遊郭について詳細な知識を持って」いなかった可能性を示しながら、検査場説になおも成立の余地をみているようだ。

 しかし、娼妓の居住区域制限や年齢制限を一葉が知らなかったとは考えにくい。また、それらを無視した物語設定を一葉がしたとも考えにくい。
 一葉が小説の中で正太に歌わせた流行節の「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」という歌詞は娼妓の年齢制限を前提に作られたものだろう。小学校(当時)に在籍する娼妓という設定はちょっと無理じゃなかろうか。
 つまり、一葉は年齢制限のことは知っていた可能性が大きいし、また、吉原界隈ではちょっとした有名人の小学生・美登利が、その年齢をごまかして娼妓営業の許可を受けるという設定は、あまりに不自然なものではなかろうか。
 また、娼妓は遊郭外に住んではならない、という規定は、江戸時代以来続くもっとも基本的な掟として娼妓たちの自由を縛っていた。吉原遊郭のすぐ隣に暮らした一葉がその掟を知らないはずはないし、小説が書かれた当時の読者の多くも、吉原の娼妓たちがおはぐろ溝に囲まれた廓の中の遊女屋に住まなくてはならない不自由な存在である、という知識は持ち合わせていただろう。実際、美登利の姉はそういう遊女屋に囲われて生きる存在としてちゃんと描かれている。

 つまり、義務教育制のもと14歳で地元の小学校に在籍し家族と共に遊郭外に暮らしながらも吉原で正式の娼妓として働く美登利、といった現実では決してありえない設定を、一葉が知識不足ゆえにおこなってしまうことはないし、また、当時の読者の多くが不自然に思うであろうそんなリアリティのひとかけらもない設定を一葉が敢えておこなったとも考えにくい。
 
 もちろん、現代の読者がどのような読みをしようとそれは自由である。例えば、当時の吉原の娼妓が、自宅マンションからタクシーで出勤してくる現代の吉原のおねえさんたちみたいなものだと思うことにすれば(そう思うことだって読み手の自由である)、単純な初店説でも検査場説でもかまわない。そもそも、どうやら美登利の変貌の原因について一葉がどのような想定をしていたのかを最終的に確定するのは困難みたいだ。

 しかし、少なくとも、美登利の正式な娼妓デビューを前提にする単純な初店説や検査場説が、執筆当時の一葉の想定や当時の読者の大半の読みからはずいぶんと遠く外れた位置にあることだけは確かである。
 そこで、僕個人としては、単純な初店説や検査場説は除外しておいて、それ以外の可能性をあれこれ想像しながら読んでみる、というのが、当面しっくりくる読み方だ。


付:大塚説(on twitter)について

 今回、久しぶりに『たけくらべ』について記事を書く際、ネットで検索してたら、ツイッターで大塚ひかりさんという人が

 「小谷野さん『現代文学論争』たけくらべ論争、本文に「折角の面白い子を種なしにしたと誹るもあり」ってあるんだから、初潮のわけないなと。初潮は自然となるもので誰かによって「した」と言われるようなことといったら「水揚げ」であることは明らかだよね〜と思った。」

 とつぶやいているのを目にした。

 ちょっと面白い意見だとは思うけど、問題の文の前の方を読むと、これは、美登利の変貌の原因が何なのか知らない人たちのいわば噂話として、「病気かな」という人もあり、「種なし(台なし)にしたと誹る」人もあり、と並列して書かれていることがわかる。したがって、この無責任な噂話をもってただちに「水揚げ」であると断定することはできないし、初潮を完全否定することも難しい。

 ついでに言えば、「初潮が折角の面白い子を種なしにした」という文だって、大塚さんの意見に反して一般的には成り立つわけだから、「した」にこだわって初潮を否定するのはそもそもが不成立だろう(厳密にはそうした擬人的な表現が一葉の作品で普通に用いられているかどうかを検証しなくてはならないが)。
 というか、そもそも原文の「した」の語は、初潮にしたとかしないとかで用いられているのではなく、「種なし」に「した」といっているわけなんだから、大塚さんのこだわりはちょっと筋違いな気もする。

 それはともかく、本来注目すべきは「誹る」という言葉の方だろう。誹られている対象が、美登利を種なしにした人・行為だとすれば、ふつう初潮はそれに当たらないわけで、大塚さんの言うとおり、この噂話の主は、変貌の要因として初潮は念頭に置いていないことになるかもしれない。
 しかし、あくまでそれは変貌の原因を知らない人の噂話だから、やっぱり、これだけで初潮を完全否定するのは難しい。

 ただ以下のような読み方だって可能かもしれない。“原因を知らないで「病気かな」という人もあり、それとは別に、原因をちゃんと知っていて「種なしにした」と誹る人もあり”という読み方である(とはいえ、原文を読む限り、そんなふうに途中で切り替えをする読み方はかなり不自然だと僕は思うけど)。
 ただしそういう読み方をあえて行った場合でも、噂話の主が水揚げを念頭に「誹」っているのかどうかは前後の文章を読んでも皆目わからない。つまり、大塚さんのように水揚げだと断定することはできないのである。

 結局、この「誹る」云々の噂話に注目することによっても、初潮の完全否定は難しいし、水揚げだと断定することもできない。

 ところで、ここでは、吉原界隈の少なからぬ人たちが美登利の身の上に起きたことが全然わからない状態でいる、といったことを一葉自身がはっきり書いているんだから、やっぱり、公然の娼妓デビュー=単純な初店説やそれを前提とした初検査=検査場説が成立しにくい、ということは言えるけどね。


2012.6.1.付記
 先日、巡見で吉原界隈へ行くことがあった。その準備で、久しぶりに、たけくらべ論争の動向をネットでチェック。すると小谷野敦さんのブログ記事で、美登利の変貌要因は水揚げだ、という人の文章が紹介されていた

  (以下小谷野さんのブログ記事から引用:小林)

 『たけくらべ』の最後が水揚げである、と主張したのは佐多稲子で、それより前に太田一夫という正体不明の人が書いていたということを『現代文学論争』(筑摩叢書)に書いたのだが、ウィキペディアを見たら、太田よりはあとだが、こちらは正体明瞭、佐多の前の夫の窪川鶴次郎が書いているとあったので確認した。

 窪川の『東京の散歩道』(現代教養文庫、1964)で、「読売新聞」に1961年4月から64年3月末まで週一回連載されたものだという。

 「作品のおわりのところで美登利は、姉がおいらんで出ている大黒屋にはじめて泊まって寮へもどってくる。きのうまでとはまるで人が変わってしまった自身を、自分では理解できない。そういった衝撃の微妙なありようが、自身に対しても勝ち気なままに、実に的確にとらえられている。それはこういった世界にみられる水揚げといった言葉で行われる慣習を想像させずにはおかぬ。」

  (引用終わり:小林)

 小谷野さんが紹介している窪川説、ちょっと面白いけど、やっぱり粗雑すぎる。

 窪川説の重要な前提になっている「大黒屋にはじめて泊まって寮へもどってくる」という美登利の行動だけど、これはあくまで窪川さんの“想像”に過ぎない。
 テキストには、美登利の大黒屋宿泊は明記されていないし、それをうかがわせるような記述もない。逆に、美登利が大黒屋に泊っていないことを確かめる材料もないんだけど。
 
 ただ、小谷野さんが引用している窪川さんの文章だと、美登利が大黒屋に泊まったのは明白であるかのように読めてしまう。
 窪川さんの意図的な騙しなのか、あるいは、単に勘違いなのか。そもそも、『たけくらべ』をちゃんと読んだことがないのか。

 このブログでのたけくらべ論争に関する過去記事はこちらをクリック

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2009/06/24

続々・たけくらべ論争~娼妓取締規則をめぐって

 たまにこのブログのアクセス解析っていうのをやる。相変わらず一番読まれているのは、もう4年も前の記事だが、たけくらべ論争についての記事である。今でもほぼ毎日、いくつかのアクセスがある。もちろん、これは僕のブログに人気があるからではなく、名作『たけくらべ』の人気のせいである。

 そのアクセスの先月分が飛躍的に増えていた。一日数百のアクセスが数日間続いた。どうして増えたんだろうって思って調べると、どうやら、この記事を、ある有名な文学者の方がブログでとりあげたり、ご自身の私塾の授業資料に使用したりしたかららしい。というわけで、今度のはその文学者の方の人気のせいである。

 それはともかく、塾での授業で僕の記事がどのようにとりあげられたのか関心がある。が、まあ、それは知りようもない。ただ、塾の生徒の方で授業ノートをネット上に公開されている人や授業感想をブログに書いている人などがいらっしゃるので、それらを興味深く読ませていただいた。また、それらの記事からのリンクで、山本欣司「売られる娘の物語:「たけくらべ」試論」(『弘前大学教育学部紀要』87、2002)も読んでみた。
 ここで本来は、ちゃんとした討論のかたちをとるべきかもしれないが、当方で勝手に集めた間接的で部分的な情報だけをもとに、ご当人がご意見を公表されていない段階(あるいは公表されていても私が知らないだけ?)で、件の文学者の方のお名前を出して反論するのは良くないかなと。というわけで、以下、自問自答みたいなかたちで考察をすすめてみよう。とはいえ、これはこれで相手の方に失礼なんだろうけど。どうかご勘弁のほどを。関連ブログへのリンクなども当面は控える。もし、状況が整えば、リンクなりトラックバックなりしようかなと。

 さて・・・

 たけくらべ論争の概要についてはこちらこちらの過去記事を。
 要は、物語の終盤、急に元気を無くした主人公の少女美登利について、彼女が元気を無くした原因をめぐる論争である。初潮をむかえたからだという初潮説のほか、吉原の遊女屋で初めて客を取ったからだという初店説、あるいは、娼妓に対して義務付けられていた身体検査を遊郭隣接の検査場で初めて受けたからだという検査場説(初検査説)などがある。

 以前の記事においては、これらの諸説のうち、初店説と検査場説は成り立たない、と主張した(ただし、私が否定するのは一般的な遊女デビュー形式での初店説。佐多稲子が主張するような違法な“秘密の初店”説は成立の可能性がある)。

 私がこれら2説は成り立たないとする論拠は当時の娼妓取締規則にある。そこでは、16歳未満で娼妓になることは禁止され、娼妓の遊郭外居住も禁止されている。まだ14歳で、かつ、遊郭外に暮らし続ける美登利が、正式に娼妓デビューしたり、デビューのための身体検査を受けたりすることはありえない。

 こうした主張に対しては、当時の吉原において、年齢をごまかして16歳未満の者を娼妓にすることは可能だろう、という反論や、作者の一葉が娼妓取締規則を知らなかったこともありえるだろう、という反論も成り立つようだ。

 たしかに一般論として年齢詐称もありえるだろう。たとえば、どこか遠い地方から売られてきた少女ならそれは容易かもしれない。しかし、吉原界隈のちょっとした有名人で、かつ、いまだ地元の小学校に在学中の美登利の場合、年齢の詐称は困難だろう。遊女屋の経営者にとって、これほどあからさまな違法行為はリスクが大きすぎる(仮にライバル業者やら逆恨みした客やらが警察に告発したら、かなり厄介だろう)。
 (20097.22.付記) 私の記事を紹介してくださった文学者の方のブログを読んだら、森鴎外の年齢詐称を引き合いに出して、それと同様に、美登利だって年齢を詐称してもおかしくなない、と考える学者の説が挙げられていた。うーむ、文久年間に石見の津和野で生まれた鴎外が、上京した翌年の明治6年に年齢をごまかして医学校に入ったという話と、明治19年の小学校令による義務教育の確立後で現に地元の小学校に在学している美登利の話とを同列に扱うのは、かなり粗雑な考えだと思う。(付記おわり)

 先に挙げた山本欣司氏の論文では、16歳になって娼妓デビューする前の見習い奉公開始もひとつの可能性として示唆されているが、見習い奉公なら遊女屋に移り住む必要がある。作品中に明記されているとおり、美登利は廓外に暮らし、遊女屋に行くのは、そこで働く姉に「用ある折」だけなので、見習い奉公も始まっていないと考えられる(山本氏がこれとは別に指摘する、美登利と遊女屋との間でなんらかの契約が成立した可能性については、検討の価値があると思う)。

 そもそも、美登利が正式に娼妓として就業していないことは、上記の年齢問題を別にしても、こうした彼女の遊郭外居住からも、明らかである。

 もうひとつ。一葉が娼妓取締規則を知らずに、16歳未満で遊郭外居住の美登利を娼妓にしてしまったのではないか、という反論。その可能性については、私も前の記事でふれた。でも、やはりそれは無理センだと思う。
 まず、16歳未満の娼妓就業禁止の方について。おそらくこれは、現在のなんとか条例の18歳未満云々程度には、世間の常識(?)だったと思う。一葉が正太に歌わせている流行節に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」とあるとおりだ。
 そして、娼妓の遊郭外居住の禁止の方は、江戸時代から続く、遊郭の営業独占を守るための最重要かつ最も有名な“おきて”である。『たけくらべ』執筆の前年、吉原のすぐ近くで約1年間居を構え、折にふれて吉原のことを観察していた一葉が、それを知らなかったことなどありえないだろう。

 というわけで、やっぱり、初店説(秘密の初店説はのぞく)と検査場説(初検査説)は成り立たないと考えられる。

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2007/06/06

続・たけくらべ論争~検査場説の再検証

 以前、いわゆる「たけくらべ論争」についての記事を書きました。いまだにアクセス数の多い記事です。先日、そちらの記事にコメントがありました。
 「たけくらべ論争」とは、樋口一葉の小説『たけくらべ』のヒロインである少女、美登利が、物語の終局、酉の市の日を境に、それまでの活発さを失って、まるで別人のようにおとなしくなってしまったことの原因をめぐる論争です。美登利は吉原で娼妓となる宿命の少女ですが、論争は、主に、美登利変貌の原因を初潮とする説と、初店(=初めての売春)とする説との間で繰り広げられてきました。そもそもは、通説である初潮説をとる著名な文学者の前田愛に対して、これまた有名な作家である佐多稲子が初店説をぶつけたことで論争が始まりました。
 私がこの論争に興味をもったきっかけやら、初潮説・初店説についての私見はこちらの記事をご覧ください。
 で、今回、いただいたコメントとは、実は初潮説・初店説の双方を否定する説=初検査説というものがある、というご教示でした。そのコメントで紹介された文献を今日やっと読むことができましたので、お礼かたがた、感想を書いてみます。
 とはいえ、私の結論としては、初検査説はちょっと難点が大きすぎるということになってしまいましたが・・・。

 以下が、その感想です。


初検査説(検査場説)とは

 上杉省和「美登利の変貌」(『文学』56、1988.7.)と、近藤典彦「「たけくらべ」検査場説の検証」(『国文学解釈と鑑賞』70-9、2005.9.)を読みました。まず上杉論文が美登利の変貌原因=初検査説を提唱し、近藤論文が再主張するという内容でした。近藤論文は題目で「検証」をうたっていますが、実際のところ、客観的検証作業をしたものではなく、初検査説の再主張といった体裁でした。
 
 初検査説のおおまかな内容は次のとおり。当時、吉原遊郭の娼妓、あるいは新規に娼妓となる者には、遊郭に隣接した検査場での性病その他の検査が義務づけられていた。娼妓デビュー直前の美登利は検査場で初検査を受けたが、そのショックで、それまでの活発さを喪失した。以上が初検査説です。

 この初検査説の主張の根拠は、おおよそ次のとおり。①初潮説・初店説ともに問題がある。したがって、初潮・初店以外の変貌原因が存在する。②変貌した美登利が目撃された場所は検査場の近くである(検査場の方向からやってきた美登利に友達が会ったところ、その様子が変だった)。③美登利に思いを寄せているその友達正太が、美登利に会う少し前、彼女を探しに出るときに口ずさんだ流行ぶしは、ある一部分がとばされている。その部分とは、ちょうど、検査を受ける娼妓のつらさを歌った部分である。これは、一葉が美登利の身上に起きていることを暗示するために仕掛けたものである。以上が、初検査説の主な論拠です。

初検査説の難点

 この初検査説はなかなか面白い説だとは思いますが、やはり難点があると思います。まず、初潮説・初店説を否定する際の論拠がやや薄弱です。たとえば、近藤氏を含む初潮説否定論者がしばしば「なによりの証拠」として注目するのは、当日夕方の美登利の母親の「風呂場に加減見る」行為です。当時、初潮だったら風呂には入らないはずだと。
 しかし、この「風呂」の準備が美登利ひとりのためだと断定する根拠は見当たりません。美登利一家が留守居をしている大黒屋(遊女屋)の寮(別宅)の「風呂」に入る、美登利以外の人物の候補として、美登利の母親・父親・大黒屋の主人・療養中の大黒屋の娼妓などなどが、可能性の大小は別にして、比較的容易に想定できると思います。したがって、風呂の件は、初潮説否定の決定的証拠とはなりえません。他の証拠も、これと同じように、解釈の仕方次第で無効となりうるように思います。
 一方、初店説を否定する論拠として、初店(美登利の初売春)がおこなわれる時間が無いという点を上杉氏は指摘しています。変貌した美登利は「昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひ」で恥ずかしがっているわけだから、初店は変貌の当日におこなわれたことになる。だが、美登利の朝からの行動を追うとそのような時間的余裕は無いと。
 しかし、佐多稲子氏が主張するとおり、初店が昨夜遅くのことであれば、問題はなくなるのではないでしょうか。「昨日の美登利」とは、昨日の日中までの美登利だと解釈しても、そんなに問題はないと思います。

 それはさておき、そもそも、初検査説が抱える最大の難点は、上杉氏・近藤氏の主張に反して、美登利が物語の最後まで正式な娼妓デビューをしないことです。

 明治22年の貸座敷引手茶屋娼妓取締規則では、16歳未満の者が娼妓になることは禁止されています。また、娼妓は「貸座敷内」つまり遊廓の遊女屋内以外の場所に住むことを禁止されています。遊郭内居住の義務は、こうした規則ができる以前、江戸時代から、遊廓の営業独占を維持する手段として重要視された、吉原内部の決まりごとでもありました。
 美登利の年齢は、作品中に明記されているとおり、14歳です。小学校の最終学年としてまだ学校に通っている美登利(2007/6/10付記:「最終学年」は間違いで、美登利は最上級生信如のひとつ下の学年でした)を正式に娼妓デビューさせることは、ふつう無理です。

 また、変貌の日以降、少なくとも物語のラストまで、一貫して美登利は遊廓吉原の外で暮らしています。これも、美登利がまだ娼妓となっていないことを示しています。検査期間に注目すると、娼妓は1週間に1回の検査が義務です。つまり、美登利が初検査を受けたのなら、それから1週間以内に廓内に移り娼妓デビューしないと、検査を受けた意味がなくなるのではないでしょうか。ふつうに考えると、検査後、1週間をまたず、早々にデビューするのが自然なように思えます。ここで変貌の日から物語のラストの水仙の朝まで、どのくらいの日数がたっているのかを確定するのは難しそうですが、さびしがっている友達からの遊びの誘いに対して、美登利が「今に今に」という「空約束」を「はてしなく」繰り返しつつ、その変貌ぶりが町の人々の噂にまでのぼり、例の水仙の朝のラストにいたる、といった展開からは、この間、決して少なくない日数が経過しているかのような印象を個人的には受けます。もし、変貌の日に、娼妓デビューのための検査を受けたとすると、その後、物語のラストにいたってもなお続く美登利の廓外居住は不可解です。

 まだ14歳であるにもかかわらず、美登利が娼妓デビューのための直前検査を受けたと主張する上杉氏や近藤氏は、その論拠として、『吉原大全』(上杉氏)、『北里見聞録』・『広辞苑』(近藤氏)の記述を引用しています。これらの文献では、娼妓デビューを「新造出し」「突出し」などと表現しています。そして、そうしたデビューが、13、14歳、あるいは14、15歳でおこなわれたとこれらの文献には書かれている。したがって、14歳の美登利が娼妓デビューすることになったと考えてもよいだろうというのです。

 しかし、わざわざ指摘するまでもなく、『吉原大全』は明和年間、『北里見聞録』は文化年間の文献です。残る『広辞苑』の記述がはたして論拠になりうるのかどうか疑問ですが、おそらくは、『吉原大全』や『北里見聞録』などの江戸時代の文献にもとづく記述でしょう。つまり、上杉氏や近藤氏が依拠するこれらの記述は、明治中期の吉原遊郭と娼妓についてはあまり有効ではありません。

 結局、上杉氏や近藤氏が主張する、14歳の美登利の娼妓デビューは、もしそれが実現したとするなら、佐多稲子氏が言うような、秘密の(違法な)初店であると考える必要があるでしょう(しかし、上杉・近藤両氏とも、自分の主張する美登利の娼妓デビューが、そうした特殊なケースだという自覚はないようです)。

 まあ、確かに、美登利のデビューがそんな秘密のデビューになってしまう可能性は否定できません。その点、佐多氏の初店説はなお有効でしょう。
 しかし、初検査説にとってそれは致命的な難点となります。秘密裡のデビューであるならば、美登利がわざわざ検査場へ行って正規の検査を受けてつらい思いをする必要はないからです。

 ここまで、初検査説に対する反証を挙げてみました。まとめると、①美登利は法的に娼妓デビューが可能な年齢に達していない。②美登利は廓外にずっと居住しているから正式な娼妓デビューにはいたっていないことが明らかである。③仮に正式なデビューではなく秘密裡の違法なデビューだとしたら、そもそも検査を受ける必要はない。  以上、①から③により、美登利が検査を受けたとは考えられません。

初検査説の可能性

 それでは、初検査説が成り立つ可能性についても検討してみましょう。上記の反証で依拠しているのは、明治22年の娼妓取締規則です。仮に物語の年代設定が明治27年ぐらいだとしたら、それまでに規則が変更され、14歳の娼妓デビューが公認されている可能性もあります(ちょっとだけ私も規則変更に関わるような史料を探しましたが、見つかりませんでした)。逆に、物語の年代設定が明治22年以前であれば、なんとかなるかもしれません。ただし、今度は検査場の建設が明治22年であることがネックですね。
 あるいは、『たけくらべ』はしょせん樋口一葉の創作の世界だから、14歳の正式デビューだって、初検査だって、何でもありえる、という読み方をしてみる。もしくは、一葉の吉原に対する知識が正確さを欠いていると考える。
 うーむ、それはちょっと難しいかも。娼妓の就業可能年齢や廓内居住義務について一葉が知らなかったとは思えません。創作だから・・・というのなら、まあ、何でもありといえばありですが。

2009.6.24.付記:最近、この記事のような主張に対しては、美登利の年齢が詐称される可能性や、上にも書いたように、一葉の知識に問題がある可能性にもとづく反論があることを知りました。検討の結果、やはりそうした可能性は低いだろうと考えています。興味のある方は、こちらの記事を。
 なんでも、森鴎外だって年齢を詐称していたのだから、美登利が年齢をごまかしてもおかしくはないんだとか。江戸時代に石見国で出生した森鴎外と、明治中期、義務教育制度が確立した後の地元の小学校に在籍する美登利とを同列に考えるなんて、そんなのアリなの?

 

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2005/01/10

「たけくらべ」論争について

  2011.4.10.たけくらべ論争についての最新記事はこちらをクリック


先日書いた記事、江戸を縦貫する2~たけくらべの道に関連して、今回は「たけくらべ」の最終場面における美登利の変貌の原因について少し思うところを書いてみたい。この変貌原因をめぐっては論争がある。

それまで、お転婆で愛らしく活発な少女だった美登利が、突然その元気を失う理由について、従来、学界で定説とされていたのは、美登利が初潮をむかえたから、という説明だった。それに対して、初潮程度であの美登利が変貌するわけはないだろう、変貌の理由は、美登利が初めて客をとって処女でなくなったからだ、という説が出された。変貌した美登利の描写の一部に、「たけくらべ」においてしばしばあらわれる源氏物語の見立てがやはり組み込まれていて、それは若紫が光源氏によって処女を奪われた直後の描写に照応しているという指摘も、美登利の処女喪失=初店説の有力な根拠となっている。

しかし、「たけくらべ」を読む限りにおいて、初店説に対して私は違和感を感じる。その一番の理由は、漠然としているのだが、美登利が初めて客をとったのだとすれば、そういう事実を読者が感じられるような叙述がもっとなされてもよいと思える。むろん、これだと、単なる個人的印象の域を出ない。でも、それが一番の理由である。

それ以外にも理由がある。変貌の日以降の毎日を、美登利は吉原の郭内ではなく、廓外の親元(母親の住み込みの職場でもある)で生活している。初店説を採るとすると、美登利は初めての客をとったその日から遊女としての生活を開始したはずである(一日限り遊女の真似事をさせられて、そのあと放っておかれている、というのは不自然な話だと思う)。遊女生活を始めた美登利は廓内へ移らなくてはいけない。それとも、当時、廓外からの通いの遊女って形態がありえたのだろうか?(たぶん無いのでは?) 「たけくらべ」を読むと、その頃、美登利が遊女屋である大黒屋に行くのは、そこで遊女をしている姉に「用ある折」だけだ。つまり美登利が遊女として働きはじめた痕跡がまったくみあたらない。というか、遊女としての生活がまだスタートしていないのはほぼ明らかではないだろうか。

しかし、初潮を迎えた美登利は、自分が遊女となる日のくるのを現実のものとして感じ始めたのだろう。あるいは、すでに指摘があるようだが、初潮があったことをきっかけに、この日、美登利の遊女デビューについて大黒屋との間で契約が成立し、その日程も具体的にかたまったのかもしれない。さらに想像をたくましくすれば、大黒屋の得意客のなかの裕福で遊び慣れたオジサンたち(「銀行の川様、兜町の米様もあり、議員の短小さま」たち?)の誰が美登利を“水揚げ”するのか決まっているのかもしれない。

初店説の論拠のひとつとして紹介した源氏の見立ての問題も、すでに客をとった後の美登利にではなく、遊女となって客と寝る自分の姿が、目の前にせまった現実として思い描けるようになってしまった美登利に対して用いられた、と解釈することは可能だろう。

にわかに迫った遊女デビューの日(そして、その日からは程遠くないであろう金銭づくの処女喪失の日)までの残された日数を数えながら、美登利は「何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このように年をば取る、もう七月十月、一年も以前へ帰りたいに」と嘆いているのだろう。
美登利がもしすでに客をとっているのなら、ここはこうした“駄々”ではなくて、もう少し開き直った、諦念めいた思いを吐くのではないだろうか。

それはそうと、歴史研究者としての自分にもどると、吉原の遊女に関する歴史研究はほとんど手つかずのように思える。主に遊客の視点に立った風俗研究は多い。また最近になって遊女屋を主な分析対象とした研究がいくつか出されるようになった。しかし、吉原の遊女を対象とした研究、遊女の視点に立った研究はあまりなされていないように感じられる。史料的な困難があるのは当然のことだろうが、遊女の存在形態などについての研究成果が蓄積されれば、歴史学の分野から「たけくらべ」論争に対しても何らかの有益な見解を示すことができるように思える。

(なおこの記事は、ピッピさんのブログ「お江戸日和。」を読ませていただいたことをきっかけに、「たけくらべ」のことをもっとちゃんと読み込まなきゃ、と感じて書いたものです。)

2007.8.28.付記:最近、美登利の変貌は初検査を受けたことによるという説をご紹介いただき、それについて、検証してみました。結果、初検査説は成り立たない、という見解にいたりましたが。興味のある方は、こちらの記事を
2009.6.24.付記:さらにその続編記事を書きました。興味のある方はこちらの記事へも


2010年5月21日付記
たけくらべ論争に対する私見のまとめ

 このブログのアクセス解析というのをやってみると、相変わらず一番よく読まれている記事は、たけくらべ論争について書いた一連の記事である。
 ちなみに、その次に読まれているのは、明太子スパゲッティの作り方を紹介した記事である。試しにグーグルで「明太子スパゲッティ」と入力して検索すると、有名な料理レシピサイトや企業運営のサイトを抑えて、このブログ記事が堂々の第2位や第3位に出てくる。こんなへっぽこブログの記事がなんでそんな上位にランキングされるのか、理由はまったく不明だが、ともかく、そんなわけで、この記事もアクセス数が伸びているのだろう。
 当ブログのタイトル「江戸をよむ東京をあるく」も、いっそ、「たけくらべをよむスパゲッティをつくる」に変えた方が良いかもしれない。

 さて、先日、学生さんたちと三ノ輪から吉原界隈を歩く巡見の準備をしながら、たけくらべ論争のことを再び考えてみた。
 たけくらべ論争とは、物語の終盤になってそれまでの元気をすっかり失ってしまった主人公・美登利の変貌の理由をめぐる論争だ。初潮説・初店説が主で、他に検査場説なんていうのもある。論争のおおまかな構図については、こちらの元記事の冒頭を参照のこと。
 現在、たけくらべ論争は、いろんな人がいろんな主張を展開して、すっかりこんがらがってしまっているようにみえる。
 それに辟易して、自分が『たけくらべ』を読むときは、美登利が変貌した原因なんか考えないようにしている、とまで言い出す人もいる。だけど、『たけくらべ』を読むとき、どうして美登利ちゃんはこんなに変わってしまったんだろう?って疑問を頭から外して読むことは不自然だろう。
 そこで、自分なりにその答えを探して、最初はちょっとした素人の思いつきを書いただけだったこの記事も、その後、意外にもたくさんの人に読まれ、有益なコメントもいただいた。そうした反響にお答えするかたちで追加記事などを重ねているうちに、それら全体としてかなり長文になってしまった。
 このあたりで、なるべく簡略に、たけくらべ論争についての私見をまとめておく。

初店説(と検査場説)は不成立
 まず、単純な初店説が成立しないことだけは確かである。初店説というのは、吉原で娼妓デビューしたことが原因で美登利は変貌した、という説である(ただし、ここで私が否定しているのは、正式な娼妓デビューを想定した初店説である。佐多稲子が主張する秘密裡の違法な初店の可能性は否定できない)。
 初店説否定の理由は、美登利が14歳であることと、廓外に住み廓の内外を自由に行き来していること、の二つである。
 当時の法律では、16歳未満での娼妓就業は禁止されていた。また、娼妓は廓内の遊女屋に住むことが法律で義務づけられていて、美登利のように廓外に住むことは認められていなかった(なお、この廓内居住の義務は、法律ができる以前から、吉原の営業独占を守るための最重要の掟としてあった)。
 そんな法律なんか、私たち読者は知らないぞ、って思うかもしれないが、『たけくらべ』が書かれた当時の読者の多くはそれを知っていた可能性が高い。
 さらに、娼妓就業の年齢制限については、作者の一葉自身が、わざわざ正太に「十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、今では・・・」という流行節を歌わせることで、読者にその存在を明示している。
 また、当時の吉原の娼妓が廓内の遊女屋に囲われて暮らす境遇にあったことは、昔も今も常識であろう。ところが、美登利は変貌後もなお家族と共に廓外に住み続け、廓内の遊女屋へ引っ越したりはしていない。そして、そんな美登利が廓内の大黒屋へときどき出向くのは、そこで娼妓として働いている姉に「用ある折」だけだ、とこれまた一葉がはっきり書いている。
 したがって、正式な娼妓就業はもちろんのこと、16歳未満での見習い奉公開始というケースも併せて、いずれにせよ、売られた美登利が吉原で働き始めた、とするこれらの読み方は無理なのである。
 つまるところ、初店説の可能性は作者の一葉によって完全に否定されているといってもよい。
 初店説を主張する人のなかには、美登利は年齢を詐称して働き始めた、という苦し紛れ(?)の仮説を立てる人もいるらしいが、それは無意味である。たとえ、それで年齢制限の問題をクリアできたとしても、美登利の廓外居住という事実がある以上、初店説はやはり不成立だからである。
 したがって以下は蛇足になるが、年齢詐称の想定自体も困難であることを指摘しておこう。
 どこか遠い地方から吉原に来たばかりの身寄りのない娘ならいざ知らず、いまだに地元の小学校に在学中で、界隈ではいっぱしの有名人である美登利が、年齢を詐称し通して所轄の警察署から就業許可を得るのは無理である。そんなリアリティのひとかけらも無い設定を一葉がしたとは考えられない。
 
 これで、一般的な初店説については明確に否定できたと考える。ついでにいえば、美登利の変貌の原因は、初店直前に受けた身体検査だという主張=検査場説(初検査説)も、直近の初店が不可能である以上、これまた不成立である。

一葉の“企み”?
 一方、佐多稲子が提唱する、秘密の初店説は成立可能である。ただし、こうした秘密の初店などというアクロバティックな読み方を、一般の読者が自力でおこなうのは難しいという気がする。したがって、もし一葉の真意が、佐多の指摘どおり、秘密の初店にあるのならば、当然一葉は、多くの読者の“誤読”を予想しながら作品を書き上げたことになるだろう。そんな一葉の“企み”を想定して『たけくらべ』を読んでみるのも、また面白いとは思う(こうした“誤読”を誘う一葉の“企み”については、この記事につけたコメントのうち、二番目の2005年1月12日付のコメントと、六番目の2005年3月21日付のコメントもご覧ください)。
 まあ、正直、初潮説で読むのが一番素直かな、という気がするのだが・・・。

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2004/12/30

巡見~江戸を縦貫する2 たけくらべの道

 たけくらべの道

 地下鉄三ノ輪駅出口から吉原まで歩いて15分ほどの道のりはなんの変哲もない市街地だが、樋口一葉の『たけくらべ』を片手に歩くとその印象はがらりと変わる。

 『たけくらべ』は、ご存じのとおり、ほのかな恋心を互いに抱く美登利と信如、そしてその二人をとりまく子供たちの姿を描いた物語だが、その舞台となったのがこの界隈である。子供たちの世界をその周囲からじわじわ浸食して解体していく大人の世界。大人の世界の極は言うまでもなく吉原で、その吉原に依存して経済的に成り立っているのがこの界隈であった。そして美登利は将来吉原で遊女として働くことが約束された少女である。
 「物いふ声の細く清しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したる」美登利は「子供中間の女王様」だったが、酉の市で町が賑わうなか彼女は初潮を迎え、ついに吉原で働く日が近づく。まだ子供の信如はとうてい美登利を救い出す存在たりえず、彼女は否応なく吉原にからめ捕られていくのである。

 三ノ輪からの道を歩きながら吉原が次第に近づくと、そんな美登利の宿命の道をなぞっているような気がしてくる。

 自分が『たけくらべ』を初めて読んだのは小学校だか中学校だかの頃で、現代語訳されたものだったと思う。全然面白くなかったのを覚えているけど、ガキの時分には理解できない世界だな。なかなか凄まじい内容だとあらてめて思う。

 さて『たけくらべ』をテキストにこの界隈を歩く場合の必読文献を紹介します。前田愛さんの『都市空間のなかの文学』。ちくま学芸文庫から出ています。この本のなかの「子どもたちの時間」の章。前田さんは、物語の冒頭に出てくる千束神社の夏祭をムラのマツリととらえ、一方でクライマックスの酉の市をマチのマツリと位置づける。そして、村落社会が解体し近代東京の市街地へと移りゆくこの界隈の都市化の状況と、子供たちが「金銭がつくりだすこうした非情な関係」に入りこんでいく状況とを、この二つの祭の間の落差が二重に象徴していると指摘する(ホント、するどいなぁ)。

今回の巡見当日は、ちょうど11月の二の酉前日。次回は酉の市の様子を報告します。

2005年1月9日追記:この記事中、「酉の市で町が賑わうなか彼女は初潮を迎え」と何気なく書いてしまいましたが、この件については有名な論争があったんですね。我が身の無知が恥ずかしい。なんでも、初潮ではなくて、初めて美登利が吉原で客をとらされた、って解釈が示され、従来信じられてきた「初潮」説との間で論争が繰り広げられています。いまだに決着していないとのこと。ネットで検索すると、反「初潮」説、つまり初めて客をとらされたっていう説とその根拠を示す文章が結構たくさんみつかりました。個人的には、初めて客をとらされたって説にはやや無理があるような気もしますが。「たけくらべ」を読んだ皆さんはどうお感じでしょうか?

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